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黒幕・政商たち p.130-131 戸川貞雄氏は身を退いた

黒幕・政商たち p.130-131 内山知事は、自分が払下げの申請を行い、自分が関東地方審議会臨事委員として、払下げの審議に参加し、さらに株式会社の設立発起人筆頭となって、特別な契約を結ぼうとする
黒幕・政商たち p.130-131 内山知事は、自分が払下げの申請を行い、自分が関東地方審議会臨事委員として、払下げの審議に参加し、さらに株式会社の設立発起人筆頭となって、特別な契約を結ぼうとする

政治評論家の藤原弘達、戸川猪佐武氏らも、評議員としてその研究会に名を並ねている。

「戸川猪佐武氏は、読売政治部記者から、政治評論家となり、さきの選挙に神奈川三区から出馬して、落選こそしたが、得票は二万弱で、初出馬以上の実力をみせた人物。実弟雄次郎氏は、読売社会部記者時代、芥川賞を得て、作家菊村到に転身し、作家出身の政治家として有名な戸川貞雄氏を父に持っていることは、すでに世間に知られている」

ここまで記述すれば、もはやすべては明らかとなってしまう〝人間関係〟である。田川パンフレット第七頁には、こう書かれている。「しかし、神奈川県は申請通りの県立公園を造る意思がなく、元知事秘書上妻某、戸川某氏らのあっ旋によって、国民政治会専務理事御喜家康正氏の計画しつつあった、株式会社サイエンス・ランドに、この土地を譲る方針を固めつつありました」

この文中に、戸川某氏と指さされているのが、猪佐武氏であることは明らかである。そして猪佐武氏の父貞雄氏も、ランド計画に参画しており、同社の役員予定に列していたのだが、流説によれば、田川議員が「戸川如きが役員に入っているような会社など、応援できるものか」と、罵ったと伝えられるに及んで戸川氏は摩擦をさけるため、身を退いたのであった。

戸川貞夫、猪佐武父子は、河野一郎氏とその政治的同志たちの、政敵である。それだからこそ、リーフレット上にも現れなかった戸川貞夫氏の名前は、まずこうしてランド計画から消え去った。御喜家氏に対する、怪文書という卑怯な人身攻撃につづく、ランドの生まれ出づる悩み

の一つである。

二月十四日付リーフレットで、御署名順の筆頭発起人として、見えすいた登場をしてきた内山知事へも、〝政敵〟たちの風当りは強かった。田川パンフレット第八頁「とくに内山知事は、自分が払下げの申請を行い、自分が関東地方審議会臨事委員として、払下げの審議に参加し、さらに株式会社の設立発起人筆頭となって、特別な契約を結ぼうと努力するなど、奇怪な行動をとっています」と、攻撃され、さらに、四月七日の決算委の質問中でも「そういうことで、県が申請をしつつあるというときに、知事さんが別の会社の発起人になっておるというところに、地方制度からみて、地方自治からみて、少しおかしいものがあるのじゃないかと、私ども思うわけです」と、追及されているほどだ。

これは正論である。御喜家—戸川(猪)—戸川(貞)—内山という、ヒューマンリレイションズが読めた以上、内山知事の県立公園からランドへの転身声明(三月十六日付県公文書)からいっても、内山知事の名を筆頭発起人として印刷するのでは、ランド側の無神経で粗雑な頭脳がうかがわれて、これでは果して、青少年の科学教育の振興という大義名分を、国有地六万坪の名儀を書き換えて、開園にこぎつける日まで、持ち続けることが出来るのだろうかと、疑念も湧くというものである。身障児の治療センターにと払下げられたら、豪華なマンションになったというケースが、問題になったのも最近の例である。

黒幕・政商たち p.132-133 明らかに河野派の妨害

黒幕・政商たち p.132-133 社長となった市村清リコー社長は、「百名に余る財界トップの方々が、一部の妨害にくじけるようなことがあれば、日本財界に取り返しのつかぬ汚点を残すことになります……。私は義憤を感ずるのです」と
黒幕・政商たち p.132-133 社長となった市村清リコー社長は、「百名に余る財界トップの方々が、一部の妨害にくじけるようなことがあれば、日本財界に取り返しのつかぬ汚点を残すことになります……。私は義憤を感ずるのです」と

トカゲが尾を断ち切って逃げのびるように会社は内山知事を発起人から消した。そればかりではない。ランドの四面楚歌ぶりに驚いたのか、会社リーフレットに、社長予定者として名を出していた、日銀理事の山村鉄男氏は一足先に、東洋観光社長に就任して、これまた去った。

高級官僚という〝難物〟

河野派の牛耳る県議会もまた、ランド反対、内山知事弾劾の動きを見せ、県会議長小川要の名前で、県理事者へ意見書が出された。

「県は当初の計画通り、公園の具体化をはかれ。知事が営利を目的とするランドの発起人に参画している事実は理解に苦しむ。善処を要望する」と。

四月七日の総会の席上、御喜家氏は「土地問題が解決せず、会社が流産したら、払込金には銀行利子をつけてかえす。会社経費は自分と小谷氏名儀の三千万円で賄い、株式代金には手をつけない」旨を声明し、これを個人的念書として株主に出した。反対派からは出来ない会社を作って金を集めたのはサギだ、株式払込金を使えば背任横領だ、捜査二課が内偵している、と、株主たちを不安がらせる〝風聞〟が流されているのに応えたものである。

山村氏に代って、社長となった市村清リコー社長は、このような事態に対し、「百名に余る財界トップの方々が、一部の妨害にくじけるようなことがあれば、日本財界に取り返しのつか

ぬ汚点を残すことになります……。私は義憤を感ずるのです。いかなる迫害、妨害にもめげず、私は断乎やり通すことを、ここに誓約いたします」と、悲壮とも、ごう慢とも取れる挨拶を行って、その決意を語ったほどである。

だが、市村社長の決意にもかかわらず、一流財界人九十八名発起にかかるランド計画は全く〝一部の妨害〟によって、フン詰りの状態になってしまった。進むも退くもならないのである。ということは、この九十八名の連名には、みんなの意思統一による「財界」という形での、ランド建設計画ではなく顔見世興行的な、個人参加の形での財界スターのオールスター・キャストであったから、ジャーナリスティックなけんらん豪華にすぎないのであって、大向うをわかせることはできても感銘を与える芝居にはならないのであった。

つまり、〝鬼面人を驚かす〟態のハッタリにすぎないことが、政界、官界ともに見すかされていたのである。政治家や大蔵省の高級官僚たちの受ける印象からいえば、単なる財界個人の〝個〟の圧力しかなく、しかもそれが、連名によって九十八分の一に弱められているのである。それに加えて、御喜家氏への風当りが強く、そうまでされると、財界人たちが躍らされているといった感じも伴い、いよいよランド支持の魅力を失ってしまうのである。

市村氏のいう一部の妨害とは、明らかに河野派の妨害であり、それは当然、親方河野一郎氏の了解、もしくは指示によると解されるのだから、尚更のことである。「力は正義なり」方式

で、河野氏の実力振りになびかざるを得なくなる。

黒幕・政商たち p.134-135 〝政治問題化〟を図る田川議員

黒幕・政商たち p.134-135 この辻堂演習地については、接収解除に努力した内山知事の、その努力による自負から、自分の胸先三寸で何とでもなるといった官僚に良くみられる国有財産の私物視が、会社側の判断を狂わせた
黒幕・政商たち p.134-135 この辻堂演習地については、接収解除に努力した内山知事の、その努力による自負から、自分の胸先三寸で何とでもなるといった官僚に良くみられる国有財産の私物視が、会社側の判断を狂わせた

市村氏のいう一部の妨害とは、明らかに河野派の妨害であり、それは当然、親方河野一郎氏の了解、もしくは指示によると解されるのだから、尚更のことである。「力は正義なり」方式

で、河野氏の実力振りになびかざるを得なくなる。

それは、四月七日の決算委における、大蔵省江守管財局長の答弁によく現れている。サイエンス・ランドなどは、今の行政手続上の段階では、全く関係がありません、という冷たい態度でありながら、速記録をよく読んでみると、その行間には、「困るなァ、ランドも。こんなにモメないよう、ウマクやってから大蔵省に持ってきてくれなくては! 政治力がなさすぎるよ!」と、舌打ちでも出そうな感じが、読み取れるのである。

それはともかくとして、県会は三月二十五~七日の常任建設委の審議から、さらに本会議に持ちこみ、ランド反対、公園促進、知事の善処という、意見書の決定まで行い、このような地方議会での余勢を駆って、地方での〝政治問題化〟から中央での〝政治問題化〟を図る田川議員の質問になったのであった。〝政治の問題化〟したということは、もはや〝政治的解決〟を図る以外、打開の途がないということである。それには、一番手ッ取り早い「金」もあろうし、「物々交換」もあろうし、「利権」も「選挙」もあろう。伴睦流の「足して二で割る」もある。いずれにせよ三十九年の四月上旬で、株式会社サイエンス・ランドは、こうして、完全に行き詰ってしまったのである。

ここまでの段階を、時間的にみれば、計画の具体化から僅か数カ月である。御喜家氏によれば、「案がまとまったのが二年ほど前、三十八年九月から会社廻りをはじめて、翌年の二月に

ようやく百社の賛成を得ました」(前出アサヒ芸能誌)というが、百社のスター・キャストは組めたが、肝心の地元政界の政情分析から、中央政界への関連性など、さらには官僚研究など、重要課題を全く無視しているのであるから、氏の前歴その他がうんぬんされるのも無理はない。

かりそめにも、今日の日本の社会構造で、億単位の事業をしようというのに、政、官界の研究なしにスタートするというのは、暴虎馮河の勇、ことにその事業の舞台に、六万坪の国有地を想定するにいたっては、もはや言を俟たないところである。

もっとも、この辻堂演習地については、接収解除に努力した内山知事の、その努力による自負から、自分の胸先三寸で何とでもなるといった官僚に良くみられる国有財産の私物視が、会社側の判断を狂わせたと、みられるフシがないでもない。

それは、県立公園という名目で、六万坪だけ確保しておき、何かウマイ話に使ってやろうという、知事のハラも読めるようである。ランド計画は二年前(御喜家氏)というし、三年四カ月の間大蔵省へはナシのつぶて、発起人承諾、「(ランド促進の)当方の趣旨を認めた後の申請書取下げ」という大蔵省への公式回答など、一連の事実をつづりあわせると、そんな答が出てこよう。

黒幕・政商たち p.136-137 原因は国会における質問

黒幕・政商たち p.136-137 〝華麗〟なる事業が泥にまみれ、戸川貞雄氏を退け、内山知事を除き、社長予定の山村鉄男氏が去り、ついには主唱者の御喜家氏自身が葬られるという、ハンケチが雑巾に変りゆく過程
黒幕・政商たち p.136-137 〝華麗〟なる事業が泥にまみれ、戸川貞雄氏を退け、内山知事を除き、社長予定の山村鉄男氏が去り、ついには主唱者の御喜家氏自身が葬られるという、ハンケチが雑巾に変りゆく過程

〝夢の興行〟解散へ

「市村学校」の後退

一流財界人百氏の動員を、半年間でなしとげた御喜家氏も、たった〝一部の妨害〟のため、わずか三カ月で退陣を余儀なくされ、看板のハカナさと過信のほどを思い知らされることになった。フン詰りの状態が続いて、氏はついにランドの役員就任をあきらめ、一株主としての協力を表明せざるを得なくなったのである。

三十九年二月から同年夏までの半年間、これをサイエンス・ランド問題の第一期と呼ぼう。

われわれは、ここに、資本金十億、百人の財界人を発起人として、青少年科学教育振興という大旆を掲げ、国有地六万坪を事業場にしようという、〝華麗〟なる事業が、純民間べースの間は、順調にすべりつづけたにもかかわらず、政官界との接触がはじまると同時に泥にまみれ、戸川貞雄氏を退け、内山知事を除き、社長予定の山村鉄男氏が去り、ついには主唱者の御喜家氏自身が葬られるという、ハンケチが雑巾に変りゆく過程を、ハッキリとみることが出来た。

その原因は何かといえば、冒頭に述べたように、「国会における質問、という名の〝政治問

題化〟」の一言につきる。

さて、舞台は廻って第二期に入る。

この第二期の説明も、まず、印刷物によって、事実を確かめてみなければならない。印刷物とはいっても、六通の文書である。このうち三通の大蔵省と県の公文書をみると、田川パンフレットが、何故か、古い資料にのみもとづいて、構成されていることが、明らかになってくる。

ランドは、三十九年三月十七日に設立登記しようとして、書類その他の準備を進めていた。その時の書類をみると、設立発起人として、十四名をあげている。この第二期における、事態の変化を知るため、その十四名の名簿を見なければならない。

市村清(リコー社長)、長沼弘毅(日本コロムビア会長)、藤井丙午(八繙製鉄副社長)、松原与三松(日立造船会長)、本間嘉平(大成建設社長)、藤井深造(新三菱重工社長)、岡崎真一(同和火災海上会長)、水野成夫(サンケイ新聞社長)、渡辺武次郎(三菱地所社長)、越後正一(伊藤忠商事社長)、市川忍(丸紅飯田社長)、山村鉄男、小谷正一、御喜家安太郎の十四氏である。

この時の設立発起人代表の十四氏以外の、「発起人として御協力を頂く旨の御承諾を得ております」名簿は、実員九十九名、帝国石油岸本社長が抜け、森永製菓森永社長、山陽パルプ難波社長の二氏が新加入している。この時期には、ついに会社の設立が叶わなかったのは、前にのべた通りである。

黒幕・政商たち p.138-139 佐藤栄作をめぐる閨閥

黒幕・政商たち p.138-139 佐藤栄作をめぐる閨閥
黒幕・政商たち p.138-139 佐藤栄作をめぐる閨閥

佐藤栄作をめぐる閨閥①

元首相 浜口雄幸  国際電々会長 浜口雄彦 淑
          富士銀行頭取 岩佐凱実 清子
                富士
          代議士 大橋武夫

 昭和電工 大橋光夫
 大蔵省  大橋宗夫
        千世

森矗昶  日本治金社長 森暁
     早苗
     代議士 三木武夫
     陸子
     代議士 森清
     毬
    (安西満江)

              皇太子
日清製粉社長 正田英三郎  美智子妃
              日本銀行 正田巌
              恵美子
              修

佐藤栄作をめぐる閨閥②

佐藤祥明
  さわ
  もよ
佐藤秀助  元首相 岸信介
          佐藤栄作  日本鋼管 佐藤信二
            寛子  アラビア石油 佐藤竜太郎
元外相 松岡洋右  佐藤松助

         満江  千世
昭和電工社長 安西正夫  昭和電工 安西孝之
             三井不動産 安西直之
東京瓦斯社長 安西浩   東京瓦斯 安西邦夫
         敏子  昭和電工 安西一郎
             和子
元首相 吉田茂  桜子
        吉田寛

黒幕・政商たち p.140-141 御喜家氏は犯人として逮捕

黒幕・政商たち p.140-141 〝総会屋〟のボロ儲け仕事という印象を払拭し、まともな財界人のまともな事業という線を打ち出してきたのである。
黒幕・政商たち p.140-141 〝総会屋〟のボロ儲け仕事という印象を払拭し、まともな財界人のまともな事業という線を打ち出してきたのである。

この時の設立発起人代表の十四氏以外の、「発起人として御協力を頂く旨の御承諾を得ております」名簿は、実員九十九名、帝国石油岸本社長が抜け、森永製菓森永社長、山陽パルプ難波社長の二氏が新加入している。この時期には、ついに会社の設立が叶わなかったのは、前にのべ

た通りである。

芝山氏は、まず第一番に、財界人の一致団結(意思統一と協同動作)と、御喜家氏の引退とを求めて、それ以外に、ランド前進の可能性はないことを警告した。いうなればコンサルタントである。

その結果、会社側は顔見世オールスター・キャストをやめ、ユニット・プロでゆくことになった。〝総会屋〟のボロ儲け仕事という印象を払拭し、まともな財界人のまともな事業という線を打ち出してきたのである。従って、お付合い気分の人には遠慮してもらい、ヤル気のある人で再編成したのだ。

それが文書の一、三十九年八月十七日付の大蔵大臣あての、連名陳情書となった。その署名をみると、前記十四名のうちから、社長市村清氏を筆頭に、長沼弘毅、藤井丙午、松原与三松、本間嘉平、藤井深造、岡崎真一の七氏が残り、新たに、平木信二(リッカーミシン社長)、駒井健一郎(日立製作所社長)、藤川一秋(東都製鋼社長)、安西正夫(昭和電工社長)、五島昇(東急社長)の五氏が加わり、計十二名。

「何卒如上の経緯御賢察の上、本事業のため当該地を確保出来ますよう、格別の御配意を賜り、茲に一同折入って陳情申上げる」次第を、田中蔵相に頼込んだ。百名に及ぶ一流スターのけんらん豪華さはなくとも、自署捺印したこの十二名の連名には、いままでと違って、ヤ

ル気が感じられる、「責任」をアッピールしている。これこそ、さきの市村社長の〝決意〟を裏付けるものであった。

だが、国有地払下げ問題は、当時の政治情勢を反映して、困難となり、それから一年して、ついに株式会社「サイエンス・ランド」は解散となる。

この解散が問題である。その間に、御喜家氏は「怪文書」をバラまいた犯人として逮捕され、略式罰金刑をうける。田川議員の告訴からである。

解散によって、一流各社が分担し、払込んだ株式代金はどうなったか。誰が漁夫の利を得たか。財界人のうちには、個人で自分の社にランドの株式代金を弁済した者もいれば……。世はさまざまである。

「百名に余る財界トップの方々が、一部の妨害にくじけるようなことがあれば、日本財界に取り返しのつかぬ汚点を残すことになります……。いかなる迫害、妨害にもめげず、私は断乎やり通すことを、ここに誓約いたします」

昭和三十九年四月七日、東京会館での、サイエンス・ランド創立総会(結局は流会となった)で、こう語った市村清社長は、今、この挨拶を再録されて、何と感ずるであろう。〝市村学校〟の崩壊とも併せ考えると、口先ばかりの奴というものの、人間的な値打ちが判ろうというものである。

黒幕・政商たち p.142-143 芝山義豊、明治41年生。元子爵

黒幕・政商たち p.142-143 元宮様の会社の手形を、小宮山重四郎候補の実兄、小宮山平和相互銀行頭取の手で割っていた。 つまり、小宮山候補を逮捕すると、社長の元宮様も逮捕せざるを得なくなるのである。
黒幕・政商たち p.142-143  元宮様の会社の手形を、小宮山重四郎候補の実兄、小宮山平和相互銀行頭取の手で割っていた。 つまり、小宮山候補を逮捕すると、社長の元宮様も逮捕せざるを得なくなるのである。

元子爵、二幕目で主演?

さて、御喜家引退にはじまる、ランドの第二幕のドン帳があがった。そこに、〝口先ばかり〟ではない、一人の人物が登場する。

芝山義豊、明治四十一年生。元子爵。

私の、芝山氏に関する記憶は、終戦後の「世耕事件」にまでさかのぼる。あの隠退蔵物資の摘発こそは、旧陸軍の兵器弾薬を、国府軍に引渡すという計画のもとに、芝山氏の構想からスタートしたものであった。

さらにまた最近では、小宮山重四郎代議士(自)が、初出馬した選挙で、鮎川金次郎にも劣らぬ、大買収作戦を展開したことがあった。小宮山派の違反は、埼玉県警の摘発をうけて、連日拡大の一途をたどり、ついには落選した小宮山候補の身辺まで危うくなってきたのだった。

だが、身辺に迫った段階までで、同派の違反事件はピタリと止った。不審に思った私が調べてみると、同派の買収資金は、小宮山候補がかついでいた、元宮様が社長をしている会社の手形を、小宮山候補の実兄、小宮山平和相互銀行頭取の手で、平和相互が割っていたものであった。——つまり、小宮山候補を逮捕すると、どうしても、社長の元宮様も逮捕せざるを得なくなるのである。そこに、県警本部長の〝政治的判断〟が働らいたようであった。

そして、芝山氏はその元宮様と学習院で同期生であり、県警本部にも、氏が現れた形跡があったのである。そのことをただした私に対し、芝山氏は笑って反問した。

「今は一市民となれたのだが、何も知らない方を〝逮捕〟するということは、やはり避けるべきではないだろうか」

この芝山氏の、コンサルタントとしての登場により、ランド問題は急速に動きはじめたのである。芝山氏は、まず第一番に、財界人の一致団結と、御喜家氏の引退とを求めた。いうなれば、一総会屋の手先にはならんのだゾ。そのためには、〝実〟業家である財界人が、団結して、ワシに礼を尽せ、ということであろうか。

この第二期を物語る、六通の文書がある。その第一は、十二名の財界人の自署連名による、田中蔵相への陳情書である。

三十九年八月十七日の日付のある、その第一号文書には、市村清を筆頭に、長沼弘毅、藤井丙午、平木信二、駒井健一郎、本間嘉平、藤川一秋、岡崎真一、安西正夫、松原与三松、五島昇、藤井深造とつづく。

文書の二、三はほぼ同じ内容である。「意見書」と題されるその二通の一つは、三十九年十月十四日付、名儀は、神奈川県市長会会長の肩書で、金子小一郎藤沢市長。その二は、それより一週間あとの二十一日付で、名儀は、神奈川県市議会議長会会長の肩書で、金子吉蔵平塚市

議会議長である。

黒幕・政商たち p.144-145 新聞界のフシギな対抗意識

黒幕・政商たち p.144-145 一口に三社といわれる、朝日、毎日、読売。そこに、三社ではない、四社だと主張するのが、ランドの設立発起人十四氏の一人、サンケイ社長の水野成夫氏である。
黒幕・政商たち p.144-145 一口に三社といわれる、朝日、毎日、読売。そこに、三社ではない、四社だと主張するのが、ランドの設立発起人十四氏の一人、サンケイ社長の水野成夫氏である。

文書の二、三はほぼ同じ内容である。「意見書」と題されるその二通の一つは、三十九年十月十四日付、名儀は、神奈川県市長会会長の肩書で、金子小一郎藤沢市長。その二は、それより一週間あとの二十一日付で、名儀は、神奈川県市議会議長会会長の肩書で、金子吉蔵平塚市

議会議長である。

神奈川県下十四市の、市長会と市議会議長会とが、それぞれにランド賛成を表明しているのである。さきの県議会で採択された、ランド反対、公園促進の意見には、一応尊重の態度を示しながら、「大衆性、公益性を前提条件として、その設立のすみやかならんことに賛意を表明」している。

文書の四、五、六は、公文書だ。吉村関東財務局長から、神奈川県知事あて、三十九年十一月二十日付で、「都市公園予定地の処理について」と題し、「その後相当の日時を経過しており、事務処理の都合もありますので、あらためて貴意を承知いたしたく」と、県の公式回答を求めたもの。

これに対し、知事は財務局長に、四十年一月二十九日付で回答し、「その後さらに慎重に検討を重ねた結果、湘南海岸公園整備の進展、県財政の現状等、諸般の事情を考慮し、県立都市公園の設置は、必ずしも適当ではないので、これを取止めることといたしました」と、公園計画の放棄を明らかにした。

つづいて、同文書の2号として「同…跡地の利用につき次のとおり要望いたします」と、「…都市公園にかわる施設として、公共性が強く、かつ公園の趣旨にも合致し、あわせて青少年の情操教育と科学教育のため、有益な施設が民間資本によって設置されることが、最も適当

と認められます」と、知事の意向を、ランドの社名を出すこともなく、控え目ながら、再度表明している。

水野サンケイの対抗意識

この文書はさらに次頁にわたり、「なお」書がついており、「住宅団地を拡張造成する計画がある模様だが、住宅過密を招き、東海道線の輸送も、極限にきているので、絶対に反対」なことを、申し添えている。

これらの状況をみると、三十九年八月以降、四十年はじめにかけて、ランド問題は大きく変化していることが判る。つまり、第二期、芝山氏の登場以後、事態が全く変化しているのである。ランドはフン詰りから脱却して大きく前進しているのである。

では芝山氏は何故、登場してきたのか、そして何の役割を果しているのであろうか。話はさかのぼるが、新聞界のフシギな対抗意識にもどらねばならない。

一口に三社といわれる、朝日、毎日、読売の三社は、たがいに全国紙としての、新聞本来の仕事ばかりか、あらゆる面での対抗意識を根強くもっている。そこに、三社ではない、四社だと主張するのが、ランドの設立発起人十四氏の一人、サンケイ社長の水野成夫氏である。

三社の対抗意識は、北海道進出にもみられるが、民放でも明らかである。読売の日本テレビ、 毎日の東京放送、朝日の教育テレビ、十二チャンネル、といった具合だ。サンケイは、文化放送、ニッポン放送、フジテレビと大きく頑張っている。

黒幕・政商たち p.146-147 〝戦前派学習院〟閥という集団

黒幕・政商たち p.146-147 この徳川宗敬氏の友人が芝山氏。牧野伸顕伯に見込まれ、吉田茂氏に推挙されて、世耕事件として有名な隠退蔵物資摘発の筋書を組んだ、ディレクターである。
黒幕・政商たち p.146-147 この徳川宗敬氏の友人が芝山氏。牧野伸顕伯に見込まれ、吉田茂氏に推挙されて、世耕事件として有名な隠退蔵物資摘発の筋書を組んだ、ディレクターである。

三社の対抗意識は、北海道進出にもみられるが、民放でも明らかである。読売の日本テレビ、

毎日の東京放送、朝日の教育テレビ、十二チャンネル、といった具合だ。サンケイは、文化放送、ニッポン放送、フジテレビと大きく頑張っている。

一方、読売が読売ランド計画を進めると、毎日はすぐドリームランドと手を握り、朝日は、国立こどもの国を支持するといった調子である。この三社のランドがいずれも神奈川県にあるのも面白いが、立ち遅れたサンケイは、独自にサンケイランドを計画し、吉浜海岸の造成地を考えた。

この造成地三万坪は、池袋の白雲閣の土地で、サンケイは「買う買う」と、白雲閣を引ッ張って造成工事を相手に進めさせながら、計算してみると、民有地だから高すぎて金繰りに無理がくると判断した。その結果、白雲閣を引ッ張り放しでポイと棄て、御喜家氏のサイエンス・ランド計画に乗り換え、水野氏が積極的に乗り出したのである。つまり、毎日がドリームランドと組んだように、サンケイはサイエンス・ランドと組もうとしたわけである。従って、発起人九十九氏の中には、マスコミからは、地元紙神奈川新聞社長が加わっているほかでは、サンケイだけといういきさつがある。

さらにまた、旧聞に属するが「文化放送事件」というのがある。そもそも文化放送を設立したのは、イタリー人神父マルセリーノ氏が、伝道用にというのであったが、何かとモメゴトが多く、元公爵徳川宗敬氏が社長になるハズのところ、何時の間にか逆転劇が仕組まれていて、水

野氏が乗っ取った形で社長となり、徳川氏は放逐されてしまった。

この徳川氏の友人が芝山氏である。牧野伸顕伯に見込まれ、吉田茂氏に推挙されて、第一次吉田内閣時代に、経済安定本部に勤務して、世耕事件として有名な隠退蔵物資摘発の筋書を組んだ、ディレクターである。そもそも氏の目的は日本軍の兵器を国府軍に渡し、増強して中国大陸の安定を期するにあり、それ故にこそ吉田茂氏も氏を起用したのであったが、兵器譲渡は米軍とのカネ合いで挫折し、物資摘発が主な仕事になってしまったという。

芝山氏は徳川氏のために、大いに憤慨して水野攻撃のチャンスを待っていたといわれる。そこに白雲閣事件である。サンケイ・ランドの用地造成のため、無理な金融をつづけていた白雲閣の苦境を知り、氏は義憤を感じてサイエンス・ランドに現れた。サイエンス・ランドを利用し、それを乗ッ取るという、水野氏一流の手口について、警告するためにだった。

〝戦前派学習院〟閥という、集団に非ざる集団があるとしよう。そんな〝閥〟があるかも知れないし、ないかも知れない。しかし、あるとすれば芝山氏は、それをバックに持つ隠れた実力者であろう。

その〝実力〟を知ったランド側は、フン詰り脱却のためのコンサルタントとして、氏の指導を仰ぐことになったのである。こうして、発起人の再編成が行なわれた。九十九名の配役表は、姿を消し、ホンモノの発起人十二氏が固まった。この時、サンケイ水野氏も退陣し、五千株の

一株主となって、ランドは芝山氏に敬意を表した。

黒幕・政商たち p.148-149 すべての事態は好転しあとは…

黒幕・政商たち p.148-149 三月、自民党県連会長である河野国務相がランド反対を表明した。一方、田川議員もまた、県政記者クラブに現れて会見を行い、ランド反対を一席打ったのである。
黒幕・政商たち p.148-149 三月、自民党県連会長である河野国務相がランド反対を表明した。一方、田川議員もまた、県政記者クラブに現れて会見を行い、ランド反対を一席打ったのである。

その〝実力〟を知ったランド側は、フン詰り脱却のためのコンサルタントとして、氏の指導を仰ぐことになったのである。こうして、発起人の再編成が行なわれた。九十九名の配役表は、姿を消し、ホンモノの発起人十二氏が固まった。この時、サンケイ水野氏も退陣し、五千株の

一株主となって、ランドは芝山氏に敬意を表した。

名の通った財界人十二氏の結束により、ランドは改めて、用地確保の運動をはじめたのである。そこには、ハッタリやテライもなくなり、事業としてのオーソドックスなビジネスだけになったのであった。

市村清社長から、その親しい三木幹事長へも陳情が行われ、安西正夫昭電社長からは、森清氏を通し、河野国務相の実弟、河野謙三参院議員へも了解が求められた。

地元の神奈川県会も同様である。まず、社会党への説得が行なわれ、事業の本質への理解を得て、常盤浄副議長が賛成した。その結果は、同じ社会党の飛烏田一雄横浜市長の支持である。県議会への了解と同時に、県会議員の選挙母胎である、市長会、市議長会が賛成へ動いて、前記のような「意見書」による支持表明へと進んだ

〝河野一郎のクシャミ〟

すべての事態は好転し、あとは、県議会における承認と、大蔵省の審議会への諮問とその答申を待つばかりとなったのである。

これらの動きが、三十九年夏から四十年二月へかけての半年間、いわゆる第二期のランドの姿である。そして、このような好転の変化が、芝山氏の働らきであるかどうかは、断定し得る

限りではないが、少くとも、氏のコンサルタントとしての助言の成果ではあろう。やはり、財界人は財界人らしく姿勢を正し、オーソドックスな形での事業を進めるべきであるという、絶好の教訓なのであった。

つづいて、ランドは第三期に入る。すなわち、四十年三月以降、会社解散までである。この第三期に入って問題の田川パンフレットが登場するのである。第三期の客観的事実といえば、印刷物では、この田川パンフレットだけである。しかし動きではいろいろなことが起きている。

まず、三月、自民党県連会長である河野国務相がランド反対を表明したのである。一方、田川議員もまた、三月のある日、本会議を抜け出して、県政記者クラブに現れて会見を行い、ランド反対を一席打ったのである。その際、三木幹事長に肩を叩かれたが、「総理にいわれても、私はランドに反対だ」と、語ったといわれる。

さて、いよいよ、さきに紹介した通り、田川パンフレットの問題点の解明に入らねばならない。そして、その問題点の監視が、青壮年向け政治社会教育の、早分りパノラマの見どころでもあるのである。

田川パンフレットを読み終えての、第一印象は、この文章にみる限り、田川議員がその政治生命をかけての、ランド反対——すなわち国有地の厳正な処分という、不退転の決意が現れていない、ということである。

黒幕・政商たち p.150-151 日本住宅公団が出資を申請

黒幕・政商たち p.150-151 不退転の決意の見えない議論、そのパンフレットは、いやがらせの反対、反対のための反対、〝政治的解決〟への誘い水の反対、とみられても止むを得まい。
黒幕・政商たち p.150-151 不退転の決意の見えない議論、そのパンフレットは、いやがらせの反対、反対のための反対、〝政治的解決〟への誘い水の反対、とみられても止むを得まい。

田川パンフレットを読み終えての、第一印象は、この文章にみる限り、田川議員がその政治生命をかけての、ランド反対——すなわち国有地の厳正な処分という、不退転の決意が現れていない、ということである。

このパンフレットの表紙の左肩には、宛名を記入するように、「殿」の一字が印刷され、そのウラ頁には、「注」として、「この冊子は、各方面から説明を求められておりますので、その回答として、解説と意見を加えて印刷に付したものです。したがって、不特定多数の方にはお渡しいたしません」と、断り書が書かれてある。

この、無くてもがなの断り書にも、問題はあろうと思われるが、なぜ、田川議員はランド反対の不退転の決意を見せないのかという疑問に答えよう。前に述べたように、〝政治問題化〟の唯一の打開策である、〝政治的解決〟の暁に備えての、自分の退路を残しておかねばならないからである。

国有地問題の権威であり、その実績を誇る田川議員が、自己の政治生命をかけての、不退転の反対であるならば、それはこのパンフレットを読む人をして、必ずや打つべきものがあるはずである。そして、〝政治的解決〟のあとで、ランド実現が行なわれたら、田川議員は辞任し、再び出馬すべきが、政治家の出所進退というものであろう。

不退転の決意の見えない議論、そのパンフレットは、いやがらせの反対、反対のための反対、〝政治的解決〟への誘い水の反対、とみられても止むを得まい。

では、田川パンフレット批判の具体論に入ろう。第一に、これは古い資料を使い、それを批判の根拠としている点である。ここまで延々と、客観的事実にもとづいて、ランドをめぐる動

きを解説してきた通り、その状況はまことに流動的で、ランド側はあやまちを改めるに憚るところなく、前進を続けてきている。従って、ある時点では、非難攻撃さるべき点も、次の時点では、もはや改められているのである。一例をあげれば、内山知事を突如として、御署名順による筆頭発起人に加えるようなランドの小細工である。このパンフレットが配布された、四十年三月現在の時点、すなわち、原稿執筆、印刷の物理的時間経過を差引いた時点において、立論の根拠とせねばならないにもかかわらず、それを故意にさけて、古い資料を使用しているのは田川議員が新聞記者出身だけに、何としても首肯し難いのである。

第二点は、国有地の厳正な処分をのぞみながら、ランド反対は、県立公園促進ではなくて、自案ともいうべき代替案を出している点である。スジを通すならば、昨年の県議会で採択された「意見書」の通り、ランド反対、公園促進であらねばならない。

公園促進の本来の姿にかえした上で、県が四十年一月二十九日付公文書で明らかにしたように、「県財政の現状」等から、公園計画を取止めた時に、はじめて代替案が出さるべきであって、ランド反対イコオル自案推進というのでは、何人をも納得せしめ得ない、我田引水論である。

このパンフレットの文章構成は、露骨に我田引水を主張せず、「白紙になれば(審議会の公園貸付け決定処分が)、この六万坪の国有地には日本住宅公団が出資を申請しているので、そ

の通りに決るかも知れません。(中略)もちろんこのほか、神奈川県が放棄すれば、学校敷地に欲しいという声も各学校から出ております。たとえば、隣りの相模工業学園は、四十年一月二十六日、払下げ申請を行いました」(パンフレット第十一、十二頁)という具合に、ランドよりこの方が公共性、教育性があるじゃありませんか、と、巧妙な主張をしている。

黒幕・政商たち p.152-153 六万坪を住宅公団にせよと

黒幕・政商たち p.152-153 住宅公団——土建業者——河野派資金源という、いまわしい予感は、さきの平井学建設省官房長事件を想起するまでもなく、誰の胸にも浮んでくることである。
黒幕・政商たち p.152-153 住宅公団——土建業者——河野派資金源という、いまわしい予感は、さきの平井学建設省官房長事件を想起するまでもなく、誰の胸にも浮んでくることである。

このパンフレットの文章構成は、露骨に我田引水を主張せず、「白紙になれば(審議会の公園貸付け決定処分が)、この六万坪の国有地には日本住宅公団が出資を申請しているので、そ

の通りに決るかも知れません。(中略)もちろんこのほか、神奈川県が放棄すれば、学校敷地に欲しいという声も各学校から出ております。たとえば、隣りの相模工業学園は、四十年一月二十六日、払下げ申請を行いました」(パンフレット第十一、十二頁)という具合に、ランドよりこの方が公共性、教育性があるじゃありませんか、と、巧妙な主張をしている。

「政治的」は「法律的」に通ず

〝巧妙〟というのは、同六十二頁から六頁にわたって、田川議員は大蔵省管財局長である江守説明員を吊し上げている。三十九年十二月の衆院地方行政委の議事録である。

「そこでもう一つ聞きたいのは、住宅公団のいわゆる住宅と先ほどあなたが営利事業といわれたサイエンス・ランド株式会社とは、どちらが一体公共性を持っておるかお伺いしたい」と、田川議員は質問している。その前には、「さらにもう一つお伺いいたしますが、株式会社サイエンス・ランドは、営利事業であるのかないのか、これをお伺いしたい」と質問したのちの、この質問である。

文字をみても、住宅公団と株式会社ではないか。田川質問は、それから長々と、六万坪を住宅公団にせよといわんばかりに続き、公団の代弁者——利益代表人の如き質問を行っている。

これが我田引水というのだ。

相模工業学園という、学校法人でありながら、手形を乱発している経営不良のブローカー会社のようなものでも学校とつけば教育といえる。これに三万坪を払下げた審議会の処分内容を調査するのが、政治家の本道と思われるが、そんな学校にさらに六万坪を払下げるべきだといわんばかりの、文章構成なのである。もっとも、この学校のことは、国会では何も発言していないのだから、ランド反対論の構成上のアクセサリーということはすぐ読めよう。

住宅公団——土建業者——河野派資金源という、いまわしい予感は、さきの平井学建設省官房長事件を想起するまでもなく、誰の胸にも浮んでくることである。警察官僚のホープであった平井学氏が、河野建設相に登用されたことから、後輩の警察官に取調べられるという事件は、検察の長老岸本義広議員が、大野派であったからとはいえないにしても、後輩の検事に起訴された事件とともに、感銘深い事件である。後者の選挙違反に対し、前者の汚職という点に、田川議員の住宅公団促進論が、ランド反対の大義名分を失わせているのを、惜しまねばならない。

第三点は、このパンフレットによって、出来るだけ余計な〝敵〟をつくるまいという小心な姿勢が見えすいている点である。政治的信念に生きるならば、少々どころか、どんな大敵をも恐れないのが、政治家としての正しいあり方ではあるまいか。

さきに引用した第七頁に、政治評論家戸川猪佐武氏を、「戸川某」と表現している。一流紙読売の政治部主任記者という経歴をもち、政治評論家として新聞雑誌から、ラジオテレビで活

躍し、反河野派とはいえ、衆院初出馬で二万近い得票を得て、泡沫候補ではないという証拠を示した同氏を〝車夫馬丁〟並みの〝某〟という表現を、どうして使用したかということである。

黒幕・政商たち p.154-155 政治的になら可能という暗示

黒幕・政商たち p.154-155 「サイエンス・ランドへの払下げは不可能である旨、法律的な説明をしました。しかし強くは申しませんで、私の老婆心からという意味で、言っただけでした」
黒幕・政商たち p.154-155 「サイエンス・ランドへの払下げは不可能である旨、法律的な説明をしました。しかし強くは申しませんで、私の老婆心からという意味で、言っただけでした」

さきに引用した第七頁に、政治評論家戸川猪佐武氏を、「戸川某」と表現している。一流紙読売の政治部主任記者という経歴をもち、政治評論家として新聞雑誌から、ラジオテレビで活

躍し、反河野派とはいえ、衆院初出馬で二万近い得票を得て、泡沫候補ではないという証拠を示した同氏を〝車夫馬丁〟並みの〝某〟という表現を、どうして使用したかということである。

苗字を冠した某という表現は、同人のその文中における登場意義が、全く重要でないか、または知名度が低くて、姓だけは分ったが名は明らかでないとか、過去の人物で記録がないため明らかにし得ない場合にのみ、このような表現をとるのが、文章作法上の常識である。その常識に反して、あえてこのような表現をとったということは、田川議員のランド反対論の立論が、極めて作為的であるといえる。

それこそ、あれを想い、これを考えるといった、〝政治的配慮〟に満ちている文章である。戸川氏ばかりではない。ランド第二期におけるV・I・P(最重要人物)の、芝山義豊氏の名前が、一切現れてこないのである。芝山氏が、同社の役員でも顧問でも、相談役でもないのは事実だから、同社に関係ない人物として黙殺しているのであろうか。

しかし、田川議員が、経過説明の中で、「上妻某、戸川某」と、芝山氏よりも存在価値の低い人名を出しているのだから、芝山氏黙殺は、何としても不明朗である。

その他、「……問題を究明すべき点はありましたが、これを差控えたのは、与党の一員であるという、私の立場を考えたからであります」(一五頁)

「サイエンス・ランドへの払下げは不可能である旨、法律的な説明をしました。しかし強く

は申しませんで、私の老婆心からという意味で、言っただけでした」(一七、八頁)などの表現に、田川議員の〝政治的退路〟をみるのである。

また、このパンフレット全部を通じて「法律的には払下げ不可能だ」と、必らず〝法律的〟には、の前提を付している点などは、それでは〝政治的〟になら可能、という、暗示とも受取れるのである。

ところが、現実は〝法律的〟にも不可能を、可能とする実例がある。

解散劇にみる損得勘定

河野一郎氏が農林大臣の時、バナナの輸入に関して、大臣権限で「東京市場」令を改正したことがある。

バナナ業界は、輸入業者と加工業者とに別れており、加工業者には輸入ワクが与えられていなかった。ところが、輸入業者は机と電話だけの設備で、青バナナを黄色くするムロなどの設備が必要な加工業者よりも、利巾が大きいのである。

多分、加工業者が、サイエンス・ランドのように、農林大臣に陳情したのであろう。その効果は即座に現れて、市場令は改正になり、加工業者にも輸入ワクが与えられて、〝法律的〟にできなかった加工業者の輸入が、法律的に可能になったのである。

黒幕・政商たち p.156-157 二将功なって財界の百卒枯る!

黒幕・政商たち p.156-157 計画倒産ではないが、計画解散である。もともと、払下げられてもいない国有地を舞台にした、株式出資金名儀の〝恐喝〟にも似た、金集めだったといわざるを得まい
黒幕・政商たち p.156-157 計画倒産ではないが、計画解散である。もともと、払下げられてもいない国有地を舞台にした、株式出資金名儀の〝恐喝〟にも似た、金集めだったといわざるを得まい

田川議員の〝法律的不可能論〟は、法律を改正する〝政治的解決〟への、サゼッションとみるのは、下司のカングリに過ぎるというべきか、どうか。

いずれにせよ、このような経過をもって、ランド問題は、第三期へと進んでいるのである。

そして田川議員の親分河野国務相が、〝反対〟で初登場し、片や三木幹事長の名前も、田川議員の言葉として現れるという、これより三役と拍子木の鳴るところにさしかかってきた。この、政財界早分りパノラマの結末に、何が展示されるであろうか。

第三期は、用地確保の不能から、ついに解散にいたる。芝山氏の登場によって、〝一株主〟と退けられていた、御喜家氏が、再び登場して、解散の主導権を握る。その軍師は小谷正一氏である。

井上靖「闘牛」のモデルと喧伝され、ランド解散後は、評論家の肩書でマスコミに登場。

大宅共栄圏に投じた小谷氏は、中共考察組にも加わり、共栄圏盟主に忠誠をつくす。そして、万博事務総長の椅子を狙う。

一方、御喜家氏は、経済雑誌「評」を、綜合雑誌「新評」へと発展させ、〝敗軍の将〟が〝家を建て〟ている有様である。

二将功なって、財界の百卒枯る! 嗤うべし、連名簿の財界人百名である。さらに、第三期の「会社解散劇」に筆を進めねばならないのであるが、紙数も尽きたようである。

解散の主導権を握った、御喜家、小谷両氏が、会社財産の評価をどのようにしたか。例えば、会社の自家用車が、数万円の評価で関係者に払下げられる、退職慰労金の金額の査定のデタラメさなど、計画倒産ではないが、計画解散である。もともと、払下げられてもいない国有地を舞台にした、株式出資金名儀の〝恐喝〟にも似た、金集めだったといわざるを得まい。

会社幹部はその間に高給を喰み、数回もの外遊を試み、揚句の果は喰い逃げである。私の知っている限りでは、八幡の藤井丙午氏だけが、会社の出資金の損害を、毎月の自分の収入の中から、月賦返済しているということである。他の財界人は果して、どうだろうか。

どうせやるなら、デカイことなされ、である。この時、冒頭の月刊「現代」誌の梶山季之の一文を見る時、うがち得て妙である。

黒幕・政商たち p.158-159 秘密を売る男の死

黒幕・政商たち p.158-159 昭和四十三年。外交時報九月号=七月二十二日付中華週報によれば、麻薬は中共第一の外貨稼ぎであり、毎年八億ドルのボロイ商売である。
黒幕・政商たち p.158-159 昭和四十三年。外交時報九月号=七月二十二日付中華週報によれば、麻薬は中共第一の外貨稼ぎであり、毎年八億ドルのボロイ商売である。

第8章 秘密を売る男の死

昭和四十三年。外交時報九月号=七月二十二日付中華週報によれば、麻薬は中共第一の外貨稼ぎであり、毎年八億ドルのボロイ商売である。

「兵庫県警というのは、神戸港を控えているだけに、何かと問題の多いところでネ。入管との対立から麻薬中国人に逃げられたり」——警視庁外事課のある警部。

黒幕・政商たち p.160-161 兵庫県警と麻薬一つのミステリー

黒幕・政商たち p.160-161 警部が、若いマッサージ師と、日光で心中した事件があった。これが、麻薬のヴェテラン刑事で、結果は〝中年男の愛欲行〟とされてしまったのだが……
黒幕・政商たち p.160-161 警部が、若いマッサージ師と、日光で心中した事件があった。これが、麻薬のヴェテラン刑事で、結果は〝中年男の愛欲行〟とされてしまったのだが……

麻薬Gメン〝愛欲行〟の謎

背後関係のからむ自殺説

「大阪府警では、兵庫県警に連絡すると情報洩れになると、二課でも四課でも警戒してますよ」——府警記者クラブでの話。

「昨年秋に、兵庫県警本部から、神戸水上署の保安課長に栄転した警部が、若いマッサージ師と、日光で心中した事件があった。これが、麻薬のヴェテラン刑事で、結果は〝中年男の愛欲行〟とされてしまったのだが……」ある麻薬取締官はこう語りはじめる。兵庫県警と麻薬——ここに一つのミステリーがある。

四十年十月三日、奥日光の中禅寺湖畔の国有林で、キノコ採りの男が、心中死体を発見して日光署に届出た。そして、それから五日経って、その死体の身許は八月三十日から行方不明になっていた、元神戸水上署保安課長松尾長次郎警部と十九歳のマッサージ師E子さんであることが確認された。その年の三月の異動で県警本部から水上署の保安課長に転任した、麻薬と密輸のべテラン。四十三歳の警部の、若い女に夢中になった、愛欲行とみられたのだった。

だが、「週刊新潮」誌によれば、どうも、単なる〝愛欲行〟とは考えられないようだ。二人の足取りは、九月一日のひるごろ、日光観光ホテルに現れ、一泊して、タクシーで中禅寺湖に向い、九月四日付日光局消印の手紙が、松尾警部の妻と、女の母親宛に出されているだけしか判らない。

この手紙にもとづいて、九月十日、水上署の刑事二名がホテルにやってきた。支配人に女の写真を見せて、宿泊の有無をたずね、宿帳の筆跡に「間違いない」とうなずいた。

「麻薬の捜査だ。部屋に注射器、クスリ包みのようなものがなかったか」とルーム・メイドにたずねた。「クズカゴの中に、クスリ包みのようなものがあったが捨てた」という答えを得ている。

水上署では、警部の失跡理由を、「もともと実直な人で、女の妊娠をオロスというチエも、駈け落ち前に依願退職して退職金を受け取る分別もなかったか」と、単なる〝中年男の愛欲行〟にすぎないというのだが、麻薬とその背後関係のからんだ自殺説もあるという。

というのは、「愛欲のための失跡」に対して、刑事二名を出張捜査させることがオカシイし、それへの批判に対しては「捜査費用は後日遺族に請求する」といっているのだが——と、同誌は疑問を投げている。

事実、神戸水上署の保安課長といえば〝陽のあたる場所〟である。それをしも若い女に狂っ

て、棒にふることはあり得よう。だが、それならば、妻と女の母親への手紙で〝愛欲行〟は判っていたのである。どうして、水上署の刑事二人が遠い奥日光まで、追って来なければならなかったのだろうか。

黒幕・政商たち p.162-163 兵庫県警の狙いは取締官の逮捕

黒幕・政商たち p.162-163 松尾警部心中事件の背景を求めて、阪神の〝極道〟たちの間を歩き廻った私は、「松尾事件は、モチロン麻薬があるのさ」と、彼らの間の、無責任な風聞をきき集めてきた。
黒幕・政商たち p.162-163 松尾警部心中事件の背景を求めて、阪神の〝極道〟たちの間を歩き廻った私は、「松尾事件は、モチロン麻薬があるのさ」と、彼らの間の、無責任な風聞をきき集めてきた。

事実、神戸水上署の保安課長といえば〝陽のあたる場所〟である。それをしも若い女に狂っ

て、棒にふることはあり得よう。だが、それならば、妻と女の母親への手紙で〝愛欲行〟は判っていたのである。どうして、水上署の刑事二人が遠い奥日光まで、追って来なければならなかったのだろうか。

警察では、捜査費用の予算が少ないことが、刑事たちに心身共のオーバー・ワークを強いる結果になることを、常日頃から洩らしているではないか。この出張捜査は、県警本部の了解なしには、行なえるものではない。とすると、やはり、松尾警部の死の愛欲行は、その背後関係を洗わねばならない。

松尾警部心中事件の背景を求めて、阪神の〝極道〟(ゴクドウ。東京でいうヤクザ)たちの間を歩き廻った私は、「松尾警部の事件は、モチロン麻薬があるのさ」「麻薬課長の女房が、オドかされているという、ケッタイな話もあるンヤ」と、彼らの間の、無責任な風聞をきき集めてきた。

それらの中で、フト、私の気持に、何かピンと来る、古い事件があった。一人の麻薬バイ人(ペーヤと呼ばれる、末端の小売り人)が、拘留中に痔のために一般病院に移され、そして間もなくピストル自殺を遂げたという話である。

鈴木兼雄、昭和四年生れ、昭和三十六年四月三日、神戸市生田区加納町四の一山田病院で自殺。神戸の極道、五島会岩田組に属し、常習の麻薬密売人である。

〝サツの犬〟の寝返り

「今回、私が警察でお調べをうける破目になり、反省してみましたが、私のようなインホーマー(注、情報提供者)の犠牲者を再び出さないように、しなければならないこと。麻薬事務所のオトリ捜査の行き方が、これで良いのかといった疑惑を抱くようになりましたことなどから、麻薬捜査の適正化といったことに役立てばと思い、私がインホーマーとして活躍した過程で、知っていることを一切お話したいと思います。これを話すことによって、私自身、自繩自縛のことになる点もあり、また、他から身体生命的な圧迫、迫害といったことも、一応予想されるところです」

このような文章で、この麻薬密売人は兵庫県警防犯課で、昭和三十五年八月十三日、真鍋弥太郎警部補に調書をとられているのである。

この調書の冒頭部分で明らかになったように、鈴木は常習密売人であると同時に、厚生省麻薬取締官近畿事務所のインフォマー(S、スパイのこと)であったのである。そして、鈴木一派の麻薬取締法違反事件は、同時に近畿事務所長近藤正次、同捜査二課長鋤本良徳、東海事務所阿知波重介という、三名の現職麻薬取締官の逮捕へと、意外な発展をしたのであった。

イヤ〝意外な発展〟といっては、正鵠を失しよう。兵庫県警の狙いは、近藤所長以下の、麻薬取締官の逮捕であったといってもよかろう。つまり、商売仇をヤッつけたのであった。

黒幕・政商たち p.164-165 警察と取締官とは犬猿の仲

黒幕・政商たち p.164-165 この五八条が問題なのである。警察官には許されていない、取締官だけの特権である。ということが、この両者の宿命的対立を招いているのである。
黒幕・政商たち p.164-165 この五八条が問題なのである。警察官には許されていない、取締官だけの特権である。ということが、この両者の宿命的対立を招いているのである。

イヤ〝意外な発展〟といっては、正鵠を失しよう。兵庫県警の狙いは、近藤所長以下の、麻

薬取締官の逮捕であったといってもよかろう。つまり、商売仇をヤッつけたのであった。その意気ごみが、鈴木の調書の導入部の作文に、ハッキリと謳われているではないか。

麻薬取締官というのは、麻薬取締法第五四条に、麻薬取締員と共に、その職務権限が示されているが、「厚生大臣の指揮監督を受け、麻薬取締法、大麻取締法もしくはアヘン法に違反する罪、刑法アヘン煙に関する罪、麻薬もしくはアヘンの中毒により犯された罪について、司法警察員として職務を行う」のである。

従って、武器の携行も許されており、「その他の司法警察職員とは、その職務を行うにつき互に協力しなければならない」とまで、定められているが、現実には、麻薬に関しては、警察と取締官とは犬猿の仲である。

さらに、同法第一二条は、「麻薬は、何人も輸入、輸出、製造、製剤、譲渡、譲受、交付、施用、所持、廃棄してはならない」と、厳しい禁止規定を設けてはいるが、同じく五八条で、「麻薬取締官は、麻薬に関する犯罪の捜査にあたり、厚生大臣の許可をうけて、この法律の規定にかかわらず、何人からも麻薬を譲り受けることができる」と、譲り受けに関して、免除条項がある。

この五八条が問題なのである。警察官には許されていない、取締官だけの特権である。ということが、この両者の宿命的対立を招いているのである。つまり、取締官が司法警察員の職務

(犯罪捜査)を行えるのは、麻薬関係だけである。彼らの経歴の多くは、いうなれば、ポッと出の薬剤師で、捜査に関しては、まるでズブの素人である。長年、捜査で叩きあげてきた、職人肌の刑事にとっては、そこが不愉快でならないという、その感情も理解できよう。

Gメンと警官の反目

刑事たちは、麻薬の不法所持者、密売人や中毒患者をみつけ出せば、いわゆるヒッカケ逮捕(他の犯罪容疑で逮捕)もできるし、日本の捜査の現状が、岡ッ引捜査(ショッピいてきて、叩いて、泥を吐かせる)であるだけに、丹念な積み重ね捜査しかできないのである。つまり、麻薬の譲り受けが許されてないから、密売ルートの中に、潜入できないのだ。

これに対し、取締官は、他の法律を援用できないからもちろん、ヒッカケや岡ッ引捜査ができない。つまり、麻薬そのものにタッチして、これを検挙するしか犯罪捜査の手段がないのである。これは、いわば、オトリ捜査である。取締官が、自ら麻薬を買いに行って、その譲り渡しの相手を捕まえる以外に、手がないのである。

この辺のところに、両者の「捜査線」の交錯が生ずるのである。警察が長時間をかけ、遠くからジッと見つめているところへ、取締官がその「線」の中に入りこんで、逃がしたり、警戒されたりして警察の捜査を、ブチ壊すケースが多いことなど、容易に想像されるのである。

黒幕・政商たち p.166-167 所長は『絶対に否認せよ』と強調

黒幕・政商たち p.166-167 この調書の狙いは、所長以下の三取締官の、鈴木との共謀振り(取締官の起訴事実の麻薬密輸、収賄)と、検察庁へ運動の阻止にあると思われる。
黒幕・政商たち p.166-167 この調書の狙いは、所長以下の三取締官の、鈴木との共謀振り(取締官の起訴事実の麻薬密輸、収賄)と、検察庁へ運動の阻止にあると思われる。

麻薬取締法五八条の、取締官の麻薬譲受けの許可は、どのような精神にもとづいて定められたのであろうか。「麻薬の犯罪捜査にあたり」と、但し書きが付されているのだから、これは、いわゆるオトリ捜査を認めているのではないだろうか。麻薬のオトリ捜査が、立法の精神において認められているとすれば、鈴木の警察調書の、冒頭部分のオトリ捜査への非難は警察官、否、兵庫県警麻薬担当官の〝感情〟と判断されよう。

大体からして、教育もないし、極道の麻薬密売人で、あのような〝大演説〟を文字通りにブテるハズがないので、調書の冒頭と末尾とは、筆者の体験からしても、調べ官の「……ということなんだろ?」という、断定的な発言に対し、被疑者は「ハイ」と、うなずくだけだ。

この、県警麻薬担当官の、近畿麻薬取締官への〝感情〟は、鈴木の調書の他の部分にもある。つまり、鈴木逮捕当時の取締官事務所との関係を、わざわざ一項目をたてて、三十五年十月十日に、鈴木入院中の山田病院で(数次の調書の日付をみてゆくと、十月になって入院しているようだ)、兵庫署の生田春次巡査部長が、調書をとっている。

「近畿事務所神戸分室に行きましたところ、分室長が『警察本部が君を逮捕するといっており、今、所長(近藤被告)に連絡をとり、検察庁にもなんとかして頂くよう話をしている」

(中略)

分室長が電話を代れというので受話機をとると、近藤所長が出ていて、『鈴木君、二十二日

間の辛抱や、絶対に否認せい。わしが検察庁に話してその間になんとかする』と、いいましたから、私は所長に、『今まで事件の内容をある程度弁護士から聞いていることでもあり、警察へ行って話をする』と、いいましたが、所長は『絶対に否認せよ』ということを強調し、さらに私に、『警察は君だけでなしに、麻薬事務所ということも計算に入れており、麻薬係だけではなくして、捜査二課(鋤本被告が課長)の方も調べることやろ』といいました。

(その打合せに捜査二課長が神戸分室にきて、鈴木は明朝十時=八月二日=に県警本部へ出頭するから、逮捕は待ってくれとの話し合いがついたことになる)同分室を出ようとすると、奥川取締官が、『ああ、警察がおる』というので、フト顔をあげてみると、刑事らしい男が私の自家用車のおいてあるところに立っておりました。(中略)

私は鋤本氏に対し、『今、捕ったら困る。金を一銭も持っていないし、また、警察も約束しておいて、汚ないなあ』というと、鋤本氏は『警察ってそんなとこや。まア、スーさん、行ったらあんばいよう頼む』と、いいました」

この調書の狙いは、所長以下の三取締官の、鈴木との共謀振り(取締官の起訴事実の麻薬密輸、収賄)と、検察庁へ運動の阻止にあると思われる。このような、県警側の〝感情〟は、当然、取締官側にも反映して、近藤被告(前所長)の裁判所への上申書に、ハッキリと警察との協力を否定している部分がある。

迎えにきたジープ p.112-113 尾行。運転手だけは変らない

迎えにきたジープ p.112-113 The Soviet representative's car ZIM is touring a fixed course in central and suburbs of Tokyo at a fixed time. Then, a car following the ZIM appears out of nowhere.
迎えにきたジープ p.112-113 The Soviet representative’s car ZIM is touring a fixed course in central and suburbs of Tokyo at a fixed time. Then, a car following the ZIM appears out of nowhere.

高級住宅地である麻布の高台を滑るように走ってゆく外国製車が一台。ナムバープレートには「SPACJ—35」とあるから、ソ連代表部の車だ。見馴れない型だからモロトフに違いない。ZIM式六基筒九十五馬力。モロトフ工場製でソ連が誇る新車ジムだ。

前に二人、後に二人と、いずれも座席の中央をあけて四人のソ連人が乗っている。車はグングンとスピードを出して虎の門から桜田門へと向った。警視庁のクスんだ建物を左にみて右へ

大廻り、祝田橋の信号にかかってギュッと停った。たちまち七、八台の車が後につかえる。

『Aコースだナ。今日こそ何かをつかんでやるぞ』

モロトフの直後にピタリと続いた黒のポンティアックの運転手が呟いた。何時の間に何処から現れたのか、目立たない地味な四十二年ぐらいの車で、客席には若奥様然とした美しい婦人が一人、運転手は紺のダブルに黒のネクタイ、金モールの帽子、どこからみても高級ハイヤーの運転手だ。

モロトフは日比谷交叉点からGHQ前へ、馬場先門から大手町、そして日本橋へと抜ける。ポンティアックは直後についたり、適当に一、二台をはさんだりしながら、執拗にモロトフを尾行する。

日本橋、京橋を左折して昭和通から、新橋へ向う。新橋から虎の門、さらに麻布へ。狸穴の代表部前を通過して、飯倉から六本木。交叉点を渡ったモロトフはようやく新竜土町付近で停り、後部席の二人を降して走り去った。二人は旧連隊の方へ歩き出す。

『USハウス九二六号行きか!』

ポンティアックの運転手は再びそう呟くと、アクセルを踏んで一気に二人を追越した。

奇怪な二台の車である。モロトフはつい最近からいつも定まった時間に、こんな不思議なド

ライヴを始めだした。乗員はいつも四名、まれに日本人が交ることもある。快スビードで無停車のまま、いつも定まったコースを走るのだ。

Aコース、麻布—虎の門—桜田門—日比谷—GHQ—交通公社横—日本橋—京橋—昭和通—新橋—虎の門—麻布。

Bコース、麻布—六本木—赤坂—外苑—代々木—日共本部前—甲州街道—立川、三鷹、青梅(復路同じ)

Cコース、麻布—目黒ロータリー—五反田—横浜(復路同じ)

Dコース、Bコースの甲州街道から—水道道路—中野—昭和通—鷺の宮—練馬—池袋—王子—西新井—池袋—練馬(以下復路同じ)

始発点の麻布が麻布狸穴のソ連代表部を指していることはいうまでもない。

五つのコース。遠く立川、青梅、三鷹までのばすこともあるが、道順は毎回少しも違わない。車はいつもモロトフ、ナンバー三十五号と決まっている。

そしてもう一台の車。これは必らず何処からか現れてモロトフを尾行する。だが車は自家用や三万台だったり、ハイヤー、タクシーのこともある。運転手だけは変らない。

六本木に向って黒い自動車が疾走してくる。白Yシャツにハンチングの運転手で、客席には

誰もいない。歩いて行く二人のソ連人の手前で、自転車でも避けたのか、グッとカーヴを切ってまた元通りに走り過ぎた。

『成功、成功。これで写真はOKヨ!』