旅館「奈良」」タグアーカイブ

p60下 わが名は「悪徳記者」 その男に自首をすすめた

p60下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 旅館について、明るい灯の下で、〝山口二郎という人〟を見た私は、どうやら小笠原郁夫らしいナと感じた。いろいろの話をしたのち、私は、その男に自首をすすめた。
p60下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 旅館について、明るい灯の下で、〝山口二郎という人〟を見た私は、どうやら小笠原郁夫らしいナと感じた。いろいろの話をしたのち、私は、その男に自首をすすめた。

私の車を認めて、一台の車が向い側で止った。

ドアを開けて、一人の男がこちらに走ってくる。私は『山口さんですネ』と念を押してうなずく男を、すぐ車中に招じ入れた。チョッとしたスリラーである。例のフクも乗りこんできた。私は運転手に『奈良へ』と、赤坂見付にある社の指定旅館「奈良」へ行くように命じた。これが、新聞記事にある〝共同謀議をした赤坂の料亭〟の正体である。旅館のママさんは、一流料亭のように扱われたのでニヤニヤであろう。近頃のデカやサラリーマン記者には、〝赤坂の料亭〟など、見たこともないし、旅館と料亭の区別もつかないのであろうか。

旅館について、明るい灯の下で、〝山口二郎という人〟を見た私は、どうやら小笠原郁夫らしいナと感じた。いろいろの話をしたのち、私はその男に自首をすすめた。

『しかし、自首といっても、形はあくまで逮捕ですよ。犯人が自首して出るなンてのは生意気ですからね。警察というものは、犯人を逮捕しなければ、威信にもかかわるのです。だから私はあなたを、あくまで逮捕させるのに協力するのです。そして、ウチの紙面でももちろん逮捕と書きます』

彼は、『まだ自首できない』と答えた。その理由をいろいろと述べるのである。私はもう深夜なので、時間を気にしはじめた。明日までに週刊「娯楽よみうり」に決りものの、「法廷だより」の原稿を書かねばならない。

『ともかく、一晩ゆっくり考えて、自首する決心をつけなさい。もし、どうしても自首できないならば、明日の夕方までにここを立ち去ってもらいたい』

と、私は厳しくいって「奈良」を出た。

p61上 わが名は「悪徳記者」 小笠原は自首の決心をしたのか

p61上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 フクから電話で小笠原が会いたいと連絡してきた。いよいよ自首の決心がついたのかと、私はよろこんで会う段取りを決めた。
p61上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 フクから電話で小笠原が会いたいと連絡してきた。いよいよ自首の決心がついたのかと、私はよろこんで会う段取りを決めた。

『ともかく、一晩ゆっくり考えて、自首する決心をつけなさい。もし、どうしても自首できないならば、明日の夕方までにここを立ち去ってもらいたい』

と、私は厳しくいって「奈良」を出た。

のるか、そるかの決断

翌四日は、私が忙がしくて夕方までに「奈良」へ行けなかった。夜十一時すぎごろ、やっと「奈良」へかけつけると、私が来ないと思った小笠原は、すでに帰り仕度をして、玄関に立っていた。私と彼は再び「奈良」の一室で会った。

『私は、実は小笠原郁夫です』

彼の名乗りを開いて、私はうなずいた。彼は自首する時は必ず三田さんの手で自首して、読売の特ダネにする。自首までもう四、五日間時間をかしてほしい。必ず連絡する、というので、自宅と記者クラブの電話番号を教えた。そして、彼を鶯谷まで送ってやって別れたのである。

七月十一日の夕方、フクから(のちに福島という、花田の子分と判った)電話で小笠原が会いたいと連絡してきた。いよいよ自首の決心がついたのかと、私はよろこんで会う段取りを決めた。五人の指名手配犯人の逮捕第一号が、読売の特ダネになるのである。ソワソワするほどうれしかった。

自首の段取りができたから、この事件の担当である深江、三橋両記者を呼んで、逮捕数時間前のカッチリした会見記を取材する。取材が終ったら、この両記者が花を持たせたい捜査主任に連絡して、小笠原を放し、路上で職務質問の逮捕をさせるのである。 或は、小笠原の自宅に張込みをさせて、そこまで送りとどけ、細君と最後の対面をさせてやって、逮捕してもよい。

p61下 わが名は「悪徳記者」 自首どころか隠してくれと

p61下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 不忍池で現われた小笠原を車に拾い、「奈良」にとって返した私は、さらにフクの案内で現われた「花田映一」という人物に会った。
p61下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 不忍池で現われた小笠原を車に拾い、「奈良」にとって返した私は、さらにフクの案内で現われた「花田映一」という人物に会った。

細君と最後の対面をさせてやって、逮捕してもよい。仲の良い後輩であるこの二人の記者に花を持たせ、両記者は担当主任に花を持たせる。そして、当局の捜査に協力したという実績が、読売をして捜査二課に、ニュース・ソースというクサビを一本打ち込ませるのだ。

不忍池で現われた小笠原を車に拾い、「奈良」にとって返した私は、さらにフクの案内で現われた「花田映一」という人物に会った。私が入浴している間に、やってきた三人は、何事かを相談し合っていた。

『東興業副社長の花田さんです。何にもヤマがないので、幹部でホジョウ(逮捕状)の出ていない唯一人の人です』という紹介だった。

しばらくして、

『御迷惑をおかけしてますが、何分とも宜しくお願いします』

と、花田は礼儀正しく挨拶して、一人先に帰っていった。如何にも小笠原より兄貴分らしい貫禄だった。

花田が帰り、小笠原とフクとの三人になったが、彼は一向に自首の話を持ち出さない。私が変だゾと思いはじめた時、小笠原はフクに向って、

『お前はしばらく風呂に入ってこい』

と命じて、私と二人切りの機会を作った。 すると意外にも、自首どころか、もう一週間ほど、隠してくれという依頼を切り出したのだ。小笠原がどんな気持で、私に「逃がしてくれ」と頼んできたのか、私には未だに判らない。のちに、フクからきいたところによると『王さんや小林さんは信用できない人だと思ったので、そこにいる間中、いつサツに密告されるかと心配していた。

p63上 わが名は「悪徳記者」 花田を通じて安藤に会える

p63上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 すると、花田を通じて安藤に会えるということだった。安藤に会う。彼を自首へと説得するのだ。逃走者の心理は、ほぼ分る。何しろ、私は公安記者のオーソリティだったからだ。
p63上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 すると、花田を通じて安藤に会えるということだった。安藤に会う。彼を自首へと説得するのだ。逃走者の心理は、ほぼ分る。何しろ、私は公安記者のオーソリティだったからだ。

『信ずべからざるものを信ずるなンて……』と。実際このような言葉を聞いた。

雄壮なる構想を描いて

だが、私にも、決断するだけの根拠があった。まず第一に、絶対に一点の私心さえない純粋な新聞記者としての取材であったことである。これこそ、俯仰天地に恥じない私の気持である。だからこそ、二十五日の拘禁生活も、よく眠り、よく食い、調べ室では与太話で心の底から笑って、かえって、肥って帰ったほどである。

私の計画の根拠は、花田の出現であった。彼がフクに連れられて「奈良」に現われたことは、当然、連絡であった。フクは王の家の時にもいたのだから、日共用語でいえば、テク(防衛)とレポ(連絡)である。

花田の出現を、逃走費用を渡すためとみたのである。(事実、あとで聞けば一万五千円を届けてきた)逮捕状の出ていない花田は、副社長だという。日共の九幹部潜行でいえば、合法面に浮かんでいる臨時中央指導部であろう。安藤が徳球である。

すると、花田を通じて安藤に会えるということだった。安藤に会う。彼を自首へと説得するのだ。逃走者の心理は、ほぼ分る。何しろ、日共はじめスパイなどと、私は公安記者のオーソリティだったからだ。 安藤を説得できれば、安藤の命令で他の四人は簡単である。そうすれば、私の手の中に横井事件の犯人五人ともが入ってくる。私の手でいずれも警視庁へ引渡す。事件は解決である。

p65上 わが名は「悪徳記者」 「旭川までの切符を買ってください」

p65上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 今さら、「それは困る」とはいえない。塚原さんを東京駅に送ると、交通公社で切符を買い、三越で下着類を買って、再び「奈良」へもどった。
p65上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 今さら、「それは困る」とはいえない。塚原さんを東京駅に送ると、交通公社で切符を買い、三越で下着類を買って、再び「奈良」へもどった。

この場合は、密航ルートの調査資料を、当該当局に提供することによって、訴追をまぬかれているのだ。犯人を逮捕させることによって、その経過の中の不法行為もまた許されるであろう。

翌七月十二日、正午すぎに塚原さんが最高裁内の記者クラブにたずねてきた。二人で「奈良」へ向った。二人を紹介したところ、塚原さんは事務的に、旭川の外川材木店の住所と駅からの略図とを書いて教えた。約三十分の会見で塚原さんは立ち上った。その時、小笠原が、私に一万円を渡して、「下着類と旭川までの切符を買って下さい」と頼んできた。そうすることに若干の抵抗は感じたが、もはや私の計画は実行行為に入っているのだ。今さら、「それは困る」とはいえない。

塚原さんを東京駅に送ると、交通公社で切符を買い、三越で下着類を買って、再び「奈良」へもどった。十六時五分という急行があるので、それに間に合うようにと、車を飛ばして上野駅へかけつけ、小笠原を駅正面でおろしたのが、四時十分前ごろであった。