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事件記者と犯罪の間 p.194-195 私の警視庁の調べは和やかだった

事件記者と犯罪の間 p.194-195 私を担当する石村勘三郎という警部補は、どんな奴だろうかと、私の視線と彼の眼とが合った時、サッと表情が変るのを、私は確かに見た。その時、私は「負けた」と思った。「この男にだけは、何も彼も話しても、判ってもらえる」
事件記者と犯罪の間 p.194-195 私を担当する石村勘三郎という警部補は、どんな奴だろうかと、私の視線と彼の眼とが合った時、サッと表情が変るのを、私は確かに見た。その時、私は「負けた」と思った。「この男にだけは、何も彼も話しても、判ってもらえる」

しかし、妻は私の良き協力者だった。幻兵団事件という、ソ連スパイの記事を書いた時も、生れたばかりの長男を抱きしめて、幾度か恐怖にふるえたことがあったろうか。それでも彼女はいった。
「パパが記者というお仕事のために死ぬようなことがあったら、後に残った私たち母子のことが

心配でしょう。でも大丈夫よ。パパのお葬式を済ませたら、後追い心中をするからね。子供には可哀想だけど、パパのいない生活なんて考えられないし、皆であの世で一緒に住めるンだから、安心してお仕事のために死んで頂戴よ」

こういって激励してくれたのである。だから、私には後髪をひかれる心配は一つもなかった。危険な仕事でも、家庭を顧みずに打込めたのである。金がなければ、梅干一つで何日でも私の留守を守れる妻だった。

「パパほどステキな新聞記者はいないのよ。日本一の記者なンだから」

彼女はそういって子供たちに教えこんでいた。読売同期の青木照夫が、「三田こそ典型的な、根ッからの社会部記者ですヨ」と、妻にいったそうだが、私には「和子さんは根っからの記者の女房だナ。和夫と和子というのからして、本当の似た者夫婦だ」といっていた。

話を本筋にもどして、私を担当する石村勘三郎という警部補は、どんな奴だろうかと、私の視線と彼の眼とが合った時、サッと表情が変るのを、私は確かに見た。その時、私は「負けた」と思った。「この男にだけは、何も彼も話しても、判ってもらえる」

私は二十二、三の両日に、何もかも話してしまった。そして第一回の供述調書ができ上った。石村主任は私という被疑者にジカにふれているだけに、私をよく理解してくれた。警視庁の御自慢の地下調べ室は、防音や通風が完備していると聞いていたが、見ると聞くとは大違いで、三十室ほどの小さな調べ室に分れていたが、数室先の怒鳴り声がビンビンと響いてくる。午後には熱気

がこもって、もうドアを閉め切ることができない。

「こんなインチキな調べ室を作ったりして、警視庁にも汚職があるんじゃないか」

ドアが開け放しのため、便所に立った時、廊下から各室の被疑者の顔が見える。横井事件関係のホシの、ほとんどすべてに会えたほどなので、私は主任に冗談をいったりした。

他の部屋からは猛烈な怒鳴り声が聞えてくるが、私の部屋は談笑ばかりだった。調べというのは、怒鳴ったりしてコワイほうが被疑者にとっていいうちで、優しくなったら被疑者には悪くなった証拠だといわれるが、私の警視庁の調べは、最初から優しく、和やかだった。

検事は東京地検刑事部の第一方面担当の荒井道三という人だ。警視庁管内を八方面に分けて、各方面本部があるのだが、検察庁でもそれに対応して、方面別に専任者をおいている。私たち検察庁担当記者は、副部長クラスまでは知っているが、荒井検事にはもちろんはじめて。地検のあの汚いバラックの二階の小部屋に入った時、「オヤ? こんな年配で貫禄のある立派な検事が、どうして平検事でポン引だのコソ泥だの、ゴミみたいなホシを調べているのだろうか」と、まず感じた。

「逮捕状の容疑事実をどう思うか」

「全面的に否認します。第一に塚原勝太郎と共謀とありますが、共謀ではありません。第二に小笠原を庇護する目的とありますが、警視庁の捜査に協力する目的です。第三に山口二郎と偽名せしめとありますが、私は山口二郎と紹介されたので、私が偽名させたものではありません。第四

に逃走させるためとありますが、自首させるためです」

事件記者と犯罪の間 p.196-197 立松事件のニュース・ソースの検事

事件記者と犯罪の間 p.196-197 ニュース・ソースは絶対秘匿せよという社の命令だった。だから、私はそれを守ったのだが、結果的に間違ったニュースを提供したソースをも、果して秘匿しなければいけないのか?
事件記者と犯罪の間 p.196-197 ニュース・ソースは絶対秘匿せよという社の命令だった。だから、私はそれを守ったのだが、結果的に間違ったニュースを提供したソースをも、果して秘匿しなければいけないのか?

私たち検察庁担当記者は、副部長クラスまでは知っているが、荒井検事にはもちろんはじめて。地検のあの汚いバラックの二階の小部屋に入った時、「オヤ? こんな年配で貫禄のある立派な検事が、どうして平検事でポン引だのコソ泥だの、ゴミみたいなホシを調べているのだろうか」と、まず感じた。
「逮捕状の容疑事実をどう思うか」
「全面的に否認します。第一に塚原勝太郎と共謀とありますが、共謀ではありません。第二に小笠原を庇護する目的とありますが、警視庁の捜査に協力する目的です。第三に山口二郎と偽名せしめとありますが、私は山口二郎と紹介されたので、私が偽名させたものではありません。第四

に逃走させるためとありますが、自首させるためです」

私はハッキリと否認した。

「しかし、結果的に行為は犯人隠避の行為になってしまったことは認めます。小笠原は指名手配犯人という認識もありました」

検事は私の言い分を、その通りに口述して短い調書にした。私が署名し捺印した時、検事は突然、憎々しげに私を叱りつけた。「自首などしてもらわなくていいんだ」

お前たちが協力などとノサばりでる幕じゃない。自首などしなくたって捕えてみせるぞ、それがオレの商売だ、とでもいわんばかりの口調である。

得意気に気負っている彼の背中の国家権力の姿をみた。

根っからの社会部記者

〝罪を憎んで、人を憎まず〟

私は去年の立松事件の時にも、身柄不拘束のまま被疑者として調べをうけた。やはり東京高検の川口検事だけあって、その調べは良識そのものであった。私は司法記者クラブのキャップとし

て、立松事件の真相を知っている。のちにあの事件は、政治的解決の手が打たれて、読売新聞が記事の取消を行い、告訴側が告訴を取下げて一応解決した。

私は当時読売の記者であった。そして、ニュース・ソースは絶対秘匿せよという社の命令だった。だから、私はそれを守ったのだが、結果的に間違ったニュースを提供したソースをも、果して秘匿しなければいけないのか? これは新聞界でも立松が一方的に悪い記者として片付けられているようだが、問題は残っているはずである。立松事件のニュース・ソースの検事はあの騒ぎの中で平然と顔色一つかえずに執務していた。

(写真キャプション)〈検察批判〉の温床となったのは立松事件から

私はこの一年間、司法クラブに勤務していて売春汚職、立松事件、千葉銀行事件と、三回の大きな事件に会い、そのたびに、「検察は政党

の私兵であってはならない」と主張した。

事件記者と犯罪の間 p.198-199 主任の態度からやっと安藤だと判った

事件記者と犯罪の間 p.198-199 「オイ読売、身体は大丈夫かって声をかける奴がいるんだけど」「声をかけた奴が判ったよ。顔に傷があるんだけど、誰だい?」「何だい? オメエ知らねェのかい?」「ハハン、安藤かい?」
事件記者と犯罪の間 p.198-199 「オイ読売、身体は大丈夫かって声をかける奴がいるんだけど」「声をかけた奴が判ったよ。顔に傷があるんだけど、誰だい?」「何だい? オメエ知らねェのかい?」「ハハン、安藤かい?」

私はこの一年間、司法クラブに勤務していて売春汚職、立松事件、千葉銀行事件と、三回の大きな事件に会い、そのたびに、「検察は政党

の私兵であってはならない」と主張した。新聞の記事にできない時は、これを雑誌記事にして、或る時には、激しく検事を攻撃した。地検のある地位の検事などは、私が数年も前にその検事を攻撃した記事を書いたという理由で、私に対して決していい感情を持っていないということだ。そして彼はそのことを私の部下の記者に話している。しかし、私にはその記事の記憶がない。人違いだったら、今や被疑者になっている私には極めて不利なことだ。

〝罪を憎んで、その人を憎まず〟という古諺がある。警視庁の横井事件特捜本部の部員たち、つまり刑事たちが、私に対して〝憎しみ〟を抱いたのは当然である。彼らがあの炎天の中を汗水たらして探しもとめていた犯人を、私がかくまったというのだから、それが当然である。だが、私の調べ室に入ってきた他の調べ室の刑事たちも、決して私個人を憎みはせず、〝罪を憎んだ〟のだった。ことにその態度は、私の担当の石村主任以下二十四号室の刑事たちに良く現れていた。

従って調べ以外では、私個人に対しても、差入れに通ってくる妻に対しても、きわめて同情的であり、思いやりにみちていた。

「ネ、今朝、房内で洗面の時、オイ読売、身体は大丈夫かって、声をかける奴がいるんだけど、金網はあるしメガネはないし、誰だか判らないンだが、誰だろう」

「フフ、そんな奴がいたら、馴れ馴れしく言葉をかけるナッて、いってやれ!」

石村主任はフクちゃん漫画のキヨちゃんのような顔をして笑う。翌日、

「今朝、運動の時、声をかけた奴が判ったよ。顔に傷があるんだけど、誰だい?」

「何だい? オメエ知らねェのかい?」

「ハハン、安藤かい?」

房内には顔に傷のある男が多いので、主任の態度からやっと安藤だと判った。拘留訊問の時に志賀も千葉と一緒になったが、顔を合わせていても知らないのだから、私が彼ら一味と何の関係もないことはすぐ明らかだ。

家宅捜索では人名簿や家計簿を持ってきていた。妻がキチンとつけている家計簿は、この一年の間、不時の収入もなく、月のうち何回か現金ゼロの欄があるので、刑事たちはニヤリとした。私の引出しからは冬服やカメラの質札もあった。社の運転手たちが、「局長の家より立派だ」とほめてくれた応接間の家具類は、丸井の十カ月払いの何年間かに及ぶ領収書が出てきた。

家の増築の費用は、社の住宅資金と銀行融資である。

刑事たちはこれらの事実を克明に歩いて調べ、金銭関係は何もないことが明らかになった。バーや飲み屋のツケもあるからである。

「犯人隠避」で起訴される!

調べの進捗とともに、捜査当局が抱いた〝予断〟は全くくずれ去った。石村主任には良く了解ができたのである。だが、上の方ではまだ釈然とせず、七月末になると、木村警部が直接のり出してきた。石村主任の調べは生ヌルイし、三田にゴマ化されている、と判断したのだろう。

事件記者と犯罪の間 p.200-201 私にスパイになれと拳銃で強制した

事件記者と犯罪の間 p.200-201 ソ軍政治少佐の、それこそ〝死の恐怖の調べ〟を想い起していた。それらにくらべれば、十日か二十日も黙秘し続けることは〝軽い気持〟だ。殺される心配のないだけでも、大変な違いである。
事件記者と犯罪の間 p.200-201 ソ軍政治少佐の、それこそ〝死の恐怖の調べ〟を想い起していた。それらにくらべれば、十日か二十日も黙秘し続けることは〝軽い気持〟だ。殺される心配のないだけでも、大変な違いである。

ついに私の調べ室にも、怒鳴り声が響き出した。使う言葉こそ叮寧だが、その語調や音量などは文字にはできない。被疑者がどんなに正直に、真相を供述しても、〝捜査二課の調べ〟というのは、彼らが抱いた〝予断〟通りの調書に仕立て上げるものと覚えた。

私は「もう一言だって口を利かないぞ」と心に誓った。暑くてたまらぬ部屋に、警部の大声がはね返って、いよいよあつい。

「幻兵団事件」の時、私は約一カ月たらずに八回のトップを書いた。ところが最初の反響は、米軍のCIC呼び出しだった。田中耕作という二世中尉が調べ主任だ。

「どういう目的で書いたか? こんなことをバクロすればソ側スパイに殺されると思わないか。生命が惜しくないのか? 怖くないのか」

調べは厳しかった。私の答は簡単だ。

「書いたのは新聞記者の功名心からだ。生命は惜しくない。戦争と捕虜とで、二度も死んだはずの生命だ。新聞記者として、仕事のために死ぬのは本望だ。自分の記事のために死ぬなんて、ステキだ」

「新聞記者の功名心だって? 生命の危険を冒した功名心? 信じられない。納得できない」

このスパイ係の中尉は、私がどんなに耳よりなデータを説明していても、四時になると調べを中途でやめ、書類をスチール・ボックスに納めて、自家用のビュイックでグラントハイツの自宅へ帰ってしまう。「また明日」と。そして、今度の事件の捜査二課のように「納得できない」の

連発である。

彼の〝予断〟は、生命の危険を冒しても、こんな記事を書くはずはない。これはソ連側と了解の上、何らかの目的で(反ソ風に装ってアメリカ側に近づく)書いたに違いない、と考えていたようだ。被疑者が重大な供述を始め出していても、その口を封じて翌日に廻して、アロハで市民生活をたのしもうというスパイ捜査官には、とても〝記者の功名心〟など理解できるはずもない。

木村警部のドナリ声を聞きながら、私はこの米軍中尉の執拗な調べや、私にスパイになれと拳銃で強制したソ軍政治少佐の、それこそ〝死の恐怖の調べ〟を想い起していた。それらにくらべれば、十日か二十日も黙秘し続けることは〝軽い気持〟だ。殺される心配のないだけでも、大変な違いである。

立松の名が出たので、私は彼の話を思い出した。彼が逮捕された経験で、「黙秘する時には、そっぽを向いて、西部劇の筋書を思い出せ」と語っていた。それに倣って、映画の想い出にひたっていた。

彼はクタビれたのか、ひとしきり黙ってしまった。静かになったので、フト我に返って、「アァ、今度は口調をかえて、〝話しかけ〟でくるのだナ」と考えていると、案の定「ネェ、三田君、ようッく考えてもみなさい」と始めてきた。「そのうちに親兄弟、女房子供だゾ」と思ったら、その通りの言葉が出てきたので、下を向いたまま、腹の中で大笑いしてしまった。

満期の八月十三日が迫ってくると、三、四日続けて夜の調べがあった。ところがそれはすべて 小笠原の他の犯罪事実についてである。

事件記者と犯罪の間 p.202-203 短銃を不法所持していた小笠原を逃がしたという

事件記者と犯罪の間 p.202-203 夜の調べがあった。ところがそれはすべて小笠原の他の犯罪事実についてである。これをみて、私は小笠原の殺人未遂の共同謀議が、起訴できないのだなと感じていた。
事件記者と犯罪の間 p.202-203 夜の調べがあった。ところがそれはすべて小笠原の他の犯罪事実についてである。これをみて、私は小笠原の殺人未遂の共同謀議が、起訴できないのだなと感じていた。

満期の八月十三日が迫ってくると、三、四日続けて夜の調べがあった。ところがそれはすべて

小笠原の他の犯罪事実についてである。これをみて、私は小笠原の殺人未遂の共同謀議が、起訴できないのだなと感じていた。検事は、私に「何かほかのヤマについて聞いたろう?」と、根掘り葉掘りにきいてくる。バクチは? 傷害は? ピストルは? と丸っきりの誘導尋問である。

検事の態度が柔かくなった。雑談が入る、私をねぎらう。

「あんたも今度は得難い経験をしたネ」

「新聞記者ッて、こんなことをチョイチョイするらしいね。昔、鬼熊事件というのがあったそうだ」

調べ官が優しくなれば、被疑者には不利だという。この教えがあるけれども、やはり被疑者にとっては、優しくされれば、つい調べ官の意を迎えたくなるのは、拘禁者の当然の心理だ。

荒井検事や、木村警部の前にかしこまっている男には、二人の心があった。一人はあわれな被疑者であり、一人は、その調べを傍聴している根ッからの記者だった。

私が司法クラブにいる間に、八海事件をはじめ、二股事件、児島事件などと、無罪になったり原審差戻しになった判決が相次いで起り、「またも検察の黒星」といった見出しの記事を書いた記憶が生々しい。

それらの判決理由は、被告の供述が、強制もしくは誘導されていて任意性がなかったり、証拠が不充分だったりしたものだ。そして今、自分が被疑者となって、調べを受けてみてはじめて思い当らせられた。

私自身の立松事件の体験では、被疑者でありながらも、川口検事に受けた〝良識ある取調べ〟から、「検事の黒星」ということに、七割の疑念を持っていたのである。静岡県下の田舎警察の、捜査主任あたりでは供述を強制することもあり得るだろうが、まさか、検事までが、と思っていたのである。

被疑者となると、全く別だ。小笠原が何度も私にいっていたように、「私は事件に関係がない」という言葉が、検事の調べから、だんだんに本当らしく感じられてきた。「小笠原が起訴できないのじゃないかな」、そう思えば、ただもうひたすらに、自由がほしかった。拘留満期前に一日でも早く釈放されて、夏休みだというのに遊んでやれない子供や妻のもとに帰りたかった。

起訴されたくなかった。逮捕と拘留は覚悟していたといえ、やはり不起訴になりたかった。結婚十年、不在勝ちの記者生活をやめたのだから、当分家に落ちついて、妻子と遊んでやりたかった。一週間目には子供の夢さえ見たのだ。

だが満期の八月十三日、「犯人隠避ならびに証拠いん滅」罪で起訴された。五月二十六、七日ごろ(注、横井事件とは全く関係がない)短銃を不法所持していた小笠原を短銃不法所持の手配犯人だと承知して逃がしたというのである。また証拠いん滅というのは、小笠原を横井事件の重要な証人だと承知して逃がしたということだ。一体これはどうしたことだろう。

つまり、小笠原や私を手配したり逮捕したりしたことと、すっかり違うことなのだ。もし小笠原がピストル不法所持だけの手配犯人なら、私は会ってくれと頼まれたって会やしない。私は忙 しいのである。

事件記者と犯罪の間 p.204-205 私の起訴などグレン隊のインネンそのものである

事件記者と犯罪の間 p.204-205 今の印象をいえば、当局のサギに引っかかって、無実の罪におとしいれられようとしている感じである。小笠原を殺人未遂犯人として手配し、私にそう思いこませたのは、一体、どこのどいつなのだ!
事件記者と犯罪の間 p.204-205 今の印象をいえば、当局のサギに引っかかって、無実の罪におとしいれられようとしている感じである。小笠原を殺人未遂犯人として手配し、私にそう思いこませたのは、一体、どこのどいつなのだ!

だが満期の八月十三日、「犯人隠避ならびに証拠いん滅」罪で起訴された。五月二十六、七日ごろ(注、横井事件とは全く関係がない)短銃を不法所持していた小笠原を短銃不法所持の手配犯人だと承知して逃がしたというのである。また証拠いん滅というのは、小笠原を横井事件の重要な証人だと承知して逃がしたということだ。一体これはどうしたことだろう。
つまり、小笠原や私を手配したり逮捕したりしたことと、すっかり違うことなのだ。もし小笠原がピストル不法所持だけの手配犯人なら、私は会ってくれと頼まれたって会やしない。私は忙

しいのである。

小笠原が横井事件の証人だと承知していたって? とんでもないいいがかりである。私が承知していたことは、小笠原は横井事件の狙撃犯人であり、瓜二つの千葉に訂正されたけど、やはり小笠原が狙撃犯人かもしれないということである。狙撃犯人だと思えばこそ、狙撃した煙も消えないようなピストルを持っていることも当然併せ考え得るのだ。

今の印象を忌憚なくいえば、当局のサギに引っかかって、無実の罪におとしいれられようとしている感じである。刑法のサギ罪のように、人を特ダネという欺罔におとしいれて、読売記者という財物を騙取(へんしゅ)されたのだ。

小笠原が横井事件と関係がなくとも、グレン隊であればアイ口やピストルだって持ち歩くだろうに、それが一面識もなかった読売記者の私と、一体何の関係があるのだ。こうなると、私の起訴などは、街のグレン隊のつけるインネンそのものである。

小笠原を横井殺人未遂事件の犯人の重要な一人として指名手配したのは一体誰なのだろう。捜査本部はもちろん捜査二課にさえ顔出ししたことのない私には、新聞記事以外に事件のことは知らない。新聞には小笠原が「安藤組大幹部」とあったし、「射ったのは小笠原」ともあった。それだからこそ、私は大特ダネをものにしようと考えたのである。

私は出所して、小笠原の起訴事実を知り、私の起訴状を読んで驚いた。こうなると、条文通りの法律論かも知れないが、机上の空論だといいたくなる。そして、読めた。荒井検事の優しい言

葉や、笑顔や、あの調書の取り方が。私には横井狙撃犯人としての小笠原しか関係がないんだ。ピストルを持って盛り場をうろついたかもしれないグレン隊に、誰が十五年の記者経歴をかけるものか、と叫びたい。私には名誉も地位も将来も、私の収入で生活し学んでいる老母と妻子がいるんだ。〝日本一の記者〟になれるのに値する事件と犯人だと思えばこそ、やったことじゃないか。小笠原が横井の殺人未遂犯人でないのならば、私は何の関係もないはずだ。小笠原を殺人未遂犯人として手配し、私にそう思いこませたのは、一体、どこのどいつなのだ!

万年取材記者

私がもし、サラリーマン記者だったなら、もちろん、〝日本一の記者〟などという、大望など抱かなかったから、こんな目にも会わなかったろう。もし、それでも逮捕されたとしても、起訴はされなかったろう。

七月の四日すぎ、多分、七日の月曜日であったろうか、警視庁キャップの萩原君が、ブラリと最高裁のクラブにやってきた。二人で日比谷公園にまでお茶をのみに出かけた。

「オイ、岸首相がソウカンを呼びつけたという大ニュースが、どうしてウチにはのらなかったのだい、まさか政治部まかせじゃあるまい」

と、私はきいた。

「ウン、原稿は出したのだが、それが削られているンだ。実際ニュース・センスを疑うな。削っ

た奴の……」

事件記者と犯罪の間 p.206-207 「東京租界」では一千万ドルの損害賠償慰籍料請求がされた

事件記者と犯罪の間 p.206-207 「東京租界」の時、原部長は「名誉毀損が何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ」とだけ命じた。辻本次長は「記事をツブされないように、本人会見は締切の二時間前にしろよ」これほど取材記者の感激する言葉があるだろうか。
事件記者と犯罪の間 p.206-207 「東京租界」の時、原部長は「名誉毀損が何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ」とだけ命じた。辻本次長は「記事をツブされないように、本人会見は締切の二時間前にしろよ」これほど取材記者の感激する言葉があるだろうか。

「オイ、岸首相がソウカンを呼びつけたという大ニュースが、どうしてウチにはのらなかったのだい、まさか政治部まかせじゃあるまい」
と、私はきいた。
「ウン、原稿は出したのだが、それが削られているンだ。実際ニュース・センスを疑うな。削っ

た奴の……」

彼は渋い顔をして答えた。

「どうしてウチは事件の記事がのらねエンだろう。実際、立松事件の影響は凄いよ」

「イヤ、社会面は事件だというオレたちの考え方自体が、もう古いのじゃないか?」

「エ? じゃ、社会部は、婦人部や文化部や科学部の出店でいいというのか?」

私は反問した。〝社会部は事件〟と思いこんで生きてきた十五年である。それが「古い」ンだって?

立松事件の、責任者処分で、読売社会部は全く一変した。私のように入社第一日目以来の社会部生え抜きには、一変というより「弱体化」であった。社会部長が社会部出身でなくとも、それが即ち「弱体」だとは思われない。部長は統轄者だからである。

適切な補佐役さえいれば充分である。金久保部長は、事実、社会部を知らないけど、意欲的な部長だった。就任と同時に部員を知るために、各クラブ単位で膝つき合せての懇談が始まった。司法クラブでは、無罪になる裁判の多いことが話題になるや、部長はいい出した。「裁判という続きものをやろうじゃないか」私以下三人の記者は頭を抱えた。「裁判」を社会面の続きもの記事にとりあげようというのだから、その意気たるや壮である。そして、その心構えになりかけたころ、この企画は消えさった。理由はしらないが、果して、誰がこれを指導するのか、ということかもしれない。

坂内レインボー社長が釈放された。私の部下二人は〝政党検察〟に切歯扼腕して、これはどうしても解説を書かねばと主張した。本社へ連絡すると、「是非頼む」という。二人はこの数カ月の夜討ち、朝駈けの成果を、会社の立場も考慮した慎重な労作にまとめた。夜の十時ごろ、原稿を出すと、その労作は読まれもせずボツになった。二人の記者がどんなに怒ったか、その人は知るまい。

「東京地裁では……」の原稿を送ると「これは一審か二審か」の問合せがくる。武蔵野の巡査殺し犯人の二審判決が、一審の無期を支持すると、各社はベタ記事なのにウチはトップになる。ヴァリューが判断できない。これでは「裁判」という画期的な企画が消えるのも無理はないのである。

かつて、「東京租界」の時、原部長はただ一言、「名誉毀損の告訴状が、何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ」とだけ命じた。指導の辻本次長はいった。「奴らはいろいろと政治的な手を打って、社の幹部に働きかけてくるから、記事をツブされないように、本人に会見するのは締切の二時間前にしろよ」これほど取材記者の感激する言葉があるだろうか。

私たち記者だって、会社には営業面の問題があることも知っている。その点と取材との調和も判る。だから、千葉銀事件などの微妙さも理解できる。「東京租界」では一千万ドルの損害賠償慰籍料請求が弁護士から要求され、文書では回答期限を指定してきた。それと聞いた辻本次長は 「面白い、その裁判が凄いニュースだし、継続的特ダネになる」とよろこんだ。

事件記者と犯罪の間 p.208-209 私は取材費も遠慮なく切った

事件記者と犯罪の間 p.208-209 取材費も切らず、仕事もせず、サラリーだけのお勤めをして、そのうちにはトコロ天式にエラクなろうという、本当のサラリーマン記者がほとんどである。
事件記者と犯罪の間 p.208-209 取材費も切らず、仕事もせず、サラリーだけのお勤めをして、そのうちにはトコロ天式にエラクなろうという、本当のサラリーマン記者がほとんどである。

私たち記者だって、会社には営業面の問題があることも知っている。その点と取材との調和も判る。だから、千葉銀事件などの微妙さも理解できる。「東京租界」では一千万ドルの損害賠償慰籍料請求が弁護士から要求され、文書では回答期限を指定してきた。それと聞いた辻本次長は 「面白い、その裁判が凄いニュースだし、継続的特ダネになる」とよろこんだ。

それなのに、千葉銀と聞いただけで、原稿は読まれもしない時代に変っている。書くことを命令したあげくの果てに!

私は、私のすべてが読売のものだと信じていただけに、取材費も遠慮なく切った。たとえ、それがそのまま飲み屋の支払いにあてられる時も、「会社のためになる」という信念があったからだ。

ニュース・ソースの培養は、何も事件のない時が大切だからだ。部長の承認印をもらう時、伝票の金額を横眼で読み取る先輩。後輩の名をかりて伝票を切る記者。出張の多い同僚をウラヤましがる男。ETC。これが一体、「新聞記者」だろうか。

「新聞記者」の採用試験には、やはり花形職業として人気が集中されている。だが、採用される今の記者には、記者の職業的使命感など、全くない。

取材費を切るためにはやはり名目がなければならないし、それだけ余分に働かねばならない。その位なら一層のこと、取材費も切らず、仕事もせず、サラリーだけのお勤めをして、そのうちにはトコロ天式にエラクなろうという、本当のサラリーマン記者がほとんどである。

サツ廻りは警察にクラブをつくり、麻雀と花札である。先輩の悪い点だけを真似して、自分の担当の署の捜査主任も知らない男もいる。

雑誌原稿を書こうなどとは思ってもみない。すすめても、それにとられる時間が惜しいと考えている。原稿を書くことが、文章の練習だとは思わない。ロクな原稿を書けもしないで、添削の

筆を入れると不愉快そうな顔をする。

私がサツ廻りの頃は、カストリ雑誌時代だったが、どんなにタダ原稿を書かされたことか。それでも、自分の原稿が活字になったよろこびで、金を忘れていたものだ。

度々のことだが、朝連解散を号外落ちした時、私たち三人の記者は恐る恐る社へ上った。

三階の編集局のドアをあけると、竹内社会部長は、はるかかなたの自席から、私たちをドナリつけた。「バッカヤロー!」と。その声は編集局中にとどろいた。いよいよ縮み上った私たちが、そろりそろりと部長席に近づくと、もはや小言はなく、森村次長からのお説教があっただけだった。

時代は変った。このような光景は全くなくなり、デスクは仕事を部下にいいつけるのに、わざわざ「××ちゃん」とか、「〇〇さんや」とか、御機嫌を取りながらの、懇願であって、もはや命令ではない。兵隊も、下士官も、将校も、今や前方の敵をみてはいない。後方の将軍や参謀ばかりである。

私はある夜、社会部長と酒をのむ機会を得て、意見具申した。

「萩原を次長にしてデスクにおかねばダメです。私を警視庁キャップにして下さい。裁判所キャップには渡井が適任です。この方が社会部のためになると思います」と。部長は「萩原か? 幾つだ」「私と同期ですから、三十七でしょう」「まだ、早いだろう」と。そのまま話は終った。

森村次長は三十二歳、辻本次長は三十三歳で、いずれもデスクとなり、読売社会部の歴史を造 った人である。

事件記者と犯罪の間 p.210-211 オレはデスクという行政官より万年取材記者だ

事件記者と犯罪の間 p.210-211 役所の発表をそのまま取次ぐだけのサラリーマン記者を整理して、その分は通信社へまかせ、「考えダネ」記者のみを抱える時ではあるまいか。〝社会部は事件〟である。私たちは〝古く〟ない。
事件記者と犯罪の間 p.210-211 役所の発表をそのまま取次ぐだけのサラリーマン記者を整理して、その分は通信社へまかせ、「考えダネ」記者のみを抱える時ではあるまいか。〝社会部は事件〟である。私たちは〝古く〟ない。

「萩原を次長にしてデスクにおかねばダメです。私を警視庁キャップにして下さい。裁判所キャップには渡井が適任です。この方が社会部のためになると思います」と。部長は「萩原か? 幾つだ」「私と同期ですから、三十七でしょう」「まだ、早いだろう」と。そのまま話は終った。
森村次長は三十二歳、辻本次長は三十三歳で、いずれもデスクとなり、読売社会部の歴史を造

った人である。三十七歳の次長が早いということは、有能無能にかかわらず、人事は順序ということだろうか。社会部長が代って、部員の六、七割だかを移動したという毎日では、私と同期の昭和十八年組をデスクにして、「東京祖界」の亜流ながら、「白い手・黄色い手」「暴力新地図」などの佳作を生んでいる。読売のために惜しまねばならないことだ。

ある記者はついにたまりかねたようにいった。「君と萩原と加藤祥二がデスクにならねば 社会部も終りだネ」

私はその時「いや、デスクに萩原と加藤がいれば充分さ、オレは警視庁だ。オレはデスクという行政官より、万年取材記者だ」「でないと、雑誌原稿が書けないからだろう」あとは笑いになった。

私は警視庁や警察官が好きなので、真面目に警視庁へ代りたいと希望するようになった。今度の横井事件の〝五人の犯人の生け捕り〟は私の警視庁転任土産ともいうべき着想もあったのである。

今、こうして、失敗して退職する結果になってみると、私には萩原君の「もしかすると、もうオレたちの方が古いのではないか」という呟きが想い起される。会社の金をできるだけ使わずにサラリーだけ働き、危険を冒したりして会社に迷惑を与えず、企業としての合理的かつ安全な、その上幹部のためにのみなる社員——これを「新聞」という企業が要求するような時代に変っているのではあるまいか。

私は今でも新聞記者だ!

今やテレビと週刊誌の興隆は凄まじい。テレビの撮影機が、アイモのように手軽になれば、新聞の速報性は、ラジオとテレビに完全に奪われるであろう。映画「先生のお気に入り」で、ゲーブルの社会部長が「考え種」の宿題をドリス・デイの新聞学教授に出される。「何故?」「何故?」と、深く掘り下げた「考え種」が新聞に要求されているというのだ。

だが、日本の現実では、それを「特別レポート」という題で実現しているのは週刊誌である。だが、これをやるのが「新聞」の仕事ではないだろうか。

役所の発表をそのまま取次ぐだけのサラリーマン記者を整理して、その分は通信社へまかせ、「考えダネ」記者のみを抱える時ではあるまいか。〝社会部は事件〟である。私たちは〝古く〟ない。

サツ廻り記者が、遊びに興じ、送稿するのは各社のうちの代表が聞いてきたことを変形するだけ。捜査主任の名前も顔も知らなくなり、クラブ記者もまた同じく、発表記事を変形させるだけならば、これはもはや一通信社に加入すれば事足りるはずだ。多数の記者を専属に抱えておく必要はない。

編集者も仕事のさいに部下の機嫌をとる必要もなく、朱筆を入れるのに遠慮もいらなくなる。すると新聞は印刷能力と、少数のプランナーと編集記者と、自社ものの少数の記者しか必要とし

なくなってこよう。

事件記者と犯罪の間 p.212-213 ニュース・ソースは記者本人の財産である

事件記者と犯罪の間 p.212-213 私は読売を退社したが、心はいまでも新聞記者である。多くの編集者は社名のある新聞記者でないと、ニュース・ソースに近づけないと誤って考えている。
事件記者と犯罪の間 p.212-213  私は読売を退社したが、心はいまでも新聞記者である。多くの編集者は社名のある新聞記者でないと、ニュース・ソースに近づけないと誤って考えている。

編集者も仕事のさいに部下の機嫌をとる必要もなく、朱筆を入れるのに遠慮もいらなくなる。すると新聞は印刷能力と、少数のプランナーと編集記者と、自社ものの少数の記者しか必要とし

なくなってこよう。

各社の特色がなくなれば現在のような多数の社が存在の必要もなくなり、終りにはテレビ塔のように、工場も共有化してくるのではあるまいか。

一方週刊誌は乱立気味ながらも、各誌の平和共存が可能なので、「特別レポート」ともいうべきトップ記事の競争になってくる。いわゆる「考えダネ」の競争だ。すでにこれらのトップ記事を深く調査し、執筆する、プロダクションができはじめているそうだ。いわば、記者の専属制からフリーランサー制への転換の兆しがある。

こうして、テレビと週刊誌の挟みうちを受けている新聞、その現状で記者は完全にサラリーマン化しつつある。私のように〝五人の犯人の生け捕り〟などという、サラリーマンでは考えも及ばないことを実行しようとして、失敗してゆく実例をみては尚更のこと取材意欲は低下しよう。

ともかく、ケガをしないよう、慎重に役人のように社にすがりついていれば、次長、部長は順番に廻ってくるものらしい。静かにするのが得策だ。また取材記者として優秀なものも、順番で次長という行政官にすればトンチンカンになる。どうして、「大記者」という部長、次長待遇の平記者制度がないのだろうか。いろいろな問題を含んでいる事件である。

しかし、私は読売を退社したが、心はいまでも新聞記者である。多くの編集者は社名のある新聞記者でないと、ニュース・ソースに近づけないと誤って考えている。しかし、ニュース・ソースは、社の財産ではなく、記者自身の能力が築いた、本人の財産である。ニュース・ソースには

長屋の熊さんでも近づけるのである。

私に見舞の言葉をくれたある人は「読売の損失だネ」とか、「会社は冷たいネ、君は功労者なのに」とか、有難い言葉を下さる。私は頭を下げて、「とんでもない。浪費家がいなくなって、読売は得ですよ」とか「とんでもない。老練弁護士をつけてくれたり、毎日差入れをしてくれたり、感激しましたよ。それに帰ってこいといって下さるンですよ」とか答える。

私は実際に読売が大好きである。私をここまで育てて下さったところだし、第一、入社の事情からいっても、当然だ。もし、朝日に入っていたら、五年ももたなかったかも知れない。悪女の深情というところか。

私の記事で、一番心配したのは、借金のあるバーであろう。規則正しい生活と、酒とタバコのない十時間睡眠のおかげで、私は肥って出てきたので、早速、安心させるために、それらの店にでかけていった。

「まァいらっしゃい。元気で安心したワ。また、〝常に正義と真実を伝える読売新聞、天下四百万読者を有する読売新聞〟が、聞けるわネ」

女の子たちは、そういって集ってきた。私の酔えば必ず口にするこのキャッチ・フレーズは、有名である。そうして、私の行くバーの女の子たちは、大かた読売の愛読者になった。

私は一月ぶりのアルコールに、僅かばかりのビールで泥酔した。女の子たちは面白がって、キャッチ・フレーズの下の句が出るぞと期待したらしい。

p.214-p.215 事件記者と犯罪の間p.214-最後の事件記者トビラp.215

p.214-p.215 事件記者と犯罪の間(p.214)「読んだあと御不浄で使える読売新聞、もんでも穴のあかない読売新聞、ふいても活字のうつらない読売新聞! 読売新聞をどうぞ」
 最後の事件記者トビラ(p.215)
p.214-p.215 事件記者と犯罪の間(p.214)「読んだあと御不浄で使える読売新聞、もんでも穴のあかない読売新聞、ふいても活字のうつらない読売新聞! 読売新聞をどうぞ」
最後の事件記者トビラ(p.215)

「まァいらっしゃい。元気で安心したワ。また、〝常に正義と真実を伝える読売新聞、天下四百万読者を有する読売新聞〟が、聞けるわネ」
女の子たちは、そういって集ってきた。私の酔えば必ず口にするこのキャッチ・フレーズは、有名である。そうして、私の行くバーの女の子たちは、大かた読売の愛読者になった。
私は一月ぶりのアルコールに、僅かばかりのビールで泥酔した。女の子たちは面白がって、キャッチ・フレーズの下の句が出るぞと期待したらしい。

「読んだあと御不浄で使える読売新聞、もんでも穴のあかない読売新聞、ふいても活字のうつらない読売新聞! 読売新聞をどうぞ」

読売記者でなくなった私は、とうとう、この下の句を叫び出していた。女の子たちは私の健在に拍手をしてくれた。私はやはり、根っからの社会部記者である。

p.215 最後の事件記者 トビラ