働かざるものは食うべからず」タグアーカイブ

雑誌『キング』p.24上段 シベリア抑留実記 ソ連国民生活の実情

雑誌『キング』昭和23年2月号 p.24 上段
雑誌『キング』昭和23年2月号 p.24 上段

驚きの連続だった。停車ごとに何かを手に入れようとする人達が、男も女も年寄りも子供も押しひしめいた。こうして軍の被服は街にはんらんした。どんな布でも、署名に汚れた日の丸の旗さえ夢中になって求めた。一体今まで何を着ていたのだろうと考えるほど、被服類は払底していた。

「働かざるものは食うべからず」は「食うためには働かざるべからず」であった。労働の種類に応じ配給されるパンは、学童妊婦などの特殊なものを除いて、働かないものには全くなかったから、女も子供も働きに出てパンを稼ぐ。一家中で獲得したパンを浮かしてバザールで売り、生活を立ててゆくのだ。食うためには働きに出なければならない。ここから彼等の勤労観は出発する。働く歓びはおろか、ただ食うために働くのだから、固定作業のものは八時間の経過を待ちこがれ、歩合作業のものは労力を最少限に惜しむ。憲法によって享有されている「労働の権利」は「労働の義務」となって重たくのしかかっていた。

富める者は、妻は家庭に、子供は学校へやり、必要量のパンをバザールで買う。そのパンこそ貧しいものが一家総出で得たパンを割愛して売るパンである。「人間による人間の搾取のない国」で、一方は肥え太って美服をまとい、ラジオを備

雑誌『キング』p.23中段 シベリア抑留実記 労働の程度

雑誌『キング』昭和23年2月号 p.23 中段
雑誌『キング』昭和23年2月号 p.23 中段

が、衣食住の悪条件とあいまって一番苦しいらしい。

「働かざるものは食うべからず」の鉄則は私達にも厳しく適用された。すべてのことにノルマ(標準)があって、一つ一つのどんな細かい仕事にもその作業標準がある。たとえばこの切羽からは一人一日(八時間)八トンの石炭とか、枕木を五十メートル以内運搬するのは何本とかときまっている。そしてそのノルマを遂行しなければ残業である。あるいは指揮官にその責任を問うて処罰する。処罰は営倉があり、食事を制限して苦役に使用された。さらに重いのに拘禁所があり、十二時間の重労働が課せられた。

患者は作業に出なくてよいのだが、神経痛とか形にあらわれない病気の者などは、ソ連軍医が患者として扱ってくれないし、また作業場で腹痛とか急病人が出てもソ連人の監督がいてオチオチ休ませてやれない。だから無理をする。そのためにすっかり体をこわしたり、負

迎えにきたジープ p.098-099 捕虜たちは働いていなかった

迎えにきたジープ p.098-099 At the POW camp...A corpse piled up like mountain. A frozen corpse. Tangling hands and feet, bumping noses and ears. Swipe up the fingers and ears scattered on the ground and put them in the sled.
迎えにきたジープ p.098-099 At the POW camp…A corpse piled up like mountain. A frozen corpse. Tangling hands and feet, bumping noses and ears. Swipe up the fingers and ears scattered on the ground and put them in the sled.

捕虜たちがスターリンの五カ年計画による採炭定量(ノルマ)を遂行するため、この炭坑で働らかされることは当然であったが、収容所は堅く門を閉ぢ、鉄条網の外周には絶えず動哨(コンボイ)が警戒し、望楼には全身を毛皮外套(シューバー)に包んだ歩哨(チサボイ)が佇立していて、何人も近寄れなかった。

捕虜たちは全く働らいていなかった。〝働らかざるものは食うべからず〟という、社会主義の原則は〝人類の平和と幸福のシンボル〟という赤旗をかざす、ソ連当局の寬大さによって、捕虜たちに適用されなかったのであろうか。はたまた、すでに零下五十二度という酷寒を寒暖計に記録し、さらに風速一米で一度下る体感温度が、捕虜たちに苛酷であるという思いやりのためなのだろうか。

ア、兵舍から人影が現れた。一人、二人……かたつむりのような緩慢さで、二十名の一隊が収容所の外へ出て付近の丘に登っていった。長い時間をかけて、のめるような歩みを続けたのち彼らは目的地に着いたらしい。

彼らはそこに崩れ坐った。警戒兵の抱えた自動小銃と、射ち殺さんばかりの怒声とで、彼らは携えてきた鉄棒を力なく堅い堅い氷と凍土に打ち突けはじめた。……墓穴を掘ろうというのである。

数日ののちに、また数名の一隊が現れた。この連中は大きなソリを引いていた。床板もない

掘立小屋の戸が開かれる。地べたに山とつまれた屍体は時々整理しなければならない。命令で肌着も下帯も剥ぎとられて、むきだしのまま、洗濯板のように突張った胸、えぐったように陥没した腹。おがらのような手足が、臨終の苦悩をそのまま虚空に描いて、カンカンに凍った屍体。

銃剣にせかされて下の方の奴を引張ると、ガラガラと音をたてて薪束のように崩れおちてくる。もつれあう手と足、ぶつかりあう鼻と耳。無表情に手当り次第にソリに積みあげる。その後で液体空気で凍らせた金魚を叩きつけたように、地面に散乱している指や耳のかけらをはき集めて、ソリの中にあけてやるのだ。

このように、僅かな人々が時たま出入りするほかは、四千名もいるというのに、収容所全体が死んだように静まり返っている。

だが、一歩兵舍の中に足を踏み入れてみよう。採光も換気も、暖房すら充分でない兵隊屋敷だ。捕虜たちは起ち上る空間すらなく、お蚕棚のように二段になって、身を横たえたままビッシリと詰めこまれていた。

中廊下に置かれた味噌の空樽からは、濁った小便と赤い下痢便があふれて流れ出し、建物中の不潔臭が、発熱患者の体臭にむされて、堪え難い悪臭となって立ちこめている。

迎えにきたジープ p.192-193 秘密警察セクリートの恐怖

迎えにきたジープ p.192-193 NKVD's secret action team, called "Secrete", is infiltrating every workplace and every level. No one knows the fear of Secret NK as much as the Soviet people.
迎えにきたジープ p.192-193 NKVD’s secret action team, called “Secrete”, is infiltrating every workplace and every level. No one knows the fear of Secret NK as much as the Soviet people.

NKVD(内務人民委員部)は呼称の改正に伴って、昨年の二月頃からMVD(内務省)になったのだから、私たちの調書は逮捕から、半年後にはモスクワに着いたわけだ。ところで、いまここで訊

問している連中は、MGB(エムゲーベー)(国家保安省)の「戦犯査問委員会」に属している。これは恐らく旧NKVDのうちの、ゲー・ペー・ウーだけがMGBに移って、俘虜や戦犯の管理はMVDで、訊問や摘発はMGBでやるようになったのだろう。

同室の誰かがいったように、MVDもMGBもソ連国家の必要悪というよりも、ソ連国民の業である。なにしろこれらの秘密警察は、四世紀ほど昔のイワン雷帝の代にはじまって、帝政末期にはアフランカとして、泣く子も黙らせる力を示し、革命後はまずチェカー、ついでゲー・ペー・ウと名前はかわったものの、帝政以上の猛威を逞しくしたのだから。

もちろん、私がいままでエヌ・カー・ヴェー・デーと書いてきたものは、エム・ヴェー・デーのことである。

ソ連は軍人の国である。真横にピンと張った大きな肩章、襟や袖やズボンの縫目にまでも兵科別の細い色筋がついた派手な軍服、大きな正帽と長靴——民間人がボロ服をまとい、日用品に事欠きながら「働らかざるものは食うべからず」の鉄則に追いまくられて、パン稼ぎに狂奔するとき、軍人の妻は働らかざるものなのにパンの配給をうけ、美しい家庭着に白い手足をつつんでいる。もちろん軍人といっても将校だけのことである。

その将校の中でも巾の利くのがエヌ・カーである。エヌ・カー・ベー・デーというのは内務

人民委員部の略称で、前々称のチェ・カー、前称のゲー・ペー・ウーと同じである。国家保安労農警察、国境並に国内警備、消防、強制労働管理、戸籍、経理の七局に分れて、赤軍と同じような服装をした正規軍を、コバルト・ブルーの鮮やかな正帽の短かいつばの下に、鋭い眼をひそませた精悍な顔付の将校が指揮している。

彼らの青帽子は、赤軍将校のカーキ帽子とハッキリ区別されているが、セクリートと呼ぶ私服の秘密行動隊が、あらゆる職場やすべての階層に潜入している。〝壁に耳あり〟の諺と、その耳の恐さをソ連人ほどよく知っているものはあるまい。

彼らは自分の周囲の誰が、セクリートであるか分らないという恐怖に、いつもつきまとわれている。ただ、職場の友人が突然行方不明となったり、昨日の上役が今日は一労働者に転落したりする事実を、その理由をうなずけないままで既成事実として認識している。

『パチェムー?』(何故?)と問うことは許されない。ましてや姿を消した人の消息を追及するなどは常識の埒外である。

内務省は軍隊と警察に分れる。軍隊はさらに、国境警備隊と国内警備隊に分れている。この国境警備隊の司令部第四課が、通称NHO(イノオ)と呼ばれ対外諜報を担当しているのだ。作戦上の責任分担は、国境線から敵領十キロまでは国境警備隊で、それ以遠は赤軍の管轄である。