まえがき
昭和三十年の夏、当時、読売新聞社会部の外事・公安担当記者であった私は、戦後十年の裏面史として、貯めこんだ取材メモを材料に、「東京コンフィデンシャル・シリーズ」という、二冊の著書をまとめた。
四部作の予定が、二冊に終わったのだが『迎えにきたジープ』『赤い広場—霞ヶ関』という、既刊のその本のあとがきに、
「真実を伝えるということは難しい。…しかし、真実の追及という、この著での私の根本的な執筆態度は認めて頂きたい。
真実を伝えるということは、また同時に勇気がいることである。…私も本音を吐くならば、この著を公にすることはコワイのである。不安や恐怖を感ずるのである。だから、何も今更波風を立てなくとも、といった卑怯な妥協も頭に浮かんでくる。しかし、『真実を伝える』ということのため、私は勇気を奮って、関係者の名前を実名で登場させたのである」
と、書いた。
その当時から、また十余年——。
戦後史。この激動の二十年をまとめるべき時がきているようである。そして私は、読売を退社してフリーになるという、身辺上の変化はあったけれども、相変わらずペンを握って、〝現代史の目撃者〟たることをつづけてきた。
「報道・言論の自由」は、国民の「知る権利」の代理行使として、その「自由」の意義があるのである。
戦後二十年とはいえないが、ここ数年の間に現象化してきた、あの事件、この事件。それらの事件の本質を見極めるには、少なくとも、マッカーサーがコーン・パイプ片手に、厚木飛行場に降り立った時点からの、ひそやかな底流に、眼を注がねばならない。
私たちは、ともすれば、事件という現象の動きに、流れに、そして華やかさに、眼を奪われて、その本質を、見誤る恐れがある。この〝眼を奪う〟ものが、マスコミの伝える「虚像」である。虚像に狎れて、真実を見失うのである。しかし、しっかりと真実を踏まえて、虚像に酔おうというのならば、それもまた可なり、である。
戦後の一連の汚職事件、昭電、造船にはじまり、最近の日通にいたるまで、そしてまた佐藤三選のカゲの動きなど、やはり〝底流〟に眼をそそがねばならない。