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黒幕・政商たち p.038-039 AID職員の質が問題

黒幕・政商たち p.038-039 AIDは利権化されている。殆どすべての職員が、〝出稼ぎ人根性〟で、バイ・アメリカンで米国商社、また、援助を受ける現地商社との〝黒い〟関係が生ずる。
黒幕・政商たち p.038-039 AIDは利権化されている。殆どすべての職員が、〝出稼ぎ人根性〟で、バイ・アメリカンで米国商社、また、援助を受ける現地商社との〝黒い〟関係が生ずる。

第一、輸出のさいの検査、韓国への輸入のさいの、在韓AIDの検査も、すべてパスしているのに、業務が終了してから、AID内部で、『二十一品目もあるのに、三十六万ドルでは安すぎてオカシイ』と、チェックされ、FBI(連邦検察局)の捜査が始ったと聞いている。だから、AID内部に何かがあるのではないかと思う。

九月に第一回公判がある予定だったが、十月にのびた。米人弁護士に任せてあり、会社としては、『未使用は新品』の解釈をとっているので、この点で争えるつもりだし、同様の意味で二口氏には責任がないものと考えている。事件は三十八年十一月のことで、問題化したのは三十九年の春ごろからで、二口氏は七月に任期を終えて帰国した。事件になったからではない。丸三年勤務したからだ。

事件そのものは、外務、通産両省の見解でも、どうということはないし、現地でも一紙だけにしか小さく報道されていない」

新聞記事が小さいとか、一紙だけとかいうことが、事件の内容そのものを意味しないことはいうまでもない。

外務省北米課では、「東棉告発の問題」という一冊のファイルを作って、公電その他を整理しているが、枝村事務官はいう。

「事件は今すぐどうということはないが、裁判で不当な扱いを受けないようみて行く。被告

である日本人が帰国してしまっているが、犯罪人引渡し協定などの問題も、裁判が終ってからの将来のことだ。領事事務としての関心はその程度のことで、日本商社の信用ということは、また別である。米国刑法の累犯加重は重いと記憶しているので懲役百年といった判決もあり得ると聞いている。刑の執行はまた別の救済手段があるハズで、これは調べて見なければ、何ともいえないことだ」

日本に於て知り得ることは、この程度のことであろう。この事件の本質を解明するのには、FBIの捜査の端緒とその経過、告発に踏み切るまでの事情などを取材しなくてはならない。東棉の主張するように、単なるAIDの制限規定NEWの解釈の問題ではなく、また、米国東棉に、「犯意」があったかどうか、三十六万ドルは〝小さな商売〟かどうかの問題ではない。

ということは、「AIDは利権化されている。だから、アメリカは莫大な金を諸外国に注ぎこみながら、それだけの効果をあげるどころか、逆に嫌われているのだ」という、在日AIDが開設されていた昨年当時までそれに関係していた某氏の言葉がある。

某氏(現職の関係で特に秘す)は、第一番に、AID当局の職員の質を問題にする。殆どすべての職員が、〝出稼ぎ人根性〟で、もちろん、米本国へ帰って国務省の職員になれる程度の人物はいないという。そこから、バイ・アメリカンで米国商社、また、援助を受ける現地商社との〝黒い〟関係が生ずる。

迎えにきたジープ p.158-159 機構改革でG-2が情報部J-2に

迎えにきたジープ p.158-159 Narashino School, which was a gas school of the Japanese Army, is now an intelligence school of the US Army. Captain Sakamoto of Maizuru Fifth Group had been teaching here since Maizuru's mission was over.
迎えにきたジープ p.158-159 Narashino School, which was a gas school of the Japanese Army, is now an intelligence school of the US Army. Captain Sakamoto of Maizuru Fifth Group had been teaching here since Maizuru’s mission was over.

二十七年四月二十八日の講和発効から、これらの機構は若干変ってきている。濠端の第一生

命ビルに頑張っていたGHQは市ヶ谷に移転し、国連軍総司令部は解消して、日米安保条約による日本駐留米軍司令部になった。つまり占領軍から駐留軍に変ったというわけである。しかし注意しておきたいのは、ここは同時に、米極東軍司令部であり、国連軍司令部でもあるということだ。つまり看板が三枚ある。

この機構の改革によって、同年秋ごろから極東軍の参謀部はJ—1から4になった。Jは、Joint Staff の略である。従って情報部はJ—2になったが、J—2には三軍のスタッフ・オフィサーがいるだけで、以前のG—2のように実行機関はもっていない。

極東陸軍のG—2は次のように分れている。

イ、戦略情報課( Strategic Intelligence Sec. )

ロ、秘密情報課( Security Intelligence Sec. )

ハ、心理戦情報課( Psychological Warfare Sec. )

ニ、総務課( Administration Sec. )

ホ、地理課( Geographical Sec. )

これらの課の中にそれぞれ三—四の班( Unit )があって担任の業務をしていた。当時のG—2も大体これに準じた内容をもっていたと思えば間違いはない。例えばこの秘密情報課という

のは旧CISであるように。

板橋にあるのはCICとCISの実行機関である。また王子のTIDは技術部隊で、Technical Intelligence Div. の略である。日本陸軍のガス学校だった習志野学校は、米軍の諜報学校( Intelligence School )になっていて、いまは少佐に進級して帰米した、舞鶴第五班の坂本(サカモト)大尉は、舞鶴の任務が終ってからここで教官をしていた。

その他の機関では連邦検察局と呼ばれるFBI( Federal Bureau of Investigation )、犯罪捜査のCID( Criminal Investigation Div. )がある。FBIとはいわば特高で、禁酒法時代に、酒の密造密輸、脱税防止という税警隊として出発し、現在では主として反逆罪関係をやっているが、これもまたそれ自身の諜報謀略網を持っている。CIDは一般犯罪関係の警察機関で、例の銀行ギャング、パリエル事件などでお馴染みである。Provost Marshall という憲兵司令官の下で、制服部隊がMPで、私服がCIDである。

これまでは主として陸軍関係であったが、海、空軍ともにG—2に相当するA—2( AFFE-2)、NIC( Navy Intelligence Command )とがあり、それぞれ活動している。

三 押しボタン戦爭の原爆投下

対ソ資料の全くなかったアメリカが、旧軍人に協力を要請したことはさきに述べた通りだが、その初期はあくまで要請であって、二十一年十二月と翌年

一月の引揚四船の入港時には、日本政府の復員官の身分で、給与は終戦処理費の秘密費というような旧軍人顧問団を抱えていた。