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赤い広場ー霞ヶ関 p.138-139 「高良資金」はSCIを通じて現金化?

赤い広場ー霞ヶ関 p.138-139 Did money from the Soviet Union or the Chinese Communist Party flow to the FUDANREN(Japan Federation of Women's Organizations) as “Kora fund”?
赤い広場ー霞ヶ関 p.138-139 Did money from the Soviet Union or the Chinese Communist Party flow to the FUDANREN(Japan Federation of Women’s Organizations) as “Kora fund”?

調べによると「高良資金」とは、二十八年六月五日からデンマークのコペンハーゲンで開かれた第一回世界婦人会議に、随員として出席した高良とみ女史令嬢真木さん(二五)と、女史の秘書柏木敦子さん(二七)両女が、同会議終了後代表団を解散してから、個人の資格でソ連中共に入り、さきごろパリに帰ってきたさい、真木さんが携行してきたもので、〝莫大な小切

手〟といわれている。

その後柏木さんは真木さんと別れてロンドンに行き、真木さんは依然パリに滞在してこの小切手の日本送金、もしくは現金化に苦慮していたという。

一方、①当局が入手した日共秘密文書「組織者」(二十八年十一月十八日付)号外に十二月五、六、七の三日間東京芝公会堂で開かれる、日本婦人大会についての極秘指令が出されており、

②また同大会の主唱者である婦団連(婦人団体連合会)の活動が、十二月以降活溌化しているが、その資金は十一月はじめには殆どなかった事実、

③高良女史が旅券問題でもめながらも強引に代表団に加って中共入りしたさい、このコペンハーゲンの世界婦人会議の招待状を受取って帰り、自分の代理として、息女と秘書を随員に加えて入ソさせた点、

④女史自身が日本婦人大会に関係していることなどから、或いはすでに同資金は日本へ送られ、婦団連に流れているのではないかともみられている。

この資金の出所については、大山郁夫氏の第二回国際平和スターリン賞(十万ルーブル、邦価換算九百万円)ではないかとの説もあったが、当局では高良女史の流暢な英会話という技術と、

クエーカー教徒という看板とで、数次の共産圏旅行に話をつけて獲得した別口の「高良資金」であり、女史の国際的利用価値からこの金が出されたものとみている。

当局がこの資金を注目するにいたった端緒は、ユネスコ内にあるSCI(国際建設奉仕団)派遣員某氏から同日本支部へあてた報告からであったという。SCIというのは、高良女史にまつわってしばしば登場するので一言説明しておこう。これは国際建設奉仕団の略称で、第一次大戦後フランスで戦災をうけた村落復興のため、スイスの哲学者ピエール・セレゾールの提唱で、国境を越えた労力奉仕が行われてから組織化され、治山、治水、道路、住宅建設などを行っている。〝ツルハシとシャベルで人の心に平和を植える〟をスローガンに、日本では、緑十字運動、学生キャンプ、学校植林運動などを行う平和団体である。

さてその連絡の内容は、「(前略)SCIに関しても高良さんは良く理解しておられぬことと存じます。現在まで如何に皆々様はじめ私は苦しめられたか、現在も真木さんに関する小切手を現金にするためラルフ氏(註、SCI本部職員)に頼み、SCIの名をもってするといった方法です。この小切手(大きな金額)に関し、ラルフ氏は何処より出たものか実に不明のものと申し、個人ではとても銀行では注意して金を出さないようです。故に、はっきり取扱わないと申しております。(後略)」とあったもので、高良女史の海外旅行はすべてこのSCIを利 用したものだったらしい。

赤い広場ー霞ヶ関 p.140-141 「高良資金」はわずか三十七万円。娘の生活費?

赤い広場ー霞ヶ関 p.140-141 Tomi Kora explained that she had just sent the balance of her overseas trip as a traveler's check to her daughter Maki in Paris.
赤い広場ー霞ヶ関 p.140-141 Tomi Kora explained that she had just sent the balance of her overseas trip as a traveler’s check to her daughter Maki in Paris.

高良女史の海外旅行はすべてこのSCIを利

用したものだったらしい。真木さんもSCIを利用しており、手紙は高良母娘の度重なるSCIの政治的利用に対し、同本部の激しい不信の意を伝えているという。

このような経緯で、当局ではこの高良資金が、すでに日本に持込まれているかどうかに深い関心を持っていた。日本へ海外からの送金は容易であり、しかも外国銀行はこれを日銀に報告すべき義務を課せられておりながら、多くの場合その義務を守らないため、その実態をつかみにくいというのが実状であり、もちろんこれが〝東京租界〟のガンの一つでもあるのだ。

 そこで当局では現金か宝石、貴金属にして携行すれば、現在の税関検査ではなかなか発見しにくいので、真木さんの帰国のさいは令状をとって身体捜検でも行うという強い意向で、外国為替管理法、政治資金規整法違反として捜査するという方針までが樹てられた。

 ところが高良女史は少しもあわてず「高良資金」と称される〝大きな金額の小切手〟について、こう釈明した。

『それは私が海外旅行に使った費用の残り三百七十ポンド(邦価約三十七万円)で、香港の銀行に私名儀であずけておいたものなのです。小切手というのはトラベラーズ・チェックで発行人は私名儀です。真木が身体を悪くして生活費にも困っているというので、送ってやりました。しかしスターリング・ポンドなので、パリで現金化することはむづかしいのでアチコチ頼んで

歩いたのでしよう』

この答には一点非の打ち処がなかった。しかし、私の主観であるが、この答弁には何か〝準備された答弁〟という、後味の悪い印象が残るのを感じさせられたのだった。女史の答弁の裏付けをとるためには、香港とパリとで調べなければならない。

外国を、ことにヨーロッパからアジヤにかけて歩き廻るような旅行者にとって、たとえそれが四等貧乏国の日本人で、しかもうら若い女性であっても、三十七万円という金額は〝大きな額〟だろうか。しかも、『個人ではとても銀行で注意』するような高額なのであろうか。

在パリのSCI本部の日本派遣員の手紙は、しかもSCI本部職員の言として、その小切手が高額であることを伝えている。しかし高良女史は『僅か三十七万円』という。

果していずれが真実であろうか。私は当局を出し抜いて高良女史に当ってみて、黙って引退って諦めたように、その後の当局は全くこの問題に関して動いていない。当局も女史の三十七万説の前に、私同様黙って引退ってしまったのだろうか。

私の取材が香港、パリへ伸ばさざるを得ないのと同様に、当局の手も香港、パリへ伸びざるを得ない、ということは捜査の打ち切りを意味する。ここに四等国日本の悲哀があるのだ。

戦後の国際犯罪は思想的、政治的背景をおびて、その規模もいよいよ大きくなり、密航、密 貿、脱税、ヤミドル、賭博、麻薬、売春という〝七つの大罪〟が〝東京租界〟を形造った。

赤い広場ー霞ヶ関 p.142-143 高良とみのナゾの秘書、松山繁

赤い広場ー霞ヶ関 p.142-143 When Tomi Kora attended the Moscow Economic Conference, a mysterious secretary Shigeru Matsuyama (real name: Michitaro Murakami) accompanied her. Who is he?
赤い広場ー霞ヶ関 p.142-143 When Tomi Kora attended the Moscow Economic Conference, a mysterious secretary Shigeru Matsuyama (real name: Michitaro Murakami) accompanied her. Who is he?

戦後の国際犯罪は思想的、政治的背景をおびて、その規模もいよいよ大きくなり、密航、密

貿、脱税、ヤミドル、賭博、麻薬、売春という〝七つの大罪〟が〝東京租界〟を形造った。国際犯罪はいくら日本国内だけで捜査し検挙しても、決してその根を抜き源をふさぐことはできない。

こうして「高良資金」にはじめは異状な緊張をみせた当局も、香港、パリと舞台が移るに及んで、ついに投げださざるを得なかったようである。

だが、高良女史に関する〝資金〟の情報はまだある。二十七年春、モスクワ経済会議へ出席したときの旅行の費用についてである。時間的経過からいえば、この時の方が先なのであるが、「高良資金」の話の方が、高良女史―SCI—海外(共産圏)旅行―金―高良女史という環状の関係が明らかになるので、話を前後させたのである。

この〝環〟はグルグルと廻っている。廻っているからには中心がなければならない。では、中心とは誰であるか?

村上道太郎という青年である。第一集で述べた通り『高良とみというクエーカー教徒の、人間の善意しか理解できぬような〝善人〟がモスクワ経済会議へ乗込んできた。これはまさにソ連にとってカモネギであった』と、世の〝善人〟たちは思い込んだに違いない。だが、ソ連の時間表は正確である。

村上道太郎という青年の名を記憶している人はあまり多くない。しかし、高良とみ女史のナゾの秘書松山繁氏を覚えている人はいるだろう。松山繁は村上氏のペンネームなのである。

二十七年四月五日、ヘルシンキからモスクワ入りして、戦後訪ソ第一号となった高良女史は経済会議ののちにシベリヤ、北京などを訪問した。その間、日本人墓地の参拝、戦犯への文通送金の自由の報道、日中貿易協定の調印、婦人の反戦の放送など、数々の話題をまき起して七月十五日単身帰国、熱狂的歓迎をうけるとともにジャーナリズムの花形となった。まさに得意の絶頂であった。

ところが、その得意の絶頂の歓喜の中で、時たま女史を襲う不安、寂寥、懐疑、恐怖などといった「不愉快な感情」があり、女史はそれに悩まされなければならなかったはずである。これは私が女史に会って、その秘書村上氏のことに触れたとき、端的に表現された感情と言葉とから、私が判断したことである。それほど、村上氏について訊ねられることを嫌っていたのだが、得意の絶頂を与えたソ連旅行と村上氏とは、切っても切れない関係だから、ソ連旅行の想い出は同時に村上氏への想い出だからである。だが、その〝傷口〟にさわられる時はついに来た。意地悪な治安当局の情報分析者(アナリスト)がフト抱いた単純な疑問が端緒であった。彼は女史関係の資料の整理をしているうちに、外電の伝えた「同行の秘書松山繁」なる人物が、いつの間にか 消えてしまったことに気付いたのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.152-153 疑問の第二は両氏の仲違いである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.152-153 What did Tomi Kora and Michitaro Murakami do in the Soviet Union? What happened?
赤い広場ー霞ヶ関 p.152-153 What did Tomi Kora and Michitaro Murakami do in the Soviet Union? What happened?

出てきた結果からみると、シベリヤ・オルグの予定されたコー

スでもあるようである。

疑問の第二は高良、村上両氏の帰国後の仲違いである。前記の記事でみる通り、高良女史にとっては村上氏は不愉快極まりない存在で『秘書でもないし、委員長はパリで止めてもらい、相容れない立場』と、正面からケンカを売っているが、村上氏は『高良女史のことは語りたくない』と、ケンカが消極的だ。ところが、村上氏の母堂の言によれば、女史への悪感情は相当なもので、『息子を利用するだけ利用したくせに……同じ婦人の立場であんな人が国会議員だなんて恥しいことです。利用できるものは徹底的に利用してあとは顧みない。息子の前途をメチャメチャにしたのはあの人です』と、手厳しい。

しかし、いずれもそのケンカの内情を語らず、ことに在ソ間のこと、ソ連で何をしてきたかということは、二人の間だけの秘密であるので、第三者にうかがい知れない事件があったことは確かである。またこのケンカが両者の表現そのままの通りの事実かどうか、つまり八百長のケンカではないかとも考えられる。

疑問の第三はモスクワ入りの決意の時期と動機である。日本出発時に村上氏はすでに予定していたかどうか、女史がどんな形でこの〝壮挙〟を考え決行したかである。女史の談にあるように『パリで止めてもらった』ならば、不愉快な感情の二人の外国旅行は不自然なことであ

る。

疑問の第四は旅費である。アルバート・リー氏供与説を女史にただしたところ、烈火の如く怒られて、『とんでもない。私の貯金を全部下ろし、それでも足りなくて婦人雑誌社などに寄稿の約朿をして稿料を前借し、村上さんの分まで出してあげたのです。全部私持ちです』という。しかし、この話は後に「高良資金」のことをただした時の、『旅費の残り三十七万円』というのと若干矛盾するようである。三十七万円も余るようならばハシタ銭の前借りの必要もなかろうし、息女の招待以外の外遊滞在費だけでも大変な額であろう。

疑問の第五は村上氏の対高良女史の消極的態度である。母堂があれほど口を極めて女史を攻撃するのに、本人はあまりにも消極的である。母堂の言葉は老婦人の感情的グチと片付けられないものを持っているのである。しかし本人は攻撃せずに語るのを避けている。

疑問の第六は、訪ソ後の女史の意気軒昂振りである。殊に中共引揚使節団のさいの態度などは確信にみちみちていた。

疑問の第七は、第八はと列挙してゆくならばまさに紙数は尽きない。ここでこれらの疑問に応える綜合的判断を下してみよう。

村上氏の緑十字運動参加は、父君の関係もあって自然に行われた。村上氏のシベリヤ・オル グとしての使命は、ソ連側の人選が高良女史を適任と認められてから与えられた。

赤い広場ー霞ヶ関 p.160-161 対ソ情勢の基礎判断とは

赤い広場ー霞ヶ関 p.160-161 The Soviet Union, through the Communist Party of Japan, is inciting anti-Americanism against the US imperialism and the Yoshida reaction cabinet. It is also trying to contain the repatriate problems and territorial issues.
赤い広場ー霞ヶ関 p.160-161 The Soviet Union, through the Communist Party of Japan, is inciting anti-Americanism against the US imperialism and the Yoshida reaction cabinet. It is also trying to contain the repatriate problems and territorial issues.

四 〝猿〟と〝猿廻し〟と

二十七年三月七日、つまり日本独立の直前であり、高良女史がヘルシンキからモスクワ入りした四月五日のさらに直前に、この日付の東京新聞が「日本政府筋の見解」として、その対ソ情勢の基礎判断を大要次のように報じている。これはスターリン賞の大山氏夫妻やモスクワ会議の帆足氏らの旅券申請に関連してまとめられたものである。

一、第三次大戦の危機は確定的なものではない。ソ連の政策はあくまで米国との対決を避けながら局限戦争をタネに自由世界に経済的、心理的の混乱を起すことにある。

二、ソ連は目下米国との対決に勝つ自信をもっていない。現在のソ連の主目標は、大戦を避けつつ日独をソ連圏にひき込むことにある。だから日本に進攻した場合に、大戦が起る危険が明らかであれば、ソ連の対日直接侵略は起らない。ソ連は日本の共産化をあきらめてはいないから、日本の国内惑乱は今後強化される。

三、ソ連は平和条約を阻止できぬことを悟って民族主義的宣伝を強化した。それは、日本に米国が駐留を續ける関係上、日本人の反ソ分子でも同時に反米気分をもっているかぎりは、すべて利用できるという考え方である。特にその主力を追放解除の旧軍人、旧極右派、有力実業家においている。

四、このようなソ連の政策は昨春以来組織的に行われている。昨年八月の日共五一年テーゼが、敵は「米帝国主義及びそれと結びつく吉田反動内閣」と規定して、資本主義を敵とすることを一時やめ

ていること(いわゆる民族資本家を利用するねらい)、九月平和会議でソ連が修正案を提示して、日本側の制限付再軍備を承認するとともに、米軍駐留にあくまで反対したこと(これは日本人の壊夷思想に訴えたものでゾルゲ事件と同じく極右を利用するねらい)、十一月の革命記念日にソ連代表部が「保守反動」分子を招待し、また日ソ貿易を示唆したこと、本年元日のスターリン・メッセージが、「独立」を呼びかけたこと、有力実業家をモスクワ経済会議にひき込もうとしていることなど、一貫した反米闘争扇動の手段である。

五、一方講和発効後日本側の出方如何では、ソ連は従米のソ連代表部の如き特権的な工作基地を失うことを心配している。しかも工作基地を残すために、日本政府と正式交渉を行えば、引揚、漁船捕獲問題などソ連に不利な問題が提起され、日本人の反ソ機運を強め反米機運を弱める。そこで政府を無視して直接裏口から日本国民に好意を示し、特に有力者に働きかけて政府をケンセイさせ、一方的に特権的工作基地を保持しようとするねらいである。

六、そこで日ソ関係が法的に明確化しない前にソ連向旅券を発給することは、日ソ関係は不安定のままでよいと日本政府が認めることを意味し、その結果は引揚問題、領土問題と解決を不可能にし、今後の日ソ関係を一方的にソ連の決定に委ねることになってしまう。

七、日本としては日本政府を無視するソ連の工作に敢然対処し、引揚、領土などの諸問題が解決しないかぎり、ソ連の平和攻勢は受付けないという態度にでることが必要だ。