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読売梁山泊の記者たち p.010-011 目次(つづき) 章扉

読売梁山泊の記者たち p.010-011 目次02 序に代えて 務臺没後の読売(扉)
読売梁山泊の記者たち p.010-011 目次02 序に代えて 務臺没後の読売(扉)

第五章 異説・不当逮捕、立松事件のウラ側

大誤報で地に堕ちた悲劇のスター記者
三十年後に明かされた事件の真相

政治的思惑で立松を利用した河井検事
もしデマのネタモトを暴露していたら…
事件の後始末、スター記者時代の終わり

第六章 安藤組事件・最後の事件記者

ころがり込んできた指名手配犯人
犯人を旭川へ、サイは投げられた
発覚、そして辞職、逮捕、裁判へ…
いま「新聞記者のド根性」はいずこへ

あとがき

序に代えて 務臺没後の読売

読売梁山泊の記者たち p.250-251 〝弱そうな二人〟を落とそうという陰謀

読売梁山泊の記者たち p.250-251 つまり、〝黒っぽい〟五人のうちから、河井の判断で、宇都宮徳馬、福田篤泰両代議士が、「容疑濃くなる」(読売見出し)として立松和博記者にリークされたのである。…《河井検事は、法律家とはいえなかった》
読売梁山泊の記者たち p.250-251 つまり、〝黒っぽい〟五人のうちから、河井の判断で、宇都宮徳馬、福田篤泰両代議士が、「容疑濃くなる」(読売見出し)として立松和博記者にリークされたのである。…《河井検事は、法律家とはいえなかった》

つまり、売春汚職という、いままでの汚職のうちでも、もっとも汚い、といわれた事件で、読売に

大きくその名前が報道されれば、この二人の落選は、まず、間違いのないところだ。そして、そのそれぞれの選挙区に、安井、藤山の新人二人が、立候補する。

河井の狙いは、この新人二人の当選を期するにあった、というべきであろう。

伊藤栄樹・元検事総長らの、河井信太郎・法務省刑事課長へのガセネタ流しは、いわゆるマルスミメモのうちの、東京出身の九名の議員。そのうちの五人を、〝黒っぽい〟として流したものであろう。

それは、当時の関係者たちに取材した、本田靖春著「不当逮捕」に、描写されている通りであり、最後の河井宅への電話取材に、立ち合っていた、私の記憶の通りでもある。

つまり、〝黒っぽい〟五人のうちから、河井の判断で、宇都宮徳馬、福田篤泰両代議士が、「容疑濃くなる」(読売見出し)として立松和博記者にリークされたのである。

そしてそれは、私が、当時の政治情勢を調べてみると、安井誠一郎、藤山愛一郎という二人の大物新人の当選を期するため、東京二区と同七区とで、〝弱そうな二人〟を落とそうという、陰謀をめぐらせた、としか、判断できないのである。

もしデマのネタモトを暴露していたら…

伊藤は、その遺書「秋霜烈日」の、冒頭部分(63・5・10付第五回)で、河井についてこう書いている。造船疑獄の部分だ。

《…それにもまして、河井信太郎主任検事との、捜査観の相違とでもいうべきもの、それと、判事出

身の佐藤藤佐(さとう・とうすけ)検事総長の人のよさに、相当な不安を抱いていたのである。

河井検事は、たしかに不世出の捜査検事だったと思う。氏の、事件を〝カチ割って〟前進する迫力は、だれも及ばなかったし、また彼の調べを受けて、自白しない被疑者はいなかった。

しかし、これが唯一の欠点、といってよいと思うが、氏は、法律家とはいえなかった。法律を解釈するにあたって、無意識で捜査官に有利に、曲げてしまう傾向が見られた。

…佐藤検事総長は、まことに人柄のよい方であったが、もともと、裁判官の出身であったため、捜査会議の欠点を、十分ご存知なく強気の意見に引きずられがちであった。

全国からの応援検事を加えた、三十人以上の検事が、捜査に従事したこの事件の、節目節目の捜査会議では、まず、河井主任検事の強気の意見が開陳され、地方からの応援検事を筆頭に、次々と、これに同調する意見が述べられる。

慎重な見解は、東京プロパーの検事から述べられるが、その意見は、しばしば総長によって、無視されてしまった。会議において、トップの者は、原則として、消極意見を述べて、吟味をさせるべし、というのが、検事の社会の常識なのだが。

K参院議員の処分をめぐって、証拠の評価が分かれ、その取り調べにあたった、Y検事自身が涙を流して、起訴はむりだと主張し、私も及ばずながらこれを支持したのだが、圧倒的に大きい強気の意見は、起訴すべしとした。裁判の結果は、無罪。今でも、あの涙は忘れられない》

これを読み通してみると、伊藤は、「捜査観の相違」として、八年先輩の河井批判をしている。Y検

事の涙も、〝強気の意見イコオル河井の意見〟の然らしむるところだ、と怒っている。

読売梁山泊の記者たち p.252-253 検察権の行使が政党内閣の恣意(しい)によって左右

読売梁山泊の記者たち p.252-253 《検察権は行政権に属する。指揮権が発動された、唯一の例が、造船疑獄事件。今度の指揮権発動は、逮捕事実の選び方を間違えた》「河井の強引捜査→総長の優柔不断→逮捕事実の間違い」という、伊藤の痛烈な批判がうかがえる。
読売梁山泊の記者たち p.252-253 《検察権は行政権に属する。指揮権が発動された、唯一の例が、造船疑獄事件。今度の指揮権発動は、逮捕事実の選び方を間違えた》「河井の強引捜査→総長の優柔不断→逮捕事実の間違い」という、伊藤の痛烈な批判がうかがえる。

これを読み通してみると、伊藤は、「捜査観の相違」として、八年先輩の河井批判をしている。Y検

事の涙も、〝強気の意見イコオル河井の意見〟の然らしむるところだ、と怒っている。

その造船疑獄の発端について、伊藤は、こう述べている。(5・9付第四回)

《検察権は、三権のうちの行政権に属する。だから、内閣がその行使について、国会に対して責任を負う。一方、検察権は、司法権と密接な関係にある。検察権の行使が、政党内閣の恣意(しい)によって、左右されることになれば、ひいては、司法権の作用が、ゆがめられることになる。

そこで、検察庁法は、具体的事件の処分に関する、法務大臣の指揮が実現されるか、どうかを、検事総長の判断にかからせたのである。多くの場合は、〝大物〟である検事総長と法務大臣との、話し合いによって解決するのだろうが、極端な場合、検事総長が職を賭して、大臣の指揮に反対する命令を、主任検事に下せば、大臣の意志は、無視されることになる。

法務大臣の検事総長に対する、具体的事件に関する指揮は、「指揮権発動」と、呼ばれる。歴代法務事務次官や、刑事局長の重要な使命の一つは、およそ、指揮権発動というような、事態が起きないように、事前に、十分の調整を行うこと、であるとされている。それにもかかわらず、指揮権が発動された、唯一の例が、造船疑獄事件である。

この指揮権発動は、捜査が次第に核心に迫り、昭和二十九年四月二十一日、検事総長が時の与党自由党の幹事長・衆議院議員佐藤栄作氏を、収賄容疑で逮捕したいと、大臣に請訓したときに、犬養法務大臣によってなされた》

伊藤は、この続きの部分で、ふたたび、河井の〝強気捜査〟を批判する。

《佐藤氏についての逮捕理由は、公表されていないが、日本造船工業会の幹部から、造船助成法案の有利な修正などの請託を受け、その謝礼として、一千百万円を自由党に供与させたという、『第三者収賄』の事実であったと思う。

指揮権発動の後、この事実では、党に対する政治献金みたいなもので、佐藤氏が私腹をこやしたわけでもなく、迫力がない。

他に佐藤氏が、故人の預金口座に入れた口が、いくつかわかっており、中には、これまで名前のあがってこない、海運会社からの分もあったのだから、どうして、そっちで逮捕しようと、しなかったのだろう。

今度の指揮権発動は、逮捕事実の選び方を間違えたことにも、よるものではあるまいかなどと思ったものであった》

この第四回、第五回を読めば、順不同ながらも「河井の強引捜査→総長の優柔不断→逮捕事実の間違い」という、伊藤の、遺書らしい痛烈な批判が、うかがえる。

佐藤総長には、さらにもう一項がある。

《…佐藤総長は、当面、必要最小限の指図をしたら、パッとお辞めになるべきだった、と思っている。

当時の新聞が、最高検検事全員が、総長に「われわれは総長と進退をともにする。どうか、検察全体のことを考えて、隠忍自重していただきたい」と、申し入れたと報じたが、最高検検事ともあろうものが、筋の違ったことをするものだと、苦々しく思ったことであった。…》

読売梁山泊の記者たち p.254-255 GHQ(占領軍総司令部)の内部対立に便乗

読売梁山泊の記者たち p.254-255 「検察は政治に屈服した」という本田が、カン違いしている。いうなれば、検察が暴走した、ということだ。〝権力の快感〟を覚えた、馬場—河井ラインの恣意、検察が政治を支配できるという、錯覚だった。
読売梁山泊の記者たち p.254-255 「検察は政治に屈服した」という本田が、カン違いしている。いうなれば、検察が暴走した、ということだ。〝権力の快感〟を覚えた、馬場—河井ラインの恣意、検察が政治を支配できるという、錯覚だった。

この、伊藤のガセネタ流しが、朝日紙上で活字になった時、本田靖春は、その紙面の末尾に、談話をのせている。

《これ(不当逮捕)を書いた時、私は問題の記事は、おそらく誤報だろう、と思っていたが、T記者のネタ元とみられた、法務省の幹部が、なぜ、ガセネタをもらしたのか、がわからなかった。しかし、今回の秋霜烈日で馬場次官の右腕だったこの幹部を、あぶり出すために、ガセネタ流しが仕組まれたことを初めて知った。仕組んだ人間は、岸本派といえぬまでも、非馬場派の立場ではないか。
検察内部にあった、権力闘争の恐ろしさを改めて、感じさせられた》

本田は司法記者の経験がないので、多分、朝日記者に、この原稿を見せられて(あるいは、話を聞かされて)、動転したのではあるまいか。また、この「秋霜烈日」を、最初から読んでいなかったのであろう。

第四回、第五回の「造船疑獄と指揮権」の項を読んでいれば、「検察内部の権力闘争の恐ろしさ」とは、捉えられないからである。彼は、朝日記者の取材に対して〝売れッ子〟らしく、当たりさわりのない「権力闘争」と答えたのであろう。

ナゼか、といえば、「不当逮捕」のなかで本田は、造船疑獄から、売春汚職に至る間の検察に対して、「検察は政治に屈服し」と、書いているからである。

つまり、「検察は政治に屈服した」という本田が、カン違いしているのであって、検察権は、行政権に属し、内閣が国会に対して、責任を負う、ということである。法務大臣、ひいては総理大臣の責任

のもとに、はじめて検察権の行使がある、ということである。

もし、法務大臣の指揮権に、検察として、検察権の行使に関して不満があるならば、検事総長は、スパッと辞任せよ。そして、次の検事総長もまた、改めて、請訓をして、これまた、指揮権を発動されたら、また辞任せよということだ。

こうして、検事総長の辞任が相次いだならば、もはや、主権者たる国民が、黙っていない、ということになる。

昭電事件から、造船疑獄にいたる六年ほどの間に、検察を代表しているかのような、河井検事の「法律家でない」ところから、いうなれば、検察が暴走した、ということだ。

それは、ひとえに、GHQ(占領軍総司令部)の内部対立に便乗して、〝権力の快感〟を覚えた、馬場—河井ラインの恣意、検察が政治を支配できるという、錯覚だった、ということである。

だからこそ、馬場、河井の影響力が、まったくなくなった時期の、ロッキード事件では田中、小佐野、児玉の三人が、いずれも、逮捕の憂き目を見ている。私は、これを、検察のバランス感覚とみている。

売春汚職では、立松が手に入れてきた、マルスミメモ(政治家の氏名の上に、済の字を丸で囲んだ印がついているメモ)と、立松が河井宅の夜討ちから帰ってきて、印をつけてきた国会議員の名前とが、まったく符号するところから、司法記者クラブ員である、滝沢と寿里が疑問を提起したのだが、「河井検事がネタ元」という一言で、クラブのキャップの私も、デスクも抗することができなかった

のである。

読売梁山泊の記者たち p.256-257 〝河井のリーク〟を確認できるといった程度のもの

読売梁山泊の記者たち p.256-257 「立松事件」で、私もまた被疑者調書を取られた。社の方針が、取材源は黙秘せよであったから、河井の名前は出さなかった。「デマ記事のニュースソースは、保護する必要はない」と主張したが、容れられなかった。
読売梁山泊の記者たち p.256-257 「立松事件」で、私もまた被疑者調書を取られた。社の方針が、取材源は黙秘せよであったから、河井の名前は出さなかった。「デマ記事のニュースソースは、保護する必要はない」と主張したが、容れられなかった。

売春汚職では、立松が手に入れてきた、マルスミメモ(政治家の氏名の上に、済の字を丸で囲んだ印がついているメモ)と、立松が河井宅の夜討ちから帰ってきて、印をつけてきた国会議員の名前とが、まったく符号するところから、司法記者クラブ員である、滝沢と寿里が疑問を提起したのだが、「河井検事がネタ元」という一言で、クラブのキャップの私も、デスクも抗することができなかった

のである。

それにしても、立松が、河井よりも八年後輩の伊藤などの、ペエペエ検事と親しかったとは思えない。つまり、伊藤たちが、立松の戦線復帰を知り、それならば、河井にガセネタを流せば、必ず立松がひっかかる、とまでヨンでいたということも、信じられない。

当時、地検特捜部では、〝怪文書〟扱いをされていた、マルスミメモを、法務省刑事局に報告したことを、伊藤が、ガセネタ流しと称しているのではあるまいか。

それを、河井が恣意で立松にリークし、それを読売がまた、一大スクープ扱いで書き、二人の代議士が告訴し、名前の抜けていた高検の岸本検事長が捜査して、立松を逮捕するという〝筋書き〟を、一体、だれが予測し得たであろうか。

せいぜい、伊藤らが予測し得たことは、河井に流しておけば、どこかの社が動き出すだろうから、〝河井のリーク〟を確認できる、といった程度のものであった、と思う。

決して、〈権力闘争の恐ろしさ〉では、ないのである。

だが、この「立松事件」で、私もまた、被疑者調書を取られた。社の方針が、取材源は黙秘せよであったから、とうとう、河井の名前は出さなかった。しかし、「デマ記事のニュースソースは、保護する必要はない」と、主張したが、容れられなかった。

十月二十四日夕刻に、立松は逮捕状を執行されて、丸の内署の留置場に入った。ところが、読売新

聞は、翌二十五日の朝夕刊とも、この件については、一行も記事を書いていないし、他社も同様である。

というのは、社会部長を古い仲間の景山与志雄にゆずり、編集総務になっていた原四郎が、この「現職記者の名誉毀損逮捕」という未曾有の事件を、どう扱うべきかについて、時間を稼いでいたのであった。

前にも述べたが、本田靖春は読売記者時代に、司法クラブの経験がない。だから、一知半解の部分があるのである。宇都宮代議士は私に対して、「弁護士一任だった」と、のちに語ったのだから、弁護士は、地検の「検事某」を告訴するのに、検事正、検事長、検事総長の三人をも含めたら、一体、誰が、何処が捜査するのか、という着意をもつのが、当然だろう。

従って、監督責任の追及は、直接の検事正、最高の総長に絞るのが、妥当というものである。そしてまた、岸本検事長の指揮のもとで立松の逮捕にいたったのも、決して、本田のいうように、故意でも偶然でもない。

その年の初夏、司法クラブのキャップを命ぜられて、前任者の萩原記者と二人で、挨拶まわりをしていた時の、強烈な印象を、私はまだ忘れられない。

いまは、東京第一弁護士会所属弁護士だが、検事総長秘書官だったS検事が、私の手を固く握って、熱っぽく訴えたのである。

「お願いです。検察がダメになってしまうのです。これだけは、どうしても阻止しなければなりませ

ん。それには、記者のみなさんのご協力が必要なのです。ゼヒ、ゼヒとも、お願いいたします」

読売梁山泊の記者たち p.258-259 当時の「検察の派閥対立」

読売梁山泊の記者たち p.258-259 天野特捜部長、川口主任検事、軽部、野中、岡原と、主な検事たちは、ほとんどが岸本派。読売の立松のネタモトは河井検事ということは公知の事実。そして河井は、馬場派のコロシ屋、〝ヒットマン〟であった。
読売梁山泊の記者たち p.258-259 天野特捜部長、川口主任検事、軽部、野中、岡原と、主な検事たちは、ほとんどが岸本派。読売の立松のネタモトは河井検事ということは公知の事実。そして河井は、馬場派のコロシ屋、〝ヒットマン〟であった。

いまは、東京第一弁護士会所属弁護士だが、検事総長秘書官だったS検事が、私の手を固く握って、熱っぽく訴えたのである。
「お願いです。検察がダメになってしまうのです。これだけは、どうしても阻止しなければなりませ

ん。それには、記者のみなさんのご協力が必要なのです。ゼヒ、ゼヒとも、お願いいたします」

長身で美男のせいか、若く見えるその検事は、新任の読売キャップの手を握って、しばらくは離そうともしなかった。

私には、彼のアピールの趣旨が、よくのみこめず、困惑していた。廊下に出ると、萩原は、ニヤニヤしながらいった。

「オレにもそういってたから、お前にも、伝わっていると思ったんだろ。岸本サ…」

岸本検事長が、検事総長たらんとしていることを、〝阻止に協力〟せよ、ということであった——この一事をもってしても、当時の「検察の派閥対立」の、感情的な一面を、垣間見ることができよう。

「あれは立松君だろう」と、滝沢の顔を見るなり、こうぶっつけてきた天野特捜部長。そして、川口主任検事、軽部、野中、岡原と、当時の東京高検の主な検事たちは、ほとんどが岸本検事長の〝親分肌〟の人柄に魅せられて、いうなれば岸本派と呼ばれる人たちであった。そして、昭電事件以来、読売の立松のネタモトは河井検事だということは、もはや公知の事実だったのである。

そして、河井は、馬場派のコロシ屋、いまようにいえば、〝ヒットマン〟であった。

井本台吉総長、福田赳夫幹事長、池田正之輔代議士の三者が、新橋の「花蝶」で会談した、いわゆる「総長会食事件」(昭和四十三年)で、私が、「東京地検、検事某」を、国家公務員法百条違反で告発した時も、東京高検に告発状を出したのである。

この時のネタモトは、井本総長の失脚を狙った、河井検事であったと、判断されたが、告発状では、「検事某」とした。だから、宇都宮、福田両代議士の「検事某」も、東京高検が捜査を担当するのは、当然である。

天野特捜部長が、滝沢に一パツかませて、立松—河井ラインは、すでに明らかであったから、岸本派の天野が、のちに、二人揃って最高裁入りをした、岡原次席に連絡したぐらいは、容易に考えられよう。

川口は出張先から呼び戻されて、主任検事になる。まずは、キャップである私が、川口に被疑者調書を取られた。

「川口さん。この告訴されている『検事某』ですがね。この検事、ニュースソースとして実在し、立松に情報を出した、と仮定しますよネ。もし、私が、その検事の名前を知っていて、私の調書に、その名前が記載されたとしますと、高検は、どうするんですか?」

「もちろん、その検事を取り調べます」

「パクるんですか」

「供述如何で、任意でやるか、パクるかは、状況次第、ですよ」

「その検事が、相当な地位にあるとしたら」

「犯罪の容疑の有無であって、地位や身分は関係ないですよ」

「フーン…」

読売梁山泊の記者たち p.260-261 「立松君のネタモト知っているんでしょう」

読売梁山泊の記者たち p.260-261 河井検事だと供述したあとに、どんな〝事件の展開〟があることかと考えると、話したい〝誘惑〟にかられた。河井は高検に調べられ、辞職を迫られる。馬場義続も、辞任に追いこまれる。〈歴史〉が私の一言で変わる
読売梁山泊の記者たち p.260-261 河井検事だと供述したあとに、どんな〝事件の展開〟があることかと考えると、話したい〝誘惑〟にかられた。河井は高検に調べられ、辞職を迫られる。馬場義続も、辞任に追いこまれる。〈歴史〉が私の一言で変わる

川口は出張先から呼び戻されて、主任検事になる。まずは、キャップである私が、川口に被疑者調書を取られた。
「川口さん。この告訴されている『検事某』ですがね。この検事、ニュースソースとして実在し、立松に情報を出した、と仮定しますよネ。もし、私が、その検事の名前を知っていて、私の調書に、その名前が記載されたとしますと、高検は、どうするんですか?」
「もちろん、その検事を取り調べます」
「パクるんですか」
「供述如何で、任意でやるか、パクるかは、状況次第、ですよ」
「その検事が、相当な地位にあるとしたら」
「犯罪の容疑の有無であって、地位や身分は関係ないですよ」
「フーン…」

「立松君のネタモト、知っているんでしょう」

「知ってますよ。でも、ニュースソースは秘匿せよという社命だから、いえません」

「話してくれないと、困るんだよなあ…」

そんなヤリトリのあと、私が質問したのは前述したように、高検が、その検事の名前をつかんだあとの、対応であった。「犯罪容疑の有無であって、地位や身分は関係なし」という、川口の表情は、私の眼を直視して、毅然としていた。

私は、「フーン」といいながら、河井検事だと供述したあとに、どんなにか、ドラマティックな〝事件の展開〟があることかと、考えると、話したい〝誘惑〟にかられた。

土井たか子発言ではないが、それこそ〝山が動く〟のである。河井検事は高検に調べられ、辞職を迫られるであろう。当時の馬場義続・法務事務次官も、辞任に追いこまれるかも知れない。岸本は総長になり、〈歴史〉が私の一言で変わるのである——この〝誘惑〟は、まさに、私の人生をも、一変させるようなものであった。

「その検事が、馬場派の検事だったら、川口さんにパクられて、もう、総崩れだネ。高検のメンバーが、このまま、最高検だ。ハハハおもしろいねぇ」

私は、川口の追求を、こんな与太を飛ばして、辛くも、振り切った。

やはり、竹内四郎、原四郎と、二人の対照的な性格の社会部長に、教えられ、育てられた、〈新聞記者・魂〉が、しっかりと根付いていたのだった。

世論形成のため、時間稼ぎをしていた原四郎が、各社と連帯して、高検の不当逮捕を非難する、ゴウゴウたるキャンペーンを捲き起こし、立松は、拘留がつかずに、二十七日午後、釈放された。

事件の後始末、スター記者時代の終わり

それ以後、舞台は、国会の法務委員会に移った。と同時に、読売にとっては、ニュースソースは検察筋と答えた小島編集局長の、法務委への証人喚問という、新しい展開を見せてきた。

国会の証人喚問となれば、証言拒否ができなくなる。被疑者には黙秘権があるが、証人には、黙秘権はない。しかも、そんなヤリトリに慣れていない、小島編集局長が喚問されたら、どんなことになるか。

実際のところ、マルスミメモによって、九名もの代議士に、〝容疑あり〟の記事を書いたのだから、これらの議員が、入れ換えで法務委員に登録してくると、局長の喚問が実現する可能性は、十分にある。

その報告をした時の、小島局長の周章狼狽ぶりは、見ていて、情ない思いであった。これが、読売新聞の編集局長か、と、呆れざるを得ない、ほどであった。

——そこに、正力松太郎代議士が登場する。

原四郎の〝努力〟で、立松記者は釈放された。と同時に、読売新聞あげての、高検・岸本検事長叩きが開始されたのだった。