日別アーカイブ: 2021年1月7日

読売梁山泊の記者たち p.120-121 〝腕〟が立派に拾われている

読売梁山泊の記者たち p.120-121 競馬狂Fの才能に感嘆した栗山が、「普通の状態では、東京が大阪へと手放してくれる記者ではない。優秀な記者がもっとほしいものだ」といって、今度は〝パチンコ狂はいないか〟と原にたずねた。
読売梁山泊の記者たち p.120-121 競馬狂Fの才能に感嘆した栗山が、「普通の状態では、東京が大阪へと手放してくれる記者ではない。優秀な記者がもっとほしいものだ」といって、今度は〝パチンコ狂はいないか〟と原にたずねた。

かつて、大阪読売の編集局長栗山利男(読売取締役)が、編集局長の原四郎にたずねたという。「誰か、パチンコ狂はいないか?」と。

この言葉には、解説が必要である。Fという有能な整理記者が、東京読売にいた。ところが、これがまた、大変な競馬狂で、仕事以外は、競馬のことしか念頭にないのである。そのキャリアは、累積赤字四百万円に達したというのであるから、想像を絶しよう。

もちろん、負けに負けつづけた、というものではない。勝つ時もあるのだが、その時は景気良く、派手に使ってしまうのだから、負けた時の借金が、累積してゆくのだ。

ありとあらゆる所から借りつくして、さすがに、身動きができなくなってしまった。かくして、Fは読売を退社して、その退職金四百万円を投げ出し、一度、借金を整理することとなる。借金と退職金がツーペイである。

これでは家族も困ろうと、友人たちが、高利貸しを口説いて、利子をまけさせ、四十万円を捻出した。その退社の日たるや、けだし壮観であった、という。

Fの敏腕を惜しんだ、上司たちの肝入りで、貸し主たちが呼び集められた。積み上げた退職金から、順次に〝支払い〟が行なわれ、残った四十万円が自宅へ届けられた。だが、Fは悠然として、この四十万円で競馬に出かけ、倍の八十万円にして帰ってきた、という次第だ。しかも、身辺整理の終わったFは、大阪読売に迎えられて、華麗な見出しで、紙面を飾っている。

Fの才能に、感嘆した栗山が、「とても、普通の状態では、東京が大阪へと、手放してくれる記者ではない。大阪の陣容強化のため優秀な記者がもっとほしいものだ」といって、今度は競馬狂ではなくても、〝パチンコ狂はいないか〟と、原にたずねた、というものである。

自分で掘った〝墓穴〟、と嘲う者もいよう。しかし、朱筆の一本に、絶大な自信がなくて、どうして退職金のすべてを投げ出せようか。

私がいいたいことは、この記者の、行動についてではない。それぞれの家族もあり、家庭内の事情もあったろうから、退職金を投げ出すことについての、若干の感慨もあったであろう。個人的な事情とはいえ、退職金までもゼロにして、社をやめるという〝壮絶〟な出処進退をとりあげたいのだ。そして、その〝骨〟ならぬ〝腕〟が、立派に、拾われている、ということだ。

「畜生メ、辞めてやる!」これが、かつての読売の伝統であった、といわれる。原稿を書こうが、書くまいが、クラブで終日、麻雀を打っていようが、週給のように、会社は、記者手当だ、なんとかだ、と、金を呉れるから、サラリーマン記者は、気楽なモンだ、ときたもんだ。なかなか、辞められない。

私が、安藤組事件に連座して、退社した時には、立松事件の後遺症で、紙面への制約がうるさかった。その反動のクーデターで、社会部は事件だ、を立証しようとして敗れた。

いま、テレビ朝日のキャスター・内田忠男も、ロス特派員の時に、「辞めてやる!」と叫んだ。私の場合、三十八歳だったから、辞表が出せた。四十歳過ぎなら、考えただろう。

古き良き時代の、ある新聞記者像——として、エピソードを紹介したのは、いまや、読者のみならず、大新聞記者の多くの人たちには、もはや、理解できなくなってしまった、この〝社を辞める〟という感覚を、取りあげてみたかったのである。