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迎えにきたジープ p.158-159 機構改革でG-2が情報部J-2に

迎えにきたジープ p.158-159 Narashino School, which was a gas school of the Japanese Army, is now an intelligence school of the US Army. Captain Sakamoto of Maizuru Fifth Group had been teaching here since Maizuru's mission was over.
迎えにきたジープ p.158-159 Narashino School, which was a gas school of the Japanese Army, is now an intelligence school of the US Army. Captain Sakamoto of Maizuru Fifth Group had been teaching here since Maizuru’s mission was over.

二十七年四月二十八日の講和発効から、これらの機構は若干変ってきている。濠端の第一生

命ビルに頑張っていたGHQは市ヶ谷に移転し、国連軍総司令部は解消して、日米安保条約による日本駐留米軍司令部になった。つまり占領軍から駐留軍に変ったというわけである。しかし注意しておきたいのは、ここは同時に、米極東軍司令部であり、国連軍司令部でもあるということだ。つまり看板が三枚ある。

この機構の改革によって、同年秋ごろから極東軍の参謀部はJ—1から4になった。Jは、Joint Staff の略である。従って情報部はJ—2になったが、J—2には三軍のスタッフ・オフィサーがいるだけで、以前のG—2のように実行機関はもっていない。

極東陸軍のG—2は次のように分れている。

イ、戦略情報課( Strategic Intelligence Sec. )

ロ、秘密情報課( Security Intelligence Sec. )

ハ、心理戦情報課( Psychological Warfare Sec. )

ニ、総務課( Administration Sec. )

ホ、地理課( Geographical Sec. )

これらの課の中にそれぞれ三—四の班( Unit )があって担任の業務をしていた。当時のG—2も大体これに準じた内容をもっていたと思えば間違いはない。例えばこの秘密情報課という

のは旧CISであるように。

板橋にあるのはCICとCISの実行機関である。また王子のTIDは技術部隊で、Technical Intelligence Div. の略である。日本陸軍のガス学校だった習志野学校は、米軍の諜報学校( Intelligence School )になっていて、いまは少佐に進級して帰米した、舞鶴第五班の坂本(サカモト)大尉は、舞鶴の任務が終ってからここで教官をしていた。

その他の機関では連邦検察局と呼ばれるFBI( Federal Bureau of Investigation )、犯罪捜査のCID( Criminal Investigation Div. )がある。FBIとはいわば特高で、禁酒法時代に、酒の密造密輸、脱税防止という税警隊として出発し、現在では主として反逆罪関係をやっているが、これもまたそれ自身の諜報謀略網を持っている。CIDは一般犯罪関係の警察機関で、例の銀行ギャング、パリエル事件などでお馴染みである。Provost Marshall という憲兵司令官の下で、制服部隊がMPで、私服がCIDである。

これまでは主として陸軍関係であったが、海、空軍ともにG—2に相当するA—2( AFFE-2)、NIC( Navy Intelligence Command )とがあり、それぞれ活動している。

三 押しボタン戦爭の原爆投下

対ソ資料の全くなかったアメリカが、旧軍人に協力を要請したことはさきに述べた通りだが、その初期はあくまで要請であって、二十一年十二月と翌年

一月の引揚四船の入港時には、日本政府の復員官の身分で、給与は終戦処理費の秘密費というような旧軍人顧問団を抱えていた。

迎えにきたジープ p.176-177 スパイの逆用が米国の常道

迎えにきたジープ p.176-177 In the reverse use of spies, find an enemy spy and obtain it with conciliation or intimidation. This is the usual way of American Intelligence agency. So they are always distrustful and like a gangster.
迎えにきたジープ p.176-177 In the reverse use of spies, find an enemy spy and obtain it with conciliation or intimidation. This is the usual way of American Intelligence agency. So they are always distrustful and like a gangster.

普通、スパイは次のような過程を経る。要員の発見→獲得→教育→投入→操縦→撤収。従って、任務で分類するならば正常なるスパイ、複スパイ、逆スパイなどはこの取扱法をうける。二重スパイというのは、二次的な状態だからもちろん例外である。

奇道である敵スパイ逆用の場合は次のようになる。要員の発見→接触→獲得→操縦→処置。つまりこれでみても分る通り、獲得前に接触が必要であり、獲得ののちは教育も投入も必要なく操縦することであり、最後は撤収するのではなく処置することである。

正常なるスパイは、自然な流れ作業によって、育てられてゆくのであるし、確りとした精神的根拠もしくは、それに物質的欲望がプラスされているのであるから、そこに同志的結合も生じてくる。

逆用工作では、要員の発見は我が陣営に協力し得る各種の条件のうちの、どれかを持った敵スパイをみつけ出し、それを懐柔または威嚇で獲得するのであるから、同志的結合などは全くないし、操縦者は常に一線を画して警戒心を怠らない。

これが、アメリカの秘密機関の常道になっているのであるから、彼らはつねに猜疑心が深く、ギャング化するのである。ところがラストヴォロフと志位元少佐との関係を見てみると、そこには人間的な交情さえ見出されるではないか。

正常スパイでは、任務が終れば味方であり同志であるから、最後にこれを撤収しなければならない。逆用スパイの場合は撤収とはいわず処置という。つまり殺すなり、金をやるなり、外国へ逃がすなりせねばならない。鹿地事件の発端は、この処置の失敗である。

鹿地氏と重慶の反戦同盟で一緒に仕事していた青山和夫氏は、鹿地氏出現以来の言動から次のような十の疑点をあげている。

1 USハウスはどれも金アミがあり、塀には鉄条網があるのが原則だ——これは占領中の日本人の暴動を予防するためMPの指令でそうなっている。

2 自由に新聞、雑誌、ラジオを聞き乍ら、なぜ独立後直ちに釈放を要求しないか、なぜハンストをしないのか、だまってダラダラ生活するのは何故か。左翼として、必ず、このような場合はハンスト戦術をするべきだ、自殺はおかしい——芝居か架空の事件ではないか。

3 監禁なら当然新聞、雑誌、ラジオを自由にさせないはずだが。

4 米将校が定期的に訪問会談するのは、アメリカ機関としてコンスタントになっている証拠だ。鹿地が本当に「拒絶」しているならばコンスタントの会談はない。

5 鹿地は右翼から狙われているとの理由で保護を求め代償に仕事し、これはおそらく北鮮問題をアメリカに提供したのではないか。北鮮との関係をホラをふいて、アメリカをだましたのではないか。