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新宿慕情 p.012-013 目次(つづき) 事件記者と犯罪の間 最後の事件記者

新宿慕情 p.012-013 事件記者と犯罪の間 目次(つづき) 最後の事件記者 目次
新宿慕情 p.012-013 事件記者と犯罪の間 目次(つづき) 最後の事件記者 目次

事件記者と犯罪の間

その名は悪徳記者
特ダネこそいのち
権力への抵抗
根っからの社会部記者

最後の事件記者

我が事敗れたり
共産党はお断り
あこがれの新聞記者
恵まれた再出発
サツ廻り記者
私の名はソ連スバイ!
幻兵団物語
書かれざる特種
特ダネ記者と取材
「東京租界」
スパイは殺される
立正佼成会潜入記
新聞記者というピエロ

あとがき

最後の事件記者 目次

最後の事件記者 目次
最後の事件記者 目次

目次

はしがき

我が事敗れたり

共産党はお断り

あこがれの新聞記者

恵まれた再出発

サツ廻り記者

私の名はソ連スパイ

幻兵団物語

書かれざる特権

特ダネ記者と取材

「東京租界」

スパイは殺される

立正交成会潜入記

新聞記者というピエロ

あとがき

最後の事件記者 p.070-071 「大本営報道部で会おうな」

最後の事件記者 p.070-071 今度こそ最後だと思った。ソ軍戦車へは一兵が一台。五発の集束手榴弾を抱いて飛びこみ、無理心中をはかるだけの戦法だ。
最後の事件記者 p.070-071 今度こそ最後だと思った。ソ軍戦車へは一兵が一台。五発の集束手榴弾を抱いて飛びこみ、無理心中をはかるだけの戦法だ。

恵まれた再出発

ソ連軍を迎えて

八月十五日。私たちは意外にも北支から満州へ転進して、すでに満ソ国境に布陣していた師団主力へ追及できず、新京に止まっていた。すでにソ軍は満領へ侵入を開始していたので、私たちの大隊は新京防衛部隊に編入された。

八月十四日の命令で、明十五日未明、有力なるソ軍戦車集団が、新京南郊外へ来襲するというので、各隊はそれぞれ徹夜で陣地構築に努めていた。私の隊は、全満随一の文化設備を誇った錦ヶ丘高女に宿営し、日本間の作法室で、金ビョウブに抹茶茶碗でハンゴウ飯を食べたりして、最後の日本気分を味ったのち、タコツボに潜んだ。

湧き水が冷たく尻をぬらす。今度こそ最後だと思った。ソ軍戦車へは一兵が一台。五発の集束

手榴弾を抱いて飛びこみ、無理心中をはかるだけの戦法だ。ジッと前方の闇をすかしてみる。地に耳をつけて、キャタピラの轟音を聞きとろうとする。何と死への時間の空しく退屈だったことか。

読売同期の秀才、大阪読売社会部次長の青木照夫とは、東京駅で手を握り合って、「大本営報道部で会おうな」と別れた。身に軍服をまとおうとも、新聞記者でいたかったのである。私としても、再び社へ帰って、鉛筆を握れる日があろうとは、期待もしてみなかったことである。

短かいながらも、新聞記者になって、精一杯働らいたのだから、もう思い残すことはなかった。あとは、軍人として祖国のために死んでゆけることを、わずかに誇りとしなければならないことが、残されているだけだ。

ジッと回想にふける。南の空はまだ暗い。銃声一つ、しわぶき一つ聞えない静寂だ。この台地一帯に散らばった、三田小隊五十四名が、それぞれに、考えにふけっているのだろう。咋夜、錦ヶ丘高女の教員室で、電話帖をめくって、読売新京支局を探し出した。

一言、別れの言葉を本社に、そして母親に托したかった。もしかしたら、社会部の先輩が支局長でいるかも知れぬ。受話器を耳にあてて、胸をドキドキさせて待っていたが、リーン、リーン

と、空しくコーリングが鳴るだけ。時間に余裕があれば、馬を飛ばしてでも行ってみたかった。

最後の事件記者 p.088-089 学生仲間は戦死し、女は嫁に行き

最後の事件記者 p.088-089 彼女の話を聞いて、私は保定で同期生だった彼の家族と知って驚いた。彼は師団司令部付だったので、或は? という、暗い予感がしないでもなかった。
最後の事件記者 p.088-089 彼女の話を聞いて、私は保定で同期生だった彼の家族と知って驚いた。彼は師団司令部付だったので、或は? という、暗い予感がしないでもなかった。

私は反共記事ばかりではない。反右翼も、反政府も、反米も手がけた。それが、ニュースである限りにおいては、それこそ、体当りで突っこんでいった。私を、反動記者と攻撃する左翼ジャーナリズムが、私の書いた、反政府もしくは反米的な記事を、今度はその左翼系紙が「何月何日付の読売によれば」と、デマ、ウソと攻撃した記者の記事を、そのまま全面的な信頼のもとに、幾度か引用しているではないか。

恵まれた再出発

この最初の署名記事の、何にもましての反響は、この記事の結ぶえにしで、私と妻とが相逢ったのであった。

私の略歴を読んで、自分の息子と同じ部隊だと知った義母は、消息のない息子の安否をたずねて、私の前に現れた。当時の私のもとには、毎日沢山の手紙と訪客とがあったのである。人妻も、老母も、若い娘も、その肉親と私とが、同じ師団だというだけで、何か消息がと、たずねてきていたのだった。

彼女の話を聞いて、私は保定で同期生だった彼の家族と知って驚いた。彼は師団司令部付だったので、或は? という、暗い予感がしないでもなかった。その老母の傍らで、心配そうに、マ

ユをひそめている若い娘、その人が彼の妹だと紹介された。和子といった。

社に復職した私は、当然、また社会部へともどった。いくらかずつか、ずっと続いていたサラリーをためて、私が再び着ることはあるまいと、兵隊に征く前に、全部質屋にブチこんで飲んでしまった背広を、私の母が全部請出していてくれた。

幸い、戦災にもあわず、住居と衣類と、そして職も失われていなかった私は、いわゆるツイている方だった。

恵まれた再出発に、私はすっかり気負いたって、エライ新聞記者になりたいと願っていた。社の同期生はタッタ一人。そして学生仲間たちは、多く戦死し、女は嫁に行き、仕事に熱中する以外に、私には、興味を引かれる何ものもなかったのだった。