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赤い広場ー霞ヶ関 p.142-143 高良とみのナゾの秘書、松山繁

赤い広場ー霞ヶ関 p.142-143 When Tomi Kora attended the Moscow Economic Conference, a mysterious secretary Shigeru Matsuyama (real name: Michitaro Murakami) accompanied her. Who is he?
赤い広場ー霞ヶ関 p.142-143 When Tomi Kora attended the Moscow Economic Conference, a mysterious secretary Shigeru Matsuyama (real name: Michitaro Murakami) accompanied her. Who is he?

戦後の国際犯罪は思想的、政治的背景をおびて、その規模もいよいよ大きくなり、密航、密

貿、脱税、ヤミドル、賭博、麻薬、売春という〝七つの大罪〟が〝東京租界〟を形造った。国際犯罪はいくら日本国内だけで捜査し検挙しても、決してその根を抜き源をふさぐことはできない。

こうして「高良資金」にはじめは異状な緊張をみせた当局も、香港、パリと舞台が移るに及んで、ついに投げださざるを得なかったようである。

だが、高良女史に関する〝資金〟の情報はまだある。二十七年春、モスクワ経済会議へ出席したときの旅行の費用についてである。時間的経過からいえば、この時の方が先なのであるが、「高良資金」の話の方が、高良女史―SCI—海外(共産圏)旅行―金―高良女史という環状の関係が明らかになるので、話を前後させたのである。

この〝環〟はグルグルと廻っている。廻っているからには中心がなければならない。では、中心とは誰であるか?

村上道太郎という青年である。第一集で述べた通り『高良とみというクエーカー教徒の、人間の善意しか理解できぬような〝善人〟がモスクワ経済会議へ乗込んできた。これはまさにソ連にとってカモネギであった』と、世の〝善人〟たちは思い込んだに違いない。だが、ソ連の時間表は正確である。

村上道太郎という青年の名を記憶している人はあまり多くない。しかし、高良とみ女史のナゾの秘書松山繁氏を覚えている人はいるだろう。松山繁は村上氏のペンネームなのである。

二十七年四月五日、ヘルシンキからモスクワ入りして、戦後訪ソ第一号となった高良女史は経済会議ののちにシベリヤ、北京などを訪問した。その間、日本人墓地の参拝、戦犯への文通送金の自由の報道、日中貿易協定の調印、婦人の反戦の放送など、数々の話題をまき起して七月十五日単身帰国、熱狂的歓迎をうけるとともにジャーナリズムの花形となった。まさに得意の絶頂であった。

ところが、その得意の絶頂の歓喜の中で、時たま女史を襲う不安、寂寥、懐疑、恐怖などといった「不愉快な感情」があり、女史はそれに悩まされなければならなかったはずである。これは私が女史に会って、その秘書村上氏のことに触れたとき、端的に表現された感情と言葉とから、私が判断したことである。それほど、村上氏について訊ねられることを嫌っていたのだが、得意の絶頂を与えたソ連旅行と村上氏とは、切っても切れない関係だから、ソ連旅行の想い出は同時に村上氏への想い出だからである。だが、その〝傷口〟にさわられる時はついに来た。意地悪な治安当局の情報分析者(アナリスト)がフト抱いた単純な疑問が端緒であった。彼は女史関係の資料の整理をしているうちに、外電の伝えた「同行の秘書松山繁」なる人物が、いつの間にか 消えてしまったことに気付いたのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.196-197 私の立場でいえない部分がある

赤い広場ー霞ヶ関 p.196-197 Ikuo Shimizu's father was a very important person leading to the Soviet Union. Only he among the nine comrades survived. Now, Ikuo Shimizu may be operating a famous politician.
赤い広場ー霞ヶ関 p.196-197 Ikuo Shimizu’s father was a very important person leading to the Soviet Union. Only he among the nine comrades survived. Now, Ikuo Shimizu may be operating a famous politician.

本人の語る経歴は、ハルビン学院卒、満州石塔の幹候隊在隊中、軍曹で終戦となった幹候十

三期生、ウォロシロフ付近の炭坑作業の収容所にいて、二十二年四月に引揚げてきたという。

私が調べてみたところでは、二十二年四月の引揚船の乗客名簿には、彼の名前が見当らなかった。

私はまた治安当局の係官に確かめてみた。

『本人は否定するけど、音羽に行ったのは本当に奴なのかい?』

『もちろん、間違いない。あの男なら、わしの方で前から調べていた男なんだ。大田区に住む清水郁夫に間違いないよ』

『しかし、それは奴の本名かい? 戸籍上の名前かい? 奥さんの品は良いし、子供もマトモな顏をしているし、どうみても、あんな裏長屋に住む人種ではないぜ』

『……。実はそこまでやってないンだ』

『何故、何故だい。本人が清水と称し、表札が出ていて、米の配給通帳が清水だからといって戸籍上の名前とは限らンだろう?』

『ウン、そうなんだ。……実は、本籍地照会をやろうとしたら、上の方で、しなくても良いッていうンだよ。内密だけど……』

『フーン。すると、ずっと上の方では、奴が何者だか分ったわけだナ!』

私はその係官と別れて、いわゆる〝治安当局のアナリスト〟に会った。

彼はいう。

『これは、発表されてもらいたくない部分もある話なんだ。しかし〝奇怪な三人〟がいたということまで調べられたのでは、参った。実はあの清水の父親は、大変なエライ(という意味は、社会的地位や名誉ではなく)人だったンだ。ソ連にカンのある人だ。彼の父だけが、同志九名のうちで生残ったのだ。

莫然とした話だが、私の立場でいえない部分がある。眼光紙背に徹して、声なき声も聞いてくれョ。

だから、清水郁夫に、ハバロフスク帰りだという噂も出たのだ。ともかく、彼の父の立場を受継いだ清水だから、ああいうこともできるのだ。

係官に、彼の黒幕に有名な政治家がいる、と聞かなかったかい? それが、果して彼の黒幕なのか、或はその政治家の方が彼の手先なのかも知らンよ』

本人に父親や戸籍のことをたずねた。

『先日亡くなった母は、鹿児島にいました。もちろん、戸籍上も清水郁夫ですよ。父は大陸で働いていて、引揚げてきて亡くなりました』

黒幕とみられている有名政治家が、実は彼の手先なのだッて? では一体……

赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 「第二、第三の男は?」

赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 When I abandoned further research, the analyst told me. “It ’s better not to touch it. You also have a wife and a child ... ”At that moment, a terrible ran through my spine.
赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 When I abandoned further research, the analyst told me. “It’s better not to touch it. You also have a wife and a child…” At that moment, a terrible ran through my spine.

『先日亡くなった母は、鹿児島にいました。もちろん、戸籍上も清水郁夫ですよ。父は大陸で働いていて、引揚げてきて亡くなりました』

黒幕とみられている有名政治家が、実は彼の手先なのだッて? では一体……

私は再びアナリストに会った。

『第二、第三の男は?』

『第三の男、これは、鳩山、ドム会談に立会っているはずだ。この男も自称清水というンだ。しかし、本名は頭文字Oで、某政党の大立物S氏の関係者らしい』

『そのOとかSとかの本名は?』

『それはいえない。第二の男、ド氏を裏玄関へ案内した男、この男の正体は、いまもって分らないンだ……』

『前にアタった当局の係官は、清水郁夫の身許を、トコトンまで調べないうちに、上から止められたといっていたが、これはどうしてなンだい? S氏の線かね?』

『それは、わしにも分らない。きっとズットズット上の方で、納得がいっているからだろう。役人は上のいうことは、何でもきかなきゃいけないからネ、服務規律にそう書いてあるヨ』

もはや、これ以上は私には調べられなかった。もちろん、訊ねてみたって、国警長官も警視総監も、正直に打明けてはくれない。或は、彼らだって、そのワケは知らないかもしれない。警察は法律の執行体であって、政治家ではないのだから……。

ともかく、私の得た結論では、この鳩山邸の〝奇怪な三人〟については、なみなみならぬ高等政治によって、登場させられてきた男たちだということであった。

私がこれ以上、〝奇怪な三人〟について調べることを断念したとき、口籠ってばかりいた例のアナリストは、ホッとしたような表情で、私にいった。

『よかったですナ。アレはさわらん方がいいですよ。貴方も、奥さんや子供さんがいるンだから……』

私は、瞬間、〝恐怖〟が稲妻のように、背骨を走り抜けたように感じた。

『エッ!』

ニコヤカに微笑んだつもりだったが、顔の筋肉は醜く硬張っていたらしい。

四 日本の〝夜の首相〟と博愛王国

日ソ交渉が具体的に動きはじめた、二十九年十二月から、二、三ヶ月前のことだった。

当時まだ警視庁記者クラブ詰だった私は、ある日女性の電話に呼び出された。

『実は、Q氏(米人)に関してお話を承わりたいのですが、御都合如何でございましょう』

第一回菊池寬賞を受けてから、「東京租界モノ」は読売の専売特許であった。この女性は、読売本社に電話して、それならば警視庁クラブの三田記者に聞けと教えられ、今、こうして私

を呼び出したのであった。