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黒幕・政商たち p.190-191 その実損害は二億を越える

黒幕・政商たち p.190-191 日本観光新聞木村伍六社長(恐喝で起訴ずみ)のオイ木村政彦が経営する「日刊観光」紙広告代理店で、資生堂総務課員山本一郎が(仮名)百万円を横領
黒幕・政商たち p.190-191 日本観光新聞木村伍六社長(恐喝で起訴ずみ)のオイ木村政彦が経営する「日刊観光」紙広告代理店で、資生堂総務課員山本一郎が(仮名)百万円を横領

当日の怒声、罵声のものすごさは、料亭の他の座敷の客まで、シーンとしてしまったほどだ

といわれ、捜査当局に参考人として呼ばれた〝見聞者の一人〟は「それこそ森社長以下三人の恐怖におそわれた姿と顔が、目に見えるようでした」と語っているほどであった。

この「料亭会談」の結果、資生堂のモルガン化粧品デッド・ストック買取りが決定され、モルガン化粧品の販売権買収の形の商行為とされることになった。このデッド・ストックを資生堂側は次々と廃棄処分にしたが、税法上の損金扱いをうけるため、国税庁係官の確認を得たほどであった。

モルガン側から次々に持ちこまれた現品に対して、資生堂が支払った金は総計一億七千五百万円におよび、これにさらに経費をかけて廃棄、焼却を行ったので、その実損害は二億を越えるといわれている。

この情報を入手した捜査当局では、もともと、モルガン化粧品への反対陳情が資生堂一社だけの行動ではなかったら、「料亭」のオドシの証拠を固め得たので、立派な〝恐喝事件〟として捜査をはじめたが、資生堂側の徹底した「商行為で、恐喝被害ではない」という拒否にあい、ついにモルガン一味の追及を断念せざるを得なかった。

ところが、さる四十二年五月、日本観光新聞社の幹部五人の恐喝事件を捜査したところ、同社に資生堂の広告が極めて多いことに疑問をもち、さらに同新聞社の資生堂に対する「恐喝事件」が伏在しているものとみて追及した。

恐喝→広告掲載→入金

その結果、日本観光新聞木村伍六社長(恐喝で起訴ずみ)のオイ木村政彦が経営する「日刊観光」紙専属の広告代理店で、資生堂の広告を扱ったさい、資生堂総務課員山本一郎が(仮名)広告料の半額百万円を横領していることが明らかになった。

当局では、山本が総務課員であることから〝資生堂が簡単に恐喝されるナゾ〟を解明するチャンスとみて、同人の取調べをしようとしたところ、早くも資生堂側では当局の企図を察知したらしく、自社内の横領犯人を告訴したり、クビにするどころか、反対にその上司の五ツ木課長(仮名)に「海外出張」を命じて、アメリカに逃走させ、証拠固めを不能にしてしまった。

「これでは〝会社ぐるみの犯罪〟ともいえる。捜査非協力どころか、捜査妨害だ」との声が第一線捜査官の間におきている。

資生堂では四十二年はじめに社長交代が行なわれ、過去の事情を一番知っている森前社長もまた、五ツ木のアメリカ逃走とキビスを接してパリに旅立っているが、これも、当局の捜査を事前に〝封殺〟する手だとみられている。

再販制度というのは、「再販売価格維持契約制度」といって、販売店がメーカーの指示価格で売るという契約を認めたものである。この独禁法の〝抜け穴〟が認められたのは、当時の小

売市場の販売価格の混乱から、消費者保護を必要とするということだったが、やがて混乱が納ってくると、この特例はかえってメーカー保護の妙味をみせてきて、はじめからこの狙いがあったのではなかったか、とさえいわれてきた。

黒幕・政商たち p.192-193 暴力団のつけこむスキとなる

黒幕・政商たち p.192-193 大正製薬、資生堂、いずれもマスコミの大スポンサーであるため、「広告出稿停止」などのポーズで新聞雑誌をおどし、化粧品、医薬品業界の醜い内幕は、いままでほとんど報道されていない
黒幕・政商たち p.192-193 大正製薬、資生堂、いずれもマスコミの大スポンサーであるため、「広告出稿停止」などのポーズで新聞雑誌をおどし、化粧品、医薬品業界の醜い内幕は、いままでほとんど報道されていない

再販制度というのは、「再販売価格維持契約制度」といって、販売店がメーカーの指示価格で売るという契約を認めたものである。この独禁法の〝抜け穴〟が認められたのは、当時の小

売市場の販売価格の混乱から、消費者保護を必要とするということだったが、やがて混乱が納ってくると、この特例はかえってメーカー保護の妙味をみせてきて、はじめからこの狙いがあったのではなかったか、とさえいわれてきた。

それを示すものが藤山愛一郎経企庁長官時代、中山伊知郎氏を会長として設けられた「物価問題懇談会」の四十一年六月の医薬品、化粧品、石けん、洗剤の四家庭用品についての報告書で指摘された再販制度の弊害がこれを雄弁に物語っている。

同報告書の「再販制度の三大欠点」は、

①流通機構の合理化による利益を消費者に還元していない。

②メーカーのか占化によって価格のこう着状態が起っていても、それを小売価格まで反映させている。

③リベートその他の小売業への過大なサービス、過剰な宣伝広告によって、消費者の利益を害するばかりか、浪費を助長する。

以上の三点に示されるようにさまざまな社会的問題を起すなどの弊害をもたらしているというものである。

そこで、公取委では本格的検討の時期がきたとして、国会に「再販制度規制法案」を提出したが流れてしまったもので、山田公取委委員長は、再提案を公約している。

この再販制度が、大正製薬のかつての目覚ましい大躍進をもたらしたほか、資生堂などの大メーカーにはことのほかの恩恵を与えていた。〝ビタミン戦争〟なども、同制度の招いたものだが、いずれもマスコミの大スポンサーであるため、「広告出稿停止」などのポーズで新聞雑誌をおどし、化粧品、医薬品業界の醜い内幕は、いままでほとんど報道されていない。

関係者の話もそえねばならない。

経済専門誌編集長村田忠氏の話

「化粧品と一口にいうが〝制度品〟と〝一般品〟とがあり、クリームでいえば、前者は八百—千円、後者は百—三百円というほど格差がある。品質そのものにはそれほどの差はないようだ。〝制度品〟というのが、問題の〝再販制〟に指定されている品物のことだ。資生堂はじめ大手メーカーがそれだ。

資生堂の例でいうと、定価千円のうち二百四十円は宣伝広告経費だといわれており、〝花椿〟の発行部数は五百万部ともいう。これらの数字をみても、資生堂の収益が想像されよう。

自由化でマックス・ファクターの〝侵攻〟が心配されたが、さすがにそれを押えたのは資生堂だともいわれている。しかし、その実情も、消費者への経費をおしつけによる高価格という〝アグラかき商売〟の結果だというのだから、皮肉なものだ。

広告宜伝費がぼう大だということが、広告代理店とのナレアイの不正や、暴力団のつけこむ

スキとなる。女性がオシャレをして、暴力団を〝養って〟いるとすれば、これほどの喜劇はあるまい」

黒幕・政商たち p.194-195 東棉側二十万円の現金を出した

黒幕・政商たち p.194-195 素ッパ抜きとお色気で有名な日刊観光が、五月二十二日付の社会面全面を埋めて、「東洋棉花のサギ・政治献金、疑獄化するか」と、派手にやっつけているのである
黒幕・政商たち p.194-195 素ッパ抜きとお色気で有名な日刊観光が、五月二十二日付の社会面全面を埋めて、「東洋棉花のサギ・政治献金、疑獄化するか」と、派手にやっつけているのである

広告宜伝費がぼう大だということが、広告代理店とのナレアイの不正や、暴力団のつけこむ

スキとなる。女性がオシャレをして、暴力団を〝養って〟いるとすれば、これほどの喜劇はあるまい」

資生堂三浦秘書室長の話

「一月ほど前に経理から転任したので横領社員のことも、アメリカ逃走のことも知らない。昔、モルガン化粧品を相当大量に廃棄したことはあるが、これは資生堂の品質保持と同じ意味だ。ウチは固い会社だから暴力団におどされるなどあり得ない」

東棉の〝痛いハラ〟

こうして、日本観光新聞の広告面から、資生堂問題がでてきたのだから、日本観光新聞はさらに追及された。すると、まさに〝因果はめぐる小車〟である。第四章の住宅公団光明池事件の項で述べた、広布産業事件の東洋棉花がでてきたのである。

というのは、現社長香川英史氏が、故池田首相に極めて近く、その強力な推せんの結果、諸先輩を飛び越えて、東京駐在の専務から社長へと栄進したということである。内部情報が伝える〝巻説〟は、香川社長が、池田政権の資金造りに協力していた、その論功行賞の〝社長〟でもあるという。

また、ダイヤモンド社職員録によると、香川社長は昭和四年の入社であるが、副社長は大正十三年入社、専務の一人が大正十四年入社、もう一人の専務が昭和四年の同期であるから、先輩を飛び越えて、社長になったというのも、事実であるとみるべきである。朝日の志賀質問の記事におくれること旬日にして、素ッパ抜きとお色気で有名な日刊観光が、五月二十二日付の社会面全面を埋めて、「東洋棉花のサギ・政治献金、疑獄化するか」と、派手にやっつけているのである。

そしてまた、軌を一つにして同日付の週刊新聞「マスコミ」が、同様に一面全段で、「第二吹原事件か、防衛庁を舞台に詐欺事件」と、やっているが、例のマンション殺人事件(四十年四月十日)で、〝政治的謀殺か?〟と、一時は騒がれた倉地社長の経営していたこの新聞には、派手な扱いのクセに、見出しに「東棉」の文字が一つも出てこないで、逆に、「原告は前科八犯、どちらもどちらの当事者」という、見出しが目立っている。

奇怪な事実というのは他でもない。日刊観光の記者が、この事件を取材にいったところ、東棉側では、二十万円の現金を封筒に入れて出したという。若いこの記者が、出された金の処置に困って、席を立ち、電話を社に入れ、責任者の編集局次長B氏に報告した。記者に与えたB氏の指示内容は判らないが、記者が席にもどってみると、東棉側の相手はいなくなって、テーブルには二十万円の封筒が置き去りにされていた。

黒幕・政商たち p.196-197 C氏が東棉から五百万円取った

黒幕・政商たち p.196-197 後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。
黒幕・政商たち p.196-197 後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。

記者が席にもどってみると、東棉側の相手はいなくなって、テーブルには二十万円の封筒が置き去りにされていた。

若い出先記者は、やむなくその現金を持って帰社すると、B氏は半分の十万円を、「取っておき給え」と、ポンとくれたという。だが、もちろん、話はそれで終らない。

編集の実力者であるB氏は、平記者で入ってから十余年の社歴があり、肩書こそ局次長だが取締役でもあり、広告、販売にも実績のある勢力家だった。後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。

この事実を知った同紙の専務のC氏は、自分をおびやかす勢力をもつ、B氏を斬るチャンスとみたらしい。C氏は直ちに東棉にかけつけ、五十万円を出した総務部長とB記者とを同席させ、合計七十万円の話を対決させた。その結果、事実と判ってC専務はB記者に命じ、即座に五十万円を東棉に返却させ、翌日には、二十万円も返させた上、B氏の責任を追及して、ツメ腹を切らせたのであった。

無念やる方ないのがB氏である。いうなれば、〝恐喝呼ばわり〟されて、七十万円(部下にやった十万円分も負担)を吐き出させられた上、相手の前で面詰されて恥をかかされ、揚句の果ては、それを理由のクビである。編集を握っていたのだから自派系の記者を動員して、C専務を逆捜査した結果、C氏が今度は、東棉から五百万円を取ったという、〝噂〟を握ったから大変。肩書がなくなって一介の浪人とはなったが、そもそも、東棉の〝痛いハラ〟の材料を握

っているB氏である。香川社長に面談して、C氏の書いた五百万円の受取りの写しを要求する段取りとなった。

再び共産党代議士の登場

筆者の調査によれば、B氏のもとには、〝噂〟を伝え聞いた総会屋が数名、「共同作戦で東棉をシボろう」と申しこんできているといわれ、また、同社内の情報では、C専務の受取った金は、合計一千万円とまでいわれている。

朝日記事の続報は、週刊誌では、六月五日付の新潮が「経済」の一頁もので、朝日記事をなぞった程度。文中の談話から判断すると、告訴人の佐々木氏には会ってないようで、防衛庁政務次官で、〝某高官〟に擬せられている、自民党井原岸高代議士、被告訴人の東洋殖産岡林氏と、東棉豊田不動産部長らの話をまとめ、談話には登場しないが、告訴状については、質問者の志賀義雄代議士について取材しているようである。

週刊誌では「新潮」だけで、小新聞が前述の通りの、「マスコミ」と日刊観光。この二つの小新聞の記事を見くらべると、「マスコミ」が、「東棉」を見出しに一字も加えず、「井原代議士が介在か」、「政務次官室で取引」、「オマケに工作費も追加」、「政治への不信に拍車」と続いて、「原告は前科八犯」に終っているのが面白い。日刊観光の「東棉」ばかりの見出しと

極めて対照的で、「原告は前科八犯」に対応して、最後に「東棉側は逆にフンガイ」の見出しで終っており、第一弾の記事のうちから、「東綿」が姿を消している。週刊紙「マスコミ」と対比してみると、興味深い。

黒幕・政商たち p.198-199 志賀氏の真意も疑惑を衝くに

黒幕・政商たち p.198-199 初期には、〝進んで会って材料を出した〟志賀氏が、〝私も手を引く〟と電話し、会うのを避けている。志賀氏の「獄中十八年」の節操を信ずればこそ、〝奇怪な行動〟といわざるを得ない
黒幕・政商たち p.198-199 初期には、〝進んで会って材料を出した〟志賀氏が、〝私も手を引く〟と電話し、会うのを避けている。志賀氏の「獄中十八年」の節操を信ずればこそ、〝奇怪な行動〟といわざるを得ない

週刊誌では「新潮」だけで、小新聞が前述の通りの、「マスコミ」と日刊観光。この二つの小新聞の記事を見くらべると、「マスコミ」が、「東棉」を見出しに一字も加えず、「井原代議士が介在か」、「政務次官室で取引」、「オマケに工作費も追加」、「政治への不信に拍車」と続いて、「原告は前科八犯」に終っているのが面白い。日刊観光の「東棉」ばかりの見出しと

極めて対照的で、「原告は前科八犯」に対応して、最後に「東棉側は逆にフンガイ」の見出しで終っており、第一弾の記事のうちから、「東綿」が姿を消している。週刊紙「マスコミ」と対比してみると、興味深い。

さて、このような告訴事件取材のイロハからいうと、まず告訴人、被告訴人、当局筋の見解という順序であるが、佐々木氏が旅行していてつかまらない。ある週刊誌記者にきくと、「志賀代議士がよろこんで教えるよ」といい、ある月刊誌編集長は「志賀さんは共産党を離れて無所属になったから、選挙対策もあるらしく、よろこんで会いますよ」と、教えてくれた。だが、八月三十日以来、四谷の志賀事務所と、議員会館とを追いかけつづけたが「多忙」を理由にあえないでいる。面会の目的は「広布産業事件のその後について、お話を伺いたい」と、秘書に通じてあるにもかかわらず、だ。

週刊「サンケイ」四十年九月十三日号に、「志賀義雄に招待された大阪名士三〇〇名の思惑」という記事がある。八月二十七日夜、選挙区の大阪はコクサイホテルで「日本のこえ関西総局創立記念祝賀パーティー」を開き、一枚三千円でパーティー券を、関西の名士たちに売り歩いたが、一枚を義理で買ってくれた名士たちは姿を見せなかった、という。そして、帰京したところだから、「多忙」もうなずけよう。

発端が衆院法務委の志賀質問なので、答弁に立った法務省津田刑事局長にたずねると、国会

末期の委員会で、志賀委員から「広布産業が告訴を取下げたと聞いたが、取下げの理由は何かとの質問があったので調べて返事する」と答えただけで、法務委の志賀質問も、シリキレトンボに終っているという。

ところが、日刊観光を追われたB氏は、「私のところに、志賀代議士から、私も手を引くという電話があった」という。これも〝奇怪〟なことではないか。初期には、〝進んで会って材料を出した〟志賀氏が、〝私も手を引く〟と電話し、筆者には会うのを避けようとしている印象を与えているのである。志賀氏の「獄中十八年」の節操を信ずればこそ、〝奇怪な行動〟といわざるを得ない。

告訴人佐々木氏は、ようやく締切り直前に連絡がとれて「旅行中だった。告訴は取下げた。和解の条件など、詳しいことは話すが、日を改めて」という。

佐々木氏によれば、当時の井原政務次官は、同氏の眼の前で田中角栄蔵相に電話して、防衛庁の問題の土地買上げの予算措置をしばしば接衝し、井原氏、田中氏らへの政治献金各五百万円を示唆し、それを受取ったという。志賀氏の国会質問の真意もまた、それらの疑惑を衝くにあったはずであろう。しかし〝私も手を引いた〟とは不可解であって、衆院決算委における爆弾質問は、では何のための質問であったのか。

佐藤首相秘書のD氏が、このほどさる右翼評論家を介して、クビ切られたB氏に会見を申し こんできている事実もある。「東棉」の〝痛いハラ〟をめぐる情勢は、告訴取下げによって地検特捜部の手を離れた形にはなった。

黒幕・政商たち p.200-201 470万円の不渡りを出して倒産

黒幕・政商たち p.200-201 「中央観光」事件とは、増田甲子七、川島正次郎、進藤一馬各代議士らが関係、中小企業者から五億近い金を集め、長銀、東海銀からも二億五千万円の融資をうけていた事件
黒幕・政商たち p.200-201 「中央観光」事件とは、増田甲子七、川島正次郎、進藤一馬各代議士らが関係、中小企業者から五億近い金を集め、長銀、東海銀からも二億五千万円の融資をうけていた事件

佐藤首相秘書のD氏が、このほどさる右翼評論家を介して、クビ切られたB氏に会見を申し

こんできている事実もある。「東棉」の〝痛いハラ〟をめぐる情勢は、告訴取下げによって地検特捜部の手を離れた形にはなった。

大会社でも、問題は何か分らぬが、一小新聞の現場記者に、二十万円を包む問題があるのだから、小会社となればなおさらのことである。ことに、政治家が出入りしている会社というのは、さらになおさらである。

中央観光事件の波紋

さる四十二年八月九日の参院決算委は、「逓信運輸協会」なる郵政省監督団体についての実態究明を行なったが、質問に立った社会党大森創造委員の狙いは、逓信運輸協会問題は佐藤首相の名前があるので、それらを究明するとともに増田甲子七防衛庁長官の融資あっせんをただして政界につながる「中央観光」事件をほり下げることにある模様である。

「中央観光」事件とは、さる六月二十三日に、四百七十万円の不渡りを出して倒産した「日本福利厚生センター・中央観光」という社名の株式会社で、倒産当時「中小企業をレジャーで釣る、会員一万八千、四億余円集め倒産」と報道されたが、実は単なる〝レジャーで釣っ〟たのではなく、増田甲子七、川島正次郎、進藤一馬各代議士らが関係、中小企業者から五億近い

金を集めたばかりか、日本長期信用銀行、東海銀行などからも二億五千万円の融資をうけるなどして、捜査当局に内偵されていた事件である。

同事件には、さらに関係者として都知事選ニセ証紙事件の根本米太郎(川島議員元秘書)、田中彰治事件のキッカケとなった、吹原・森脇・大橋事件の大橋富重(同上事件で保釈出所中)両氏らの〝スター〟がおり、大森議員の追及如何によっては、ふたたび、財界をめぐる疑獄事件に発展する可能性があり、次回決算委の日程を決める十四日の理事会と警視庁の捜査の成り行きが注目された。

大森議員が取りあげた「逓信運輸協会」問題というのは、調査に当った栗田勝広議員秘書(「共和製糖事件」の著者、俗に〝大森特捜班〟といわれる調査活動の中心人物)ら関係者の話を総合すると、次のような事情にあった。

同協会は郵政省の外郭団体として、昭和二十五年に設立、理事には佐藤栄作氏、迫水久常、荒木万寿夫氏ら自民党の有力者や藤井丙午、早川真平氏ら財界の知名人たちがズラリと名前を連らねている。

当初は補助金も貰って多少の活動はしていたらしいが、最近では全くの休眠団体。これに眼をつけたのが政界に縁の深い月刊J誌のHという人物で、同協会の飯島事務局長と語らって、中央観光の小島社長のところへ話を持ちこんで来た。小島社長は、手詰りの事業を、この協会

を利用して拡大しようという目論見をした。

黒幕・政商たち p.202-203 逓信運輸協会の理事長

黒幕・政商たち p.202-203 架空の理事会が開かれ迫水久常理事が議長として、小島徳司氏を理事長に選任するという奇怪な事実もあったのち小島氏は三百万円を払った
黒幕・政商たち p.202-203 架空の理事会が開かれ迫水久常理事が議長として、小島徳司氏を理事長に選任するという奇怪な事実もあったのち小島氏は三百万円を払った

当初は補助金も貰って多少の活動はしていたらしいが、最近では全くの休眠団体。これに眼をつけたのが政界に縁の深い月刊J誌のHという人物で、同協会の飯島事務局長と語らって、中央観光の小島社長のところへ話を持ちこんで来た。小島社長は、手詰りの事業を、この協会

を利用して拡大しようという目論見をした。

そのため架空の理事会が開かれ迫水久常理事が議長として、小島徳司氏を理事長に選任するというはなはだ奇怪な事実もあったのち小島氏は斡旋料と整理用資金三百万円(これも手形で結局不渡りにした)を払って、理事長の椅子に納まった。しかし、この人事で各理事の承諾書に使ったのが実は偽造印だったため、この乗っ取りはついに成功しなかった。

しかし、この協会の理事長という肩書が小島氏の本業である「中央観光」の会員加入に大きな効果をあげていたようである。

「中央観光」本社ビルは赤坂見付から青山通りを三宅坂方向に約二百メートル、七階建ての威容を誇っている。資本金二千四百万円。事業は、厚生施設に恵まれない中小企業を対象に、会員制でレジャー施設をつくる、というもの。

会員会社数は、中央観光側では約七百社(加入会員数一万人)ということになっているが、栗田氏の調査では二千五百社(六万人以上)。中央観光元社員千田氏によると、「少くとも二千三百社はある。この会員名簿は社内でも極秘扱いにされており、二~三冊くらいしかないのではないか。小島社長以外に知っているのは一人か二人だろう」と、すこぶる異状な隠蔽ぶりを語っている。金融筋もツカんでいないだけに、この会員預り金は推定するほかないが、約四億五千万円とみられている。

数億の現ナマを呑む男

設立は三十七年十一月。初代社長には進藤一馬氏(自民党代議士=福岡一区)をカツいで、小島氏は常務であった。三十八年、中央観光がようやく確保した箱根の建設用地が、資金面の手詰りで担保流れになろうとした時、進藤一馬氏は人を介して京成電鉄に融資を依頼したことがある。京成電鉄は直接融資を見合わせ、子会社京成開発を通し、さらに大橋富重氏(興和建設社長)を介して、四千五百万円を融資した。

この土地は、中央観光から一時的に大橋氏の名儀に変り、大橋氏はこの土地を担保に平和生命から三億円を借り出した、といわれる。

第一事業所の箱根ドリームセンター(神奈川県箱根町強羅)は、このような曲折ののち三十九年に一応完成。四十年一月の発足レセプションには、川島正次郎自民党副総裁が挨拶し、「政府のやる仕事を代ってやっている事業で、大変意義深い。房総の第二事業所の建設は、地元のことでもあり全面的に協力する」と約束する一コマもあって、会員の信頼を巧みに得ていた。

好調に気を良くした中央観光では、四十年二月から「南房シーサイドセンター」建設計画(千葉県勝浦)なるものを大々的に宣伝、中小企業から約八千万円を集めたが、用地を買った だけで計画はズルズルと延び、着手時に倒産となった。

黒幕・政商たち p.204-205 最初から金の無かった中央観光

黒幕・政商たち p.204-205 川越会長の依頼で石原登氏ら二人が仲介して、増田甲子七氏が、東海銀行からの融資を斡旋した。この前後に一千万円が政治献金として小島社長からひそかに送られた
黒幕・政商たち p.204-205 川越会長の依頼で石原登氏ら二人が仲介して、増田甲子七氏が、東海銀行からの融資を斡旋した。この前後に一千万円が政治献金として小島社長からひそかに送られた

好調に気を良くした中央観光では、四十年二月から「南房シーサイドセンター」建設計画(千葉県勝浦)なるものを大々的に宣伝、中小企業から約八千万円を集めたが、用地を買った

だけで計画はズルズルと延び、着手時に倒産となった。

最初から金の無かった中央観光は、四十年には川越文雄氏(元大蔵次官、元平和相互銀行会長)を会長にいただき、川島正次郎氏の元秘書、ニセ証紙事件で名を馳せた根本光太郎氏を取締役に迎え、政界への働きかけに、一そう精を出した。

ここで東海銀行の不当融資問題が現われる。最初から金繰りに四苦八苦している不良会社に、四十年八月、アッサリと一億五千万円貸付けたのである。さらに同年十二月に五千万円、翌四十一年春に五千万円、計二億五千万円が融資されている。

それまで融資していた興産信用金庫や、平和相互のいわば不良貸付け分を、東海銀行という一流の都市銀行が、ほとんど肩代りするという、これまた不思議な取引きが行なわれた。

この間の事情は、川越会長の依頼で石原登氏(元自民党代議士)ら二人が仲介して、増田甲子七氏(防衛庁長官)が、東海銀行からの融資を斡旋した、という。さらにこの前後に一千万円が政治献金として小島社長からひそかに送られた、といわれている。

長期信用銀行もそうだが、この当時の恐らくはかなりの業態不振をバクロしていたハズの中央観光に、こうした巨額の融資が行なわれた、ということは、まことに不可解な話といわねばならない。

倒産時の負債について、中央観光側は会員からの預り金二億円、借入金三億円、計五億円だ

けというが、私の調査による実情は大体次の通りだ。

〈借入金〉東海銀行 二億三千七百万円、長期信用銀行 二千万円、三信商事 七千万円、清水建設 四千八百万円、
〈会員からの預り金〉(推定)四億五千万円
〈その他負債〉融通手形など未払手形約一億三千万円
総計=九億五千五百万円

政治家と結んだ虚業家

この、融通手形は、小島社長ら一部の幹部が、東京や京都の金融業者に乱発して、実体は不明ながら二億五~六千万円以上はあるのではないか、とみる向きもある。

東海銀行の融資は、「箱根ドリームセンターの建設に融資したので、運転資金に関してはみないという条件」(東海銀行三好貸付二課長)だったというが、倒産の間接責任を、ていよくかわした感がないでもない。

長期信用銀行が、中央観光に融資したのは四十一年。麹町税務署が同社箱根事業所を税金の未納で滞納処分にしようとした時、急拠貸しつけられたものという。東海銀行の融資態度と共に、疑惑がもたれるのも当然である。

黒幕・政商たち p.206-207 本人の過去、経歴が明らかでない

黒幕・政商たち p.206-207 「中央観光の場合、サギ倒産の疑いが極めて強い。二億円以上の使途不明金がある」という。小島社長をめぐる黒い噂はまだある。
黒幕・政商たち p.206-207 「中央観光の場合、サギ倒産の疑いが極めて強い。二億円以上の使途不明金がある」という。小島社長をめぐる黒い噂はまだある。

長期信用銀行が、中央観光に融資したのは四十一年。麹町税務署が同社箱根事業所を税金の未納で滞納処分にしようとした時、急拠貸しつけられたものという。東海銀行の融資態度と共に、疑惑がもたれるのも当然である。

三信商事は、市中金融業者説があるが、〝実はある相互銀行のトンネル会社。金利は銀行並み〟(中央観光大矢事業対策部長)というのだが、裏利が付きもののトンネル会社なら、貸金業者とみても間違いない。清水建設の債権は本社ビル(千代田区平河町)改築工事の未払代金である。

倒産理由について、大手債権者の東海銀行はこういう。

「箱根を建設した後、本社ビルをムリして取得、改築した。この費用が約一億八千万円。また、南房計画は、当行としても反対していたが、結局遅延してムダな経費をかける始末となった。

箱根の方だけをガッチリ固めてゆけば、月間平均約一千万円の収入があったのだから、何とか破タンを来たさずにやれた筈」

しかし、五月から二カ月余にわたって調査していた栗田氏は、

「中央観光の場合、サギ倒産の疑いが極めて強い。箱根だけでは明らかに収容不可能と判る過剰な会員を集め、一泊五百五十円とうたっても実際には二千円以上にもつき、決して安くはない。また会員預り金や負債などから推定すると二億円以上の使途不明金がある」という。

小島社長をめぐる黒い噂はまだある。乱脈な経営からの役員連中の内紛、五十嵐某の乗取り事件、四十三年二月に爆発した同社労組員の不当解雇、さらに「逓信運輸協会」事件など同社の

メチャクチャな内情、小島社長の放漫経営ぶりを伝える例は余りに多い。今まで表面化した「政治家と結んだ虚業家」の他のケースと同様に、本人の過去、経歴が明らかでないという点でも一致している。

小島社長は福岡県田川の出身といわれ、新報知新聞、京浜ゴルフ常務という略歴が、公式にいわれている。某新聞社営業部、京成電鉄などにも在籍したとの説もあり謎の部分が非常に多い人物だ。

さて、問題は会員からの預り金で、中小企業からかき集めた金は入会保証金、維持会費の二本立てになっており、入会保証金は三年預り(南房の場合、個人会員五年と十年)の建て前である。

小島社長の放漫経営をめぐる黒い噂について、「会員預り金」の持つ意味が大きいだけに、栗田氏の指摘する「使途不明金二億円以上」とともに、今後徹底的な究明がされなければなるまい。

デビ夫人が「パパ」と呼ぶ人

さて、こうして、各種のケースを眺めてみると、〝政治家と結んだ虚業家〟の像が、ハッキリと浮んでくる。旧聞だが、スカルノ氏にミス明眸金勢さき子さんを献じた木下商店や、それ を真似たデビさんの東日貿易久保正雄社長なども、好適例であろう。そして、デビさんは、やがて川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶようになる。

黒幕・政商たち p.208-209 川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶ

黒幕・政商たち p.208-209 毎日の写真は、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は児玉氏は入らず、週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題して掲載したが児玉氏がカットされていた。
黒幕・政商たち p.208-209 毎日の写真は、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は児玉氏は入らず、週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題して掲載したが児玉氏がカットされていた。

デビ夫人が「パパ」と呼ぶ人

さて、こうして、各種のケースを眺めてみると、〝政治家と結んだ虚業家〟の像が、ハッキリと浮んでくる。旧聞だが、スカルノ氏にミス明眸金勢さき子さんを献じた木下商店や、それ

を真似たデビさんの東日貿易久保正雄社長なども、好適例であろう。そして、デビさんは、やがて川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶようになる。しかし、最近でいうならば何といっても、四十一年暮の「東京大証」事件である。そして、毎日新聞は、十一月二十九日朝刊に、「政治家の顔、また登場」と、水野社長の結婚披露宴の、メイン・テーブルの写真をスクープした。朝日は十二月三日付朝刊で、毎日の写真と角度をかえて、「波紋描く詐欺師の祝宴」と同様な〝証拠写真〟を報じた。

毎日の写真は、左手前なので、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は右手前からで児玉氏は入らず、後を追った週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題してこの写真を掲載したが児玉氏がカットされていた。

詐欺師と政治家——この奇妙な交際を確認するため、ここでは、一昨年の吹原——森脇——大橋富重——田中彰治事件と、こんどの大証事件にいたるまでの、「週刊新潮」誌のサワリをひろって、なぞってみた。

〝黒い霧〟周辺の人言行録

「吹原さんの共犯者みたいにいわれている黒金もほんとうは被害者でそれも大平さんなんかよりもずっと大きい被害者なんですのよ。黒金の女性関係までウワサされているようですが、あのウワサされている方(注=吹原ビル地下の喫茶店〝絵美〟の女経営者で、元新橋芸者であった南雲美奈江さんのこと)は、ほんとは黒金のじゃなく、黒金の友人のなのですよ」(黒金泰美氏夫人)(週刊新潮四十年五月十七日号)

元新橋の芸者で今はレストランのマダムに納まっているI女史がズバリ。

「黒金さんの奥さんが喜美代さん(美南江さんの新橋時代の源氏名)は黒金の友人の二号さんだというようなことをいってるらしいけど、あれはいけませんねえ。他人に迷惑かけることですわ。黒金さんの友人なんていったら、大平さんとか前尾さんが疑われますよ。喜美代さんが黒金さんの二号さんだということはハッキリしていることだし、子供もいることなんだから、ああいういい方をしてはいけませんよ」(週刊新潮四十年六月十九日号)

事件の方向転換に、結果的に片棒をかつぐことになった大橋富重氏の「問題の経緯」に関する話を聞いておこう。「今度の発表(地検の)では、森脇さんの金利違反脱税をまるでぼくが 裏付け、そっちへホコ先を向けるのに一役買っているようだ。——といわれてもあれは森脇さんが(地検に)ご自分で持ってった書類から出たんでしょう。

黒幕・政商たち p.210-211 四人が組んでやった大きな仕事

黒幕・政商たち p.210-211 光明池だけでも田中角栄は十億円もうけた。田中—小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげた。この手口を見ていたのが田中彰治
黒幕・政商たち p.210-211 光明池だけでも田中角栄は十億円もうけた。田中—小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげた。この手口を見ていたのが田中彰治

事件の方向転換に、結果的に片棒をかつぐことになった大橋富重氏の「問題の経緯」に関する話を聞いておこう。「今度の発表(地検の)では、森脇さんの金利違反脱税をまるでぼくが

裏付け、そっちへホコ先を向けるのに一役買っているようだ。——といわれてもあれは森脇さんが(地検に)ご自分で持ってった書類から出たんでしょう。政治家との関係もどうこういわれるんでしょうが、そら伴さん(故大野伴睦氏のこと)とは親子のような関係でしたし、政治家でもトップクラスの方なら、池田さんでも佐藤さんでも川島さんでも河野さんでも——中曾根代議士なんか、十何年の親しい仲ですしねえ」(週刊新潮四十年七月二十四日号)

二宮氏によると、田中角栄、小佐野の両氏は古くからのなじみであり、蔵相就任前に田中氏が代表取締役をしていた家の月賦販売会社「日本電建」を経営困難から小佐野氏に「引き取っ

てもらった」という間柄である。〝光明池〟問題は、この田中氏の〝民間業者と大臣との身分の使い分け〟がいっそうロコツに現われているという。

「あの光明池だけでも田中角栄は十億円ちょっともうけたという話を、私は大橋富重の口から聞いています。また田中——小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげたらしい。この手口をずっと見ていたのが田中彰治で、彼は小佐野や大橋をゆさぶったわけです。大橋、田中(彰)が逮捕されてから、もうかなりその辺の事実を自供してしまっているというから、あるいは事件は小佐野——田中(角)へ飛火し、さらに進めばこの二人にさる右翼の大将、それに某銀行家を加えた四人が組んでやった〝大きな仕事〟にも火がつくかも知れない…」と某代議士は語っている。(週刊新潮四十一年十月二十二日号)

終章 検事総長会食事件

昭和四十三年。十月八日付日本経済新聞夕刊=東京地検特捜部は、八日朝から新日本新聞社社長小原英丘(えいきゅう=本名孝二・55)と、同社員ら計六名を、中曾根康弘運輸相らに対する名誉棄損と、日通をきょうかつした容疑で、任意出頭を求めて取り調べを始めた。調べが済みしだい同日中に次々と逮捕していく見込み。

黒幕・政商たち p.212-213 暴力団員が〝たまたま〟傍聴

黒幕・政商たち p.212-213 吹原・森脇事件の公判廷で児玉誉士夫氏が「森脇被告におどかされた」と申し立てた事件。〝児玉と河井次席検事のデッチあげ〟は、朝日だけ書いてある。
黒幕・政商たち p.212-213 吹原・森脇事件の公判廷で児玉誉士夫氏が「森脇被告におどかされた」と申し立てた事件。〝児玉と河井次席検事のデッチあげ〟は、朝日だけ書いてある。

真の支配者は誰か

〝児玉アレルギー〟の震源地

虚業家が政治家に結びつこうとするなら、ゴロ新聞雑誌は大企業に喰いつこうとする。彼らはその草創期においては、広告収入がないために何とかして喰いついて、広告をとらねばならないからだ。その〝苦闘〟時代を終って、安定期に入った新聞社や雑誌社、しかも政界新聞、経済雑誌などでは、そのような過去を、口を拭って素知らぬフリをしているのもある。このような連中が、〝トリ屋〟である。総会屋の経営するものとは、若干の違いがある。

例えば、サイエンス・ランドの項に登場して頂いた、「新評」の御喜屋康太郎氏などは、スケールが大きくて〝トリ屋〟には入らないし、進歩的な編集で知られる綜合雑誌「現代の眼」の社長木島力也氏なども、また別の意味で〝トリ屋〟ではない。

木島氏は、総会屋の親分の住込書生からスタートした、立志伝中の人物である。親分が警視庁に逮捕されるや、雨の日も風の日も休まず差入れに通って、刑事たちに感心されたという。

大会社の総務担当者(総会屋、トリ屋係)たちの評判も良いし、経済雑誌をさけて、進歩的

綜合雑誌に注目したあたり、さすが〝代議士〟たらんとするだけはある。

ここで注目をしなければならない事実がある。

八月七日、吹原・森脇事件の公判廷で弁護側証人として出廷した児玉誉士夫氏が、証言前に特に発言を求めて、「森脇被告におどかされた。暴力団をよこして、証言をかえろといわれた」と、裁判所に申し立てた、という事件である。

この新聞報道をみると、三紙はそれぞれ三段ほどで書いているが、一番詳しい八日付の東京タイムズ(共同通信の原稿と思われる)をみてみよう。「証言訂正でおどす、児玉誉士夫氏が爆騨宣言、保釈取り消しか」という三段見出しの記事である。

読売、毎日には〝スイス亡命説〟はあるが〝児玉と河井次席検事のデッチあげ〟はなく、朝日だけ「児玉氏と捜査当局が結託して、デッチあげた事件」だと書いてある。

総長会食事件を報じた、「財界展望」という経済雑誌は、九月一日号で八月二十九日の発売である。この雑誌の体裁から類推すると、表紙にまで刷りこんだトップ記事であるから、原稿の締切は二週間から三週間前の、八月八日から十五日までの間である。大体、十日前後と見るべきであろう。

さて、前記の児玉証言の記事である。読み通してみると、児玉氏を〝オドカ〟した二人の暴力団員が、〝たまたま〟傍聴にきていたので、検察側が即座に在廷証人として申請して、対決

の結果、児玉証言を裏付けたというものである。しかも、〝その事実〟によって森脇被告らの保釈取消しの検討をした、という内容である。

黒幕・政商たち p.214-215 何という被告らへの〝オドカシ〟

黒幕・政商たち p.214-215 大熊昇検事。特捜部のエースと呼ばれ、河井次席検事の〝秘蔵ッ子〟である。特捜部の情報(内偵)担当で、重要な〝事件〟は主としてこの人に割り当てられる。
黒幕・政商たち p.214-215 大熊昇検事。特捜部のエースと呼ばれ、河井次席検事の〝秘蔵ッ子〟である。特捜部の情報(内偵)担当で、重要な〝事件〟は主としてこの人に割り当てられる。

さて、前記の児玉証言の記事である。読み通してみると、児玉氏を〝オドカ〟した二人の暴力団員が、〝たまたま〟傍聴にきていたので、検察側が即座に在廷証人として申請して、対決

の結果、児玉証言を裏付けたというものである。しかも、〝その事実〟によって森脇被告らの保釈取消しの検討をした、という内容である。

何という猿芝居であろうか。そして、何という被告らへの〝オドカシ〟であろうか。

児玉証言の〝事実〟の有無ではない。朝日記事の通り〝児玉氏と捜査当局の結託〟が、これほど明らかに示されたことはあるまい。今、政財、官界を問わず、名のある人、金のある人に一番コワガラれているのは、〝右翼の巨頭〟と紹介され〝政界の黒幕〟と呼ばれる、児玉誉士夫その人であって、新聞雑誌の記者、編集者たちが、「児玉」と聞いただけで緊張し、その姓名を活字にするのを避けようとする奇妙な〝児玉アレルギー〟の震源地ではないか。

その人物が、逆にオドカされたとは! しかも博徒という連中が、何の理由でツマラヌ裁判の傍聴に、二人打ち揃ってきていたというのか? 仲間の傷害裁判ならともかく、政界裏面の〝黒い霧〟に、この御両人はそんなに興味があったのか? そして、素早く在廷証人を申請して対決させる公判検事。

もちろん、弁護側の児玉証人と公判検事との、事前の十分な打ち合わせで、脅迫者二人を呼びよせての茶番劇であることは、東タイの記事で明らかである。朝日は「立会いの藤本一孝検事」の名前を出しているが、私が調べてみると難波主任検事のほかに、同事件の捜査検事である、地検特捜部の大熊昇検事も公判に出ている。

サル芝居に踊る被告・森脇

大熊昇検事。特捜部のエースと呼ばれ、河井次席検事の〝秘蔵ッ子〟である。特捜部の情報(内偵)担当で、重要な〝事件〟は主としてこの人に割り当てられる。日通事件の最中に、防衛庁・伊藤忠事件が起き、これを機密ろうえい事件として、地検公安部が捜査することになるや、特捜部から公安部に出張して、事件の捜査経過にタッチしていた。記者クラブの見方は、大熊検事が昨秋ごろから、「汚職」事件としての防衛庁事件を手がけていたからだという。

このことをさらに〝解説〟して、「日通で忙しいから、今はスパイ事件だけにして、あとで特捜が汚職をほるための資料あつめ」説と「折角、公安部に割り振って、スパイで喰い止めようとしているのに、公安部に暴走されて、掘られすぎるのを防ぐ」説との二説がささやかれる。

事実、伊藤忠商事ばかりが〝悪役〟にされて、防衛庁事件は終わった。今秋のFX以降、伊藤忠商事は、防衛庁特需に肩身がせまくなるのは当然だし、現役将官の自殺者まで出ているのだから、伊藤忠は〝商戦〟に参加できなくなろう。機密ろうえい事件の事実関係はさておき、伊藤忠の脱落で利益を得る者は誰なのか? どこの商社なのか?

大熊検事が、昨秋から手がけていた情報捜査となると、そのネタモトは誰か? ということ になってくる。話はさかのぼって、ロッキード・グラマン空中戦以来の、登場人物たちを調べねばならない

黒幕・政商たち p.216-217 大熊検事と児玉氏が〝情報交換〟

黒幕・政商たち p.216-217 児玉氏が河井次席検事と親しい——という〝噂〟は田中彰治〝黒い霧〟事件以後、特に流れはじめた。吹原、森脇、大橋富重、東京大証の各事件など
黒幕・政商たち p.216-217 児玉氏が河井次席検事と親しい——という〝噂〟は田中彰治〝黒い霧〟事件以後、特に流れはじめた。吹原、森脇、大橋富重、東京大証の各事件など

事実、伊藤忠商事ばかりが〝悪役〟にされて、防衛庁事件は終わった。今秋のFX以降、伊藤忠商事は、防衛庁特需に肩身がせまくなるのは当然だし、現役将官の自殺者まで出ているのだから、伊藤忠は〝商戦〟に参加できなくなろう。機密ろうえい事件の事実関係はさておき、伊藤忠の脱落で利益を得る者は誰なのか? どこの商社なのか?

大熊検事が、昨秋から手がけていた情報捜査となると、そのネタモトは誰か? ということ

になってくる。話はさかのぼって、ロッキード・グラマン空中戦以来の、登場人物たちを調べねばならない、前記の司法記者クラブ員たちの〝解説〟も、その新聞社、その記者個人によって異なり、あくまで〝風説〟にすぎないのであるが、八月七日の公判廷での猿芝居をみると、〝児玉と河井次席検事の組んだデッチ上げ〟証言が事前に大熊検事らに了解されていたことは間違いない。

大熊検事と児玉氏とが、電話連絡で、〝情報交換〟をしていると断言する記者もいる。しかし、その記者はつけ加える。「大熊だって、児玉をヤルといってるのだから、〝情報交換〟といっても、証拠関係は別だろう。検事なんて、事件のためには誰だって利用するし、誰とでも手を組むからネ。あんただって、司法クラブにいたから知ってるだろ?」

この言葉は事実である。児玉証人脅迫で、保釈取り消しを検討されている森脇被告こそがこの〝猿芝居〟でオドカされている。保釈金は三億三千万円、現金一億に残りは保証書だが、保釈取り消しとなれば、これが没収されてしまう。今の彼には大きな金であろう。

その記者は、大熊検事と児玉証人との〝じっこん〟ぶりを説明したあとで、森脇被告の転変を目して〝殷鑑遠からず〟と、「検察の公正」について敷衍するのであった。

児玉氏が河井次席検事と親しい——という〝噂〟は田中彰治〝黒い霧〟事件以後、特に流れはじめた。吹原、森脇、大橋富重、東京大証の各事件など、ここ一連の特捜部事件を眺めてみ

ると、児玉氏は〝重要な関係者〟でありながら、〝被疑者〟として登場したことは一度もない。ただ、大阪の住宅公団光明池事件の時は、大阪府警の捜査四課から出張してきた捜査官に、「被疑者調書」を取られたという、〝伝説〟がある。この時も、呼び出しを受けた児玉氏は、警視庁の捜査四課長室に現われて雑談をし、地下の調べ室に待機していた府警係官を課長室に呼びつけてタイミングを狂わせたといわれるほどだから、果たして、「参考人調書」か「被疑者調書」かは、つまびらかではない。

〝イケショウ〟の挑戦状

このように、現象面で児玉氏が摘発されないのだから、世評は〝河井検事と組んでる〟という噂を、根強く信じこませていった。吹原事件でも、特捜部の若手検事には「児玉捕るべし」を主張する者がおり、日通事件では、「果たして児玉までゆくであろうか」という、〝風聞〟が流れていたことは事実だ。

そのようなところへ、この八月七日の児玉証言があったのだから、その内容は極めて〝奇異の感〟をもって受け取られたハズである。新聞記事では、森脇被告本人の談話の続報も、解説も出なかった。朝日だけ、朴弁護人の談話として、「児玉発言は一方的。今後証人を立ててでも、児玉発言がまちがいであることを立証してゆく。偽証工作ではない」旨を伝えた。

すると、「児玉と河井のデッチあげ説は森脇のデマ」というのも否定していることだ。

黒幕・政商たち p.218-219 O記者が河井検事の部屋に出入り

黒幕・政商たち p.218-219 検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。
黒幕・政商たち p.218-219 検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。

すると、「児玉と河井のデッチあげ説は森脇のデマ」というのも否定していることだ。検事が、児玉証人や暴力団員たちと、事前に準備した発言中に、「児玉と河井の共謀説」があったことは、一体何を意味するのであろうか。つまり前述した〝風聞〟を公式な形で否定しようとしたのか? しかし、新聞記事で見る限り、〝共謀説〟は却って裏付けされた感じがするのは否めない。

この時期、八月八日に「勝利」誌九月号が街に出てきた。ひろげてみると、「わが輩のケンカはこれからだ。邪道におちたか検事さん、私は納得できない」と題する、イケショウこと池田正之輔議員の一文がある。題名通りに、検察への〝挑戦〟的な文章だ。もっとも、すでにさる七月一日付で、法務大臣、検事総長への公開質問状と声明書が出されている。これも、もちろん「検察権力内部に巣喰う宿弊と、司法界の浄化・改革」のためのものであった。

池田代議士のいう〝宿弊〟とは、もちろん総長会食事件の報道のさいの、池田談話の趣旨である、検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。

さて、これらの現象を時間的につづり合わせてゆくと、池田代議士の挑戦——河井検事のウィークポイントの〝風聞〟抹殺協議——児玉発言——池田代議士の再挑戦(勝利誌)——「財界展望」誌の原稿締切、と、八月中旬を中心に動きが出ているのである。

そして、さらに注目すべき事実がある。

日時は記録されていないので、正確には判らぬが、八月十日前後ごろ、福田幹事長の市村秘書のもとに、某週刊誌記者なる人物が現われた。O記者は福田幹事長に対し、大要「幹事長の身辺のことが、何か記事になって出るらしい。ほっておいてもいいのですか」と、〝誘い水〟をかけた。身辺のことが何であるかも、何処の記事になるのかも、具体的な話はしていない。

それは困る、何とかしてくれ。それでは私が調べましょう——と進めば、〝金〟が動いても恐喝にはならない。だが、市村秘書は断わった。O記者の〝売りこみ〟にのらなかったのである。というのは、私の調べたところでは、市村秘書は福田幹事長に、以前にクギをさされていた。「Oの話には乗るなよ」と。

司法記者クラブの多くの記者が、このO記者が河井次席検事の部屋に、しばしば出入りしているのを目撃している。そればかりではない。同席したある記者は、河井検事が「まあ、しっかりやりなさい」と励ましの言葉をかけ、O記者が退室したあと、「あんなのを信頼しているワケではない」と、弁解がましくいうのを聞いてもいる。

O記者について、「勝利」誌十月号は、「三和銀行猪原専務の日新製鋼副社長転出」事件という、特集記事をまとめて、その中に匿名で〝恐喝〟者として登場させている。この猪原専務転出の背景について、同誌「本誌特別取材班」は極めてセンセーショナルに、興味本位の取り あげ方をして、真相には、ほど遠い。総長会食事件のキッカケも、知名度の低い経済雑誌財界展望誌の記事であるから、O記者の〝活躍〟紹介と合わせて、ここに事情を述べよう。

黒幕・政商たち p.220-221 小佐野から大橋富重に伝わった

黒幕・政商たち p.220-221 そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。
黒幕・政商たち p.220-221 そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。

O記者について、「勝利」誌十月号は、「三和銀行猪原専務の日新製鋼副社長転出」事件という、特集記事をまとめて、その中に匿名で〝恐喝〟者として登場させている。この猪原専務転出の背景について、同誌「本誌特別取材班」は極めてセンセーショナルに、興味本位の取り

あげ方をして、真相には、ほど遠い。総長会食事件のキッカケも、知名度の低い経済雑誌財界展望誌の記事であるから、O記者の〝活躍〟紹介と合わせて、ここに事情を述べよう。

「三和銀行へ行ってみろ!」

ここに二人の〝トリ屋〟がいた。やがて二人は成長して、一人は鳥飼毅「財界展望」社長、一人は油井宏之「実業界」社長となった。三鬼陽之助「財界」社長が、東洋経済新報の記者出身というのは例外として、群小経済雑誌の社長は、いわゆるA級経済誌か老舗社の営業出身。

油井社長は、小佐野賢治国際興業社長と同郷のため、経営的には小佐野社長、政治的には中曾根代議士をバックにして、今日の「実業界」誌を築いたと自称している。

大橋事件の主人公、大橋富重興亜建設社長は、事件後にボス児玉氏の不興を招いたらしい。児玉系列の人々は、「児玉さんに見放された大橋はダメ」と、極言する。一方、「児玉さんは吹原から五反田ボーリング場を取りあげて、平本一方にやらせたように、大橋から興亜建設をとりあげて、Oにやらせようとしている」と、語る人もいる。ついでながら、「Oが河井検事のもとに出入りするのは、児玉さんのお使い役のマッチポンプさ」と見る人もいる。

さて、そのような〝情報の渦〟の中で「勝利」誌が活字にした、次のような話が私のもとにもたらされた。

やがて、話は小佐野氏からT氏(注。大橋富重)に伝わった。氏は人も知る財界のアウトロー。つねに黒いウワサの渦中にもまれた人物である。

T氏は、その一部始終をA社の週刊誌記者Oに話し、『三和へ行ってみろ、おもしろいゾ』と、つけ加えた。O記者が取材にいったころあいを見はからってT氏みずから村野氏(注。三和銀行副頭取)に面会を申しこんだ。そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…」

「勝利」誌十月号はこのように書いているが、私も〝情報〟としてこれを知り、すぐ取材に着手した。調べてみると、すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。

三和首脳部は、渡辺会長、上枝頭取、村野副頭取の三人で動かしている。猪原専務の他にも、中井専務も出たし、特別に〝追い出し〟劇を仕組む必要はないし、第一、渡辺忠雄会長の人柄からみて、かつ、その二十年の実績からいって、人事の内紛が起こり得ようハズがない。「財界」三鬼氏の筆によると、「渡辺会長の政治家嫌いは徹底していて、財界関係のパーティでも、政治家が現われるとサッサと帰ってしまう。もう少し何とか…」というほどである。

さて、児玉氏に見放され、〝財界アウトロー〟の孤児となった大橋氏は、千葉県浦安沖に貯木センターを造る、と計画して、前島銘木店に話をもちこんだ。何とか、金を回さねばならぬ

からである。ここで前借を一億円ほどもしたといわれる。一方、三和にも何かといいよったらしいが、三和が相手にしない。

黒幕・政商たち p.222-223 三和の株主総会前にバラまこう

黒幕・政商たち p.222-223 そこで、〝猪原専務追放劇〟を示唆して、油井氏に吹きこんだ。彼は記事を書き、「実業界」六月号に掲載した。猪原氏は小佐野社長にアッセンを頼んだ。「実業界」六月号、公称一万二千部は百五十二万余円で買い取られた。
黒幕・政商たち p.222-223 そこで、〝猪原専務追放劇〟を示唆して、油井氏に吹きこんだ。彼は記事を書き、「実業界」六月号に掲載した。猪原氏は小佐野社長にアッセンを頼んだ。「実業界」六月号、公称一万二千部は百五十二万余円で買い取られた。

さて、児玉氏に見放され、〝財界アウトロー〟の孤児となった大橋氏は、千葉県浦安沖に貯木センターを造る、と計画して、前島銘木店に話をもちこんだ。何とか、金を回さねばならぬ

からである。ここで前借を一億円ほどもしたといわれる。一方、三和にも何かといいよったらしいが、三和が相手にしない。

そこで、〝猪原専務追放劇〟を示唆して、油井氏に吹きこんだ。彼は「猪原が犠牲にされた、可哀想だ。それにしても首脳部は薄情だ」という記事を書き、「実業界」六月号に掲載した。

三和の株主総会前にバラまこうという狙いだ。記事を読んでみると、中味は何もない、説得力に欠ける雑報にすぎない。

彼はそれを第一に、猪原氏に知らせた。三和系列下の日新製鋼副社長ともなれば、三和と協調してやらねば仕事にならない。猪原氏は自分がホメ者で、三人の上司がワル者にされているその記事に、大迷惑である。そして小佐野社長にアッセンを頼んだ。「実業界」六月号、公称一万二千部は百五十二万余円で買い取られた。三和側にいわせると、「すべて小佐野氏が計らってくれたことで三和は関知しない」という。警察は、何とか三和銀行の被害届を取って、事件にしようと考えている、という実情であった。

三和銀行幹部の一人は、私の質問に答え、「千三百万円の件は全く無根です。大橋氏にあってもいないし、例の事件以後、融資は一件もないハズです。第一、銀行がユサブられて千三百万円もヒョイと出ると思いますか」

「鷲見メモ」の内容

警察が、油井事件を調べていた副産物に、「新日本新聞」事件というのがでてきた。大阪で、カネボウに喰いついているこの週刊新聞は、最近しきりと東京、ことに国会筋に入りこもうとしている。近江絹糸の総会に松葉会を導入したのもこの新聞である。猪俣浩三社会党代議士たちが、株を一時期もたされたのも、同代議士によると「自民党へ政治献金した内容が判るから」という、甘言にのせられたのだそうだが、それもこの新聞だ。ここが最近、銀行筋から金を集めて、その集金に歩いているのが、編集長小倉某という。「財展」社の出身、鳥飼社長と仲違いして退社したのも、集金の件だといわれる。「新日本」で福島交通の件を書きなぐって、小針社長らから、二件の名誉毀損の告訴が出され、地検特捜部苅部検事係に入っている。銀行集金の件をいいふらしたのは、O記者だとして、小倉編集長は、「Oはけしからん」と、ふれ歩いている。「財展」誌の鳥飼社長とは不仲だが、「会食」事件の執筆記者村井某とは、昔の同僚のヨシミで交際がある。

こうして、八月二十九日に「財展」誌が発売されるや、翌三十日付アカハタ紙にも、この会食事件がスクープされた。つまり、アカハタ紙は、「財展」誌の発行を待って、同時にスター

トしたのである。九月二日に検事総長が司法記者クラブでの会見で、事実関係を認めて、三日付各紙に大々的に報道されるや、アカハタ紙も三日付で報道、さらに翌四日付は一面、社会面の両面を使うという、大扱いぶりである。

黒幕・政商たち p.224-225 捜査当局でなければ知り得ない

黒幕・政商たち p.224-225 このことは、検事の押収した証拠資料が、アカハタ記者(もしくは関係者)に〝見られている〟ことか、〝見せられている〟ことかの、どちらかを裏付けている。ニュース・ソースが地検特捜部という疑い
黒幕・政商たち p.224-225 このことは、検事の押収した証拠資料が、アカハタ記者(もしくは関係者)に〝見られている〟ことか、〝見せられている〟ことかの、どちらかを裏付けている。ニュース・ソースが地検特捜部という疑い

こうして、八月二十九日に「財展」誌が発売されるや、翌三十日付アカハタ紙にも、この会食事件がスクープされた。つまり、アカハタ紙は、「財展」誌の発行を待って、同時にスター

トしたのである。九月二日に検事総長が司法記者クラブでの会見で、事実関係を認めて、三日付各紙に大々的に報道されるや、アカハタ紙も三日付で報道、さらに翌四日付は一面、社会面の両面を使うという、大扱いぶりである。

「財展」誌の記事を良く読んでみると、内容は、四月十九日の花蝶での三者会食、領収証番号と金額、五人の芸者の名前、という、三つの事実しかなく、他の長文は解説である。

さらに仔細に検討してみると、故意か偶然か、領収証番号の末尾二数字が、「四九」と記されており、本物の「九四」が間違えてある。また、芸者の名前がすべてカタカナという点に、ことさららしい技巧を感ずる。

ところが、アカハタ紙の四日付記事には、どの新聞雑誌にも出ていない、「政治評論家I氏」なる人物が登場し、馬場検事総長の後任問題で、I氏が首相に進言、「同時に井本氏は七月二十六日夜(注。四十二年)、赤坂の料亭『小松』で池田代議士と面談、前後して、同代議士秘書鷲見一雄氏とI氏宅を訪れています」と、具体的に〝就任秘話〟を詳細に述べている。

この〝就任秘話〟の部分は、検察当局が押収した「鷲見メモ」の内容そのものである。鷲見氏が、自分の行動予定表に「日付、時間、井本、鷲見、I氏訪問」と記入しておいたもので、井本総長の意志も都合も問い合わせてはおらず、従って〝予定〟に終わり、事実はなかったという。同記事もI氏の否定談話をのせているが井本総長も否定している。当然である。個人の予

定メモにすぎないからだ。

しかし、関係者の供述を知らずに、このメモだけを見た者が判断すれば、「井本総長が池田秘書鷲見氏とI氏宅を訪問した」過去完了の〝事実〟と誤まるのが自然であり、アカハタ紙の記事は、その通りに書かれている。

このことは、検事の押収した証拠資料が、アカハタ記者(もしくは関係者)に〝見られている〟ことか、〝見せられている〟ことかの、どちらかを裏付けている。しかも、この〝就任秘話〟は、池田議員の三百万円贈収賄被疑事件と関係のないことである。ここに、これらの記事の「謀略性」がひそんでいる点であり、ニュース・ソースが地検特捜部という疑いをかけられる点である。「謀略」と国民の「知る権利」とを抱き合わせることは、許さるべきことではない。

「謀略」は「公正なる報道」ではない。だから、これらの記事のソースは、国家公務員法違反被疑事件として、厳しく追及されねばならない。告発されるべきである。

スクープの同時掲載による、アカハタ紙と「財展」誌の、双方の記事を検討してみると、このような特徴が見出される。

いずれにせよ、両紙誌の記事の内容は、捜査当局でなければ知り得ないことであるのは事実である。そして、そこに、この二つの記事の「謀略」性が発見されるのである。

黒幕・政商たち p.226-227 岸本派と馬場派の抗争の激戦期

黒幕・政商たち p.226-227 岸本派。当時の東京高検検事長、岸本義広氏を頂点とする一派だ。塩野季彦司法大臣からつづく、思想検事の流れである。馬場派。小原直司法大臣からつづく、経済検事の系統で、当時の法務事務次官、馬場義続氏を統領としていた。
黒幕・政商たち p.226-227 岸本派。当時の東京高検検事長、岸本義広氏を頂点とする一派だ。塩野季彦司法大臣からつづく、思想検事の流れである。馬場派。小原直司法大臣からつづく、経済検事の系統で、当時の法務事務次官、馬場義続氏を統領としていた。

いずれにせよ、両紙誌の記事の内容は、捜査当局でなければ知り得ないことであるのは事実である。そして、そこに、この二つの記事の「謀略」性が発見されるのである。

検察、とくに地検特捜部に近く、しかも、「財展」誌とアカハタ紙とを、ともに結べる人物というのは、一体誰であろうか。

もちろん池田正之輔代議士の関係個所に家宅捜索が行なわれ、手帖、メモ類の押収書類からこの会食事件が明らかになったというのだから、日通事件の打ち切りまでの時点で、司法記者クラブ加盟紙がスクープしたというのならば、会食事件記事の「謀略性」は薄くなる。

検察内部の深刻な対立

だが、今まで述べたような、いろいろの「人」と「事件」があったのちの、このスクープである。何らかの意図で、何らかの目的のための〝つくられた〟スクープである。

検察官が「公益の代表者」であることは、法律に明示されている。検事総長の言行が、それに相応しくないのならば、それを糾弾する道は、検察官適格審査会令をはじめとして、公正な方法と手段を用うるべきである。もしも、現職検事にして、その意があるならば、退官して戦うべきである。「犯罪捜査権」という、絶大な国家権力を用いて入手した資料をもって、法律に違反して(秘密を守る義務違反)、検事総長の非違を責めんとするのは、私闘であり、私憤である。大前提である「公益の代表者」ではない。〝就任秘話〟をバクロして、〝黒い霧〟ムードをまき散らさんとする。しかも、おのれは〝安全圏〟に身をひそめている——これが、

私憤、私闘でなくてなんであろうか。唾棄すべき卑劣漢である。

検察の派閥の対立について、これを否定する者がいたら、是非会いたいものである。私は、読売社会部記者として、昭和二十三年秋から、当時の法務庁記者クラブに二年間、昭和三十二年夏から一年間を、司法記者会クラブ員としてすごしたので、その実態をマザマザと目撃してきた。

「検察一体の原則」というのがある。検察庁法を読めば判るのであるが、検事は検事総長を頂点として〝一体〟になる、ということである。従って、総長人事ほど、全検事にとって関心のあるものはない。私が二度目にクラブのキャップとして、検察庁にもどってきた当時が、岸本派と馬場派の抗争の激戦期であった。

岸本派。当時の東京高検検事長、岸本義広氏を頂点とする一派だ。塩野季彦司法大臣からつづく、思想検事の流れである。馬場派。小原直司法大臣からつづく、経済検事の系統で、当時の法務事務次官、馬場義続氏を統領としていた。戦前の塩野、小原の対立が、そのまま戦後に引き継がれてきていたのである。

米軍占領時代、岸本派の領袖は、多く特高検事としてパージにかかっていたため馬場—河井ラインが、昭電事件を契機として勢力を植えつけた。当時の堀検事正は好々爺で、馬場次席—河井特捜検事の組み合わせは、現在の武内検事正、河井次席—栗本特捜副部長—大熊検事を想

起させる。

黒幕・政商たち p.228-229 「ニュースソースは検事だ」と

黒幕・政商たち p.228-229 馬場次官は、研修所長官だった河井検事を法務省刑事課長という〝陽のあたる場所〟にもどした。岸本検事長の指揮下にある、東京地検へは入れなかった。
黒幕・政商たち p.228-229 馬場次官は、研修所長官だった河井検事を法務省刑事課長という〝陽のあたる場所〟にもどした。岸本検事長の指揮下にある、東京地検へは入れなかった。

米軍占領時代、岸本派の領袖は、多く特高検事としてパージにかかっていたため馬場—河井ラインが、昭電事件を契機として勢力を植えつけた。当時の堀検事正は好々爺で、馬場次席—河井特捜検事の組み合わせは、現在の武内検事正、河井次席—栗本特捜副部長—大熊検事を想

起させる。

岸本法務事務次官は、河井検事を法務研修所教官へ左遷した。馬場最高検刑事部長は人事権がないから黙ってみていたのである。岸本次官が東京高検検事長に移るや、馬場氏が後を襲って次官となった。昭和三十二年八月、佐藤藤佐総長の停年に際し、岸本次官は総長を期したが、情勢に阻まれて、無色の花井忠総長(東京検事長)が実現した。すでに、検事長や次長検事を経て次官となった岸本氏だから、東京検事長はそれほど栄転ではなかった。当事の政治部記者の〝噂〟では、馬場次官実現に力をいたしたのは、造船疑獄のエニシで佐藤栄作氏だったといわれる。

「お願いです。検察のためです。あなた方の応援なしでは、検察は堕落します。どうか宜しくお願いします」

手を握りしめんばかりに、気魄のこもった低い声が、一人の若い検事の口から洩れた。当事新任キャップとしての、庁内挨拶回りの時の情景である。このS検事は、岸本総長が実現したら、検察は堕落すると、言外に意味していた。彼は馬場派であったのだ。

馬場次官は、研修所長官だった河井検事を法務省刑事課長という〝陽のあたる場所〟にもどした。岸本検事長の指揮下にある、東京地検へは入れなかった。検事長の停年は六十三歳、検事総長は六十五歳、二年の開きがある。花井総長が在職二年で停年が迫るや、それこそ、両派

は再び激突した。三十四年八月のこと、この停年年齢が岸本検事長の総長就任最後の機会を意味する。なぜなら、翌年四月に岸本検事長の停年がくるからだ。

逮捕されたかもしれない河井検事

佐藤総長の後任争いで、若い検事ですらこのように興奮していたのだから、花井総長の後任問題は、さらに凄まじかったであろう。馬場派の奮戦は、ついに岸本氏の二年後輩である清原最高検次長検事の、総長昇格を実現して、〝岸本総長〟を阻止し切った。

総長を阻まれた岸本検事長にやがて絶好のチャンスがめぐってきた。昭和三十二年十月十八日付の読売朝刊が、当時地検が摘発中の売春汚職で「宇都宮徳馬、福田篤泰両代議士、売春汚職で召喚必至」の、大スクープを放ったからである。その日の午後、両代議士は、読売と地検最高検を名誉棄損で、東京高検に告訴した。「ニュースソースは検事だ」という理由である。

総長会食事件にも似たケースであった。

この記事を取材、執筆したのは、読売の司法記者として高名な立松和博記者であった。彼は、当時病気上がりで、クラブ員ではなかったが、社会部長の直轄で、売春汚職取材を命ぜられていた。彼は、判事の息子で、昭電事件の連続スクープで名を馳せたのであるが、当時の最高検木内次長検事(小原派=馬場派)に、父親の関係から可愛がられていた。彼は当時、馬場次席

の下で事件を担当していた伊尾宏(浦和検事正)、羽中田金一(名古屋検事長)、河井検事らに密着し、雑談での取材打ち明け話では「検事が机上に書類をひろげていて、タバコを探して席を立つ。或いは、便所に行ってくるからといって、書類を伏せて立つと、逮捕状がハミ出ている、といった状態だった」と、私に語っている。