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正力松太郎の死の後にくるもの p.116-117 正力はつねに読売においては絶対者

正力松太郎の死の後にくるもの p.116-117 私の入社当時、編集局の中央に起ったまま、叱咤激励する正力の姿は、若さと情熱にあふれ、その魅力が若い読売を象徴していた。しかし、戦後の正力は、日本テレビで終った。
正力松太郎の死の後にくるもの p.116-117 私の入社当時、編集局の中央に起ったまま、叱咤激励する正力の姿は、若さと情熱にあふれ、その魅力が若い読売を象徴していた。しかし、戦後の正力は、日本テレビで終った。

ここで特に断っておかねばならないのは、組合は春闘を終るに当って、すべてを無条件に呑んだのではなかった。「経営の姿勢を正せ」「新聞の公器性を守れ」の二条件を、会社に確約させ、

かつ、読売ランドの実態調査には、会社も協力するとの言質をも取ったのであった。この二点こそ、「ランド」と「正力コーナー」なのであるし、かつ、ここに現在の大新聞がもっている、古いタイプの新聞の残滓が、集約的に現れてきているのである。

「正力松太郎氏は、すでに八十一歳。さすが、足腰に衰えが見える。……それと、いくらかことばが聞きとりにくい」(週刊文春四月十九日号)

それでも正力はつねに、読売においては絶対者である。だから、〝猫の首に鈴〟をつけに行く者がいない。都議会汚職の時、最後まで都会議員の辞表を出さなかった八十歳の老人と同じように、老いの一徹と信念とが、ないまざって、いよいよ絶対者として君臨する。

「思えば読売の重役商売ほどあほらしい立場はなく、労組からは突き上げられ、正力からは〝何をしているか〟と叱られ、全くたまったものでないらしい。御意に召さない忠言をすれば〝君、辞め給え〟と二言目にはクビをいい渡されるらしい。従って保身術上、何事も忍従と心得、ひたすら御機嫌伺いをしているのが、役員諸公の内務令となっている」(三月二十日付「新聞情報紙」)ほどである。

だが、「務台光雄だけは別格であったらしい。務台はただ一筋に読売の発展を祈念し、滅私奉公を信条として忠勤を励んできた。……しかし、正力は務台のただ者ならざる器を見抜きかつ恐れ、仲々枢機に参画させなかった時期もあった」(前出同紙)という。

務台専務は復帰したが、だからといって、好転の材料がある訳ではない。ただ、眼前の崩壊の危機を喰い止めただけである。事業は金繰りである。金融能力のない重役をズラリと並べて、組合に「当事者能力なし」と断定されるような経営陣に、一体、何を期待できるといえよう。

昭和十八年の私の入社当時、編集局の中央に起ったまま、叱咤激励する正力の姿は、五十九歳、若さと情熱にあふれ、その魅力が若い読売を象徴していた。しかし、戦後の正力は、日本テレビで終った。

国会議員に打って出、原子力大臣になり、勲一等を飾った正力は、読売の発展にすべてを使い果したヌケガラで、〝死に欲〟のミイラ同然になってしまったのである。

時代が変り、社会構造が変り、人心が変り、すべてが、正力の連戦連勝時代と変っているのに、昔の、成功の記憶だけで、事業ができるものではないことを、判断するだけのセンスも、カンも、そして体力も衰えてしまったのである。「正力タワー」がそれを象徴する。

中小企業のオヤジは、オヤジが先頭に立って働き、走りまわらねばならないし、その魅力で人も集まり、育ってゆく。しかし、大企業はそうではない。組織であり、その組織への信頼が融資につながる。融資が組織をすべらし、事業が成り立ってゆくのである。

読売に組織がないことは、すでに述べたことで明らかである。務台の辞任で、後継者がいない烏合の衆と化したではないか。