迎えにきたジープ p.180-181 鹿地氏の重慶時代の仕事

迎えにきたジープ p.180-181 In Chongqing, Kaji was planning an operation by a Japanese group called "Democratic Japan Construction Alliance" to disturb Japan, as a Spy on the KMT side.
迎えにきたジープ p.180-181 In Chongqing, Kaji was planning an operation by a Japanese group called “Democratic Japan Construction Alliance” to disturb Japan, as a Spy on the KMT side.

鹿地氏は早速米国機関に接近してそこで働らいていたが、やがて戦時中の米国諜報機関とし

て極秘の存在であったOSS(海外秘密情報戦略本部)に近づいた。ここで働らいていたときに、彼は日本人捕虜を利用する詳細な計画を立てた。

このOSSとの協力も、再びどうしたことか中絶してしまった。これは国府が警戒したのと同様、米側が鹿地氏の過去の行動を知ったためらしいのであるが、彼は米国との関係に執着していたものとみえ、戦後の二十年九月に再びOSSと接触し、日本で行う諜報活動計画を提出した。

この当時親交を結んでいたのは、長谷川敏三という明大出の少尉で、鹿地氏が米側をクビになって帰国した後、この男と組んで貿易商社を作ったほどだった。

鹿地氏の重慶時代の仕事として、彼の署名のある「日本人グループの工作計画」と題する案がある。外務省筋から入手したものだが、これを紹介してみよう。

宣伝に関する工作

A、文字による宣伝

a、民主日本建設同盟の署名による日本人団体のビラ、パンフレット。

b、民主日本建設同盟機関紙の型式による小型新聞。

c、軍、民団、警察、自治会の布告の形式によるポスター。

d、広告ポスター、広告ビラ、広告マッチ等の形式による各種宣伝品。

e、家信、兵士の手紙等の形式による書簡、葉書。

f、国内および占領区各会社、商店等の用件の形式による書簡。

g、軍、警察、自治会等の公件(例へば命令書)の形式による謀略。

h、壁、建築物(日本軍後方の)への楽書。

a及びbは正面からの日本人による宣伝であるが、c以下は謀略的宣伝である。充分な啓蒙的効果は前者によって挙げられる。だが、後者には特殊の深い印象をねらう宣伝効果を挙げ得る。

B、無電、ラジオ放送による宣伝

a、講演、ニュース、宣伝音楽、ラジオドラマ等の放送。

b、民主日本建設同盟電台(例えば北イタリー、ポーランド等で活躍する自由電台の形式による)の如き秘密電信による宣伝。

特に後者は大きい効果を有する。電台及びラジオ宣伝の技術的方法については別に述べる。

C、火線及び敵後方に於ける工作隊の派遣による宣伝

a、軍隊(第一線)と協同して、若干名(経験によれば五名前後を適当とする)を一組とする宣伝工作隊を派遣し、対陣中の敵日本軍、又は作戦中の日本軍にラウドスピーカーを以て宣伝する。情況によってはメガホンによる談話を交換する。第一線に於ては過去の経験によれば、ビラを菓子箱に

入れて贈り、又は夜間に敵の鉄条網にプレゼントを掲げておき、又は物品の交換等の交歓手段を使用するなど、各種の有効な宣伝を行い得る。