治安当局」タグアーカイブ

黒幕・政商たち p.016-017 「安全保障調査会」設立

黒幕・政商たち p.016-017 昭和四十年九月。ホテル・ニューオータニ内とした、この安全保障調査会の発起人には岩佐凱実、早川勝、土光敏夫、永野重雄、植村甲午郎、松野頼三、衛藤瀋吉、安西正夫、椎名悦三郎、広岡謙二の十一氏が並んでいる。
黒幕・政商たち p.016-017 昭和四十年九月。ホテル・ニューオータニ内とした、この安全保障調査会の発起人には岩佐凱実、早川勝、土光敏夫、永野重雄、植村甲午郎、松野頼三、衛藤瀋吉、安西正夫、椎名悦三郎、広岡謙二の十一氏が並んでいる。

ホテル・ニューオータニの男

調査会に一流財界人の顔ぶれ

さる四十年十月二十八日、ホテル・ニューオータニで、「安全保障調査会」の、設立披露パーティーが開かれていた。その席に参じたのは、防衛庁関係者をはじめとして、政、財、官界の有力者たちと、若干の新聞記者——そして、それらの顔触れに、ジッと視線をナメて行く、何人かの男たち。

いわゆる「治安当局」という、新聞術語に表現されるのは、情報調査機関であって、具体的にいうならば、警察の警備、公安、外事当局、公安調査庁、内閣調査室などであり、さらには、税関、厚生省麻薬取締官事務所、防衛庁調査隊なども含まれるであろう。

この「安全保障調査会」なる団体について、どうして、このように、〝出席の顔触れをジッとみつめる男〟が現れるのだろうか。

それには、まず、その設立趣意書をみなければならない。

「わが国の安全保障問題は、戦後二十年間を通じ、大きな政治問題でしたが、今後はますま

すその重要さを増す見通しです。(中略)わが国の安全保障が当面する問題は、いくつかあります。遠からず実現すると思われる中共の核装備に対処するため、わが国はいかなる対策をとるべきかという問題、また、日米両国間の最大の懸案となった沖繩の問題、そしてまた、一部に喧伝され、危機感が醸成されようとしている、五年後の日米安全保障条約再検討にともなう、政治的、社会的、思想的な混乱の可能性などであります。(中略)

われわれは、わが国の安全保障の問題を憂慮し、世界の実態を正しく把握しながら、国の安全確保の道を研究するため「安全保障調査会」を設立することになりました。その事業内容は別紙の通りですが、われわれは優れた研究スタッフと極めて豊富な情報調査網を背景としておりますので、必ず会員各位の御満足が行く活動ができるものと確信しております」(注。傍点筆者)

昭和四十年九月。ホテル・ニューオータニ内とした、この調査会の発起人には岩佐凱実、早川勝、土光敏夫、永野重雄、植村甲午郎、松野頼三、衛藤瀋吉、安西正夫、椎名悦三郎、広岡謙二の十一氏が並んでいる。

事業内容としては旬刊の「情報資料」、月刊の「特別資料」、「国防」、年刊の「国防白書」その他、講演会、座談会、米議会の外交委、軍事委の議事録の飜訳配布などで、会費は一口月五千円、年五万円となっている。

黒幕・政商たち p.028-029 松本機関と呼ばれるトップ屋

黒幕・政商たち p.028-029 それよりも、私は、堂場記者の話の中で「松本清張氏の助手の大竹宗美氏」と、さらに「東京新聞の香原記者」という、二人の人物が明らかにされたことに、より興味を覚えていた。
黒幕・政商たち p.028-029 それよりも、私は、堂場記者の話の中で「松本清張氏の助手の大竹宗美氏」と、さらに「東京新聞の香原記者」という、二人の人物が明らかにされたことに、より興味を覚えていた。

千葉代議士は、「堂場は三矢事件にも関係したアカだ。そんな奴に、各官庁の機密資料を出したら、それこそ、みんなツツ抜けぢゃないか」と、各役所の事務当局に、自ら電話をかけてきたという。(堂場氏の話)

そして、堂場氏自身の言葉によると、千葉代議士のこのような積極的反対を受ける〝身の覚え〟は全くなく、もし、千葉氏のウラミを受けるとすると、警職法国会の当時、自衛隊を東京に集めて、院外デモに対抗せよと自民党の一部の声があったが、「自衛隊を自民党の私兵視するのは間違っている」旨の記事を書き、その記事の中に、千葉氏らの名前をあげたこと位だという。

堂場記者がアカというのは、もちろん、秘密党員だとかいうことではない。治安当局の「日共秘密党員名簿」にも、その名はない。千葉代議士クラスになると、自民党を批判するものはすべて〝アカ〟という大ざっぱな考え方であろう。

それよりも、私は、堂場記者の話の中で「松本清張氏の助手の大竹宗美氏」と、さらに「東京新聞の香原記者」という、二人の人物が明らかにされたことに、より興味を覚えていた。

治安当局の調べによると、松本氏の助手で、いわゆる〝松本機関〟と呼ばれる何人かのトップ屋がいて、これらが、松本氏のもとで取材執筆に当っていること。その中にはアカハタ日曜版などに執筆している、共産党員もいるということである。

私の調べでは、大竹氏は週刊文春に連載している、松本清張名儀の「昭和史発掘」をも担当している。出張校正(〆切間際には印刷会社にいって校正する)などでは、大竹氏が自由に加筆訂正したり、削除したりしているというので、これは大竹氏の著作ではないかと考えられる。「防衛官僚論」もまた、堂場氏は大竹氏にしかインタビュウされておらず、果して松本氏が筆を取っているかどうか、疑わしいということがいえる。つまり、松本清張という個人の著述ではなく〝松本清張工場〟の製品ということである。

香原記者は、〝陸士五十八期生〟と一般に伝えられ、そのため、自衛隊の制服組に同期生がいて、喰いこんでいるというのであるが、陸士卒ということはあり得ず、また、兵籍名簿にも該当はない。従って〝自称〟もしくは、誤伝である。が、事実、防衛記者としては、取材力のある記者である。

堂場氏の抗議に、香原氏が便乗(?)したという点から考えると、香原氏も、文春の謝礼支払伝票に名前があった人物と推測されるのであるが、同氏の話をきく時間的余裕が得られなかったので、真相は不明である。

一方、千葉代議士の情報参謀には、元東京新聞編集局次長であった、浅野一郎氏がいるのである。浅野氏は東京新聞の社会部に入り、政治部、論説委員を経て編集局次長で退社し、昭和三十八年の衆院選に、茨城から出馬したが落選した人物。千葉代議士の情報参謀は、東京新聞記者時代からだったとみられるが、香原記者の先輩である。

最後の事件記者 p.136-137 シベリアで魂を売った幻兵団

最後の事件記者 p.136-137 データは完全に揃った。談話も集まった。私たちは相談して、このスパイ群に「幻兵団」という呼び名をつけたのであった。
最後の事件記者 p.136-137 データは完全に揃った。談話も集まった。私たちは相談して、このスパイ群に「幻兵団」という呼び名をつけたのであった。

私の場合は、テストさえも済まなかったので、偽名も合言葉も与えられなかったが、他の多くの人は、東京での最初のレポのための、合言葉さえ授けられていた。

例えば、例の三橋事件の三橋正雄は、不忍池のそばで「この池には魚がいますか」と問われて、「戦時中はいましたが、今はいません」と答えるのが合言葉であった。

ラストヴォロフ事件の志位正二元少佐の場合は、通訳が日本語に学のあるところを示そうとして、万葉の古歌「憶良らはいまはまからむ子泣くらむ、そのかの母も吾をまつらむぞ」という、むつかしい合言葉だった。そして、自宅から駅へ向う途中の道で、ジープを修理していた男が「ギブ・ミー・ファイヤ」と、タバコの火を借りられた。その時、その白人は素早く一枚の紙片を彼のポケットにおしこんだ。

彼があとでひろげてみると、金釘流の日本文で「あなたが帰ってから三年です。子供たちもワンワン泣いています。こんどの水曜日の二十一時、テイコク劇場ウラでお待ちしています、もしだめなら、次の水曜日、同じ時間、同じ場所で」とあった。子供がワンワン泣いているというのが、さきの万葉だったのである。

また、「あなたは何時企業をやるつもりですか」「私は金がある時に」とか「私はクレムペラーを持ってくることができませんでした」と話しかける人が、何国人であっても連絡者だ、と教えられたのもある。

データは完全に揃った。談話も集まった。私たちは相談して、このスパイ群に「幻兵団」という呼び名をつけたのであった。そして二十五年一月十一日、社会面の全面を埋めて第一回分、「シベリアで魂を売った幻兵団」を発表した。それから二月十四日まで、八回にわたって、このソ連製スパイの事実を、あらゆる角度からあばいていった。

大きな反響

反響は大きかった。読者をはじめ、警視庁、国警、特審局などの治安当局でさえも、半信半疑であった。CICが確実なデータを握っている時、日本側の治安当局は全くツンボさじきにおかれて、日本側では舞鶴引揚援護局の一部の人しか知らなかった。

『デマだろう』という人に、私は笑って答える。

『大人の紙芝居さ。今に赤いマントの黄金バットが登場するよ』

紙面では、回を追って、〝幻のヴール〟をはがすように、信ぴょう性を高めていった。