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赤い広場―霞ヶ関 p054-055 米軍一等兵の愛人、鈴木千鶴子。

赤い広場―霞ヶ関 p.54-55 米軍一等兵の愛人、鈴木千鶴子。
赤い広場ー霞ヶ関 p.054-055 Chizuko Suzuki, Mistress of the 1st class soldier of the U.S. Army.

さらにジェニーことヴァイングトンという極東空軍の一等兵がいる。彼には新橋駅付近にたむろする夜の女で、鈴木千鶴子さんという愛人がいたのだった。彼女の新橋での通称は遠慮して、小柄などちらかといえば可愛い型の子である。

ジェニーは一等兵だからあまりお金を持っていなかった。だが、やがてお金をつくる方法を思いついた。部隊の話をソ連人が買ってくれるだろうというのである。ミグで脱出した北鮮人のように、十万弗ぐらいはくれるかも知れないと考えた。しかし、どうしたらそのソ連人に逢えるか分らない。そこで彼女に相談してみた。

彼女の答は簡単だった。

『ソリャ、ソ連大使館できけばいいわよ』

『どうして行って、何てきくんだい?』

『いいわ。アタシが行ったげる……』

こうして彼女は麻布の元代表部に、一人でのこのこと出かけていった。その時に彼女の話に乗ってきたのがラストヴォロフだったのである。

元代表部にはこのほかにも、米兵自身のネタの売込みなどの例があった。しかし、そんなのはとるに足らないので、ウルサク思ったソ連側では、その米兵の部隊に通知してやったということもあった。

彼女の話で、ラ氏は出かけてきてジェニーとレポをした。これをつかんだのが当局である。 こうして、ラストヴォロフ二等書記官は注視され、やがて実は政治部中佐という階級を持つ、 内務省系のスパイ組織者だということまで分ってきた。

そのころにはすでに日本は独立国となり、刑事特別法という、駐留米軍の機密を守る法律ができていたのである。ラ氏の行動は同法違反であるという確信を得た。

当時の課長は、何しろメーデー事件や五・三〇、六・二五各事件で、断乎として大量の朝鮮人を検挙して、〝坊ちゃん課長〟から〝鬼の山チン〟に変えられたほどの山本課長である。土性ッ骨が太くて、思い切ったことを果断実行する人である。

課内の意見は、「現行犯検挙」と決った。さらに、検察庁、外務省など関係当局との間で幾度か会議が開かれ、警視庁の意見が容れられた。この時には伊関国際協力局長、新関欧米第五課長などが相談にのり、検挙後の外交交渉の問題などが研究されていた。そして、新関課長の腹心日暮氏が、また当然その諮問に応じていたのである。

ジェニーの彼女は日本人であった。係官が事件の理由を説明して、率直に彼女の協力を求め た。

赤い広場―霞ヶ関 p056-057 日暮が警察の待ち伏せをラストヴォロフに通報。

赤い広場―霞ヶ関 p.56-57 日暮が警察の待ち伏せをラストヴォロフに通報。
赤い広場ー霞ヶ関 p.056-057 Higure tells Lastvorov the ambush of the police in secret.

彼女ははじめて事の重大さに驚いて協力を約束した。この間の経緯は将来に備えて、正規の警察官調書となって、彼女の署名捺印とともにいまも当局に残されている。

こうして、米兵とラ氏とのレポの時間と場所が判明した。だが、その現場を包囲した係官たちの顔には、ようやく焦躁の色が浮んできた。米兵は定時刻に現れたが、ラ氏は来ないのである。

ラストヴォロフはついに、現れなかった。何も知らない米兵と、何も彼も知っている係官たちとは、それぞれに失意のうちに帰っていった。ラリー大尉も、ジェニー一等兵も、そしてソ連人と親しくしていた他の米兵も、本国へ送還されたことはもちろんである。

「山本調書」には、この件りについて次のようなラ氏の供述が書いてあるという。

……警視庁の係官たちが現場に張り込んでいる。危険である。という日暮からの知らせがあったので、それ以後はその米兵と会うのは止めました。

当時、日暮氏はモスクワ時代の〝事件〟について、率直にその旨を上官に申告していたのである。だが上官たちは、自己にその責任の及ぶことを恐れ、また或いは対ソ情報源としてその〝事件〟と〝事実〟とを黙認していたといわれている。もしこれが事実ならば、この上官たちには何の責任もないものだろうか。日暮氏のこのラ氏への通報は、明らかに公務員法第百条違

反であろうが、日暮氏一人に負担させられるべき性質の問題だろうか。

また日暮氏の供述には新日本会グループのことがある。私はこのことを〝説“として以下に紹介したが、彼はこれを〝事実〟として供述しているのである。

さらにまた、内閣調査室における複雑な彼の立場がある。彼はまたこの事実も語っているのである。

自供しようが、否認しようが、また、その名前が公表されようが、されなかろうが、〝スパイ〟は殺されるのである。長谷検事はこういっている。『きよう出来上った調書が問題で、内容を明らかにすれば自殺者の気持が判ると思う』(八月二十八日付毎日夕刊)

一切を否認して、左翼系の自由法曹団の庇護を受けて強弁する庄司氏の態度よりは、率直に一切の真相をブチまけ、ソ連の諜報謀略工作の全貌を当局に教え、さらに政府内部への忠告として、外務省幹部たちの氏名と、その非日活動(という言葉が当るならば)の事実とを曝いた、日暮氏の勇気ある行動は、やがて史家によって認められ、賞讃に値することになるに違いない。

後に遺された幼い子供達の、健やかな成長のためにも、その日のあるを願ってやまない。日暮氏もまた、ソ連スパイ組織の脅迫と強制とによって、その平和と幸福とを奪われた一人であるから……