そればかりではない。数字を明らかにしたくないが、私が月々得る雑誌原稿料は相当なものであった。
この私が、どうして、十万やそこらのメクサレ金で、刑事訴追を受けるような危険を冒すであろうか。もしも、誰かが一千万円も出すといって頼みにくれば、しばらくは考えこむだろうが、百万円もらってもイヤである。私の将来がなくなるからである。私の二人の可愛い子供たちが、学校へ行けなくなるし、三田姓を名乗る一族のすべてが、肩身せまくなるからである。
私の意志は、小笠原のこの突然の、虫の良すぎる申し出の前で、全く自由であった。彼の意志に反して、彼の眼前で警視庁へ電話して突き出すことにも、恐怖なぞ感じなかった。私は取材で、記事で、もっと恐いことを味わっている。
私は決断を迫られた。私の無言に、小笠原は誠心誠意、人間の信義をかけて、再び頼みこんできた。私は彼の眼をジッとみつめて、しばらく考えこんだ。ホンの数分である。イヤ数十秒かも知れない。――私は決心して、『よろしい。やってみましょう。ただ、北海道といえば、頼める人はただ一人、旭川にいた私の昔の大隊長だけです。その人がウンといったら、紹介してあげます。もし、ダメだといったら、あきらめて自首なさい。』
私はこの瞬間に、大勝負へ踏み切ったのであった。新聞記者として、一世一代の大仕事である。まさにノルカソルカであった。戦争と捕虜とで、〝人を信ずる〟という教訓を得た私は、小笠原を信じたのである。 人は笑うかも知れない、『何だ、タカがグレン隊の若僧に……』