天下のド肝を抜いた」タグアーカイブ

迎えにきたジープ p.170-171 「鹿地亘氏失踪事件の真相」

迎えにきたジープ p.170-171 On November 25, 1951, around 7 pm Wataru Kaji went out in light clothing. But he never came back. One month later, a letter written by Kaji arrived.
迎えにきたジープ p.170-171 On November 25, 1951, around 7 pm Wataru Kaji went out in light clothing. But he never came back. One month later, a letter written by Kaji arrived.

真相を知っているのは、米ソ両国だけである。幻兵団というナゾの話題は、どうして恐しい話題になったのだろうか。ここで再び序章にのべた〝国際スパイ戦の道具にされた日本人〟

佐々木大尉とキスレンコ中佐との間の、奇しき因縁の物語を想い起してみよう。

義父谷元中将の助命嘆願のため、ソ連人にコネをつけられた佐々木元大佐が、ついにシベリヤ帰りのスパイ三橋正雄氏のレポになる。表面平和な毎日が続いていたが、ある夜、佐々木氏は数人の外国人ギャングに襲われ、怪自動車で拉致されてしまう。顔面を醜くはらして翌朝帰宅した佐々木氏は、うつうつとしてたのしまず、ついに自殺してしまった。

この謎を解く事件が、ゆくりなくも二十六年十一月の二十五日、湘南は鵠沼海岸で再現され、一年後の二十七年十二月八日、「鹿地亘氏失踪事件の真相」として明るみに出て、天下のド肝を抜いたのであった。

その日(二十六年十一月二十五日)の午後七時頃、国立清瀬病院から退院後の体を、鵠沼の石田鈴雄氏方に転地療養していた鹿地亘氏は、セーターにズボンにハンチング、スプリングを抱えた軽いいでたちで、いつものようにぶらりと玄関を出て行った。付添看護婦の山崎君子さんは、『また御散歩かしら』とさして気にも止めなかった。が、鹿地氏は、それっきり帰って来なかったのである。

何の消息もないままに、一ヶ月が流れた十二月末のある日、石田方のポストに夫人宛の鹿地氏自筆の書簡が投げ込まれていた。

突然行方不明になって、あなた方に大変御心配をかけ、申訳ありませんでした。実は先月二十五日の夕食後の散歩の途中、自動車にはねられ、その車の持主の所に運んでいかれて、治療を受けていたのです。

事故を起して判ったことは、この人物が重慶で顔見知りの中国人だったことでした。彼は密入国して日本に来たのだそうで、そんな事情のため、目下私の住所もこの人の名前もお知らせすることができません。

私の負傷は然し大したことはありません。足をくじいたのはどうやら癒りました。ただここに来た夜、暗がりで水を飲もうとしてクレゾールを飲み、口腔とのどを焼き、全くへまをやってその手当を受けています。

幸い安静にしていたので、病状は次第に落ち着く模様です。まもなく動けるようになりますから、そしたら帰ります。何事も心配しないで待って下さい。君子さん(看護婦)にもそういって慰めて下さい。

歳末あわただしさの中で、あなた方も子供たちも、交通事故など起さないように注意して下さい。よいお正月を迎えて下さい。

十二月二十七日

鹿 地  亘

池 田 幸 子 様