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雑誌『キング』p.111下段 幻兵団の全貌 NKのブルーの軍帽

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 下段

った。ニセの呼び出し、地下潜行!

——何かがはじまるんだ!

吹きつける風に息をつめたまま、歩哨と一緒に飛ぶように衛兵所を走りぬけ、一気に司令部の玄関に駈けこんだ。廊下を右に折れて突き当たりの、一番奥まった部屋の前に立った歩哨は、一瞬緊張した顔つきで服装を正してからコツコツとノックした。

『モージノ』(宜しい)

重い大きなドアをあけて、ペーチカでほどよくあたためられた部屋に入った私は、何か鋭い空気を感じて、サッと曇ってしまった眼鏡のまま、正面に向かって挙手の敬礼をした。ソ側からやかましく敬礼の励行を要望されていた関係もあって、左手は真っ直ぐのびてズボンの縫目にふれていたし、勢いよく引きつけられた靴の踵が、カッと鳴ったほど厳格な敬礼になっていた。

正面中央に大きなデスクをすえて、キチンと軍服をきたペトロフ少佐が坐っていた。傍らには、みたことのない若いやせた少尉が一人。その前には、少佐と同じ明るいブルーの軍帽がおいてある。ピンと天井の張った厳めしいこの正帽は、NKだけがかぶれるものである。密閉された部屋の空気はピーンと緊張していて、わざわざ机の上においてある帽子の、眼にしみるような鮮やかな色までが、すでに生殺与奪の権を

雑誌『キング』p.111中段 幻兵団の全貌 日本新聞行きか

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 中段

動についての私の見解や、共産主義とソ連及びソ連人への感想などを質問した。結論として、その日に命令されたことは、『民主運動の幹部になってはいけない。ただメムバーとして参加することは構わないが、積極的であってはいけない』ということであった。これを換言すると、アクチヴであってはいけない、日和見分子であり、ある時には反動分子ともなれということ、すなわち〝地下潜入〟であり、〝偽装〟であった。また同時に当時の民主運動に対してのソ側政治部の見方でもあったのだろう。

この日も、前と同様な手段で呼び出され、同じようにいい含められて帰された。私の身体にはすでにこのころから〝幻のヴェール〟がフンワリとかけられていたのである。

そしていよいよ三回目が今夜である。早く早くと歩哨がセキ立てるのに、ウン今すぐと答えながら、二段寝台からとびおりて、毛布の上にかけていたシューバー(毛皮外套)をきる、靴をはく、帽子をかむる。

——何だろう、日本新聞行きかな?

忙しい身支度は私を興奮させた。

——まさか! 内地帰還ではあるまい!

フッとそんなことを考えた私は、前二回の呼び出しの状況をハッキリと思い浮かべていたのだ

雑誌『キング』p.111上段 幻兵団の全貌 極東軍情報部将校

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 上段

シア語の勉強がしたいのです』

『宜しい、よく分かりました』

少佐は満足げにうなずいて、帰ってもよいといった。私が立ち上がってドアのところへきたとき、今まで黙っていた政治部員のペトロフ少佐が、低いけれども激しい声で呼び止めた。

『パダジジー!(待て!)今夜、お前はシュピツコフ少尉のもとに呼ばれたのだぞ。いいか、分かったな!』

見知らぬ少佐が説明するように語をつぎ、

『今夜ここに呼ばれたことを誰かに聞かれたならば、シュピツコフ少尉のもとに行ったと答え、ここにきたことは決して話してはいけない』と教えてくれた。

こんなふうに含められたことは、はじめてであり、二人の少佐からうける感じで、私はただごとではないぞという予感がした。見知らぬ少佐のことを、歩哨はモスクワからきたんだといっていたが、私は心秘かにハバロフスクの極東軍情報部将校に違いないと思っていた。

それからひと月ほどして、私はペトロフ少佐のもとに再び呼び出された。当時〝日本新聞〟の指導で、やや消極的な〝友の会〟運動から、〝民主グループ〟という積極的な動きに変わりつつある時だった。ペトロフ少佐は、民主グループ運