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私の食べ歩きは、一店一品種。「いまナニが食べたいか」「ではあの店に行こう」となる。西口と歌舞伎町は、いっぺんこっきりのフリの客相手の浅草仲見世通りと同じ。
コマ劇場通りとさくら通りの中間にあるオデン屋の利佳は、安藤リカさん。才気煥発の女史で、浅学菲才の私など足許にも寄せつけてもらえない。
隣の五〇三号には、丸山明宏が住んでいた。「黒蜥蜴」がヒットしていたころだった。香料の芳香が立ちこめ美貌が妖しい魅力を呼んで、息苦しいほどだった。
「丸山明宏の部屋の隣で正論新聞というんだ。隣に出前して、どうしてウチにはできないのだ」「牛やになんか絶対行かないゾ!」
読売時代から「三田ほど、メシのオゴリ甲斐のある奴はいない」と、極め付きであった。
しゃぶしゃぶを、肉だけ二人前も食べる。すると摩訶不思議やナ……翌朝の九時ごろまで、眠気ひとつ覚えず、原稿を書きつづけて、約束通り上げられるのである。
顔見知りになっていたそのママが、若い、どちらかといえば、年下の感じの男と同伴で、バッタリ、牛やで出会ったものである。
「カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める。」と、ケンカしてしまったのョ。…チーフに辞められたら、もう、あの店はおしまいよ。
新宿慕情80-81 深い事情は知らぬが、その誇り高きチーフが、やがて辞めてしまって、ママは方向転換を考えたらしい。…どうなることかとみていると、レストラン・ラステンハイムという名前に変わった。
新宿慕情82-83 ママは、目に涙をあふれさせそうになりながら、黙って、コックリとうなずいた。どうも、このウラには〝女の戦い〟があるような感じだった。
新宿慕情84-85 かつ由のオカミさんは、美人とはいえないが、可愛いタイプで、それなりにチャーミングである。サンライトのマダムは、美人であって、これまた、笑顔が魅力的だ。
新宿慕情86-87 社会部は、そのころでも、七、八十人はいるのである。~クラブ詰め、サツまわりなどの外勤記者が、夕方、社に上がってくると、坐る椅子もない混雑ぶりなのである。
新宿慕情88-89 私が、三年に及ぶ警視庁記者を〝卒業〟させてもらって、通産、農林両省クラブ詰めになったのは、昭和三十年初夏のことだった。~だが、丸一年で、大特オチをして、部長の眼の届く遊軍勤務になってしまう。
新宿慕情90-91 「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」 これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。
新宿慕情92-93 遊軍勤務一年。翌三十二年初夏には、私は、司法記者クラブのキャップとして、またまた、激烈な事件記者の世界にもどることになったのだ。それが内示された夜、私は彼女にいった。
新宿慕情94-95 私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。
新宿慕情96-97 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~
新宿慕情98-99 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、正力サンの急逝のあとを受けて、副社長から社長に就かれ、その披露パーティーのあった直後~
新宿慕情100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。
新宿慕情102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。