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編集長ひとり語り第32回 検察一体の原則

編集長ひとり語り第32回 検察一体の原則 平成11年(1999)10月23日 画像は三田和夫54歳(右側 松㐂鮨1975年)
編集長ひとり語り第32回 検察一体の原則 平成11年(1999)10月23日 画像は三田和夫54歳(右側 松㐂鮨1975年)

■□■検察一体の原則■□■第32回■□■ 平成11年(1999)10月23日

野村沙知代の不起訴が確定した。嫌疑なし不起訴ではなく、嫌疑不十分不起訴だ。一度東京地検が不起訴処分にしたのに対し、告発人・浅香光代が検察審査会に「処分不当」の申し立てをし、検審が信じられないほどのスピード審査で、「不起訴不当」の結論を出したのだが、検察は、時効ギリギリの18日に、再度不起訴の処分を決定した。さる10月1日の不起訴処分から18日目であった。

私の「結婚の虚偽事実公表罪」容疑の告発は、10月1日に不起訴になり、私は検審に申し立てはしなかった。検審があのスピードで審査するとは、信じられなかったからだ。したがって、学歴詐称の浅香告発が検審で「不起訴不当」の結論を得たのだった。

私の「検察との付き合い」は長い歴史がある。昭和24年から25年にかけての1年間、警察まわりを卒業して、法務庁(当時はまだ庁だった)司法記者クラブへ。文系で法律も知らないのだから、六法全書との戦いだ。まだ刑政長官などという役職があった。そして、“検察の派閥対立”の芽をみつめる。

約1年ののち、国会遊軍を経て警視庁記者クラブへ。そしてさらに、昭和32年司法記者クラブのキャップになってまた1年勤務する。昭和33年夏に、横井英樹殺害未遂事件(安藤組事件)に関係して退社した。昭和42年、独力で正論新聞を創刊。「検察体質改善キャンペーン」を開始したのである。

私が、読売のクラブ・キャップの時、部下の記者の一人が酒に酔った。新年の御用始めの午後、検察との懇親の席である。突如、怒声が上がったので彼の許に駆けつけた。彼は一人の検事に向かって、怒鳴りまくる。「ナンダ、お前たち検事は! この世の中で、検事だけが最高のインテリだって、ツラしやがって! そのオゴリ高ぶったツラが気に食わねえ!」と。場内が静まり、検事や他社の記者の非難の視線の中を、なお怒鳴りつづける彼を抱いて、私は彼を連れ出した。当時の記者クラブには、彼の言葉に拍手を贈るものと、検事のオヒゲのチリを払う手合いと、ふたつの流れがあった。そして彼の酔余の怒鳴り声の対象が、「検察の一般像」であった。

このS記者の“暴言”は、多くの検事の持っていた「オゴリ」に反省を求めたものだったのだが、効果はなかった。しかし、検事にとっても、このように面罵されたのは、空前絶後のことであったろう。

正論新聞の検察キャンペーンの結果、二代の検事総長が努力して、派閥対立の解消のため、足留めを食っていた“負け派閥”の幹部2人を検事長とし、その1人である大阪検事長の岡原昌男は、定年後に最高裁判事に転出し、のちに最高裁長官にまで進んだ。

だが、派閥対立がこうして解消し、「検察一体の原則(検事は上から下まで一体だ)」が確立され、緊張感がなくなったからだろうか、ヤメ検の悪徳弁護士(金儲け専門)が出るばかりか、則定東京検事長の女遊び、偽名でのホテル同伴などの不祥事が起きた。これもまた、検察一体の原則なのか、浅香告発の当初の“門前払い”などは、いささか理解に苦しむところである。事後の検察の対応をみると、告発受理、不起訴の報道、否定の記者会見、不起訴処分の発表、検審申し立てへのコメント発表、不起訴処分——この流れには納得できない部分が多すぎる。検察は、いったい、どうなってしまったのか。

また、その強権ぶりを物語るのは、オウム麻原の主任弁護人だった、安田好弘弁護士が顧問会社をめぐる強制執行妨害罪に問われて昨年12月に逮捕された件だ。3度の保釈許可が検察の抗告で却下され、4回目のさる9月27日ようやく許可になった。懲役2年の刑の容疑ですでに10カ月も拘置されているのである。

この強権ぶりと、野村沙知代不起訴決定との間に、あまりにも検察官の権力の不公平を感ずるのである。日本の各界、各層の世紀末現象の中で、私たちは、いったいナニを信用できるのか。 平成11年(1999)10月23日

編集長ひとり語り第46回 犯人の方(かた)が…とは!

編集長ひとり語り第46回 犯人の方(かた)が…とは! 平成12年(2000)7月29日 画像は三田和夫52歳(中央 松㐂鮨1974.05.04)
編集長ひとり語り第46回 犯人の方(かた)が…とは! 平成12年(2000)7月29日 画像は三田和夫52歳(中央 松㐂鮨1974.05.04)

■□■犯人の方(かた)が…とは!■□■第46回■□■ 平成12年7月29日

先頃の、17歳少年のバスジャック事件の時である。最初に一時停車したパーキングエリアの売店のおばさんがいった。「犯人の方(かた)が何か要求されたんじゃないですか」と。そして、7月12日のNHK昼時に出てきた料理研究家なる、これもオバさんが、マナ板の上で暴れる魚をみていった。「生命力の強い方(かた)なんですね」と。

殺人容疑者に「方」という敬語を使うのはまだしも、魚に対して「方」というにいたっては、もう何をかいわんやである。

それもこれも、すべて、テレビの報道番組のせいである。美しく正しい日本語をひろめるべきテレビが、どうしてか、日本語を破壊しているのである。客観性を重視すべき報道で、テレビはこういう。「警察官のカタが駆けつけてきました」「駅員のカタたちが…」

いったい、テレビはどういうつもりで、この「カタ」をつけるのか。「警察官が駆けつけて」「駅員たちが」が正しい日本語である。と思っていたところへ、2人の人がそれぞれ一文を草していた。

週刊文春7月13日号「何様なのか、テレビ局(5)」野坂昭如

「ワイドショーのレポーターは…『ご冥福をお祈りしたいと思います』と、とってつけたようにいう。あの『思います』っていいかたはいったい何なのか。思っているだけじゃなくて、ちゃんと冥福を祈れ! ついでにいえば、『いやあ、あちらに行ってみたいと思います』『食べてみたいと思います』というテレビ特有の物言いも、とても耳障りです。何で『いってみましょう』『食べてみましょう』と、ストレートに言わないのか」

そして、もうひとつは7月27日付け東京紙ラテ版、廣淵升彦・湘南短大教授

〈文化を破壊するアナ〉「…最近アナウンサーたちの発音で気になることがある。『一トン』を『イチトン』といい、『八点目』を『ハチテンメ』というアナが多いことだ。…音便というのは文化の成熟度を示すものである。…世界共通語となった『レゾンデートル』を、一語一句区切って『レゾン・ド・エートル』などといえば、笑い者になるだろう」

実際、浅草のカンノンさまを、カンオンさまというバカがいるか!

これらの元凶は、NHKである。NHKのアナ教育はどうなっているのか。税金で賄われているNHKが、日本文化の破壊の先頭に立っているのではないか。ともかく、つける必要のない「カタ」と「思います」を消すことから始めてもらいたい。冒頭の売店や料理研究家も、その年頃から見て、NHKを一番良くみていると思われる。

かく申す私は、昭和18年の夏、日大卒業を控えて、NHKのアナ試験を受け合格。同時に合格した読売をえらんだのである。理由は戦時中だから、ノドはひとつ、ウデは2本あるので、アナより記者をえらんだ。だから、ひとより発音にウルサイのである。

NHKテレビを見ていて感ずるのは、報道のアナやレポーター、記者たちは、自分の話した部分のビデオを見て、再点検しているのかどうか。都知事選で落ちて、パリの日本館だかの館長になった大物が、「お歴お歴」と話した。再放送でもそのまま。若いアナが、「遊興費」を「ユーコーヒ」と発音した。遊興もしたことがないのだから、ヤムなしか。

それにしても、NHKの海老沢会長なる男は、あまりにも画面に登場しすぎる。会長が部下に任せられないようでは、NHKの改革など、夢のまた夢。小淵さんが大相撲の総理杯に出てきたように、あの海坊主風の男も、脳コーソクに倒れるかもよ…。 平成12年7月29日