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赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 吉野氏の物的証拠が何もない。

赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 There is no physical evidence about Yoshino.
赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 There is no physical evidence about Yoshino.

いわゆる物的証拠というものはまず入手が困難である。関・クリコフ事件などは、現行犯逮

捕であるから物証を得られたが、ラ事件ではすべて自供である。自首した志位正二氏をはじめ日暮氏もそうである。捜査の根拠となったものが、ラ氏自供の「山本調書」である。

鹿地・三橋事件の際は、三橋自供によって、二人のレポが事前に察知されていたので、レポ現場における鹿地氏の逮捕となった。また鹿地氏の三橋氏宛ハガキ(註、のちに紛失して問題になったハガキ)も入手できたし、米国側撮影による二人のレポ現場写真もでき上ったのである。しかし、これは三橋氏が米国スパイだったから可能であった特例なのである。

吉野氏に関しては、ラ氏供述以外は何も物的証拠もない。吉野氏がラ氏などは知らないといえばそれまでである。二人のレポ現場でも撮影してあれば、知らないとはいわせられないのだが……。もちろん一民間人である吉野氏は、たとえラ氏の協力者であっても、何ら法的には拘束されない。

このような場合、当局としてあげ得る傍証には「金」がある。ラ事件で高毛礼氏が外国為替管理法違反で起訴されたように、容疑者の入金と出金とを詳細に検討してみることによって、容疑が強められる。三橋氏が自宅と敷地とを購入したなどはその例である。

吉野氏は陽当りのよい数百坪の土地を買い、こじんまりとした住宅を建てている。この資金は?という質問に対しては、

『連邦通商の取締役時代の収入ですよ』

と、言下に答えた。吉野氏の容疑は充分だが、証拠がないのである。当局では吉野氏に対して、ラ氏の協力者ではあったが、当局にとっては非協力者であると結論している。

吉野氏の言葉――アカハタの記事は、私への挑発で、何者かの陰謀だということこそ、彼が不用意に洩らした真相ではあるまいか。アカハタが平井警視正や丸山警視などの名前をあげており、吉野氏も二人に逢ったことを認めているからには、義弟S氏や友人H氏の如く、警察情報原として両氏の名前を、吉野氏からラ氏へ報告していたのではあるまいか。その情報を〝高く売り込む〟ために……。

いずれにせよ、アカハタがこのような事実を裏返しにして公表しているのは、〝何者かの陰謀〟に違いないのだろう。

吉野氏が〝協力者〟(ラ氏への)であるから〝非協力者〟(当局への)であるというのに対して、自首してきた志位氏は〝協力者〟(当局への)であったために結果的に〝非協力者〟(ラ氏への)になったという、全く対照的な立場にいる。

赤い広場ー霞ヶ関 p.140-141 「高良資金」はわずか三十七万円。娘の生活費?

赤い広場ー霞ヶ関 p.140-141 Tomi Kora explained that she had just sent the balance of her overseas trip as a traveler's check to her daughter Maki in Paris.
赤い広場ー霞ヶ関 p.140-141 Tomi Kora explained that she had just sent the balance of her overseas trip as a traveler’s check to her daughter Maki in Paris.

高良女史の海外旅行はすべてこのSCIを利

用したものだったらしい。真木さんもSCIを利用しており、手紙は高良母娘の度重なるSCIの政治的利用に対し、同本部の激しい不信の意を伝えているという。

このような経緯で、当局ではこの高良資金が、すでに日本に持込まれているかどうかに深い関心を持っていた。日本へ海外からの送金は容易であり、しかも外国銀行はこれを日銀に報告すべき義務を課せられておりながら、多くの場合その義務を守らないため、その実態をつかみにくいというのが実状であり、もちろんこれが〝東京租界〟のガンの一つでもあるのだ。

 そこで当局では現金か宝石、貴金属にして携行すれば、現在の税関検査ではなかなか発見しにくいので、真木さんの帰国のさいは令状をとって身体捜検でも行うという強い意向で、外国為替管理法、政治資金規整法違反として捜査するという方針までが樹てられた。

 ところが高良女史は少しもあわてず「高良資金」と称される〝大きな金額の小切手〟について、こう釈明した。

『それは私が海外旅行に使った費用の残り三百七十ポンド(邦価約三十七万円)で、香港の銀行に私名儀であずけておいたものなのです。小切手というのはトラベラーズ・チェックで発行人は私名儀です。真木が身体を悪くして生活費にも困っているというので、送ってやりました。しかしスターリング・ポンドなので、パリで現金化することはむづかしいのでアチコチ頼んで

歩いたのでしよう』

この答には一点非の打ち処がなかった。しかし、私の主観であるが、この答弁には何か〝準備された答弁〟という、後味の悪い印象が残るのを感じさせられたのだった。女史の答弁の裏付けをとるためには、香港とパリとで調べなければならない。

外国を、ことにヨーロッパからアジヤにかけて歩き廻るような旅行者にとって、たとえそれが四等貧乏国の日本人で、しかもうら若い女性であっても、三十七万円という金額は〝大きな額〟だろうか。しかも、『個人ではとても銀行で注意』するような高額なのであろうか。

在パリのSCI本部の日本派遣員の手紙は、しかもSCI本部職員の言として、その小切手が高額であることを伝えている。しかし高良女史は『僅か三十七万円』という。

果していずれが真実であろうか。私は当局を出し抜いて高良女史に当ってみて、黙って引退って諦めたように、その後の当局は全くこの問題に関して動いていない。当局も女史の三十七万説の前に、私同様黙って引退ってしまったのだろうか。

私の取材が香港、パリへ伸ばさざるを得ないのと同様に、当局の手も香港、パリへ伸びざるを得ない、ということは捜査の打ち切りを意味する。ここに四等国日本の悲哀があるのだ。

戦後の国際犯罪は思想的、政治的背景をおびて、その規模もいよいよ大きくなり、密航、密 貿、脱税、ヤミドル、賭博、麻薬、売春という〝七つの大罪〟が〝東京租界〟を形造った。