■□■差別用語とは■□■番外編その2■□■ 平成11年(1999)5月11日
私はその精神と行動のすべてにおいて「差別」は全くない。従って「差別語」なるものも、認めないのである。だが、日本国内はおろか、全世界の人々の間に、「差別」があることは事実である。その差別は、民族や宗教、国籍、職業、出自、貧富等、いろいろな原因から来ているが、人権思想が普及してきて、次第に少数派になりつつある。
パソコンに馴染み、インターネットにアクセスするのは、圧倒的に若い人が多い。あえて分類すれば、50歳以下ということだろう。つまり「差別」なるものを、それほど意識しない層ということになる。
私が「チョン」を「バカ」のあとに、あえて付け加えたのは、この若い人たちが「差別語」にどう反応するか、の問題提起だったのである。「これは差別語だから不適当」という人がいれば、その人は「差別」を意識している人だ、と私は思う。差別だ、差別だと思いこんでいる限り、差別はなくならない。若い世代の人たちが、「差別」という言葉を意識しなくなり、忘れてしまう時代は、もうすぐそこまで来ているのである。
60代、70代の頑迷固陋な“差別主義者”たちは、近いうちに居なくなってしまうのだ。例えば、国際結婚がどんどん増えている。農村地帯では、農家の嫁にくる日本女性が少ないから、中国、韓国、フィリピン、タイなどの嫁さんがふえている。こうして、差別や偏見は、やがて消えうせる運命にある。
「チョン」が、朝鮮半島出身者を軽蔑する呼称だ、とは私は思わない。戦前には、半島や台湾出身者も、日本国籍人だったから、軽蔑する必要性はなかったハズである。中国人とは、戦争をしていたから、米国人がジャップと私たちを軽蔑したのと同じように、中国人に対する軽蔑の呼称があった。しかし、もし戦前(戦中)に、チョンという蔑称があったとすれば、当然、私も知っているハズだ。なかったという実例として、「朝鮮ピー」という言葉をあげよう。「ピー」とは中国語で、女性器もしくは売春婦を意味する。そんな女性のいる店を「ピー屋」といった。ところが、いま戦友会などで話題になることがあっても、誰もが、「朝鮮ピー」という。チョンピーというものはいない。
こうしてみると、「チョン」が出てきたのは戦後のことである。韓国ソウル特派員を長く勤めた大新聞の記者に聞いてみた。「チョンというのは、半島出身者に対する蔑称だと思いますか」と。外語大でも韓国語を専修した彼は、「そうは思わない」と否定した。
多分、私はこう思うと前置きして、彼は話し出した。チマチョゴリを着ている女子朝鮮高校生に対して、日本の若者たちのイヤガラセ事件が頻発していたころ、彼らは朝鮮高校生たちを「朝高(ちょうこう)」と呼んでいた。それがナマって「朝公(チョンコウ)」になったのではないかと。朝鮮は韓国語でチョソンであってチョンではない。
ところが、チョンガーという言葉がある。独身男子の俗称で、朝鮮漢字音では「総角」と書く。単身赴任者が、札幌に多かったので、「札幌の独身男子」ということから、「札チョン」という言葉が週刊誌などで流行した。昭和40年代のことだろうか。と同時に、同じような言葉が流行り出した。「バカチョン・カメラ」である。
「押せば写ります」という謳い文句で、自動焦点のこのカメラは、各社がそれぞれ販売に力を注いだ。平成4年5月合併号の正論新聞は、「《バカチョン》を追っかけてみた…」という記事を掲載している。その時の各社の“模範回答”をご紹介しよう。
●フジカラーお客様相談室「当社ではコンパクトカメラと呼んでいます。そのような言葉は使ってはならないと思います」
●ペンタックス消費者相談室「俗語として消費者側が使っている言葉。以前のカメラは広角レンズのため小さく写るが、シャッターを押すだけだった。いまはズームレンズのため、ただ押すだけではダメで、バカチョンという言葉は当てはまらない。チョンの意味については、ピンからキリまでと同じように、すぐには分からないが、良い言葉ではないと思う。(本紙注=ピンは花札の1月で、キリは12月の桐のこと)
●コニカお客様相談室「そのような言葉は使っていません。お客様に失礼な言葉だと思います」
それでは、バカチョン・カメラとは、誰が名付けたものか。各社とも、朝鮮語のチョンガー(独身男の蔑称、略してチョン)から、これは朝鮮民族に対する蔑称、すなわち差別語として、警戒している様子であった。(以上正論新聞より引用)
いずれにせよ、社会的には、「札チョン」と「バカチョン」とが、ほぼ同時期に流行語となり、札幌チョンガーが、朝鮮語を略した「チョン」だったから、バカチョンのチョンも“同一犯”とされたのであろう。だが私は、バカもチョンも、仏教関係語だと信ずる。次回はそれについて述べよう。(つづく) 平成11年(1999)5月11日