読売梁山泊の記者たち p.060-061 井野康彦の下で国会遊軍

読売梁山泊の記者たち p.060-061 〝スケこまし〟の園田直と、〝良家のお嬢さん〟松谷天光光との恋だった。天光光は、三多摩壮士で、政治の道に進めなかった、父君の下で、〝無菌状態〟に育てられ、労農党の代議士として当選してきた。
読売梁山泊の記者たち p.060-061 〝スケこまし〟の園田直と〝良家のお嬢さん〟松谷天光光との恋だった。天光光は、三多摩壮士で、政治の道に進めなかった父君の下で、〝無菌状態〟に育てられ、労農党の代議士として当選してきた。

その取材を、私が担当した縁で、真杉女史と親しくなり、たまたま、解剖の話になって案内することになった。男と女と、二件の解剖を見たあとで、女史はポツンといった。

「女の身体って、美しいわネ。…それに比べると、男のはイヤ、男の屍体は醜いわ」

そんなころ、上野署の防犯係に、ひとりの男がやってきた。望月正吉という、若い刑事がいた。北支は保定の予備士官学校で、一期後輩という関係もあって、親しくしていた。彼は、のちに警視にまで進み、いまは、明星食品会社にいる、と聞いている。

彼が、私にいった。「あの大将の姪が、女子医専にいるんだが、付近の女医さんのところに入り浸りで、困っているそうだ。その相談だけど、女医さんならいいじゃないか…」

法医学づいていた私には、この話でピンとくるものがあった。ある女のサギ師が、裁判所からの鑑定依頼で、東大に送られてきた。「性別は男性か、女性か」というのだ。女サギ師は、実は男性で、半陰陽だったのだ。その性器の写真は、一見〝女性そのもの〟だったが、尿道下裂症という状態で、もちろん膣口さえなかった。

私の取材は、すぐ始まって、その女医が次々と、女性の愛人を作っていることが、明らかになった。上野署に相談にきた伯父は、女医を、不法監禁、わいせつ誘拐、脅迫等で告発した。

「…半陰陽という、不幸な宿命を負って生まれた女医と、数人の女性とのナゾの交渉が明るみに出され、第三者には容易にうかがい知ることもできぬ、人間愛欲の姿が、世の批判の前に投げ出された。告発者は『社会悪を撃つ』といい、女医は『愛情の自由と権利』を主張する…」という前文で、その記事は始まる。

最後には、伯父の許に脱出してきた姪は、女子医専を中退してしまっていたが、彼女自身の、医者

の卵らしい表現で、「女医は男性仮性半陰陽(見てくれは女性だが、男性)だった」と、告白して、私の記事の裏付けとなってくれた。

この女医の取材の時のカメラマンは、だれであったか忘れたが、フラッシュが光った時に、ちょうど、女医がタバコをくわえて、ライターが光った時だったので、〝彼女〟は、すぐには気が付かず、カメラマンは、その一発だけで、さりげなく逃げ出していた。エンジンを吹かしつづけていた車で…。

前にも書いたことだが、井野康彦の下で、国会遊軍をやったのが、私の〈政治開眼〉であった。しかも、ここで、政治部、経済部の記者たち(他社も含めて)との、交流が始まったのだった。

その時の〝処女作〟が、〝スケこまし〟の園田直と、〝良家のお嬢さん〟松谷天光光との恋だった。

天光光は、三多摩壮士で、政治の道に進めなかった、父君の下で、〝無菌状態〟に育てられ、労農党の代議士として当選してきた。

そして、ふたりは結婚した——父君の嘆きぶりは、正視できなかったのを覚えている。労農党の代議士が、自由党のプレイボーイ代議士(しかも、既婚だった)に、さらわれてしまったからである。

新婚旅行から帰ってきた二人を取材したのは、私である。この時、天光光の着ていた着物を、「駒撚りのお召」と、書いたのだ。デスクに、「どんなお召だ?」と聞かれて、返事に窮した。

というのは、取りつくしまもない天光光に、どうしたら口を開かせるか、と考えて、私の第一声は、「ステキなお召物ですネ」と、彼女の着物についての質問だったから…。