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迎えにきたジープ p.000-001 佐々木は殺されたのです!

迎えにきたジープ p.000-001 The Kaji and Mitsuhashi spy cases were making a noise in 1952. I was visiting the bereaved family of Katsumi Sasaki, who was known as a liaison of the spy cases.
迎えにきたジープ p.000-001 The Kaji and Mitsuhashi spy cases were making a noise in 1952. I was visiting the bereaved family of Katsumi Sasaki, who was known as a liaison of the spy cases.

悲しき独立国民

一 默って死んだ日本人

鹿地・三橋スパイ事件が騒がれていた、昭和二十七年暮のある日のこと。私は三橋自供にレポとして名前の浮んできた佐々木克己氏の遺族を訪ねていた――

清子未亡人はツト顔をあげた。品の良い、まだお嬢さんらしいあどけなさの残っている頬に涙の跡が乾いている。耳のあたりから口許へと引かれた、深い深い苦悩のかげがいたましい。力強い高い言葉がこみあげてきたが、それが唇をついて出るころには、永年のたしなみがそうさせるのであろうか、叫びにはならないで低い呟きとなって訴える。

『誰が、誰が、この貧しくとも愉しい家庭から、幸福と平和とを奪ったのです! そうです、形は自殺でした。用意周到な覚悟の自殺でした。では、何故、佐々木は死なねばならなかったのです。妻と二人の子供とを残して……

佐々木は殺されたのです。そうですとも、殺されたのです。私も、子供たちも、そう信じています! 誰かが殺したのです!』

迎えにきたジープ p.002-003 佐々木元陸軍大佐の遺書

迎えにきたジープ p.002-003 On the morning of November 19, 1950, Katsumi Sasaki, a former Army colonel, ceased his own life while shouting his wife's name.
迎えにきたジープ p.002-003 On the morning of November 19, 1950, Katsumi Sasaki, a former Army colonel, ceased his own life while shouting his wife’s name.

清子未亡人は両肩をふるわしたまま、唇を噛みしめて、ついにその〝犯人〟の名を明かそうとはしない。

敗戦五年、勝利か死かと戦った我々、昭和二十年の八月に一生は終ったのだった。
然しお前や子供への愛にひかされて、煩悶しながらも生きてきた。敗戦将校の気持は複雑で深刻だ。
夫としての、親としての責任、愛。そうして五年すぎた。
だけど内訌五年、もう駄目だ。生きる自信も気力もない。
とても良い夫にもおやぢにもなれない。お前には済まない。永い年月、よくしてくれた。
それなのに、十余年苦労のかけ通し、そして最後には、この生きにくい世の中に子供を託してゆく。断腸だ。
辛いだろう。肩身もせまいだろう。だけど許してくれ。子供をたのむ。
おばあちゃん。うちで一番心の痛手と重荷を背負っているおばあちゃんへ、またこの上に何とも済みません。
憎んで下さい。だけど、清子と子供二人はどうかお願いします。
迪孝さん、秀ちゃん、可哀そうな清子と子供たち、お願いします。
清子、幸夫、みき子。
お父さんはだめだ。みなは新しい日本の人だ。苦しかろうが、幸福に、長生きして下さい
みんなで。
おばあちゃん。秀ちゃん、血の連った人達仲良くね。
残す資産も何もなく、ほんとうに済まない、清子!
僕はつまらぬ男だ。だけど、お前を愛していた。
浮世だ、お前だけはしっかりしてくれ。

清子未亡人の手に確りと握りしめられた数枚のノオトの切れ端し。今は亡き夫、元陸軍大佐大本営報道部高級部員佐々木克己氏の遺書である。

昭和二十五年十一月十九日朝、佐々木元大佐は、最後に妻の名を叫びながら、自ら命を絶って果てた。

簡単な遺書である。短かい言葉の行間にあふれた、無限の苦悩と無量の感慨とを汲みとるため、この遺書を、もう一度静かに読み返してみよう。

迎えにきたジープ p.004-005 佐々木克己の辿った運命

迎えにきたジープ p.004-005 The name of the culprit who killed former Colonel Sasaki has now come to her throat....but she doesn't say. It is not written in the suicide note.
迎えにきたジープ p.004-005 The name of the culprit who killed former Colonel Sasaki has now come to her throat….but she doesn’t say. It is not written in the suicide note.

原子スパイ事件、ローゼンバーグ夫妻の「愛は死を越えて」、ゾルゲ事件、尾崎秀実の「愛情は降る星の如く」と、三人のスパイたちの遺書は、多くの人に読まれ感動の涙を誘った。

だが、この三人の悲しい運命は、いわば自らえらんだ運命であった。何を今更、妻を想い、子を求めて、己れの魂をかきむしらねばならないのだろう。〝意識したスパイ〟でさえも、このような人間的なあまりにも人間的な、弱さに身悶えするのである。

この遺書の主、佐々木克己の場合はどうだろうか。官職一切を失いながらも、平和になった日本で、親子四人が幸福に暮していたのである。彼が果してスパイであったかどうかは、私には断定できない。だが、スパイであったとしても、彼は〝強制されたスパイ〟であったということは明らかである。

〝意識したスパイ〟が、電気椅子や絞首台を前にして号泣するとき、〝強制されたスパイ〟は黙ったまま死んでいった!

 私は清子未亡人をジッとみつめた。だが、彼女はまだ下唇を噛みしめている。佐々木元大佐を殺した〝犯人〟の名前が、いま、喉元まで出てきているのだ。

……だが、彼女はいわない。遺書にも書いてない。誰が、この妻と、二人の子供の、平和と幸福を奪ったのか!

二人の遺児、幸夫君とみき子ちゃんとが大人になったとき、二人は父の死の本当の意味を知りたいと願うに違いない。そして、この二人に代表される全日本人は、同時に自分自身のものである佐々木克己の辿った運命を直視しなければならない。

二 佐々木大尉とキスレンコ中佐

ここは雪と氷に閉ざされた北海道の、札幌は砲兵第七連隊の営庭。彼にまつわる〝因果はめぐる小車〟の物語は、こうして昭和初年にさかのぼるのであった。

今しも演習を終えて帰営した佐々木中隊は解散の隊形に整列した。兵も馬も砲も、降りしきる雪におおわれて真白である。

『講評ッ! 本日の演習は積雪と寒気とにも拘わらず、諸子の行動は常に積極果敢、よく所期の目的を納め得た。中隊長として極めて満足である』

馬は白い長い息を吐き、馬具がカチャカチャと鳴る。兵隊たちの顔は上気して赤い。

『……兵器と馬の手入を十分にせいッ。御苦労であった。解散ーン!』

『中隊長殿に敬礼ッ! 頭アー中ッ!』

第一小隊長の指揮刀が馬の耳をかすめて一閃するや、兵隊たちはキッとなって頼もし気に自分たちの中隊長、陸士出身でまだ若いが、陸大の入試準備を始めていると噂されている佐々木克己大尉をみつめた。

迎えにきたジープ p.012-013 ジープが迎えにきた!

迎えにきたジープ p.012-013 The next morning, he left his will at the bedside, went to the garden shed with new sandals so as not to make any noise, and was hanging himself with careful preparation to turn off the used flashlight.
迎えにきたジープ p.012-013 The next morning, he left his will at the bedside, went to the garden shed with new sandals so as not to make any noise, and was hanging himself with careful preparation to turn off the used flashlight.

戦前は佐々木家をはじめ実家も経済的に恵まれておりましたが、青山の家を戦災で失ってからは生活も苦しく、佐々木は佃煮屋の下働き、印刷の外交などいろいろな仕事をいたし、私も父が国際連盟代表としての、二年間のパリ生活中に買い与えられました毛皮、宝石類をはじめ、家財道具を売払って口すぎしました。

幸い実家が大きいので三世帯に間貸しておりましたが、終いには私共一家も実家へ転がりこみ、家中で佃煮屋へ納めるキンピラごぼうを刻んだほどでした。終戦後ソ連の軍人が数回佐々木を訪ねてきましたが、いつも留守と称して会いませんでした。二十五年八月のことでしたが、唯一の趣味だった釣にでかけ一家中で夜食を待っておりました。(中略)

その夜一家中が不安のうちに明かしますと翌朝八時すぎ、佐々木は顔中を紫色にはらし醜く歪んだ顔で帰ってきました。恐ろしいほど殴られたようでした。佐々木は『密貿易のバイヤーと間違われたがすぐ分って帰された』といい、それ以上語ろうとしません。往復は目かくしされたので何処まで行ったのかも分らないとの事でした。早速中野署からMPへ届けられ、MPがジープにのせて連れさられた家をさがしたのですが、とうとう分らずそのまま一週間ほどは床についてしまいました。

 この事件以来すっかり神経衰弱になり、まだ夏だというのに日が暮れかかると雨戸を閉じしきりに恐がっていました。当時は私共がハレモノにさわるように気をつけていましたが、十一月十八日の夜、いつもに似ず子供達を誘って麻雀をして寝ました。翌朝あけ方枕元に遺書を残し、音のしないように新品の草履で庭の物置に行き、使用した懐中電燈まで消すという周到な用意で縊死しておりました。

麻雀も妻子への別れだったのでした。生活は苦しくとも家庭は円満でしたし、八月の事件以外、自殺の原因として思い当ることはありませんでした。外国人のために平和な家庭に加えられたこの暗いかげ、そのため佐々木は死をえらんだのでした。

子供たちの教育のため死因は脳溢血と発表いたしましたが、このように苦しみ悩んで死んでいった故人のことを想いますとき、何も彼も申し上げるべきだと存じました。スパイでしたらもう少し生活も楽だったでしょうに、また日常の生活にかげもありましたでしょうに、妻も子も、夫として、父としての佐々木を敬愛いたし潔白を信じております。

一体、彼を浚った怪外人たちは何者なのだろうか? この怪自動車は何処のものなのだろうか? 戦後、東西二つの世界に分れた人類の悲劇は、ブブブブゥという力強い爆音をたてる、この〝迎えにきたジープ〟によってその幕を開くのである。

迎えにきたジープ! これこそ、その人間の不幸な将来を暗示する言葉であり、悪魔の使者である。そしてまた、その〝迎えにきたジープ〟の爆音の恐怖を知っているのは、日本人を除いてはドイツ人だけであろう。

ジープが迎えにきた! ということは、米ソの秘密戦の宣戦布告のラッパである。