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迎えにきたジープ 書籍広告-見返し

迎えにきたジープ 書籍広告-見返し ※鉛筆書きで「200」とあるので、おそらく古本屋で入手したものだろう。著者の手許に自著がまったくなくなり、人に頼んだか、自分で見つけたか、定価130円の本を200円で買ったと思われる。
迎えにきたジープ 書籍広告-見返し ※鉛筆書きで「200」とあるので、おそらく古本屋で入手したものだろう。著者の手許に自著がまったくなくなり、人に頼んだか、自分で見つけたか、定価130円の本を200円で買ったと思われる。

<世界的反響を呼んだ問題の書>

三田和夫著
——東京秘密情報シリーズ——

迎えにきたジープ
—奪われた平和—

赤い広場—霞ヶ関
—山本ワシントン調書—

<近刊>

偽りの赤十字
—何日君再来—

羽田25時
—賭博と女と麻薬と—

——新書判 各¥130——
品切の節は直接本社へ 〒20

※<近刊>として挙げられている『偽りの赤十字 —何日君再来—』と『羽田25時 —賭博と女と麻薬と—』の二冊は、結局、出版されることはなかった。

著者が四部作と表明しているので、未刊行の二冊についても、内容と構成はほぼ完成していたと思われる。とくに『羽田25時』は、既刊二冊の本文中に〝羽田25時参照〟と書かれてもいるので、すでに原稿も完成していた可能性が高い。

この「東京秘密情報シリーズ」は、著者の公安担当記者としての経験と情報とから編まれたものなので、未刊の二冊もそうした内容だったのだろう。

『偽りの赤十字』は、一九五〇年代の日本赤十字社に関わる内容で、サブタイトルが、さまざまに意味づけされた歴史的名曲「何日君再来(ホーリージュンザイライ)」なので、おそらく帰還者事業、とくに中国からの帰還者や、李徳全などにまつわる話だったことが想像される。

また、『羽田25時』は、サブタイトルが「賭博と女と麻薬と」とあるので、独立直後の日本で、わがもの顔で悪事を重ねた不良外人を取り上げた内容が想像される。おそらく、読売新聞で連載し、菊池寛賞を受賞した「東京租界」シリーズの拡大版のようなものだろう。

いずれにせよ、いまとなっては、この二冊が、なぜ発刊されなかったのか、なぜ刊行できなかったのか、理由はわからない。

著者も、その点については、その後に出版された5冊の著書においても、一切ふれていない。

最後の事件記者 p.218-219 菊池寛賞、新聞部門第一回受賞

最後の事件記者 p.218-219 これは、独立直後の日本で、占領中からの特権を行使して支配を継続しようとした、不良外人たちに対し、敢然と下した、日本ジャーナリズムの、最初の鉄槌であった。
最後の事件記者 p.218-219 これは、独立直後の日本で、占領中からの特権を行使して支配を継続しようとした、不良外人たちに対し、敢然と下した、日本ジャーナリズムの、最初の鉄槌であった。

私は原部長と相談して、書く時期をみることになった。外務省のヤミ取引、というか、倭島局長のマニラ在外事務所長時代のヤミ取引で、ルーインのヤミ入国という特ダネは、まだしばらく

秘められることになった。

だが、書くべき時は間もなくやってきた。そして、この事実を重視した、衆院法務委員会が、社会党猪俣代議士の質問で追及した。その当日、委員会の記者席に坐っていた私の前を、倭島局長が通りすぎようとした。彼は政府委員として、この事件の責任者だ。

フト、彼の視線に私の姿が入ったらしい。彼は、一、二歩、通りすぎて立止った。クルリと振り向くと、グッと私へ憎悪の目を向けてニラミすえた。そして、政府委員席へと歩き出した。猪俣委員の鋭い質問がはじまるや、局長と、新聞のコラム欄では、「取引を外交と思いこんでいる」とヤジられて、すっかり男を下げてしまったが、これが二十八年七月九日のこと。

やがて、八月になると、ルーインが局長へ手紙をよこして曰く。

『私は、貴殿が、私の入国の協力者として、恥をかかれたとお思いなら、心からお詫び申しあげます……』

この「東京租界」は、十月二十四日から十一月六日までの間、タッタ十回ではあったけれども、続きものとして連載された。まだまだ材料はあったのだが、十一月十日の立太子礼のため、打切らざるを得なかった。

これは、独立直後の日本で、占領中からの特権を、引続き行使して、その植民地支配を継続しようとした、不良外人たちに対し、敢然と下した、日本ジャーナリズムの、最初の鉄槌であった。

そして、この続きものをはじめとするキャンペーン物で、読売社会部は、文芸春秋の菊池寛賞、新聞部門第一回受賞の栄を担ったのであった。

p57上 わが名は「悪徳記者」 三人の大物国際博徒

p57上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇(チンパン)の大親分杜月笙と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。
p57上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇(チンパン)の大親分杜月笙と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。

そして、この記事をはじめとするキャンペーン物で、文芸春秋の菊池寛賞の新聞部門で、読売社会部が第一回受賞の栄を担ったのである。

その第一回の記事に、「ねらう東洋のモナコ化、烈しい編張り争い」と、国際バクチ打ちの行状がある。この時に登場を願ったのが、即ちこの王長徳である。つまり、東京租界を自分のシマ(縄張り)にしようと、三人の国際博徒の大物が争っている。その一人はアル・カポネの片腕、アメリカはシカゴシチーで東洋人地区の取締りをやっていた鮮系米人のジェイソン・リー。二人目は、フィリピンはマニラの夜の大統領といわれるテッド・ルーインの片腕、自称宝石商のモーリス・リプトン。どんじりに控えたのが、上海の夜の市長〝上海の王〟だという情報だった。

牧野記者と二人で、この大物バクチ打ちの所在を探し、リーとリプトンとにはインタヴューすることが出来たが、〝上海の王〟はその所在さえつかめない。調べてみると、この王は、上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇の大親分杜月笙と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。

そしてこの青幇の幹部の一人が経営していた、銀座二丁目の米軍人クラブのⅤFWクラブにもぐりこんでいるというところまで突きとめたが、どうしても会えない。他の二人には会えたのに、三人目が欠けたのでは面目ないと、考えこんでいる時、サツ廻りの上野記者が、『新橋に王という変った男がいますよ』と情報を入れてくれた。

p63下 わが名は「悪徳記者」 五日間連続特ダネの報道で

p63下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 こうして、五日間にわたり、最後の安藤逮捕まで、連日の朝刊で犯人逮捕を抜き続けたら、これは一体どういうことになるだろう。横井事件は一挙に解決し、しかも読売の圧勝である。
p63下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 こうして、五日間にわたり、最後の安藤逮捕まで、連日の朝刊で犯人逮捕を抜き続けたら、これは一体どういうことになるだろう。横井事件は一挙に解決し、しかも読売の圧勝である。

本部専従員八十名、全国十五、六万人の警官を動員し、下山事件以来の大捜査陣を敷いたといわれる横井事件も、一新聞記者の私の手によって一挙に解決する。

五人の犯人を手中に納めたら、すぐ各人に記者が一名宛ついて監視する。まず第一日に一人を出す。これが読売の特ダネだ。特捜本部では感謝感激して、この犯人を逮捕するだろう、翌日、また一人逮捕させる。これもまた読売の特ダネだ。

こうして、五日間にわたり、最後の安藤逮捕まで、連日の朝刊で犯人逮捕を抜き続けたら、これは一体どういうことになるだろう。横井事件は一挙に解決し、しかも、読売の圧勝である。

私はそれこそ〝日本一の社会部記者〟である。そしてまた、警視総監賞をうける最高の捜査協力者である。本年度の菊池寛賞もまた私個人に与えられるかも知れない。各社の横井事件担当記者は、いずれも進退伺いを出さざるを得ないであろう。

この五日間連続特ダネの報道で、読売の声価はつとに高まり、「事件の読売」「社会部の読売」の評価が、全国四百万読者に湧き起るであろう。会社の名誉でもある。〝百年記者を養うのは、この一日のため〟である。

二人目の犯人を出した時、警視庁は怪しいとカンぐるかも知れない。そして、残りを一度に欲しいと、社会部長か編集局長に交渉してくるだろう。刑事部長と捜査二課長の懇請を入れて、三日目に全員を逮捕させてもいいだろう。

私の構想ほ、とてつもない大きさでひろがっていった。 この計画を或は他の記者は、空想として笑殺するかも知れない。