新版〝ハダカの王様〟」タグアーカイブ

迎えにきたジープ Contents.002-003 目次

迎えにきたジープ Contents.002-003
迎えにきたジープ Contents.002-003

私こそスパイなのだ

吹雪の夜の秘密

読売の「幻兵団」キャンペイン

ソ連的〝間抜け〟

細菌研究所を探れ

招かれざるハレモノ客

七変化の〝狸穴〟御殿

三つの工作段階

ヤミルーブルを漁る大阪商社

街に流れ出したソ連色

東京細菌戦始末記

作られない捕虜名簿の秘密

マイヨール・キリコフの着任

帰ってきたダンサーたち

バイラス病原菌の培養成功

朝鮮戦線に発生した奇病

アメリカは日本に原爆を貯蔵?

国際犯罪の教官、情報ギャング

ウソ発見機の密室

押しボタン戦争の原爆投下

迎えにきたジープ

怪自動車の正体

新版〝ハダカの王様〟

せせり出てきた敵役

三橋と消えた八人

スパイ人と日本人

付、事件日誌

あとがき

迎えにきたジープ p.178-179 鹿地亘の複雑すぎる過去

迎えにきたジープ p.178-179 Kaji has a very complex past history. He is a poet, a critic, an actor, a street speaker and a painter. His political activities changed rapidly. He was a member of the Japanese Communist Party, a propaganda agent of the KMT, and a spy on the Communist Party of China. During the war, he was engaged in work of the US secret agency.
迎えにきたジープ p.178-179 Kaji has a very complex past history. He is a poet, a critic, an actor, a street speaker and a painter. His political activities changed rapidly. He was a member of the Japanese Communist Party, a propaganda agent of the KMT, and a spy on the Communist Party of China. During the war, he was engaged in work of the US secret agency.

6 釈放の時、鹿地自身が外苑で自動車からおろして貰ったのではないか、普通なら自宅まで自動車でおくるのがアメリカ人の習慣になっている。

7 出たままの姿で帰るのはおかしい、一年間に別の着物ができているはずだ。

8 自宅にはアメリカから送金があったのではないか、池田や看護婦や子供の一年間の生活は仲々むずかしい。

9 監禁等は芝居で何か別のこと、日共ヘの入党、来年の参議院選挙をあてこんでいるのではないだろうか。

10 鹿地も池田も苦しい生活に堪えることのできない人だ。

二 新版〝ハダカの王樣〟

これらのナゾに応えるものは、複雑極まりない彼の過去の経歴である。

鹿地氏は詩人であり、批評家であり、俳優でもあり、街頭演説もやれば、繊細な水彩画も画く。本質的には弱々しい神経質な人間だけあって、彼の政治活動は目まぐるしく変転した。

日共党員であったこともあるし、国民党の宣伝工作員になったこともあり、延安当時には中共のスパイにもなった。戦時中には中国にあった米国秘密機関の謀略、宣伝工作に従事したかと思うと、一方、米国の秘密を探っていたという疑いをいだく向きもあり、また戦後の東京で

は貿易商社の重役にもなったが、その会社は中日貿易を目的としながら、殆んど商売らしい商売もしていなかったといわれている。

彼は大正末期に「新人会」を経て国際共産党の仕事に携ったといわれている。当時の彼の主な任務は、学生層や文化人グループ内に、共産主義思想の浸透をはかることにあった、とみられている。

昭和七年ごろ、彼はその文化人としての立場をすてて、当時死滅にひんしていた日本共産党を救うために活躍、同九年には日共の他の幹部たちと一緒に逮捕された。そこで彼は日共から離れて大陸へ渡り、左翼作家として反日運動を指導することになった。

上海時代の鹿地氏は、同地で書店を経営していた内山完造氏を通じて、国民政府に喰い入った。そのころの彼は、蒋介石などの要人から公然と命令を受けるという地位にあったが、同時に当時国府に入っていた中共の代表者周恩来からも、秘密裡に指令を受けていたという噂があった。

そんなことも影響したのか、国府は彼を警戒しはじめ、彼が日本人捕虜を集めて作っていた「鹿地調査室」や、その表看板であった「民主日本建設同盟」を廃止してしまった。

鹿地氏は早速米国機関に接近してそこで働らいていたが、やがて戦時中の米国諜報機関とし

て極秘の存在であったOSS(海外秘密情報戦略本部)に近づいた。ここで働らいていたときに、彼は日本人捕虜を利用する詳細な計画を立てた。

迎えにきたジープ p.180-181 鹿地氏の重慶時代の仕事

迎えにきたジープ p.180-181 In Chongqing, Kaji was planning an operation by a Japanese group called "Democratic Japan Construction Alliance" to disturb Japan, as a Spy on the KMT side.
迎えにきたジープ p.180-181 In Chongqing, Kaji was planning an operation by a Japanese group called “Democratic Japan Construction Alliance” to disturb Japan, as a Spy on the KMT side.

鹿地氏は早速米国機関に接近してそこで働らいていたが、やがて戦時中の米国諜報機関とし

て極秘の存在であったOSS(海外秘密情報戦略本部)に近づいた。ここで働らいていたときに、彼は日本人捕虜を利用する詳細な計画を立てた。

このOSSとの協力も、再びどうしたことか中絶してしまった。これは国府が警戒したのと同様、米側が鹿地氏の過去の行動を知ったためらしいのであるが、彼は米国との関係に執着していたものとみえ、戦後の二十年九月に再びOSSと接触し、日本で行う諜報活動計画を提出した。

この当時親交を結んでいたのは、長谷川敏三という明大出の少尉で、鹿地氏が米側をクビになって帰国した後、この男と組んで貿易商社を作ったほどだった。

鹿地氏の重慶時代の仕事として、彼の署名のある「日本人グループの工作計画」と題する案がある。外務省筋から入手したものだが、これを紹介してみよう。

宣伝に関する工作

A、文字による宣伝

a、民主日本建設同盟の署名による日本人団体のビラ、パンフレット。

b、民主日本建設同盟機関紙の型式による小型新聞。

c、軍、民団、警察、自治会の布告の形式によるポスター。

d、広告ポスター、広告ビラ、広告マッチ等の形式による各種宣伝品。

e、家信、兵士の手紙等の形式による書簡、葉書。

f、国内および占領区各会社、商店等の用件の形式による書簡。

g、軍、警察、自治会等の公件(例へば命令書)の形式による謀略。

h、壁、建築物(日本軍後方の)への楽書。

a及びbは正面からの日本人による宣伝であるが、c以下は謀略的宣伝である。充分な啓蒙的効果は前者によって挙げられる。だが、後者には特殊の深い印象をねらう宣伝効果を挙げ得る。

B、無電、ラジオ放送による宣伝

a、講演、ニュース、宣伝音楽、ラジオドラマ等の放送。

b、民主日本建設同盟電台(例えば北イタリー、ポーランド等で活躍する自由電台の形式による)の如き秘密電信による宣伝。

特に後者は大きい効果を有する。電台及びラジオ宣伝の技術的方法については別に述べる。

C、火線及び敵後方に於ける工作隊の派遣による宣伝

a、軍隊(第一線)と協同して、若干名(経験によれば五名前後を適当とする)を一組とする宣伝工作隊を派遣し、対陣中の敵日本軍、又は作戦中の日本軍にラウドスピーカーを以て宣伝する。情況によってはメガホンによる談話を交換する。第一線に於ては過去の経験によれば、ビラを菓子箱に

入れて贈り、又は夜間に敵の鉄条網にプレゼントを掲げておき、又は物品の交換等の交歓手段を使用するなど、各種の有効な宣伝を行い得る。

迎えにきたジープ p.182-183 鹿地は米ソの二重スパイだった

迎えにきたジープ p.182-183 And the US arrested a man, a Soviet spy. This man was Kaji, who was supposed to be a US spy. No wonder the US side got angry. "Bite the hand that feeds you."
迎えにきたジープ p.182-183 And the US arrested a man, a Soviet spy. This man was Kaji, who was supposed to be a US spy. No wonder the US side got angry. “Bite the hand that feeds you.”

C、火線及び敵後方に於ける工作隊の派遣による宣伝

a、軍隊(第一線)と協同して、若干名(経験によれば五名前後を適当とする)を一組とする宣伝工作隊を派遣し、対陣中の敵日本軍、又は作戦中の日本軍にラウドスピーカーを以て宣伝する。情況によってはメガホンによる談話を交換する。第一線に於ては過去の経験によれば、ビラを菓子箱に

入れて贈り、又は夜間に敵の鉄条網にプレゼントを掲げておき、又は物品の交換等の交歓手段を使用するなど、各種の有効な宣伝を行い得る。

b、小数の訓練されたる秘密人員で組織した後方攪乱部隊の宣伝

右は遊撃隊と協同することにより、日本軍の駐住すると予想される町村の宿舎、厨房、学校等にさまざまな宣伝品を前もって散布する方法。駐屯地各城市中に潜入しての各種宣伝の方法等が考えられる。

情報に関する工作

A、俘虜調査による情報蒐集

俘虜の教育過程に、われわれの過去の経験によれば、軍事、政治、日本国内の人民生活、その心理的情況等に関する豊富な材料を獲得ができる。

B、捕獲物品、文件の調査等による情報の獲得。(以下略)

彼の〝転身〟の経過を整理してみると、第一の時期は、日本軍閥に反抗して中国に渡り、当時の国共合作時代の重慶(国府)延安(中共)と、これを後援していた米国の三者側についた。

それがのちに二つに割れ、中共をソ連が応援しだすと、まず延安側についた。左翼作家だった鹿地氏としては当然のことである。

ところが、次の時期には重慶側についたのである。日本の敗戦時には重慶におり、マ元帥顧

問だと自称して、得意満面のうちに帰国してきたのだ。

この〈米—国府側〉対〈ソ—中共側〉との間の往復回数は、さらに多かったかも知れない。しかし戦後帰国した際には、重慶で米国のOSS(戦略本部)や、OWI(戦時情報局)に働いていたほどだったから、当然米国側について、重慶時代と同じように、諜報や謀略の仕事をしていたに違いない。

これをみても明らかな通り、彼は一言にしていえば、米ソの二重スパイであったのだ。そして、米国側ではソ連スパイ鹿地を逆用して米国スパイに仕立てあげたつもりでいたのである。

一方、米国側では、前に述べたように「幻兵団」の存在を探知して、これの摘発に懸命に努力していたのである。そして、その一味である「三橋正雄」なる人物を摘発、これを逆用スパイとして利用していた。

その結果、米国側では三橋の報告により、そのレポとしてソ連のスパイである一人の男を逮捕した。調べてみると意外なことには、この男は米側スパイであるはずの鹿地氏だということが判ったから大変だ。米国側が怒ったのも無理はない。飼犬に手をかまれていたのだ。それから鹿地氏証言にあるような拷問(?)が行われた。

米国側には鹿地氏が米国スパイとして働いた記録があり、やはり裏切者への怒りが爆発した のであろう。

迎えにきたジープ p.184-185 『敵の手で敵を斃す』諜報謀略

迎えにきたジープ p.184-185 The Soviet Union learned from Mitsuhashi's report that Kaji was arrested by the US. So, the Soviet might have used Japanese public opinion to release Kaji and use it to boost anti-American sentiment.
迎えにきたジープ p.184-185 The Soviet Union learned from Mitsuhashi’s report that Kaji was arrested by the US. So, the Soviet might have used Japanese public opinion to release Kaji and use it to boost anti-American sentiment.

米国側には鹿地氏が米国スパイとして働いた記録があり、やはり裏切者への怒りが爆発した

のであろう。その頃には、米国側では〝処置〟として鹿地氏を殺すべく計画していたかも知れない。そして鹿地氏は、その米国側の企図を察知したのか、または他の理由で自殺(狂言?)を図った。

折よく肺病が再発したので各所を転々、殺すか、釈放するかを打合せ中、〝謀略のマーフィー〟といわれるマーフィ大使が着任、さらに利用価値があるかも知れないというので、たらい回しのまま時が経ってしまった。

またソ連側では、鹿地氏が消息を絶ったので、調べてみると(三橋のソ側への報告から?)米側に逮捕されたと分った。そこで、日本の世論を沸せて、鹿地氏を釈放させ、さらにこれを反米感情をたかめるのに利用したのではあるまいか。

それを証拠だてる有力な資料が前掲した怪文書である。この英文怪文書の正体は、いまだにつかめないのであるが、戦後、帝銀、三鷹、松川の怪事件にも登場しており、つねにその事件が米国の謀略であるという内容をもっている。

これらの文書が米側から流されたという判断は、その内容や起きることが予想される反響とから考えられないことである。すると左翼系から出たことになる。なぜか「アカハタ」にはこの好個のニュースが一言半句も掲載されなかったが。鹿地氏逮捕を知ったソ連側が、鹿地氏に

行われた虐待を、反米感情をかき立てる材料として、ヘタクソな英文に託して怪文書なるものを作成させ、バラまかせたことは容易に推測できる。

これは『敵の手で敵を斃す』という、諜報謀略の原則からも肯ける推測であろう。しかし、日本の治安当局は、これら四通の怪文書を入手して、その英文、用紙、タイプの癖などからその正体を突きとめることは出来なかった。

三 せせり出てきた敵役

鹿地事件における日本世論の硬化に驚いた米側では、ついに鹿地氏を釈放せざるを得ない破目に追いつめられた。

自らの不手際のため、鹿地問題でその虚をつかれた米国側としては、釈放に当って鹿地氏から、『私はソ連のスパイだった。この事件で米国に対しては賠償要求などしない』と、一札をとってもいたけれど、すでに鹿地氏を反米斗争の英雄として、祭り上げるお膳立ができているところへ放すのだから、鹿地事件をつぶす準備だけは忘れなかった。

すなわち、鹿地氏釈放の二日前ごろ、つまり十二月四、五日頃に、国警長官に対して、『三橋正雄(多分それはローマ字でミハシ・マサオとあったと思われる)というソ連引揚者のスパイがいる』旨を通告したのだ。

何故米国側が鹿地氏を釈放したか、その真意は分らないが、鹿地氏の言うように〝人民の力

で救われた〟かどうか、ともかく一般に鹿地失踪事件が騷がれてきたからとみることが正しいようだ。