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読売梁山泊の記者たち p.226-227 ネタモトが河井検事

読売梁山泊の記者たち p.226-227 私が問題にするのは、河井検事のあり方である。自分の野心のため、政治を動かそうとして、立松という、有能な記者をダメにしてしまった。検事という立場で、新聞の紙面を私(わたくし)しよう、という、河井の人格を糾弾するのだ。
読売梁山泊の記者たち p.226-227 私が問題にするのは、河井検事のあり方である。自分の野心のため、政治を動かそうとして、立松という、有能な記者をダメにしてしまった。検事という立場で、新聞の紙面を私(わたくし)しよう、という、河井の人格を糾弾するのだ。

当時の、東京地検の主任検事だった、河井信太郎との〝デート〟がなければ、情報が取れないのである。しかし、主任検事だから、各社とも、夜討ち朝駈けでマークしているのは、当然である。

立松は、他社の記者との鉢合わせを、避けなければならない。そうでないと、ネタモトが河井検事だ、とバレてしまう。そのための細心の注意が必要で、夜討ちの場合は、河井の自宅から、ずっと離れたところに車を止め各社の様子をうかがう。

そのためには、各社の記者の、何倍もの時間が必要になる。睡眠不足と体力の消耗。彼は、そのころ流行していた、ヒロポンを用い出し、不規則な生活に、荒れていた。

こうして、立松の身体を蝕んでしまった原因は、〈昭電事件の立松〉という、スターの虚名であった。

この二年ほどの病欠。復職してきたとはいっても、心身ともに、充分でないことは明らかだった。

つまり、私が問題にするのは、河井検事のあり方なのである。自分の野心のため、政治を動かそうとして、立松という、有能な記者をダメにしてしまったことである。検事という立場で、新聞の紙面を私(わたくし)しよう、という、河井の人格を糾弾するのだ。

本田は、「…クラブに加入して二年、記者歴を通算しても、たかだか三年の若輩、にである」と、書く。「司法記者会に入会したときは、弱冠二十四歳であった」とも。

ということは、ほとんど、マトモな記者としての訓練を受けていない、ということでもある。父親のコネで、検察幹部に可愛がられ、たまたま野心家の河井に出会った。その河井に、利用されて、リークされていただけの〝スター記者〟だったのである。

それはとにかくとして、本田は、売春汚職に、立松がタッチしてくる経過を、次のように描く。

《この十月十六日の夕刻、司法記者クラブ員だった滝沢記者が、日比谷公園の松本楼に呼び出されて、立松に相談を持ちかけられる。

滝沢記者は、立松に、全性連という、遊廓業者の団体の、幹部の浮き貸しの話を聞かされた。だが、滝沢は乗ってこないのだ。

「君、どう思う。これじゃ弱いか」

立松のことだから、復帰の初仕事は、トップ記事で飾ろうと、意気込んでいるに違いない。そうだとすれば、かりに、彼の仕入れた情報が正しいとしても、特捜部が追う本筋からは枝葉であり、いかにも弱い。

滝沢が沈黙していると、立松は彼の答えを先取りするようにいった。

「やっぱり、代議士が出てこないことには、しようがないか」

代議士といわれた滝沢は、小耳にはさんだばかりの噂話を、立松に、してみる気になった。

「マルスミっていうの、聞いてます?」

「競馬うま、かい」

「丸で囲った〝済〟の判こが押されているから、丸済み」

「それが、どうかしたのか」

「全性から、どういう経路をたどったのか。ともかく、献金リストが政界筋に流れて、その中の代議士のうち、何人かの名前の上に、丸済みのマークがある、というので、ちょっとした騒ぎになってい

るんだ、そうですよ」

読売梁山泊の記者たち p.228-229 もう一度ウラ付け取材を

読売梁山泊の記者たち p.228-229 立松は、いささかムッとした感じで、だが彼のクセで、笑いにまぎらわせて抗弁した。「河井検事に、ウラを取ったんだよ。河井のいうことを信じないなんて…。いま、キミの前で、河井に電話したのを、見ていたじゃないか」
読売梁山泊の記者たち p.228-229 立松は、いささかムッとした感じで、だが彼のクセで、笑いにまぎらわせて抗弁した。「河井検事に、ウラを取ったんだよ。河井のいうことを信じないなんて…。いま、キミの前で、河井に電話したのを、見ていたじゃないか」

「全性から、どういう経路をたどったのか。ともかく、献金リストが政界筋に流れて、その中の代議士のうち、何人かの名前の上に、丸済みのマークがある、というので、ちょっとした騒ぎになってい

るんだ、そうですよ」

椅子の背もたれに、両肘をかけて、天井へと立ち上る紫煙を、目で追っていた立松が、滝沢の説明の途中から坐り直した。

「おい、それだ。その線を追っかけよう」

「でも、全性の献金リストが、そう簡単に表に出るでしょうか。ガセネタかも、知れませんよ」

「ガセかどうかは、裏を取ってみれば分る。ともかく現物、それがなければ、写しでも手に入れるのが、先決だ」

「写しといえば、もう地検の手に渡っている、という話ですよ」

「そうか、それならなんとかなるだろう」

立松は、自信ありげに二度、三度うなずいて、やおら、火の消えかかったパイプを、口元へ運んだ》

本田は、「不当逮捕」の文中、立松が、落とし穴にはまりこんでゆく姿を、こう描写している。本田が、意識して描いたのか、どうかは、つまびらかではないが、滝沢の、「もう地検の手に渡っている」という話に、立松が、自信を得たフンイキが、良く出ている。

今でも、ハッキリと覚えているのだが、立松のメモを原稿に直した滝沢と、立松と私の三人が、その原稿をデスクに出す、という最後の段階で、私がいった。

「オレには、宇都宮が、そんな汚い金を受け取るとは、とても信じられない。明日、もう一度、ウラ付

け取材をしたらどうだね」

滝沢は黙っていた。彼は、私の部下であると同時に、立松の後輩であり、かつ、友人でもあった。

立松は、いささかムッとした感じで、だが彼のクセで、笑いにまぎらわせて抗弁した。

「河井検事に、ウラを取ったんだよ。河井のいうことを信じないなんて…。いま、キミの前で、河井に電話したのを、見ていたじゃないか」

もちろん、〝政治家オンチ〟の立松のことだから、宇都宮や福田が、どんな政治家であるかなんて、知りもしないし、考えてみたことも、なかっただろう。

立松が、そこまでいうのだったら、もう仕方がない。彼に対して、私には指揮命令権がないのだから…。

こうして、読売新聞の大誤報、といっても朝日の伊藤律会見記よりは小さいが(というのは、朝日の架空会見記は、保存版から削除されて、白地になっているが、読売のは、マイクロフィルムにキチンと写されて、いまでも入手できる)とにもかくにも、つづいて「立松記者逮捕事件」へと発展する大誤報は、輪転機のごう音のなかで、何百万部と刷られていった。

三十年後に明かされた事件の真相

そしてさらに、三十年と六カ月の月日が流れて、昭和六十三年五月二十日、朝日新聞朝刊の呼びものであった、前検事総長・伊藤栄樹の回想記「秋霜烈日」の第十三回が、意外や意外、売春汚職事件 の内幕を、ズバリとバクロしてくれた。

読売梁山泊の記者たち p.230-231 〈真相〉だけは明らかにしておかねば

読売梁山泊の記者たち p.230-231 《そこで、思い切ってガセネタを一件、赤煉瓦へ渡してみた。たちまち、それが抜けたのが、例の記事(注=読売の大誤報)だったのである》この〝赤煉瓦の男〟こそ、河井刑事課長その人のことである。
読売梁山泊の記者たち p.230-231 《そこで、思い切ってガセネタを一件、赤煉瓦へ渡してみた。たちまち、それが抜けたのが、例の記事(注=読売の大誤報)だったのである》この〝赤煉瓦の男〟こそ、河井刑事課長その人のことである。

そしてさらに、三十年と六カ月の月日が流れて、昭和六十三年五月二十日、朝日新聞朝刊の呼びものであった、前検事総長・伊藤栄樹の回想記「秋霜烈日」の第十三回が、意外や意外、売春汚職事件

の内幕を、ズバリとバクロしてくれた。

《…売春汚職の捜査においては、初期からしばしば、重要な事項が読売新聞に抜け、捜査員一同は、上司から疑われているような気がして、重苦しい空気であった。

そのうち、読売新聞に抜ける情報は、どれも赤煉瓦(あかれんが=法務本省)へ、報告したものであることが、わかってきた。だんだん、しぼってゆくと、抜けた情報全部にタッチした人は、赤煉瓦にも一人しかいない。

そこで、思い切ってガセネタを一件、赤煉瓦へ渡してみた。たちまち、それが抜けたのが、例の記事(注=読売の大誤報)だったのである。事の反響の大きさに、あわてはしたが、犯人がわかって、ホッとした気分がしたのも、正直なところであった》

伊藤栄樹・前検事総長は、このあとにつづけて、《あれから三十年余、赤煉瓦にいた男の名前も、捜査員のなかで、ガセネタを仕掛けた男の名前も、すっかり忘れてしまった》と、わざわざ断わり書きをつけている。

この〝赤煉瓦の男〟こそ、河井刑事課長その人のことである。

この、売春汚職大誤報事件にひきつづいて「立松記者逮捕事件」となる。本田靖春の「不当逮捕」とは、このことをさしているのである。

立松が早逝し、河井も伊藤も幽明境を異にしてしまっている。当時の読売司法記者クラブ員、滝沢も寿里も、故人となってしまった。立松逮捕を指揮した、岸本義広・東京検事長もまた、失意のうち

に世を去ってしまっている。

この事件の当事者のうち、生き残っているのは、私ひとりである。やはり、どうしても〈真相〉だけは、明らかにしておかねばならない。

伊藤栄樹・検事総長が、その遺書ともいうべき、朝日新聞朝刊に連載した「秋霜烈日」(のち、単行本として出版)は、死期を悟っていた伊藤が、異例の退官直後の回想記執筆という、〝偉業〟をやってのけた、のであろう、と思う。

実際、伊藤が、あの〝赤煉瓦の男〟について、真相を語らなかったら、河井信太郎という検事は、日本の歴史に、最後まで、〝社会正義の権化〟であり、〝特捜の鬼〟として、その虚名を、実像としてとどめることになったであろう。

そしてまた、本田靖春の「不当逮捕」はまだしも、いまの若いジャーナリストたちは、新聞社の資料部から、むかしのスクラップを借り出して、無批判に、〝特捜の鬼〟と、河井を美化して書く。

昭電事件のころは、立松が大スター記者に祭りあげられていたのだから、河井の〝私的な利用〟であっても、まだ、よしとしよう。しかし、立松は、そのために、ヒロポンを打ち、身体をこわしてしまう。そして、売春汚職の大誤報事件では、河井の〝情報〟のせいで、立松は逮捕される。

それを見殺しにして、自分は、出世街道を進んで行く。立松のほうは、それから心身ともボロボロになり、不遇のうちに早逝したのである。あの時、なんらかの救済の道を探り、努力すべきが、人の

道であろう。

読売梁山泊の記者たち p.232-233 傲岸そのものの奴が多い検事

読売梁山泊の記者たち p.232-233 ある時、酔っ払って、検事にケンカを吹っかけた。「ナンダイ! 日本で一番のインテリゲンチャぶった顔しやがって! その〝検事ヅラ〟が気に喰わねえ…」はじめは、聞き流していた検事も、寿里の悪態に、顔色を変えてきた。
読売梁山泊の記者たち p.232-233 ある時、酔っ払って、検事にケンカを吹っかけた。「ナンダイ! 日本で一番のインテリゲンチャぶった顔しやがって! その〝検事ヅラ〟が気に喰わねえ…」はじめは、聞き流していた検事も、寿里の悪態に、顔色を変えてきた。

それを見殺しにして、自分は、出世街道を進んで行く。立松のほうは、それから心身ともボロボロになり、不遇のうちに早逝したのである。あの時、なんらかの救済の道を探り、努力すべきが、人の

道であろう。

さて、当時の読売司法クラブは、昭和十八年入社の三田をキャップに、同二十四年入社の滝沢国夫と、寿里(すさと)活の、計三名だった。前任のキャップの萩原福三は、本社の通信主任(サツ・デスク)となっていた。

昭和二十三、四年ごろ、立松、萩原と私の三人が、稲垣武雄キャップの下で、兵隊勤務をしていたのだが、本田靖春が「不当逮捕」に書いているように、立松が河井検事をネタモトにして、華やかに振る舞い、それを、マジメな萩原が、法律的に勉強して、後方支援するという体制だから、私は、張りこみなどの雑兵(ぞうひょう)勤務である。

そして、約一年で、国会遊軍に移るが、萩原だけは、そのまま司法クラブに残り、通信主任になって去るまで、ずっと、居ついていたものだ。その萩原のもとで、司法クラブにいた滝沢が、居残ることを条件に、私もキャップを受けたのだった。

というのは、藤原工大出の技術者である寿里が、新しい兵隊というのだから、滝沢が居てくれねば、戦力が落ちる。さらに、好都合なことには、滝沢は立松の弟分で親しい。大事件が起きれば必ず、立松に情報を頼みに行くだろう。

寿里は、その学歴にふさわしく、社会部記者としては、型破りであった。四季一回ぐらい、地検との呑み会が、会議室などで催されるが、ある時、酔っ払って、検事にケンカを吹っかけた。

「ナンダイ! 日本で一番のインテリゲンチャぶった顔しやがって! その〝検事ヅラ〟が気に喰わねえ…」

はじめは、聞き流していた検事も、寿里の悪態に、顔色を変えてきた。近くで、成り行きを見ていた私は、頃あいと見て、止めに入って、滝沢に連れ出させた。

寿里でなければできない芸当である。いまは、三塚派の長老に納まっているので、実名は避けるが、そのころは、政治部記者だった男が、吉原の小さな女郎屋のお内儀を、愛人にしていた。寿里の月給袋は、いつも、その店に〝直行〟してしまう。

「いやネ、その店には、読売の社員名簿があって、序列が、部員のマン中より上なら、貸してくれるんですよ。女郎屋のツケ、なんていうのは、この店だけだったでしょう」

私も、検事の自宅に、夜討ち朝駈けなど、ほとんどしなかった。それは〝物乞い〟同然で、私の新聞記者のプライドが、それを潔しとしないのである。エリート然として、まさに傲岸そのものの奴が多い検事に、ネタの物乞いをすることだからであった。

だから、寿里もハラに据えかねることがあったのだろう。酔った機会に、バクハツしたのだから、私は、心中、快哉を叫びながら、様子を見ていたのだ。

それに反して、滝沢は、やはりマジメで、兵隊の仕事、として、割り切っていた。萩原が、十年も司法クラブが勤まったのは、ハラの中で、検事たちをバカにしていたからだ。頭がいいから、過去の事件のケースから、判例に至るまで、良く記憶していて、若い検事などには、反対に教えてやるから

だ。オ説教をするのである。

読売梁山泊の記者たち p.234-235 これが新聞記者をダメにする

読売梁山泊の記者たち p.234-235 司法記者クラブが、検事に物乞いする習慣がついたのは、昭電事件での立松の〝抜いて抜いて、抜きまくった〟スクープのせいである。そして、造船疑獄、ロッキード、グラマン、もう、検察批判などできない。
読売梁山泊の記者たち p.234-235 司法記者クラブが、検事に物乞いする習慣がついたのは、昭電事件での立松の〝抜いて抜いて、抜きまくった〟スクープのせいである。そして、造船疑獄、ロッキード、グラマン、もう、検察批判などできない。

それに反して、滝沢は、やはりマジメで、兵隊の仕事、として、割り切っていた。萩原が、十年も司法クラブが勤まったのは、ハラの中で、検事たちをバカにしていたからだ。頭がいいから、過去の事件のケースから、判例に至るまで、良く記憶していて、若い検事などには、反対に教えてやるから

だ。オ説教をするのである。

昭和十八年入社の、青木と萩原と私とは、その性格から、よくこういわれた。デスクに仕事をいいつけられ、「そんなの、ダメですよ。モノになりっこありませんよ」と、言下に断わる三田。

デスクの前では、「ハイ、やってみます」と面従しながら、「こんな企画を出すデスクの下で働くのは大変だよ」と、腹背の萩原。それに対し、デスクの前で「ハイ」、実際に動く青木——仲間たちは、「青木が一番出世するナ」といっていたが、報知の編集局長で早逝した。

滝沢は、福島民友新聞の編集局長で役員にまでなったが、オーナーに嫌われて去り、これも逝った。寿里は、読売の閑職にいて、講演先で、酒を呑んで温泉に浸って死んだ。

話がそれたが、司法記者クラブが、検事に物乞いする習慣がついたのは、その渕源は、昭電事件での、立松の〝抜いて抜いて、抜きまくった〟スクープのせいである。そして、造船疑獄ごろから、それが定着してきて、ロッキード、グラマンとなると、もう、検察批判などできない。「特捜部出入り禁止」などと、検事が思い上がってきたからである。

政治部の新人が、大臣や実力者に群がって、金魚のウンコになり、社会部では、中堅が検事の夜討ちに奔命する——これが、新聞記者をダメにする。

伊藤栄樹・元検事総長の遺書「秋霜烈日」は、伊藤ら特捜部の検事たちが、人事権を握る馬場義続・事務次官のもとで、前任の岸本義廣次官によって、法務研修所の教官にトバされていた河井信太郎を、

法務省刑事課長に呼び戻した事実から、やがては、特捜部長に返り咲くことを、憂えていたことを、示唆している。

そして、そのために、売春汚職の捜査資料(伊藤は、ガセネタ=偽情報、と表現する)を、河井刑事課長に流してみる。しかし、伊藤の叙述のうち、やや不正確な部分がある。

伊藤は、こう書いている。

《…売春汚職の捜査においては、初期から、しばしば重要な事項が、読売新聞に抜け、捜査員一同は、上司から疑われているような気がして、重苦しい空気であった。

そのうち、読売新聞に抜ける情報は、どれも赤煉瓦(あかれんが=法務本省)へ報告したものであることが、わかってきた》

この部分が、オカシイのである。前述したように、売春汚職を担当していたのは、司法クラブへきたばかりの寿里記者。古い滝沢は、まだ手を出していない。立松は、病欠中であり、本田が書いているように《…その点、わが社は初めに甘く見て少々出足がおくれている。こないだうちは朝日にやられて、今日は毎日だ…》と、《初期から、しばしば読売に抜け》ている事実は、なかったのである。

だからこそ、景山社会部長があせり、病欠上がりの立松を、直轄で起用するのである。戦線に投入された立松が、見ず知らずの若い検事の自宅に、夜まわりするハズがない。立松が顔を出したのは、河井刑事課長室ぐらいのものであろう。

カンぐれば、立松が現われたというニュースが伊藤らに伝わり、それなら、昭電事件以来の、河井

のリークを立証しよう、として、ガセネタを流した、とも考えられる。

読売梁山泊の記者たち p.236-237 馬場次官対岸本検事長の対立

読売梁山泊の記者たち p.236-237 河井刑事課長という〝情報源〟には、読売の立松以外の記者は、アプローチしないのだから、伊藤らは、立松の戦列復帰を知って、〝仕掛け〟を考えた、と判断せざるを得ない。あるいは、立松復帰も知らず、河井批判の立場で試みたのかも知れない。
読売梁山泊の記者たち p.236-237 河井刑事課長という〝情報源〟には、読売の立松以外の記者は、アプローチしないのだから、伊藤らは、立松の戦列復帰を知って、〝仕掛け〟を考えた、と判断せざるを得ない。あるいは、立松復帰も知らず、河井批判の立場で試みたのかも知れない。

だからこそ、景山社会部長があせり、病欠上がりの立松を、直轄で起用するのである。戦線に投入された立松が、見ず知らずの若い検事の自宅に、夜まわりするハズがない。立松が顔を出したのは、河井刑事課長室ぐらいのものであろう。
カンぐれば、立松が現われたというニュースが伊藤らに伝わり、それなら、昭電事件以来の、河井

のリークを立証しよう、として、ガセネタを流した、とも考えられる。伊藤のいうように、《初期から、しばしば重要な事項が読売に抜け》たのは、昭電事件の時だけである。

伊藤らの〝仕掛け〟が、立松逮捕にまで発展するとは、決して予想はしなかったであろう。伊藤らは、やがて、特捜部長、次席検事と、彼らの上司になるだろう河井の、〝政治的な動き〟を牽制すべく、ガセネタを流してみた。それを、単発的な行動としては、工合が悪いので、《初期から、読売に抜け》と、表現したのであろう。

しかし、地検特捜部という〝現場〟があるのに、河井刑事課長という〝情報源〟には、読売の立松以外の記者は、アプローチしないのだから、伊藤らは、立松の戦列復帰を知って、〝仕掛け〟を考えた、と判断せざるを得ない。

当時、馬場次官対岸本検事長の対立は、岸本の検事総長就任の可能性をめぐって、ギリギリのところにきており、伊藤らは、そのような対立を批判して、立松復帰を絶好のチャンスとして、〝仕掛け〟を考えたに、違いないだろう。

あるいは、立松復帰も知らず、河井批判の立場で試みたのかも知れない。ただ、「秋霜烈日」にまとめるに際し、昭電事件当時を想起して、「売春汚職では、初期から…読売に抜け…」という、表現をしたとみるのが、一番、真相に近いと思われる。

なぜなら、伊藤らには、宇都宮、福田両代議士が、岸本のいる高検に、告訴することなどは、判断も、予想も、できないからだ。

さて、本田の「不当逮捕」は、そのあたりを、どう、書いているのだろうか。

《滝沢が待つ銀座裏の「憩」に立松が姿を見せたのは、約束の時刻を二時間も過ぎた午後十時であった。

「とれたぞ」

立松は向かい側の椅子に腰掛けるなり、メモ帳を背広の内ポケットから取り出して開いて見せた。

「これがさっき君のいってた丸済み議員だ」

いわれて滝沢は、そこに書かれてある名前を一つずつ目で追った。いずれも都内選出の自民党代議士で、計九人である。

「この中の五人は容疑がかたまっているという話だった」

立松の説明に滝沢は、ウェイトレスが振り向くほどの声を上げた。

「へえ、すげえや」

その言葉に誇張はない。売春汚職の取材を始めてから五日目、丸済みメモの噂を耳にしてからわずか五時間で、立松は捜査の核心部分と思われるあたりをわしづかみに持ち帰って来たのである。…。

立松はニュース・ソースを打ち明けた。かつて東京地検特捜部で大型疑獄の摘発に凄腕を振るった人物であり、いまは現場を離れているが検察官の身分にかわりはなく、捜査の流れを知り得る立場にいる。

立松によると、その人物は次のようにいって、丸済み議員のリストを彼の前に出したという。

「立松君、元気になってよかったね。貧乏検事にはなんのお祝いも出来ないが、これはぼくの気持だ」…。

読売梁山泊の記者たち p.238-239 丸済み議員のリスト

読売梁山泊の記者たち p.238-239 「明日の朝刊は、その二人だけ実名で行くことにします」こうして、読売の特種が社会面トップに組み込まれた。《捜査の結果、真鍋代議士についで、宇都宮、福田両代議士にいずれも二十—五十万円の工作費がおくられている事実をつかんだ》
読売梁山泊の記者たち p.238-239 「明日の朝刊は、その二人だけ実名で行くことにします」こうして、読売の特種が社会面トップに組み込まれた。《捜査の結果、真鍋代議士についで、宇都宮、福田両代議士にいずれも二十—五十万円の工作費がおくられている事実をつかんだ》

立松はニュース・ソースを打ち明けた。かつて東京地検特捜部で大型疑獄の摘発に凄腕を振るった人物であり、いまは現場を離れているが検察官の身分にかわりはなく、捜査の流れを知り得る立場にいる。
立松によると、その人物は次のようにいって、丸済み議員のリストを彼の前に出したという。

「立松君、元気になってよかったね。貧乏検事にはなんのお祝いも出来ないが、これはぼくの気持だ」…。

翌十七日の昼前に出社した立松は、景山社会部長に取材の成果を報告した。そして、鈴木顧問の浮き貸し事件と、代議士に対する業界からの贈賄の、どちらを先に出稿するかについて指示を仰ぐ。…。

その間に立松が戻って来て、滝沢と原稿の相談が始まる。

「九代議士に丸済の疑惑、といったかたちで全員の名前をばあっと書いちゃおうか」

意気込む立松に滝沢がブレーキをかけた。

「九人全部っていうのはどんなものでしょうか」…。

そこへ、司法記者クラブ詰め主任の三田和夫がやって来た。それから立松が結論を出すまで、そう長い時間はかかっていない。「今日のところは、滝沢君がいう通り、確実な線に絞ったほうがよさそうだ。その線でもう一度、念を押してみよう」

彼は床の間のわきの室内電話に手を伸ばし、帳場に都内のある電話番号を告げた。

外線につながって、確認が始まる。三田、滝沢にはその内容を聞くまでのこともなく、相手は前述のニュース・ソースと知れた。

「くどいようで申しわけないんですが、九人のうち五人については、かなりクロっぽいというお話でしたね」

「——」

「そのうちはっきり裏がとれているのは、だれとだれですか。もう一度名前を読み上げてみますから」

「——」

「実はこれから原稿を書くところなんですが、その線なら動きませんか」

「——」

「わかりました。それじゃ明日の朝刊は、その二人だけ実名で行くことにします。どうもたびたびすいません。ありがとうございました」

受話器を置いた立松は、メモ帳の中の九代議士の名前のうち、二つをボールペンで囲って三田に示した。

「たびたびすいません」というからには、今日の午後も立松は、ニュース・ソースと接触を重ねていたのであろう。自分の目の前でさらなる確認をとりつけた同僚に、三田はいうべき何物もない。すべてを彼に任せた…。》

こうして、読売の劣勢を一挙に挽回するはずの特種が、昭和三十二年十月十八日付け朝刊の十四版から、社会面トップに組み込まれたのである。

《(注=その記事後半部分)当局では三幹部(引用者注・鈴木明全性理事長、山口富三郎同専務理事、長谷川康同副理事長)を全性本部が全国ブロックに呼びかけて地元毎に政界工作にあたらせた参謀とみて、まず同本部の心臓部である東京都連——地元(東京出身議員)を結ぶ汚職ルートに摘発のメスを入れることに決定、捜査の結果、真鍋代議士についで、宇都宮、福田両代議士にいずれも二十—五

十万円の工作費がおくられている事実をつかんだ。

ワイロの手口としては、三幹部の指示により、地域別の業者を〝政界工作員〟として、めざす議員の巡りに一人または二人ずつつけ〝運動〟したのち手渡していたとみている。(中略)このほか地元出身のK、S、Nの三代議士についても、同様の丸済という印がつけられているので、その裏付け捜査を急いでいる。(後略)》

読売梁山泊の記者たち p.240-241 間違いなく河井の自宅の電話番号

読売梁山泊の記者たち p.240-241 宇都宮代議士が、品川の赤線業者からワイロを取るであろうか、という、卒直な疑問である。私は、もう一度、河井検事に確かめるべきだと主張し、立松も、それを入れて、再度、河井の自宅に電話した。
読売梁山泊の記者たち p.240-241 宇都宮代議士が、品川の赤線業者からワイロを取るであろうか、という、卒直な疑問である。私は、もう一度、河井検事に確かめるべきだと主張し、立松も、それを入れて、再度、河井の自宅に電話した。

《(注=その記事後半部分)当局では三幹部(引用者注・鈴木明全性理事長、山口富三郎同専務理事、長谷川康同副理事長)を全性本部が全国ブロックに呼びかけて地元毎に政界工作にあたらせた参謀とみて、まず同本部の心臓部である東京都連——地元(東京出身議員)を結ぶ汚職ルートに摘発のメスを入れることに決定、捜査の結果、真鍋代議士についで、宇都宮、福田両代議士にいずれも二十—五

十万円の工作費がおくられている事実をつかんだ。

ワイロの手口としては、三幹部の指示により、地域別の業者を〝政界工作員〟として、めざす議員の巡りに一人または二人ずつつけ〝運動〟したのち手渡していたとみている。(中略)このほか地元出身のK、S、Nの三代議士についても、同様の丸済という印がつけられているので、その裏付け捜査を急いでいる。(後略)》

K、S、Nは記事の中でもイニシアルだけの扱いになっている。これは滝沢の助言を入れて、立松が大事をとった結果である。(注=九人のうちのクロっぽい五人の残り三人)

《両代議士は翌十九日、名誉毀損の訴訟を東京地検に提起した。告訴の対象は、読売新聞社小島文夫編集局長および問題の記事を執筆した記者某、これに情報を提供した検事某およびその監督者としての東京地検野村佐太男検事正、および検察最高責任者である花井忠検事総長の五人であった。

彼を指揮命令する監督者責任を合わせて問うのであれば、東京地検の検事正と検事総長の他に、もう一人、東京高等検察庁の検事長も告訴しなければ筋道に合わない。

しかし、故意か、偶然か、東京地検の上級機関である東京高検の検事長は告訴の対象からはずされており、その職にある岸本義広が被告訴人に名を連ねていないという理由で、東京高検を指揮して、この告訴事件の捜査に乗り出すのである。》

本田の「不当逮捕」は、以上のように、誤報が読売社会面のトップ記事になる経過を、詳しく描写

している。なお、引用文中に「…」とあるのは、中略部分を意味している。

最後のツメに、河井検事の自宅に電話する部分は、一階の電話ボックスに行って、私と滝沢が立ち合ったもので、室内電話ではない点が違うだけだ。

というのは、宇都宮代議士は、私が国会担当時代、取材で人柄を知っており、赤線業者のワイロを受け取る人物ではないと、疑問を提起したからで、それなら、河井にツメてみよう、ということになったのである。

司法クラブのキャップである私は、立松の話を聞いて、フト、一抹の不安を覚えたのである。宇都宮代議士が、品川の赤線業者からワイロを取るであろうか、という、卒直な疑問である。

もっとも、立松は社会部長直轄の遊軍で、私の部下ではないから、彼の原稿で、私の責任は生じない。しかし、親しい友人の立松に赤恥をかかせるわけにはいかない。

五人のうちの〝クロっぽい〟二人について私は、もう一度、河井検事に確かめるべきだと主張し、立松も、それを入れて、再度、河井の自宅に電話した。彼が、私と滝沢の見守る中、間違いなく、河井の自宅の電話番号をまわした。

政治的思惑で立松を利用した河井検事

そして、本田の最後の部分、「岸本が告訴洩れになった」ことについて、「故意か、偶然か」と、表現しているが、司法記者の常識として、一流日刊紙の名誉毀損被疑事件で、担当記者が逮捕されるこ

となど、あり得ないことであった。

読売梁山泊の記者たち p.242-243 河井の政治的思惑

読売梁山泊の記者たち p.242-243 ここの部分が、重要なのである。芦田内閣を倒閣に追いこんだ以後、河井は、極めて〈政治的思惑〉を持つにいたったことが、実証されるのである。河井の政治的思惑について、説明しなければならない。
読売梁山泊の記者たち p.242-243 ここの部分が、重要なのである。芦田内閣を倒閣に追いこんだ以後、河井は、極めて〈政治的思惑〉を持つにいたったことが、実証されるのである。河井の政治的思惑について、説明しなければならない。

政治的思惑で立松を利用した河井検事

そして、本田の最後の部分、「岸本が告訴洩れになった」ことについて、「故意か、偶然か」と、表現しているが、司法記者の常識として、一流日刊紙の名誉毀損被疑事件で、担当記者が逮捕されるこ

となど、あり得ないことであった。

だから、結果論として、「故意か」と思っているようだが、「故意」とは、宇都宮、福田両代議士が、事前に、岸本検事長と謀議して、告訴洩れにするから、逮捕しようと、計画したことを意味する。これまた、まったくあり得ないことである。

のちに、宇都宮代議士に直接たずねてみたが、本人は弁護士まかせ。弁護士は、地検の監督責任は最高検と考えた、とのことだ。

そこで、今度は、伊藤栄樹らの、ガセネタ流しについて、考えてみよう。前述したように、「売春汚職で、初期から読売に抜けた」ことはない。これは、河井にガセネタを流してみることの、修飾語であろう。昭電事件以来の疑惑に、結論を出そうとしたのだろう。いずれにせよ、もはや、この部分の真実は明らかにはできない。

しかし、河井が、立松に対して、九名の国会議員のうちの五名が、容疑が濃く、そのうちでも、二名の捜査が進展している、と、リークした。そうすると、伊藤らが、法務省刑事局に報告したのは、五名の名前であろう。

その様子は、本田の描写(立松の電話の受け答え)で、ほぼ明らかである。すると、その五名のうちから、宇都宮、福田両代議士を特に指名したのは、河井の判断、ということになる。

《「そのうち、はっきりウラが取れているのはだれとだれですか。もう一度、名前を読み上げてみますから…」》

と、立松は河井にいい、丸済メモのうち、宇都宮、福田の名前の上に印をつけた。片手に受話器、片手で印(しるし)をつけたのを、私は目撃している。

《「——」

「わかりました、それじゃ、明日の朝刊は、その二人だけ、実名でいくことにします」》

つまり、伊藤らのガセネタ流しでは、この二人の名前だけではなく、読売紙面での、K、S、Nのイニシャル三名も含まれていたのに、河井の〝判断〟で、二名がえらばれた、ということになる。

ここの部分が、重要なのである。そして、そこに、芦田内閣を倒閣に追いこんだ以後、河井は、極めて〈政治的思惑〉を持つにいたった、ということが、実証されるのである。

河井の政治的思惑について、説明しなければならない。それには、当時の政治情勢を見なければならない。

昭和三十二年はじめ、岸内閣にただ一人魅力ある新人として、藤山愛一郎が入閣した。財界出身で国会に議席を持たない新人である。これは当然、次の総選挙には出馬する、という含みである。

そして、その夏。東京都知事安井誠一郎が衆院選出馬を声明した。昭和三十四年春までまだ、任期が一年半もある、というのにである。

この二人の〝新人〟の衆院選出馬は、どのような影響を、当時の政界地図に及ぼすであろうか。現役の代議士にとっては、実に重大な問題である。

読売梁山泊の記者たち p.244-245 だからこその安井都知事の衆院選出馬

読売梁山泊の記者たち p.244-245 安井都政への批判は、都民の間に沸き立っていた。都庁の腐敗は、警視庁も手が出せない、と記者クラブで噂されるほど。警視庁どころか、東京地検でさえ、安井兄弟の身辺には、手をつけられないほどであった。
読売梁山泊の記者たち p.244-245 安井都政への批判は、都民の間に沸き立っていた。都庁の腐敗は、警視庁も手が出せない、と記者クラブで噂されるほど。警視庁どころか、東京地検でさえ、安井兄弟の身辺には、手をつけられないほどであった。

そして、その夏。東京都知事安井誠一郎が衆院選出馬を声明した。昭和三十四年春までまだ、任期が一年半もある、というのにである。
この二人の〝新人〟の衆院選出馬は、どのような影響を、当時の政界地図に及ぼすであろうか。現役の代議士にとっては、実に重大な問題である。

安井都知事の身辺をみてみよう。昭和三十年春の都知事選は、まったく危うかった。当時の都庁は伏魔殿、とさえいわれ、安井都政への批判は、都民の間に沸き立っていた。占領期間に引きつづいての二選、そして三度目の出馬である。

都庁の腐敗は、警視庁も手が出せない、と記者クラブで噂されるほどで、私が、昭和二十七年から三十年までの、三年半ほどの、警視庁記者クラブ詰だった間に、「都庁汚職」として摘発された事件は、ただ一度だった。

それも、三十年春、都の結核療養所の建設をめぐる、小さな贈収賄事件である。

「警視庁がやれないなら、地検でやる」

正義感に燃えた若手検事が、そう意気込んでみても、「都庁汚職」は一つとして、伸びなかった。

「官庁バス路線買い上げ事件」というのがあった。これを担当した検事たちに、二通りの声があった。この事件には〝メモ〟があって、献金一覧表ができていた。

これに対し、「メモが事実だとしても、時効サ」と、こともなげに諦らめ顔の検事と、「いい筋なのに、惜しいネ」と、未練気な若手検事——。事件は不発に終わった。

前警視総監田中栄一派の選挙違反がのびてきて、安井謙参院議員まできた時、やはり、ストップがかかったといわれる。実兄の安井都知事が、「一回だけは、安井謙議員の調べを認めるが、都知事選を目前に控えて、都庁にだけは、手をつけないでもらいたい」と、某筋へ要求した、といわれたほどであった。

警視庁どころか、東京地検でさえ、都庁、すなわち、安井兄弟の身辺には、手をつけられないほどであった。

ナゼだろうか。

社会党が、安井三選阻止を唱えて、元外相有田八郎を擁した、昭和三十年の都知事選での、安井、有田の得票差は、僅か十万票であった。つまり、プラスマイナスすれば、あと五万票で、有田は勝てたのである。

この都民の審判が、自民党首脳をガク然とさせた。次回で雪辱を期して、孜々営々と、日常活動をつづける有田派の実力は、悔りがたいものがあった。

だからこその、安井都知事の衆院選出馬声明であった。安井派が三十年の選挙で準備した金が、一億円といわれているが、それであの少差である。次回三十四年には、何億にハネ上がるか? それなら、衆院選のほうがラクである、という計算もあっただろう。

では、次回に、有田と闘うのは誰か。その時点から、候補探しが始まった。首都の知事を革新陣営には渡せないという、至上命令があるのだ。

当時、浮かんでは消えた人名を、列挙してみよう。第一に、中山伊知郎、松下正寿らの学者グループ。松下などは、「選挙費用が五千万円」と聞いて、乗り気だったのが、一度に〝その気〟をなくした、という。

藤山愛一郎、一万田尚登、高碕達之助、鮎川義介、渋沢敬三、河合良成らの財界人。つづいて、吉

田茂、鳩山一郎、石橋湛山の元、前首相ら。鳩山の場合など、本人がダメなら大蔵官僚の長男威一郎、薫子夫人の名前まで出たが、都議団に笑い飛ばされて、消えてしまったほど。

読売梁山泊の記者たち p.246-247 安井・藤山をどうしても当選させねばならない

読売梁山泊の記者たち p.246-247 現役議員がいる。選挙におけるかぎり、〝敵〟は味方の陣営である。つまり、保守の〝敵〟は保守である。保守系の票を分割するからである。同一選挙区に、同系候補がふえれば、基礎票が割れるのである。
読売梁山泊の記者たち p.246-247 現役議員がいる。選挙におけるかぎり、〝敵〟は味方の陣営である。つまり、保守の〝敵〟は保守である。保守系の票を分割するからである。同一選挙区に、同系候補がふえれば、基礎票が割れるのである。

当時、浮かんでは消えた人名を、列挙してみよう。第一に、中山伊知郎、松下正寿らの学者グループ。松下などは、「選挙費用が五千万円」と聞いて、乗り気だったのが、一度に〝その気〟をなくした、という。

藤山愛一郎、一万田尚登、高碕達之助、鮎川義介、渋沢敬三、河合良成らの財界人。つづいて、吉

田茂、鳩山一郎、石橋湛山の元、前首相ら。鳩山の場合など、本人がダメなら大蔵官僚の長男威一郎、薫子夫人の名前まで出たが、都議団に笑い飛ばされて、消えてしまったほど。

次は、沢田廉三、鶴見祐輔、永田清らが出たのち、グッと現実的になって、花村四郎、中村梅吉といった、地元議員になった。これには都議団も賛成したが、本人たちが受けない。そして、松永東、東竜太郎と動いてきたが、これまた固辞して、振り出しにもどった感じ。

都知事の後任問題は、まったく目鼻さえつかなかったが、藤山、安井両氏の出馬は確定し、しかも、国会には〝解散風〟が吹きはじめていた。選挙の見通しは、早期解散ならば翌三十三年春。おそくも、秋には、という声がしきりであった。

安井の出馬は、都知事だったのだから、当然、東京である。そして、一区の安藤正純の地盤のアト釜かと見られた。東京一区は、鳩山一郎、安藤正純、原彪、浅沼稲次郎という保守、革新の大物、ベテランが四議席を二分していたが、安藤が死亡して、空いたのであった。

一区が駄目なら、三多摩の七区。十二年の在任中に、そのことあるを予期して、三多摩には、十分に金をマイていた、といわれる。安井の出馬は、一区か七区というのが、決定的であった。

一方の藤山はどうか。「芝で生まれて、芝で育ったボクは、芝以外からは選挙に出られない」と公言していた。学校も慶応だから、芝一本槍の方針だ。芝といえば、東京二区である。

なにしろ、入閣に当たって、一九四社という、関係会社に辞表を出し、七つの会社の役員会を招集して、奇麗サッパリと、財界から足を洗っての、政界入りだから、出馬→当選は必死である。

だが、選挙という〝怪物〟は、生やさしいものではない。出たい人が出て、その政見が選挙民に支持されれば当選する、といった、公式通りにはいかないのである。

ことに、現役議員がいる。選挙におけるかぎり、〝敵〟は味方の陣営である。つまり、保守の〝敵〟は保守である。保守系の票を分割するからである。選挙の見通しは、地盤という、基礎票からスタートする。同一選挙区に、同系候補がふえれば、この基礎票が割れるのである。

安井は、地検にすら、都庁に手を入れさせなかった、東京の〝実力者〟である。安井の応援がなくては、例えば、吉田茂が都知事に立候補しても、安井系の票がすべて離れたら落選の可能性が強くなるのである。

「都知事は保守で」を、至上命令としているのが、岸首相ら自民党首脳であるならば、安井の発言権が、強まるのも当然である。また議席のない藤山を、内閣に迎えたのも岸首相である。

とすると、安井、藤山両氏を、どうしても当選させねばならない、という人——それは岸内閣の主流派である。当時、主流派とされたのは、岸派、大野派、河野派、佐藤派の四個師団である。

さて、安井の七区、藤山の二区という、その出馬予想区の現況はどうか。

別表を見ていただきたい。二十二年四月の総選挙から、二十四年一月、二十七年十月、二十八年四月、三十年二月と、三十二年秋、現在において、過去五回の選挙が、同一選挙区、同一定員で行なわれている。そのうち、問題の二区、七区の当選議員と、その得票の実績である。(点線より下の人名は次点以下)