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雑誌『キング』p.24中段 シベリア抑留実記 ソ連国民生活の実情

雑誌『キング』昭和23年2月号 p.24 中段
雑誌『キング』昭和23年2月号 p.24 中段

えミシンを買い、高い程度の生活をしているのに、片方では「教育の権利」すら放棄して食うことに追われている。だから子供達は学校へ行かず、二十二、三歳の学校出が技師と呼ばれて別世界の人間のように尊敬されている。第一炭坑と呼ばれるこの町の大炭坑で大きな食堂とその門前のバザールとが坑夫逹の最大の設備だ。児童劇場とか図書館とか休息の家といった文化福利施設は探し得なかった。

ソ連の言葉に「八時間労働、八時間睡眠、八時間オーチェレジ(買物行列)」という言葉があるが、この、オーチェレジはイバーチ(性の遊戯)と訂正されねばならない。食物を得るために酷使された肉体は動物的な本能を露呈するだけである。わずかに与えられた歌と踊りの慰安は、これに拍車をかけて性道徳の倫乱は徹底している。

住民たちは何も知らないでただ生きている。たのしい生活を、人間らしい生活を希求するまでに彼等の知識は開かれていない。こうして愚昧な労農大衆はレーニンの像を立てスターリンの絵を飾りH・K・V・D(秘密警察)の冷たい銃口を背に五カ年計画へ追いまくられている。スターリン・プリカザール(スターリンの命令だ)の一言で一切が解決されるところの「言論の自由」を与えられ、戦後三年にいたるも民需

事件記者と犯罪の間 p.160-161 〝魔のシトウリナヤ炭坑〟の奴れい労働

事件記者と犯罪の間 p.160-161 塚原さんは大隊長としての責任罰で、土牢にブチ込まれた。寒暖計温度零下五十二度という土地で、一日に黒パン一枚、水一ぱいしか与えられない土牢である。
事件記者と犯罪の間 p.160-161 塚原さんは大隊長としての責任罰で、土牢にブチ込まれた。寒暖計温度零下五十二度という土地で、一日に黒パン一枚、水一ぱいしか与えられない土牢である。

今度こそ最後だと思った。ソ軍戦車へは一兵が一台、五発の手榴弾を抱いて飛びこむだけの戦法だからだ。
その前夜、読売新京支局を通じて、一言別れの言葉を本社へ托そうとしたが、敗戦前夜、支局

は電話のコーリングが、空しく鳴るだけだ。タコツボの中にジッと身を沈めて、ソ軍戦車のキャタピラの響きをききとろうとするのだが、耳を打つものは、赤い社旗のハタめきばかりである。社旗と思ったのは、暗夜に小隊長の位置を示す「祝出征、正力松太郎」の墨痕も鮮やかな日章旗だったのだ。

人情は紙風船か

こうした新聞記者への最後の別れも、正午の玉音放送によって、再びつながれた。心は早や東京へと飛んで、「再びペンを握れる」という期待に燃え上っていたのだ。

部隊は武装解除されて、シベリアへと送られた。だが、私は「読売新聞シベリア特派員」だったのである。新京の日本人家屋から拾ってきた日用日露会話本で、輸送間の警戒兵にロシア語を習った。沿線の風景をはじめ、見聞するすべてを頭の中にメモした。ロシア語はたちまち上達して、取材は八方へとひろげられた。

作業に出ると、警戒兵をダマクラかして、一緒に炭坑長や現場監督や坑夫たちの家庭へ遊びに行った。身は捕虜であろうとも、腹に巻いた日の丸と社旗とは、私を記者として元気づけてくれた。あの地獄のような生活の中で、私だけは口笛でも吹きたいような明るさを忘れなかった。

軍隊と捕虜の生活の中から、人を信ずるという信念が生れてきた。今度の事件で、全く何の関係もないのに、事件の渦中に捲きこんでしまった人、塚原勝太郎氏はこの地獄の中で私の大隊長

だった人である。私は彼を信じ、彼もまた私を信じて、普通ならば叛乱でも起きそうな、〝魔のシトウリナヤ炭坑〟の奴れい労働を乗り切ったのである。

細い坑木をつぶしてしまう落盤、たちこめる悪ガス、泥ねいの坑床、肩で押し出す一トン積の炭車、ボタの多い炭層——こんな悪条件の中で、「スターリン・ブリカザール」(スターリンの命令だ)と、新五カ年計画による過重なノルマを強制される。もちろん、栄養失調の日本人に、そのノルマが遂行できる訳はなかった。そのたびごとに、塚原さんは大隊長としての責任罰で、土牢にブチ込まれた。寒暖計温度零下五十二度という土地で、一日に黒パン一枚、水一ぱいしか与えられない土牢である。こんな環境から生れた、人間の相互信頼の気持である。

七月十一日の夜、すでに床についていた塚原さんを叩き起した私は、「ある事件の関係者だが、四、五日あずかって頂けないだろうか」と頼んだ。塚原さんは何もいわず、何もきかずに、ただ一言「ウム」と引受けてくれたのである。これが小笠原を旭川に紹介してやるキッカケだった。そしてまたこの一言が、塚原さんが築地署の留置場へ二十三日もブチ込まれる「ウム」だった。

私が、二十一日の月曜日に、警視庁の新井刑事部長と平瀬捜査二課長とに、事情を説明したことがある。もちろん逮捕の前日だ。この時、新井刑事部長は笑った。

「キミ、そんなバカな。この忙しい世の中に、軍隊友達というだけで、そんなことを引受けるものがいるかネ。ヤクザじゃあるまいし」

新井さんには私は面識がなかった。しかし、彼の部下で新井さんを尊敬している警察官が、私 と親しかったので、噂はよく聞いて知っていた。