日別アーカイブ: 2020年2月16日

黒幕・政商たち p.022-023 怪しからんのですよ。文春は!

黒幕・政商たち p.022-023 松本清張氏の代作者、大竹宗美氏がフロシキ包み一杯の書類をかかえて、文春本社に馳けこんできた。「すぐ、ゼロックスでコピーを取ってくれ。数時間でこの書類を、もとの所に返さねばならないんだ!」
黒幕・政商たち p.022-023 松本清張氏の代作者、大竹宗美氏がフロシキ包み一杯の書類をかかえて、文春本社に馳けこんできた。「すぐ、ゼロックスでコピーを取ってくれ。数時間でこの書類を、もとの所に返さねばならないんだ!」

だが、公式的な当局の捜査は、そんな形でピリオドが打たれたのだが、私が調べた限りでは、興味深い事実の数々がある。

支払い伝票のメモをめぐって

「三矢事件」が問題となった時のことである。松本清張氏の代作者、大竹宗美氏がフロシキ包み一杯の書類をかかえて、文春本社に馳けこんできた。

「すぐ、ゼロックスでコピーを取ってくれ。数時間でこの書類を、もとの所に返さねばならないんだ!」

大竹氏は興奮して、そう叫んだという。

当局の調べによると、防衛庁関係はともかくとして、文春ならびに松本清張氏のもとに、この書類を運んだのは、前述の通り大竹氏だという。警視庁公安部では、この書類流出を、自衛隊法違反、公務員法違反の被疑事件として取りあげた。

読売新聞の軍事記者として著名な、堂場肇氏は、当時の事情をこう語る。

「怪しからんのですよ。文春は! これらの関係の、取材費や謝礼金伝票を、警視庁に〝任意提出〟で差しだしたのです!」

堂場記者といえば、時事新報の経済部記者がスタート。やがて、時事がサンケイに吸収合併されて、社会部にうつる。彼は、その時代に、続きもの「下山事件」で、その綿密な調査記録を発表し、「サンケイに堂場あり」と、筆名を高めた。この続きものは、朝日の矢田喜美雄記者が、「帝銀事件」「下山事件」とヒットしてきた、調査記録と並び称され、専門家筋に高く評価された労作であった。

その後、読売社会部に転じ、続きものなどの調査研究記事を得意とし、防衛庁詰めとなっては、例のグラマン・ロッキード事件などで筆名をあげた。どちらかといえばアカデミックなタイプの記者で、現在は、読売の「国際情勢調査会」の主任調査委員でもある。そしてまた文春誌のセミレギュラー執筆者であり、〝文春派〟記者と見られていただけに、彼の、このような〝怒り〟は、私にとっては、やや、意外な感じでもあった。

というのは、すでに情報として、防衛庁記者クラブに属する、日刊紙記者たち八名(含雑誌記者)の名前があがっていたからである。ここで問題となるのが、記者の取材伝票である。これは足代、電話代、飲食代にいたるまで、経路、相手方、店名など、取材雑費のすべてが、その記者の取材活動の〝こん跡〟を、雄弁に物語るよう記録されているのが、通例である。

だから、機密文書を入手するため、誰とどのように連絡し、行動したかは、当然、すべて記録されているハズである——これに着眼したのは、流石に警視庁であった。

いずれにせよ、株式会社「文芸春秋」は当局が捜査資料にする目的を持っていることを知りながら、「防衛官僚論」関係者の支払伝票を、任意に提出したことは、堂場氏の言葉からも、事実だと判断される。

黒幕・政商たち p.024-025 誤認逮捕される危険を感じた

黒幕・政商たち p.024-025 読売新聞の堂場記者が、「三矢事件」で、防衛庁の機密文書流失ルートの容疑者になったことは事実である。
黒幕・政商たち p.024-025 読売新聞の堂場記者が、「三矢事件」で、防衛庁の機密文書流失ルートの容疑者になったことは事実である。

いずれにせよ、株式会社「文芸春秋」は当局が捜査資料にする目的を持っていることを知りながら、「防衛官僚論」関係者の支払伝票を、任意に提出したことは、堂場氏の言葉からも、事実だと判断される。

堂場記者の、あの温厚な同氏の、怒りも当然である。

未発にこそ終ったが、堂場氏自身も、誤認逮捕される危険を感じたのだという。堂場氏が協力してやった「防衛官僚論」のために、今度はクルリと〝権力〟側に寝返ってしまった、「文芸春秋」によって、左翼的表現に従えば〝官憲に売り渡され〟そうになったのである。

読売新聞の堂場記者が、「三矢事件」で、防衛庁の機密文書流失ルートの容疑者になったことは事実である。

その証拠には、自衛隊の調査隊員(もちろん将校である)の一人が、旧知の治安当局係官の紹介で、私のもとに、堂場記者の調査に現れたからで、私の逆取材から、調査隊の意図が判明したという事実がある。

自衛隊中央調査隊ばかりか、警視庁公安部もまた、同じ意図で捜査していた。そのこと自体を、堂場記者も察知していた。だからこそ、氏は「文芸春秋」の態度を怒るのである。

「私が、松本清張氏の名前で発表されている『防衛官僚論』に、助言をし基礎的知識を提供したことは事実である。というのは大竹宗美という、松本氏の助手に面会を求められた。

話を聞いてみると、『防衛官僚論』を書くので、取材に協力してくれという。しかし、私は岩間議員への文書ろうえい問題で防衛庁がモメたことを知っていたので、慎重を期して、大竹氏のインタビュウに応じたのだった。

つまり、文春の応接室で、文春社員である記者に立会ってもらい、同記者にも談話内容のメモを取ってもらったのである。

私は、決して大竹氏にも松本氏にも、機密文書を渡してもいないし、その内容について、話してもいない。大竹氏とサシでないから、その証人はいるわけだ。

私の談話が、『防衛官僚論』にそのまま流用されて、私の許には、文春から談話謝礼が送られてきた。だから、その限りでは、文春の事務処理面からだけみると、私も、三矢事件関係者なのである。

事件が具体化し、防衛庁が文春の支払伝票メモを、警視庁という捜査当局に提供したことが明らかになった当時、防衛庁記者クラブの記者会見があった。

私は、自分が容疑を受けていることを知っていたので、防衛当局者に強く抗議をした。『何故、各人別に、談話謝礼伝票の内容を調べず、名簿だけを、刑事事件容疑の捜査資料として、警視庁に渡したのか。軽率すぎるのではないか』と。

その際、東京新聞の香原(こうはら)記者も、私の抗議に便乗した形で、激しく抗議していた。その語調の厳しさに、私は彼の名前も出ていたのだと感じた」

堂場記者の、この話の内容で明らかになったように、捜査当局は文春の自発的提供による「防衛官僚論」関係の支払伝票によって、文春の協力者に、鋭い容疑の眼を注いでいたのである。言葉をかえれば、文春は、国家権力の前に縮み上って、自社の協力者を、官憲に売り渡したのである。さらにいえば、松本清張氏は、自分の著述の協力者を、全くかばおうとしなかったのである。

黒幕・政商たち p.026-027 堂場は三矢事件に関係したアカだ

黒幕・政商たち p.026-027 意外な伏兵があって、敢然と反対運動をまき起しはじめたのである。というのは自民党代議士の千葉三郎氏が、各関係官庁に直接電話をかけて怒鳴り込み出したのであった。
黒幕・政商たち p.026-027 意外な伏兵があって、敢然と反対運動をまき起しはじめたのである。というのは自民党代議士の千葉三郎氏が、各関係官庁に直接電話をかけて怒鳴り込み出したのであった。

堂場記者の、この話の内容で明らかになったように、捜査当局は文春の自発的提供による「防衛官僚論」関係の支払伝票によって、文春の協力者に、鋭い容疑の眼を注いでいたのである。言葉をかえれば、文春は、国家権力の前に縮み上って、自社の協力者を、官憲に売り渡したのである。さらにいえば、松本清張氏は、自分の著述の協力者を、全くかばおうとしなかったのである。

 私は、堂場記者を、かつての同僚として十分に知っているだけに、この話をそのままに評価している。すなわち、堂場記者の手を通じて、防衛庁の機密文書が流失したとか、さきごろの外務省員のように、いくばくかの金銭にかえるため、文書を持ち出したとかは思わない。

 このようなウラ話を秘めたまま、当局は、防衛庁、警視庁ともに、捜査を打ちきって、さきのような処分の発表を行った。

影の主役に新聞記者

安全保障調査会の伏兵

さて、これらの処分が終った時期に、各方面に発送されてきたのが、前述の「安全保障調査会」の、『本会設立の趣旨に御理解をいただき、またその事業内容に御納得がいただけましたら、御入会下さいますよう、御願いいたします』という、案内状であった。

だが、防衛庁をはじめ、外務省、内閣調査室など、然るべき官庁の幹部と、十分な了解を持って、その資料を活用する段取りをつけていた「豊富な情報、調査網」のハズの、この「安保調査会」に、意外な伏兵があって、敢然と反対運動をまき起しはじめたのである。というのは自民党代議士の千葉三郎氏が、各関係官庁に直接電話をかけて怒鳴り込み出したのであった。

それは、同会設立趣意書の、筆者傍点部分、「優れた研究スタッフ」というのに目されているのが、読売記者で元防衛庁詰めであり、軍事評論家としても、一家言の地位を占めつつある堂場肇氏だと、千葉代議士は指摘するのである。

千葉代議士は、「堂場は三矢事件にも関係したアカだ。そんな奴に、各官庁の機密資料を出したら、それこそ、みんなツツ抜けぢゃないか」と、各役所の事務当局に、自ら電話をかけてきたという。(堂場氏の話)