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事件記者と犯罪の間 p.150-151 オレと立松と萩原と尽きせぬ悪縁だよ

事件記者と犯罪の間 p.150-151 「立松が逮捕された時には、オレがやはりこうして付添っていったっけナ」「そして、今度はオレが警視庁キャップで三田の付き添いか」
事件記者と犯罪の間 p.150-151 「立松が逮捕された時には、オレがやはりこうして付添っていったっけナ」「そして、今度はオレが警視庁キャップで三田の付き添いか」

事件記者と犯罪の間(我が名は悪徳記者)

昭和三十三年七月、著者は、安藤組による「横井英樹殺害未遂事件」を、読売社会部の司法記者クラブ詰め主任として、取材しながら、大スクープの仕掛人として失敗。退社して、犯人隠避容疑で警視庁に逮捕された。

二十五日間の留置場生活ののち、保釈で出所した著者は、文芸春秋誌に、そのてん末を百五十枚の長篇としてまとめて発表した。

これは、読者に大きな反響を呼んで同年の文春読者賞に入賞し、さらに、東宝で映画化された。

その名は悪徳記者

社旗よさらば!

その日は、毎日通りなれている日比谷から桜田門へのお濠端が、まぶしいほどに明るかった。私にとっては、その景色もしばらくの見納めだ。自動車の先の赤い社旗が、お濠を渡る夏の風にハタめく。

フト、何時かもこんな情景があったゾ、と私は想い起していた。去年の十月、私が司法記者クラブのキャップになって間もなく、売春汚職事件にからまる立松事件の時だった。事件の捜査を担当した東京高検から、記者クラブの私に対して、「立松記者を出頭させてもらいたい」と要求があり、私が付き添ってこの通りを走っていたのだった。

「立松が逮捕された時には、オレがやはりこうして付き添っていったっけナ」

「そして、今度はオレが警視庁キャップで三田の付き添いか」

「ハッハッハ。〝因果はめぐる小車〟だなあ。オレと立松と萩原と、尽きせぬ悪縁だよ。ハッハッハ」