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雑誌『キング』p.128下段 幻兵団の全貌 使命遂行は現在進行形

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 下段 四、日本に於ける実態
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 下段 四、日本に於ける実態

イセット)、一応使命は終了しているとみられるので、ここではしばらく置こう。あまりにも陰惨であるとの声もあるが、引揚げの完了は、敗戦の整理でもあるので、たとえ〝生きて帰る〟ためではあっても、そのかげに強制力をもったもっと大きな責任者があるとしても、やはり吉村隊長が法の裁きをうけているように、同胞を売った事実があれば、それはそれとして、健康な社会の秩序によって裁かれねばならない。もちろん、誓約書を書いてはいても、魂までは売らなかった人々も多いのだ。

だが、問題はⒷに属する人々である。彼らの使命遂行は現在進行形であるからだ。

1 潜入と偽装

『民主運動には積極的であってはいけない。幹部になることはもちろんいけない』という注意は、誓約書を書くに当たってチェレムホーボはじめ各地区で、担当将校に与えられている。さらにバルナウルなどにおいては、逆に反動的言動を命ぜられ、『どんなに吊るしあげられても、必ず帰してやるから心配するな』とまでいわれている。エラブカでも、スパイ採用にやってきた〝モスクワの中佐〟は『革命家は、在ソ間は反動としてすごさねばならない。日本へ帰ったら地下にもぐって大いに活躍しなければならぬ』と語

雑誌『キング』p.127下段 幻兵団の全貌 日本人に連絡手段はない

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.127 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.127 下段

——ハイ。

『貴方は星澤さんに、いつお逢いになりましたか?』
——私は、十日の夜に逢いました。

これは人名を用いるもので、星澤——いつ(反問)——何日、というように反覆される。

このような三種類の合言葉に関して、口頭で授けられる注意がある。この注意の内容をみると、この組織の規模と性格とがうかがわれよう。

『何時、何処で、何国人であっても——それは、日本人か、中国人か、朝鮮人か、あるいは印度人であるかも知れないが、合言葉をもって現れる者がいたら、お前はその者の発する一切の命令をきけ』

2 手段 Ⓐにおいては、将校が所内を見廻ってきて、机をコツコツと叩いて、眼くばせをしたら来い(タイセット)というのもあるが、一般には、各種の用事にかこつけて、思想係将校が呼び出すのではないとカモフラージュして、収容所司令部に呼び出しする。その際に報告の提出、次の命令の下命が行われていた。Ⓑも同様であるが、ともに連絡の手段は、ソ側の一方的なもので、日本人スパイからはとることができなかった。たまたま、担当将校にめぐり合った時には、その旨を申し出ることはできたが。

3 報告 Ⓐは連絡のたびごとに、必ず報告

雑誌『キング』p.126下段 幻兵団の全貌 合言葉には三種類が

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.126 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.126 下段

四、連絡

こうして生まれた、このスパイ組織は、どうのように動きだしただろうか。その連絡についてみてみよう。

1 符牒 第一番にあげられるのは工作名(偽名)である。これはⒶ、Ⓑともに持っているが、Ⓐの中にはない者もある。この名前が、どのような根拠によって、名付けられるかは不明であるが、苗字だけが必要であるらしく、名前はそれほどでもないらしい。大矢(口頭でオーヤといわれて、本人が字をあてたもの)と名付けられた男が、『カーク・イーミヤ?』(名は何というか?)と質問したところ、チョット考えて『サブロー』と答えた(タイセット)という。工作名は、誓約書の末尾に記される。報告書、答申書、報酬の受領証など、一切の仕事にこの名前だけが使われる。例をあげると、阿部正(チェレムホーボ)、坂田栄、高平保(ハバロフスク)、森、大木(ウォロシロフ)などである。

合言葉はⒷにだけ、誓約のさいに、偽名に続いて与えられている。合言葉には次の三種類がある。

イ 呼びかけ式

『貴方の事業は成功していますか?』
『貴方の健康は宜しいですか?』

雑誌『キング』p.126中段 幻兵団の全貌 スパイの報酬

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.126 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.126 中段

なお、ここで注目すべきことは、ハバロフスク、ウォロシロフ両地区は、誓約書の文面が、Ⓐ、Ⓑともに同文であり、しかも、一人の人間が、Ⓐ、Ⓑ両方の誓約書をかいていることである。これによってみても、さきに述べた通り、Ⓐの使命は一応シベリアで終わっているが、日本におけるⒷの予備隊として、必要とあれば直ちに編成され、〝影なき男〟の連絡がつけられるとみてよいと思う。

4 報酬 Ⓐは毎回五〇—七〇ルーブルというのもあれば(チェレムホーボ)、帰還の時にビール五杯だけ(タイセット)というものもあり、種々まちまちであって、いちがいにはいえない。これも、担当将校の人柄と、スパイの活躍如何によるものであろう。全期間一年半を通じて六回の呼び出しをうけ、最後に一二〇ルーブルを渡されようとしたが、不要だといったところ、受領証だけを書かされて、担当将校に横領された(チェレムホーボ)というのもある通り、機密費に類するものだけに、適当に行われていたようである。Ⓑにいたっては、月に一回の呼び出しがあり、その都度五〇—三〇〇ルーブルの大金を与えられていた(バルナウル)というのからも、相当莫大な金が、このスパイ組織のために費やされていたことが分かる。

雑誌『キング』p.124中段 幻兵団の全貌 誓約書を口述筆記

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.124 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.124 中段

多い。拳銃を黙って机上に置き(チェレムホーボ)、胸につきつけ(ウォロシロフ)、さらにひどいのになると、呼び出された部屋のドアを開け、一歩踏みこもうとした時に、ズドンと一発、拳銃弾が頭上をかすめて壁につき当たった(ライチハ)などというのがある。

また、俘虜たちの唯一の念願である帰国を交換条件としたものには、『内地では妻子が待っているのに、帰りたくありませんか』(ウォロシロフ)とか、『帰国は一番先にしてやるし、君のためによい事がある』(ハバロフスク)など、徹底しているのは『帰りたいか』(タイセット)とだけ、単刀直入にきいているなどをはじめとして、ほとんど各地区でいわれている。

銃口の脅迫、帰国の懸念、報酬の利得、この三種を見せびらかしながら、『内務省に協力しないか』『ソ連のために働きたくないか』といいはじめて、否とはいわせぬ雰囲気の中で、『いう通りに書け』と、誓約書を口述筆記させている。

3 誓約 誓約の内容は、ⒶとⒷとでは、ハッキリと違っている。また各地区ごとに多少文面の違いはあっても、ⒶはⒶの目的を、ⒷはⒷの目的を明示している。

ここにその数種を示そう。

A種

イ、〔チェレムホーボ〕

雑誌『キング』p.124上段 幻兵団の全貌 誓約の場所は密室

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.124 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.124 上段

誓約したことになり、全ソ連地域百六十二万とすれば、三万二千—六万四千人の多きにのぼる。

少なくとも一万名前後の人が、誓約書を書いたことは間違いないが、Ⓑは五千名を超えないと思われる。

2 方法 ソ連はかつてのナチスドイツにも劣らぬプロパガンダ(宣伝)の国であるから、スパイ任命の誓約に当たっては極めてドラマティックな演出を行って、俘虜に精神的圧迫感を与えるという舞台効果をあげている。

時間はがいして夜が多い。作業係、日直、軍医などの名を用いて、ひそかに呼び出しをかける。場所はほとんど事務所、司令部の一室で鍵をかける(チェレムホーボ)とか、窓に鉄格子のある(タイセット)とか、密室を用いている。しかし、昼間ジープにのせて森の中に連れこむ(バルナウル)とか、美人が呼び出しに来る(バルナウル)といった例外もある。

相手はその収容所付の思想係将校(少尉から少佐まで)と、通訳の少尉の二名だけで、両名ともNKである。話の進め方は、事前に砂糖水を出したり(アルマアタ)、ブドウ酒、シャンペン、ソーセージの小宴を開き(バルナウル)、コニャック、菓子をふるまう(エラブカ)といった御馳走政策もあるが、概して脅迫によるものが

雑誌『キング』p.123下段 幻兵団の全貌 スパイ採用・任命

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 下段

いないが、近接した二、三の収容所の引揚者の証言によれば、同一人らしいことから、一人の少佐がある地区を担当して、数カ収容所を巡回したと判断できる。

この少佐の最後的決定ののちに、いよいよドラマティックな採用任命式となる。

三、任命

二十一年中に完成された俘虜カードにもとづき、同年暮れごろからはじまったスパイ採用の選考は、〝モスクワの少佐〟の決定により、ほとんどの者が、二十二年中に誓約書を提出し、ⒶⒷの任命を受けている。

1 人員 誓約書に署名したスパイ個人間においては、横の連絡はない。収容所付思想係将校を中心とする縦の連絡だけである。従って一収容所内におけるスパイの総数は、スパイ自身には分からない。だが、自分に対して行われた選考期間の呼び出しの状況、収容所事務所への出頭の事情などから類推すると、他のスパイのことは、おおむね判断され得るのである。

これによって計算すると、二千名中七、八十名(チェレムホーボ)ともいい、五百名中十名ぐらい(タイセット)などというので、平均二—四%と判断される。するとシベリア地区七〇万人として、一万四千—二万八千人の人たちが

雑誌『キング』p.122上段 幻兵団の全貌 俘虜カードの作成

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.122 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.122 上段

しまったからであり、最初の冬の犠牲者の実態は、ソ連当局では握っていない訳である。

こうして、二十一年四月からは、正式な人名調査による、俘虜カードの作成がはじめられた。これは、あくまで純然たる俘虜管理業務の一つとして行われた調査で、俘虜各個人の身上調査が、収容所地区司令部の指揮によって、各収容所(分所)の人事係将校が担当して行われたのである。

この調査は、おおむね二十一年一ぱいを費やして完成された。このころから、ソ連側の対日本人俘虜政策は、ようやく整理され、秩序立って、施設、給養、労働、教育などの面も、改善されて、向上してきた。俘虜政策の整備は、その管理面だけではなく、もちろんNKによる調査も系統だてたのである。

かくして、俘虜カードによる、スパイ団組織の予備調査は、その年齢、階級、学歴、原職などに基づいてはじめられた。この際は、ⒶⒷの区別はまだハッキリとつけられておらず、スパイ要員の摘出を、各収容所付の思想係将校が行った。早い所では、二十一年の暮れから(アルチョム)、普通は二十二年一ぱい、遅い所で二十三年はじめであろう。まれに、二十三年下半期、あるいは二十四年はじめ(タイセット)というのもあるが、それは、鉄道建設、伐採などの奥地の分遣

雑誌『キング』p.104 幻兵団の全貌 収容所分布図 掲載紙

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.104 シベリア捕虜収容所地図 幻兵団関係記事一覧
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.104 シベリア捕虜収容所地図 幻兵団関係記事一覧