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新宿慕情 p.046-047 八等身の美女がズラリと居並び

新宿慕情 p.046-047 美人喫茶のハシリは日比谷交差点の「美松」。戦後は、銀座のプリンスが先か新宿のエルザが先なのか。
新宿慕情 p.046-047 美人喫茶のハシリは日比谷交差点の「美松」。戦後は、銀座のプリンスが先か新宿のエルザが先なのか。

しかし、私は、少年の日に、戦前だから、唇を合わせることはもとより、手ひとつ握ることさえなく、ただただ〈我が胸の底の、ここには……〉と、思慕のみを抱いて、死を意味していた

〝醜の御盾〟として出て征って、帰ったのだが、ひとりは劇作家夫人、もうひとりは演出家夫人に納まった、と知って、我が《女性鑑識眼》の確かさに、ひとり悦に入ったものである。

……サテ、本題のムチに戻らなければならない。

こんなふうに、かつての演劇青年だけに、コンチネンタル・ショーの、〝文化度〟を判断する能力はあったのである。

それだからこそ、このクラブの経営者に、もっと客の入りを考えるように忠告し、演出家兼振付師の水口クンには、然るべく、アドバイスをしたりしていたのだが、やがて、クラブは経営不振でクローズし、ムチのチームも、新宿から去っていってしまった。

だれか、私のムチを知らないか……と、私は、〈郷愁〉の幻影を追い求めて、また、夜の新宿を、ハシゴする——。

要町通りかいわい

美人喫茶は戦前に

古き良き時代——というのは必ずしも〈戦前〉だけ、とは限らない。

〈戦後〉の新宿にだって、〝古く良き〟店が多かった。その代表的なものに、「美人喫茶」がある。

美人喫茶、というのは、そのハシリは、日比谷交差点にある朝日生命館の一階に、「美松」という店があった。

エ? と、反問しないでもらいたい。戦前のことなのだ。

あの一階の、広いフロアいっぱいに、八等身の美女がズラリと居並び、中二階のレコード係がこれまた、美女中の美女。

スケート場といえば、芝浦と溜池の山王ホテルだけ。ダンスホールは新橋のフロリダ、喫茶店は美松、といった時代だ。文字通り、〝きょうは帝劇、あすは三越〟しか、社交場がなかったころなのだ。

この「美人喫茶」思想は、だんだん食糧事情が良くなって、量よりも質の時代になってきた、多分、昭和二十七年の日本の独立以後、芽生えてきたと思う。

果たして、銀座のプリンスが先なのか、新宿のエルザが先なのか。あるいは、新宿でも、エルザよりも早い店が、あったのかも知れない。そのへんの正確さは欠けるけれども、新宿の美人喫茶といえば、私にとってはエルザ——私のエルザ、なのである。

エルザという喫茶店は、寄席の末広亭前の通りを、靖国通りのほうへ行った右角。いま、老朽化した二階建てを、これまたビルに改築中である。キット、あの木造のギシギシいった風情が、

まったく、なくなってしまうだろう。

新宿慕情 p.050-051 日本橋の紅花、行列して待つほどの繁昌ぶり

新宿慕情 p.050-051 食べ物屋というのは、コックが代わったら終わりなのだ。少し儲かると、店を広げたり、支店を出したりするが、これが間違いのもと。
新宿慕情 p.050-051 食べ物屋というのは、コックが代わったら終わりなのだ。少し儲かると、店を広げたり、支店を出したりするが、これが間違いのもと。

私が、このエルザに、毎日のように通ったのは、昭和三十四、五年ごろから、四十五年ごろまでの十年間。
むかしは、二階が同件席だった。美人喫茶に、あまり美しくない女の子と入るのには、女性側

に抵抗がある。だから、二階の効率は悪かったらしい。

やがて、二階を喫茶バーに変えたりしたが、大テーブルの向こう側に女性がいて、酒類を飲みながら、安く、人生論を展開したりするには、あまりにも、世の中が〝現金〟化しすぎていたし、女性側にも、もう、そんなロマンチストは、数少なくなっていたので、これもまた、すぐ飽きられて、水揚げが悪かったようだ。

田中角栄氏が、すでに、幹事長になっていたセイだろう……。即物的な風潮が、もはや、美人喫茶などという、ロマンを押しツブしてしまう時代だった。

この要町通りの一角は、私の新宿での、一番関係の深い土地である。

ランチならいこい

エルザとの十何年の付き合いと、ほぼ同じくらいになるのが、エルザと背中合わせの角にある「いこい」というキッチンだ。

食べ物屋は、美味いのが第一で、次が安いこと。そして、量ということになる。そのうえ、材料が新鮮、ということになれば、もう、申し分がない。

この「いこい」は、現在も、いよいよ盛業中なので、いささかCMめくけれども、〝事実は雄弁に勝る〟のだから、しようがない。

ここの若ダンナが、まだ独身時代からで、結婚し、子供が生まれ、大きくなってゆくのを、ず

っと、目撃しつづけてきたのだ。

それは、〈いこいランチ〉を通じての仲である。

「いらっしゃーい。まいど」

「ごちそうサン」

交わす会話はこれぐらいでも心と舌とは通じ合っている。万古不易……といえば、大ゲサすぎるが、洋食屋で、これほど変わらない店は少ない。

もう、ズッとむかし。日本橋の紅花に行って、その味と量と値段とに、驚いたことがある。ランチ・タイムなどは、付近のサラリーマンたちが、行列して待つほどの、繁昌ぶりだ。

この〝好況〟に、経営者は、その気になったらしい。チェーン店がふえるたびに、味が落ち客足が落ちて、値段が上がってゆくのだ。もう、紅花などに見向きもしなくなって久しい。

食べ物屋というのは、コックが代わったら終わりなのだ。味が、ガラリと変わってしまう。中国料理店など、その代表的なものだろう。

だから、少し儲かると、店を広げたり、支店を出したりするが、これが間違いのもとだ。飲み屋は、サービスとフンイキだから、チェーン店を出せる可能性もあるが、食べ物屋は、そうはいかない。

カミさんとて、そうそう、取り替えられるものではない。ということは、別に、道徳的な理由からではない。

新宿慕情46-47 要町通りかいわい 美人喫茶エルザ

美人喫茶のハシリは日比谷交差点の「美松」。戦後は、銀座のプリンスが先か新宿のエルザが先なのか。
美人喫茶のハシリは日比谷交差点の「美松」。戦後は、銀座のプリンスが先か新宿のエルザが先なのか。

新宿慕情48-49 なつかしのエルザ マキさんという中年の女性がいた

私は、むかし気質のエンピツ職人。一業をもって一家をなすべし。ナンデモ屋でみな中途半端な〝すなっく〟を軽蔑する。
私は、むかし気質のエンピツ職人。一業をもって一家をなすべし。ナンデモ屋でみな中途半端な〝すなっく〟を軽蔑する。