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雑誌『キング』p.115中段 幻兵団の全貌 ピストルを突きつけ

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 中段

きとって、私の眼の前に突き出してから黙って机の上に置いた。そして続けた。

『何でもいうことをきくといったではないか』

『……』

私はもう承諾するより仕方ないことを知ってペンをとった。私の聞いた話では、ピストルを突きつけられて書いたという者もいるらしい。そして『ソ連邦のためにはどんなことでもする。このことは誰にも話さない。約束を破ったらどんな処罰でも受ける』といったようなことを、通訳の口述通りに、日本字で書いた。最後の行に、

『偽名ヲ阿部正ト使ウコト』

と、書き加えた。誓約書を納めると、『某中佐はロシア語を知ってるから特務機関だろう』とか『某中佐は軍国主義者に間違いないが、どんなことを話しているか』などと、しつっこくたずねたあげく、

『元憲兵の氏名を報告しろ』

と、命令された。

彼らはこうして誓約書をとってスパイにしたものを、決して民主主義者だと思っているわけでもないし、まして共産主義者だなどとは考えていない。ただ使えるだけ使って、あとは破れ草履のように捨ててしまうのである。

私は、元憲兵として有名な人を四、五名報告

雑誌『キング』p.114上段 幻兵団の全貌 第一の課題!

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 上段

凝視した、その瞬間——

『ペールウイ・ザダーニエ!(第一の課題)

一カ月の期限をもって、収容所内の反ソ反動分子の名簿を作れ!』

ペールウイ(第一の)というロシア語が耳朶に残って、ガーンと鳴っていた。私はガックリとうなずいた。

『ダー』(ハイ)

はじめてニヤリとした少佐が立ち上がって手をさしのべた。生温かい柔らかな手だった。私も立った。少尉がいった。

『三月八日の夜、また逢いましょう。たずねられたら、シュピツコフ少尉を忘れぬよう』

ペールウイ・ザダーニエ! これがテストに違いなかった。民主グループがパンをバラまいて集めている反動分子の情報は、当然ペトロフのもとに報告されている。それと私の報告とを比較して、私の〝忠誠さ〟をテストするに違いない。そして『忠誠なり』の判決を得れば、ブタロイ・ザダーニエ(第二の課題)が与えられるだろう。続いてサートイ、チェビョルテ、ピャートイ…(第三の、第四の、第五の…)と、終身私には暗い〝かげ〟がつきまとうのだ。

——私は、もはや永遠に、私の肉体のある限り、その肩をガッシとつかんでいる赤い手のことを

雑誌『キング』p.112下段 幻兵団の全貌 ハイ以外の答はない

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.112 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.112 下段

切って、ゆっくり発音すると、非常に厳粛感のこもるロシア語で、ふだんならば国名もエス・エス・エルと略称でいうはずなのに、いまはサユーズ・ソヴエスキイ・ソシァリチィチェスキイ・レピュブリイクと正式に呼んだ、その言葉の意味することを、本能的に感じとった私は、上ずったかすれ声で答えた。

『ハ、ハイ』

『本当ですか』

『ハイ』

『約束できますか』

タッ、タッと息もつかせずたたみ込んでくるのだ。もはや『ハイ』以外の答はない。

『ハイ』

私は興奮のあまり、続けざまに三回ばかりも首を振って答えた。

『誓えますか』

『ハイ』

しつようにおしかぶさってきて、少しの隙もあたえずに、少佐は一枚の白紙をとりだした。

『宜しい。ではこれから、私のいう通りのことを紙に書きなさい』

——とうとう来るところまで来たんだ!

私は渡されたペンを持って、促すように少佐の顔をみながら、刻むような日本語でたずねた。

『日本語ですか、ロシア語ですか?』