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赤い広場―霞ヶ関 p062-063 内調の内紛を暴露するアカハタ。

赤い広場―霞ヶ関 p.62-63 内調の内紛を暴露するアカハタ。
赤い広場ー霞ヶ関 p.062-063 The Akahata exposes the internal trouble of the Cabinet Research Office.

そして、それらの人々は、もちろん、日本の社会の指導階級ともいうべき、あらゆる地位にあり、教育も、名誉も、さらに将来をも持っている人たちばかりであった。

そして「アカハタ」はこのメムバーを先手を打って発表しているのである。

三怪文書おどる内閣機密室 総理府官房調査室、略して内調は日本の機密室である。二十七年四月、特高のなくなった戦後に警備警察制度を設け、国警本部初代警備課長となった内務官僚村井順氏によって創立された情報機関である。

この調査室は創設以来あらゆる意味で各界から注目されている。二十七年十二月、当時の緒方副総理の提唱した、新情報機関の構想の基礎となったのも、この内閣調査室である。

ところが、さる三十年四月下旬ごろ、その内情について、いわゆる〝英文怪文書〟が、各官庁、政府内部にバラまかれた。戦後の大事件である帝銀、下山、松川、鹿地などの事件に登場した〝英文怪文書〟の伝である。

つづいて、この英文とほぼ同内容のガリ版刷り怪文書が、「極東通信社極秘特報第一〇八号」と銘打たれて、再び関係各方面にバラまかれたのである。

その内容は、ラストヴォロフの手先のスパイが内調に喰い込んでおり、重要機密を抜かれた内調ではその対策に苦慮しており、木村室長は辞意を表明したが、結局は引責辞職せざるを得

ないだろう、という要旨である。

この怪文書の狙いは、明らかに前警察庁人事課長という内務官僚である、木村行蔵の追 い出しを図ったものである。では、この内務官僚の追い出しを図ったのは誰か?

怪文書とはしょせん怪文書であり、’デマである。こうしてはしなくも、ここにその内情をバクロした〝日本の機密室〟の内粉の真相は何か?

これこそ内調創立当時の村井順室長(現京都警察隊長)と曾野明外務省情報文化局課長(現ボン駐在参事官)との対立にはじまる、内務対外務官僚の主導権争いであり、同時に如可に官僚たちが、この小さな機関の将来を重要視しているかということである。

この争いが、祖国を想う至情からの争いならば、何をかいわんやであるが、果して事実はどうか。ここにその実情を抉ってみよう。

まず、怪文書からみよう。昭和三十年四月二十日付の「極東通信社極秘特報第一〇八号」は、普通の白角封筒の裏に「極東通信社」とのみ、下手なペン字で記されて、同日東京中央局の消印で配達されている。

このペン字は、筆跡をわざとゴマカして、左手かまたはペンを逆に使った字である。内容はワラ半紙にやはり下手な横書の字だ。

赤い広場ー霞ヶ関 p.076-077 怪文書事件を解く3つの解釈

赤い広場ー霞ヶ関 p.076-077 Three interpretations to solve the mysterious document matter
赤い広場ー霞ヶ関 p.076-077 Three interpretations to solve the mysterious document matter

村井氏の旅費が国庫から出ていないという、不明朗さを同時に衝くためにも、このような三千ドルのヤミドルというつけたり

で、デマをまくようにしたとも判断されるのである。いずれにせよ、このデマは村井失脚を狙った曾野氏の謀略だと言われる所以でもある。

そして、この村井対曾野の抗争、その現れの一つであるヤミドル事件なども誘因となって、新情報機関案は流産の憂き目をみてしまった。

これは内務官僚である村井構想(とは村井氏が絶対的主導権をもっている)による情報機関が、外務官僚である曾野氏の小型謀略によって爆撃されてしまったということである。

さて、ここで再び内調の現状に目を移してみよう。村井氏の後任、二代目室長には木村氏が就き、次長格には外務省課長の吉田健一郎氏が入った。木村氏は村井氏と同じ内務官僚でありながら、全く肌合いも違えば、人物の点も違っていた。

村井氏が縦横に奇略をめぐらし、或る程度の非合法工作をも、あえて辞さないという積極的な室長で、その結果策士策に倒れた感であったのに反し、木村氏の態度はきわめて消極的で全くの事務官僚である。従って非合法工作などとは思いもよらない話で、肝付氏のような訳の分らぬ仕事をした室員は、その出向を停止してしまった。ここらに怪文書事件の源も生れようというものだ。

当局筋の見解を綜合すると、この怪文書の解釈には次のような幾つかがある。

1は、肝付氏らのグループ自体の意志によって計画され、実行されたもので、単に室長であ

る木村氏への反感からの怪文書である。

2は、肝付氏は通産省という外務官僚の外廓におり、吉田健一郎氏――重光外相吉岡秘書官

(外務官僚ではなく戦前の北京飯店の住人だった人物)――肝付氏というルートで、外務官僚の系列にある人物である。それで肝付グループが意識するとしないとにかかわらず、外務官僚が黒幕となって内務官僚である木村氏の攻撃を行っている。

3は、肝付グループなどには全く関係がなく、外務官僚の内務官僚に対する真向からの挑戦であり、これが怪文書という形となって現れてきた。

「情報なき外交はあり得ず」と、外務官僚は主張する。若い外交官に情報訓練を行って各地に駐在せしめ、日本人の目による正確な情勢の把握と、本国における充分なスタッフによる分析を行えば……というのがその主張であり、これはもっともである。戦後タイ国内を徒歩で歩き廻り、国境を越えてカンボジアにまで入った日本人は一商社員で、外交官はバンコクのデスクに坐ったままでいるのである。「情報なき外交はあり得ず」といいながら、情報の一番少なく、また日本にとって重要な、東南アジアでさえこの実情である。

今日のように国際的な連関性が強化された情勢下において、情報の大事なことは、あながち 外交ばかりではない。政治も経済も、内政すべてがそうである。