札チョン」タグアーカイブ

編集長ひとり語り 番外編その2 差別用語とは(つづき)

編集長ひとり語り 番外編その2 差別用語とは 平成11年(1999)5月11日 画像は三田和夫71歳(蘇州・寒山寺 1992.08.04)
編集長ひとり語り 番外編その2 差別用語とは 平成11年(1999)5月11日 画像は三田和夫71歳(蘇州・寒山寺 1992.08.04)

■□■差別用語とは■□■番外編その2■□■ 平成11年(1999)5月11日

私はその精神と行動のすべてにおいて「差別」は全くない。従って「差別語」なるものも、認めないのである。だが、日本国内はおろか、全世界の人々の間に、「差別」があることは事実である。その差別は、民族や宗教、国籍、職業、出自、貧富等、いろいろな原因から来ているが、人権思想が普及してきて、次第に少数派になりつつある。

パソコンに馴染み、インターネットにアクセスするのは、圧倒的に若い人が多い。あえて分類すれば、50歳以下ということだろう。つまり「差別」なるものを、それほど意識しない層ということになる。

私が「チョン」を「バカ」のあとに、あえて付け加えたのは、この若い人たちが「差別語」にどう反応するか、の問題提起だったのである。「これは差別語だから不適当」という人がいれば、その人は「差別」を意識している人だ、と私は思う。差別だ、差別だと思いこんでいる限り、差別はなくならない。若い世代の人たちが、「差別」という言葉を意識しなくなり、忘れてしまう時代は、もうすぐそこまで来ているのである。

60代、70代の頑迷固陋な“差別主義者”たちは、近いうちに居なくなってしまうのだ。例えば、国際結婚がどんどん増えている。農村地帯では、農家の嫁にくる日本女性が少ないから、中国、韓国、フィリピン、タイなどの嫁さんがふえている。こうして、差別や偏見は、やがて消えうせる運命にある。

「チョン」が、朝鮮半島出身者を軽蔑する呼称だ、とは私は思わない。戦前には、半島や台湾出身者も、日本国籍人だったから、軽蔑する必要性はなかったハズである。中国人とは、戦争をしていたから、米国人がジャップと私たちを軽蔑したのと同じように、中国人に対する軽蔑の呼称があった。しかし、もし戦前(戦中)に、チョンという蔑称があったとすれば、当然、私も知っているハズだ。なかったという実例として、「朝鮮ピー」という言葉をあげよう。「ピー」とは中国語で、女性器もしくは売春婦を意味する。そんな女性のいる店を「ピー屋」といった。ところが、いま戦友会などで話題になることがあっても、誰もが、「朝鮮ピー」という。チョンピーというものはいない。

こうしてみると、「チョン」が出てきたのは戦後のことである。韓国ソウル特派員を長く勤めた大新聞の記者に聞いてみた。「チョンというのは、半島出身者に対する蔑称だと思いますか」と。外語大でも韓国語を専修した彼は、「そうは思わない」と否定した。

多分、私はこう思うと前置きして、彼は話し出した。チマチョゴリを着ている女子朝鮮高校生に対して、日本の若者たちのイヤガラセ事件が頻発していたころ、彼らは朝鮮高校生たちを「朝高(ちょうこう)」と呼んでいた。それがナマって「朝公(チョンコウ)」になったのではないかと。朝鮮は韓国語でチョソンであってチョンではない。

ところが、チョンガーという言葉がある。独身男子の俗称で、朝鮮漢字音では「総角」と書く。単身赴任者が、札幌に多かったので、「札幌の独身男子」ということから、「札チョン」という言葉が週刊誌などで流行した。昭和40年代のことだろうか。と同時に、同じような言葉が流行り出した。「バカチョン・カメラ」である。

「押せば写ります」という謳い文句で、自動焦点のこのカメラは、各社がそれぞれ販売に力を注いだ。平成4年5月合併号の正論新聞は、「《バカチョン》を追っかけてみた…」という記事を掲載している。その時の各社の“模範回答”をご紹介しよう。

●フジカラーお客様相談室「当社ではコンパクトカメラと呼んでいます。そのような言葉は使ってはならないと思います」

●ペンタックス消費者相談室「俗語として消費者側が使っている言葉。以前のカメラは広角レンズのため小さく写るが、シャッターを押すだけだった。いまはズームレンズのため、ただ押すだけではダメで、バカチョンという言葉は当てはまらない。チョンの意味については、ピンからキリまでと同じように、すぐには分からないが、良い言葉ではないと思う。(本紙注=ピンは花札の1月で、キリは12月の桐のこと)

●コニカお客様相談室「そのような言葉は使っていません。お客様に失礼な言葉だと思います」

それでは、バカチョン・カメラとは、誰が名付けたものか。各社とも、朝鮮語のチョンガー(独身男の蔑称、略してチョン)から、これは朝鮮民族に対する蔑称、すなわち差別語として、警戒している様子であった。(以上正論新聞より引用)

いずれにせよ、社会的には、「札チョン」と「バカチョン」とが、ほぼ同時期に流行語となり、札幌チョンガーが、朝鮮語を略した「チョン」だったから、バカチョンのチョンも“同一犯”とされたのであろう。だが私は、バカもチョンも、仏教関係語だと信ずる。次回はそれについて述べよう。(つづく) 平成11年(1999)5月11日

編集長ひとり語り 番外編その3 差別用語とは(つづき)

編集長ひとり語り 番外編その3 差別用語とは 平成11年(1999)5月12日 画像は三田和夫50歳前後?(写真中央 正論新聞初期)
編集長ひとり語り 番外編その3 差別用語とは 平成11年(1999)5月12日 画像は三田和夫50歳前後?(写真中央 正論新聞初期)

■□■差別用語とは■□■番外編その3■□■ 平成11年(1999)5月12日

たまたま、インターネットをいじっていたら「差別用語一覧」みたいなものに出会った。それによると、「バカチョン・カメラ」はB級として出ていたが、「バカチョン」は出ていなかった。つまり、バカチョン・カメラの流行りだしたころに、これは「差別語」とされたようだ。この言葉の流行りだした時期と「札チョン」の時期とを、キチンと調べるとその相関関係は明らかになるだろう。

と同時に、朝鮮高校生へのいやがらせ事件との関連も必要だろう。先生を「先公」と呼んだ時期も、朝高生⇒朝公⇒チョンコウへの転移が明らかになれば、より明快になろう。

各社の国語辞典の「バカ」の項をみると〔馬鹿・莫迦・破家〕とあり、「馬鹿は当て字。梵語の慕何、または梵語の摩訶羅(無知)の転で、僧侶が隠語として用いたことによる」とある。つまり、佛教関係語が語源だったということだ。

一方、「願人(がんにん)」の項をみると①請願する人、②祈願する人、③願人坊主、とあり、「願人坊主」とは「江戸時代、僧形の乞食。加持祈祷などをして、礼をすすめた俗法師とも。人に代わって祈願や水垢離(みずごり)などをして、銭をもらって歩いたもの」

岩波古語辞典には、「ちょぼくれ・ちょんがれ」があった。「近世、亨保頃から始まった願人坊主の大道芸。錫杖を伴奏として、野卑な文句を口早に語り、ちょぼくれ・ちょんがれと、囃子詞を入れたので、こう名づけた」とある。辞典には“野卑な文句”とあるだけで、その内容は書かれていない。

この時、「僧侶の隠語」であった「バカ」が、バカ・チョボクレ、バカ・チョンガレと唱えられたのではあるまいか。古典落語や江戸時代の浮世絵に、「バカでもチョンでも」という言葉があれば、一件落着となる。これは、私にとっても、これからの研究課題でもある。結論として、私は、この「バカ」と「チョンガレ」との結合語が「バカチョン」の語源だと信じている。従って「バカでもチョンでも」は、日本の古語で、差別語だとは思わないし、差別語としても認めない。

中国を「支那」と呼ぶことは、中国人が不快感を覚えるから使わない、と書いた。すると、「チョン」に韓国人が不快感を持つというのだから、首尾一貫しないという指摘もあった。だが、戦後1979年に初めて中国旅行に行った時、ガイドの中国人が、「シナという言葉は慎んでください」と注意した。韓国にも旅行したが、ガイドは「朝鮮と朝鮮人という言葉は使わないように」としかいわない。つまり、「チョン」が韓国人への蔑称だという説は、戦後ずっと経ってから、札チョンののちの、バカチョンカメラ時代に、「差別をことさらに意識する人たち」によって、言葉狩りの対象にされたのだ、と思う。

韓国旅行のガイドの“朝鮮・朝鮮人”について、私はバスの中で異議を唱えた。「朝鮮ホテルや朝鮮日報が現存するのに、ナゼですか」とたずねた。すると、「韓国人が歴史的な事実からその名を残したのであって、日本人が朝鮮と言うと、植民地時代が思い出させられるから」という。「支那」についても同じだろう。「東シナ海」が現存するのだから。

今回の番外篇を書くに当たって、韓国人に「チョン」の感想をたずねたい、と思った。前回登場した大新聞記者に紹介された、2人の韓国人を探した。1人は三井物産の社員だったが、昨年の9月に退職していた。もう1人は、浦和市で翻訳業をしていたが、転居したと見えて、電話が通じなかった。従って、韓国人には、チョンについての感想を聞くことができなかったのは、残念なことであった。

私は、中学時代から半島出身者の友人がいたし、日大時代もそうだったと書いたことは、私に外国人に対する偏見がないこと、すなわち、差別を意識しない育ちだった、ということを述べたのである。このような学友たちがいたということと、差別の問題とは別だ、というご意見もあったが、外国人を外国人と意識しないでいられる生活環境が、差別をなくする道ではないだろうか。

そしてまた、バカチョンとはバカとチョンをつなげた言葉だ、と受け取る人が意外に多いようである。宇喜多秀家(百済人)の血を引いた「浮田」姓の日本人がいることを書いたが、朝鮮民族がバカだと思う人たちこそが差別主義者である。

南方からの黒潮に乗って日本に流れついた外国人を黒潮民族と呼ぶ。九州南部、四国南部など、黒潮が洗う一帯である。これに対して瀬戸内民族がある。瀬戸内海の沿岸一帯に土着した外国人である。主として朝鮮民族、中国人も含まれよう。

この瀬戸内海沿岸(中国・四国とも)から碁、将棋の名人が何人でているか。もっと具体的に、日本国の総理大臣が、何人でているか、指を折って数えてみたら分かる。つまり朝鮮民族の血を継いでいる日本人の多くが、バカではない、ということである。

岡山県東部の福岡町に居城を構えた黒田家に、秀吉は大阪に近すぎるというので、不安を覚えて九州に飛ばした。黒田一族は博多に移ったが、福岡という地名も持っていったので、福岡と博多が同居するハメになった。同じように、岡山県中部の吉備高原に栄えた吉備文化とは、朝鮮文化である。大和朝廷は、やはり吉備文化に脅威を感じて、これをツブしたのだった。岸、佐藤の兄弟首相も、橋龍も、アーウーの大平首相も、DNA検査をしたら、朝鮮民族だと判明するに違いない。

チョンがどうして、朝鮮半島出身者に対する蔑称なのか? そうしたことを思いこんでいる人たちこそ、差別者である。その言葉の歴史的、合理的な根拠を示されない限り、私は、それを認めない。そして、韓国人にもそう思っている人がいるならば(蔑称と受け取り不快感を覚えるという)、私は、あらゆる機会に誤解を消し去る努力をするだろう。そんな枝葉末節にとらわれず、自分たちの先祖が、どんなに日本に貢献したかの歴史的事実を学んで、誇りに思ってもらいたい。 平成11年(1999)5月12日