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読売梁山泊の記者たち p.002-003 献詞 三田和夫

読売梁山泊の記者たち p.002-003 献詞 平成三年十一月二十六日 三田和夫
読売梁山泊の記者たち p.002-003 献詞 平成三年十一月二十六日 三田和夫

献詞

平成三年十一月二十六日  三田和夫

もう、半世紀にもなろうという、昔、
昭和十八年十月一日。
大観の富士山が飾られた社長室。
正力松太郎社長から、親しく辞令を受け、
私の人生が、決定づけられました。

そして、戦後の二十年代、
「社会部の読売」という名声が、
朝・毎時代から、朝・毎・読の時代へ。
さらに、朝・読の時代を経て、
一千万部の読売新聞が、築かれました。

それも、これも、
販売の務臺光雄、紙面の原四郎という、
二人の巨人が、
大巨人・正力松太郎の衣鉢を継いだから、
だと思います——。
然るに、噫…、
お三方ともに、
すでに、幽明、境を異にされました。
ここに、本書をもって、
先哲の事蹟を明らかにし、
鎮魂の詞(ことば)といたします。

p63下 わが名は「悪徳記者」 五日間連続特ダネの報道で

p63下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 こうして、五日間にわたり、最後の安藤逮捕まで、連日の朝刊で犯人逮捕を抜き続けたら、これは一体どういうことになるだろう。横井事件は一挙に解決し、しかも読売の圧勝である。
p63下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 こうして、五日間にわたり、最後の安藤逮捕まで、連日の朝刊で犯人逮捕を抜き続けたら、これは一体どういうことになるだろう。横井事件は一挙に解決し、しかも読売の圧勝である。

本部専従員八十名、全国十五、六万人の警官を動員し、下山事件以来の大捜査陣を敷いたといわれる横井事件も、一新聞記者の私の手によって一挙に解決する。

五人の犯人を手中に納めたら、すぐ各人に記者が一名宛ついて監視する。まず第一日に一人を出す。これが読売の特ダネだ。特捜本部では感謝感激して、この犯人を逮捕するだろう、翌日、また一人逮捕させる。これもまた読売の特ダネだ。

こうして、五日間にわたり、最後の安藤逮捕まで、連日の朝刊で犯人逮捕を抜き続けたら、これは一体どういうことになるだろう。横井事件は一挙に解決し、しかも、読売の圧勝である。

私はそれこそ〝日本一の社会部記者〟である。そしてまた、警視総監賞をうける最高の捜査協力者である。本年度の菊池寛賞もまた私個人に与えられるかも知れない。各社の横井事件担当記者は、いずれも進退伺いを出さざるを得ないであろう。

この五日間連続特ダネの報道で、読売の声価はつとに高まり、「事件の読売」「社会部の読売」の評価が、全国四百万読者に湧き起るであろう。会社の名誉でもある。〝百年記者を養うのは、この一日のため〟である。

二人目の犯人を出した時、警視庁は怪しいとカンぐるかも知れない。そして、残りを一度に欲しいと、社会部長か編集局長に交渉してくるだろう。刑事部長と捜査二課長の懇請を入れて、三日目に全員を逮捕させてもいいだろう。

私の構想ほ、とてつもない大きさでひろがっていった。 この計画を或は他の記者は、空想として笑殺するかも知れない。