従ってこれを運営するに当っては正力系もなければ馬場系もない、またあってはならないのであります、広く読者の心を心として使命遂行のために会社一丸となって最善の働きのでき得るようその協力体制を作ることが必要であります。
昔から派閥のある新聞は必ず読者と世間の信用を失い、やがて没落の運命を免れないのであります、私の心境は強いてこれをいうならば、読売系に属すという以外に答を知らないのであります。(中略)
馬場社長は常に新聞は読者のものであることを説き社員には謙虚たれと教えているのであります。
私はこの社長の精神と指導に遭い、安田、武藤の両君ともこん然一体となり幹部諸賢並に各位の御鞭撻の下に、心を新にして新生の一歩を踏み出し、大読売建設の礎石たらんことを切に念願するものであります」
前述したように、このコピーの五段見出しは、「複雑怪奇な私の復社、正力社長反対の真相に就て」とある。しかも、岩淵辰雄が指摘するように、馬場恒吾をロボット化した、安田副社長——武藤常務ラインの、対正力クーデターという、微妙な情勢下の務台復帰であったのである。しかも、二十五年三月にこの第一声をあげてからも、務台の読売出社は「玄関に武藤が待ってい
て、務台の出社を阻止した」(岩淵の話)などと、なかなかウマクゆかず、本人が語るように、翌二十六年一月からになるのである。
このような人事問題の部分が、見出しや大きな活字で組まれているのであるから、コピーを送られた社員たちの受け取り方は、まさに〝親の心子知らず〟であった。肝心の「新聞」や「読売」への愛情が、吐露されている部分は、活字の細かいせいもあって、見落されてしまったのである。
務台側近筋は、その意図をこう語る。
「務台さんの願いは、もう二十年も前の、あの第一次、第二次のストのころのことを知ってる人が少なくなり、戦後派の若い人たちが社員に多くなってきました。もう、〝読売精神〟といっても、それがどんなものなのか、理解されなくなってきているのです。
二万の小新聞『読売』が、正力さんが第七代の社長となってから十年で八十万、十二年で百万、十五年で百五十万、という、驚くべき躍進をとげ、戦後もまた、用紙統制の撤廃時に、百八十七万。それが、十八年間で五百二十七万という、またまたの大躍進です。
この成長の秘密は、務台さんによれば、やはり〝読売精神〟なのです。薄給にもめげず、読売と共に生き、読売と共に死ぬという、運命協同体の精神が、いわゆる〝読売精神〟なのだと説かれます。