読売梁山泊の記者たち p.198-199 ルーインの代貸のモーリス・リプトン

読売梁山泊の記者たち p.198-199 マソニック・ビルというのは、元は日本海軍の将校クラブ「水交社」である。戦後、フリーメーソンの本拠地となっていた。キャノン機関のメンバーには、フリーメーソンが多くいて、私は、すでに、マソニック・ビルには、何度かきていた。
読売梁山泊の記者たち p.198-199 マソニック・ビルというのは、元は日本海軍の将校クラブ「水交社」である。戦後、フリーメーソンの本拠地となっていた。キャノン機関のメンバーには、フリーメーソンが多くいて、私は、すでに、マソニック・ビルには、何度かきていた。

最近出版された、「中国諜報機関」(光文社)という本を見ても、愛人の江青を毛沢東に捧げた男・康生は、中国共産党の特務のボスであった。そして、杜月笙の友人の虞洽卿(ぐ・こう・けい)という、上海の最大財閥の当主が、康生の主人であった、と、書かれている。

辻本デスクは、「どうした、もうすぐ締め切りだぞ。上海の王をつかまえないと、三題噺にならんじゃないか。早くしろよ」と、矢の催促である。

「南船北馬」という言葉がある。新潮国語辞典によれば、「シナでは、旅行に南方は船、北方は馬を用いることが、多かったことによる」として、方々をたえず続けて旅行すること、とある。

このことは、南方では船、北方では馬を掌握すれば、〝利権〟になる、ということで、それを支配する組織ができることは、洋の東西を問わない。南船を握ったのが、上海の秘密組織「青幇」(チンパン)である。それは、海賊にも通じる。

これに対し、北馬を握ったのが、北京の秘密組織「紅幇」(ホンパン)であり、同様に馬賊にも通じる、というものだ。

戦後のトーキョーの暗黒街を、シカゴ系のアル・カポネ直系のジェイソン・リー、マニラ系のテッド・ルーイン、そして、〝上海のワン〟の三大勢力が、支配権を争奪しようとしている、というのだから、穏やかでない。

そして、リーとルーインの足取りはつかめたのだが、ワンだけは、手がかりがまるでないのである。

上海の賭博王、というのだから、これは、青幇系であるに違いない、と判断したのだが〝青幇東京

事務所〟などと、カンバンを掲げているところなど、ありはしないのだ。

マニラ系のテッド・ルーインには、とうとう、インタビューができなかった。モンテンルパの戦犯収容所の件で、外務省は、ルーインとヤミ取引した。ルーインの密入国(イヤ秘密入国というべきか)を、私の調査で暴かれて、衆院外務委で追及された外務当局は、ザビア・クガート楽団のマネージャーとして入国させていたルーインの、出国を促したらしい。

従って、ルーインには会えなかったが、ルーインの代貸のモーリス・リプトンには、インタビューできたのである。

私の助手は、社会部の牧野拓司記者(のち社会部長)。アメリカ留学から帰国したばかりで、事件モノの経験がないのだから、通訳の仕事が主だった。

芝のマソニック・ビルに宿泊していた彼に、電話でアポ(アポイントメント)を取り、約束の時間に、ビルのロビーで待っていた。

この、マソニック・ビルというのは、元は日本海軍の将校クラブ「水交社」である。陸軍の将校クラブであった、九段の「偕行社」に対するものだった。

そして、戦後、フリーメーソンの本拠地となっていたもの。「幻兵団」事件で、ソ連の情報機関を調べるうち、米国のそれにも興味を持ち、キャノン機関などを知った。この、キャノン機関のメンバーには、フリーメーソンが多くいて、私は、すでに、マソニック・ビルには、何度かきていた。