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赤い広場―霞ヶ関 p068-069 村井室長はヤミドル事件をデマだと否定。

赤い広場ー霞ヶ関 p.068-069 村井室長はヤミドル事件をデマだと否定
赤い広場ー霞ヶ関 p.068-069 Murai manager claims that the illegally dollar matter is a false rumor.

〝日本の機密室〟員が通訳として、外国の経済特使につきまとっており、その特使の行動が極めて不可解なものであった、という事実しか筆者は知らない。しかし、この事実は当時内調の謀略として、一部で問題視された事件であった。果して内調が何を意図し、何を行い、何を得たかは全く分らない。しかし、このような奇怪な事件があったことは事実である。

アザーム博士に肝付内調室員がつきまとっていたのと同じ時期に、西独のボンでは村井室長が二人の英国諜報員につきまとわれていたという、皮肉な廻り合せの事件が起きていたことは面白い。

つまり、肝付氏にアザーム博士工作を命令(?)した村井室長は、その後外遊して有名な「腹巻のヤミドル事件」の主役として、いろいろな意味で問題となっていたのである。

この事件というのは、村井氏が三千ドルのヤミドルを腹巻の中にしまいこんでいたのを、英国官憲に摘発され、上衣まで切開かれて取調べをうけたというデマが流され、同氏が新情報機関の立案者だけに大いに間題となったことだ。

新情報機関というのは、二十七年十一月に当時の緒方官房長官が構想を練り、特殊国策通信社を設立し、各国の放送、無電の傍受をしようというものである。ところがその構想の下請けは村井氏が企画したもので、内閣調査室を母体にしようというのであった。

そういう時期が時期であり、村井氏の欧米出張がMRA大会出席という名目であり、外交官旅券が出されたのだから出張命令は出ているのに、旅費は出ていないということなども疑惑を生んで、三千ドルはヤミ工作資金ではないかという騒ぎになった。

村井氏は内務官僚で、第一次吉田内閣の首相秘書官から、特高一斎罷免のあとをうけて警備警察制度の創設に当り、二十二年国警本部に警備課を新設してその課長になり、さらに二十七年春内閣調査室長に転じた人である。

私にとっては、例の幻兵団記事が治安当局でもオトギ話としか受取られなかった頃、村井課長が早くもこれに注目して、その資料の収集に当ったという因縁があるのだ。

九月二十二日帰朝した村井室長は、ヤミドル事件をデマだと否定したし、外務省へも在外公館からの公電で事実に反するといってきたから、デマであることは事実だ。ではこのデマは何故出てきたのだろうか。

この事件こそ、今日の怪文書事件の原因ともいえる、内調発足時からの内務官僚と外務官僚との、主導権争いのセクショナリズム的対立であり、また日米英ソ四ヶ国の秘密機関にまつわる〝説〟もあるほどの、激しい国際諜報謀略戦のヒナ型である。しかもまたラストヴォロフ事件とも関係している。

まずこの内調の基礎的な条件からみてみよう。これは村井氏が企画立案したもので、綜合的 な情報機関として、その設立を各方面に進言し、自らその責任者となって発足した。

赤い広場ー霞ヶ関 p.076-077 怪文書事件を解く3つの解釈

赤い広場ー霞ヶ関 p.076-077 Three interpretations to solve the mysterious document matter
赤い広場ー霞ヶ関 p.076-077 Three interpretations to solve the mysterious document matter

村井氏の旅費が国庫から出ていないという、不明朗さを同時に衝くためにも、このような三千ドルのヤミドルというつけたり

で、デマをまくようにしたとも判断されるのである。いずれにせよ、このデマは村井失脚を狙った曾野氏の謀略だと言われる所以でもある。

そして、この村井対曾野の抗争、その現れの一つであるヤミドル事件なども誘因となって、新情報機関案は流産の憂き目をみてしまった。

これは内務官僚である村井構想(とは村井氏が絶対的主導権をもっている)による情報機関が、外務官僚である曾野氏の小型謀略によって爆撃されてしまったということである。

さて、ここで再び内調の現状に目を移してみよう。村井氏の後任、二代目室長には木村氏が就き、次長格には外務省課長の吉田健一郎氏が入った。木村氏は村井氏と同じ内務官僚でありながら、全く肌合いも違えば、人物の点も違っていた。

村井氏が縦横に奇略をめぐらし、或る程度の非合法工作をも、あえて辞さないという積極的な室長で、その結果策士策に倒れた感であったのに反し、木村氏の態度はきわめて消極的で全くの事務官僚である。従って非合法工作などとは思いもよらない話で、肝付氏のような訳の分らぬ仕事をした室員は、その出向を停止してしまった。ここらに怪文書事件の源も生れようというものだ。

当局筋の見解を綜合すると、この怪文書の解釈には次のような幾つかがある。

1は、肝付氏らのグループ自体の意志によって計画され、実行されたもので、単に室長であ

る木村氏への反感からの怪文書である。

2は、肝付氏は通産省という外務官僚の外廓におり、吉田健一郎氏――重光外相吉岡秘書官

(外務官僚ではなく戦前の北京飯店の住人だった人物)――肝付氏というルートで、外務官僚の系列にある人物である。それで肝付グループが意識するとしないとにかかわらず、外務官僚が黒幕となって内務官僚である木村氏の攻撃を行っている。

3は、肝付グループなどには全く関係がなく、外務官僚の内務官僚に対する真向からの挑戦であり、これが怪文書という形となって現れてきた。

「情報なき外交はあり得ず」と、外務官僚は主張する。若い外交官に情報訓練を行って各地に駐在せしめ、日本人の目による正確な情勢の把握と、本国における充分なスタッフによる分析を行えば……というのがその主張であり、これはもっともである。戦後タイ国内を徒歩で歩き廻り、国境を越えてカンボジアにまで入った日本人は一商社員で、外交官はバンコクのデスクに坐ったままでいるのである。「情報なき外交はあり得ず」といいながら、情報の一番少なく、また日本にとって重要な、東南アジアでさえこの実情である。

今日のように国際的な連関性が強化された情勢下において、情報の大事なことは、あながち 外交ばかりではない。政治も経済も、内政すべてがそうである。