中曾根康弘」タグアーカイブ

編集長ひとり語り第14回 沖縄はどう生きたいのか

編集長ひとり語り第14回 沖縄はどう生きたいのか 平成11年(1999)6月5日 画像は三田和夫60歳ごろか(右側 オカマ・クラブ?)
編集長ひとり語り第14回 沖縄はどう生きたいのか 平成11年(1999)6月5日 画像は三田和夫60歳ごろか(右側 オカマ・クラブ?)

■□■沖縄はどう生きたいのか■□■第14回■□■ 平成11年(1999)6月5日

5日付けの東京新聞朝刊は、一面第二トップで「米兵、羽田を初利用へ、新指針・慣熟訓練か」と報じた。静岡県の東富士演習場で14日から始まる米海兵隊の実弾砲撃訓練のため、米兵約20名が民間機で羽田空港入りをする、というもの。これは沖縄県の県道越えの実弾訓練をやめ、本土の演習場5カ所に移した第一回のもの。

もちろん“戦争法”と呼ばれる新ガイドライン法での民間協力第一号だ。もっとも、軍装で武器や弾薬は、従来通りチャーター便で運ぶが、先発隊20名のために、一機チャーターするよりは安上がり、ということで民間協力…。

先日、沖縄県人たちと話し合った。その意見を聞いて、深くうなずくものがあった。小渕首相の“大英断”ともてはやされる、サミット本会議開催など、まさに子供だましのアメ玉で、沖縄にとっては迷惑でこそあれ、何のプラスにもならない。かえってサミット後の「してやったじゃないか」という逃げ口上の落ちこみのほうが、マイナスになるのだという。

沖縄に集中している米軍基地は、敗戦後50余年を経て、完全に既成事実化しており、本土移転などとオイシイことをいっても、どこの県が引き受けてくれるというのだ。海上に造るといって、イクラ金を投ずるのだ。

産業がなく、特産品もなく、強いていえば観光だけ。だが、本土からの航空運賃が、ハワイより高いのでは、好きこのんでくる客も少ない。パチンコが一時は盛んだったが、それを支配していたのは、本土の業者で、県民のナケナシのパチンコ代は、みな本土へもっていかれてしまう。これでは、沖縄県は低所得トップで、歌の大スターが出現しても、その儲けは、本土に落ちる。——どうして、生きてゆけというのか。夢も希望もなく、あるのは爆音と銃砲声だけだ、という結論だ。

実際、サミットは沖縄で、というニュースに「また、オブチ・パフォーマンス」という感じを受けたのは、私ばかりではあるまい。自自公の数だけの政治は、沖縄ばかりか、日本全土から、夢も希望も奪うものだ。

冒頭の新聞記事。第一回だから、20人で私服なのだ。やがて、拳銃を下げ、自動小銃を抱えた軍装の米兵が、30人、50人と、民間機に乗りこんでくるようになるだろう。そしたらキット、同乗の日本人客に、チョコレートやキャンディーをバラまくのではないか。50年前の米軍占領下の、日本の日常的風景だ。

小渕も野中も、どうして「米国がそうしろというのだから、反対できないのです」と、ハッキリいわんのか。戦争法も盗聴法も、数だけで通していい法律なのか。戦争法の現実的運用が、どんどん拡大されていく。そこで反対論者を封じ込めるための盗聴法だ。米国の外圧だと、国会で発言すれば小渕内閣の即瓦壊は火をみるより明らかだ。そこで、中曽根大勲位81歳が、代わりになって、そう発言したらいい。そして議員辞職すればいい。ともかく、自民、自由、公明三党をツブさねばならない。小渕をツブして総選挙だ!

で、沖縄の生きる道は、というと、県営のカジノだ。サッカーくじまでやる国だから、島ではあるし、公認ギャンブル場しかないという。すると観光も生きてくる。

最後にひとりが呟いた。「公認カジノというと、琉球新報(このほど、ABC調査で20万部を317部越えた)あたりが反対する。まず沖縄のマスコミもツブさねば…」と。ちなみにこの発言、琉球新報の論調を支持しているのか、空理空論を嘲っているのかは、聞きもらしてしまった。 平成11年(1999)6月5日

読売梁山泊の記者たち p.014-015 中央に児玉右側に渡辺恒雄

読売梁山泊の記者たち p.014-015 児玉邸の二階。中央に児玉、右側に読売政治部記者・渡辺恒雄と、彼が連れてきた中曾根康弘。緒方に一足遅れて、読売経済部記者・氏家斎一郎と、その同伴者、電源開発副総裁・大堀弘が左側に。児玉がいった。「ウン、これで役者は全部揃った。金は持ってきたな。」
読売梁山泊の記者たち p.014-015 児玉邸の二階。中央に児玉、右側に読売政治部記者・渡辺恒雄と、彼が連れてきた中曾根康弘。緒方に一足遅れて、読売経済部記者・氏家斎一郎と、その同伴者、電源開発副総裁・大堀弘が左側に。児玉がいった。「ウン、これで役者は全部揃った。金は持ってきたな。」

その話も終わらないうちに、ドアをあけて、池島が入ってきた。

「オイ、三田クン、キミは五中だナ」

「ハイ、十六回卒業です」

「オレは、第一回、先輩だよ」

「ハイ、お目にかかるのは初めてですが、読売の竹内社会部長も第一回卒ですので、お名前は存じあげてました」

「ウン、原稿はオモシロイけれど、社長としての、オレの頼みがあるんだ。あの、児玉誉士夫のことを書いた部分が、三十枚あるんだ。この部分をオレに免じて、カットしてくれよ」

「……」

「ナ、いいだろう?」

「ハ、ハイ」

私は、読売記者のカンバンを外してからの、第一回の作品で、早くも、新聞社と雑誌社の違いに、直面したのだった。…が、内心、池島の話のもっていき方のウマさに、驚いていた。

「アノ部分も載せたいけれど、オレに面会を求めてくる連中が、ウルサイんだよ」

そして、「財界」誌。さらに、「現代の眼」誌…。私が書く時事モノは、媒体各社でトラブルが続出した。ホントウのことを書けば、モメるのだ。

…そして私は、ついに、雑誌に原稿を書くことに、限界を感じていた。自分がライターであり、エディターであり、パブリッシャーであること…それ以外に、真実は書けない、と。

そうして、私は「正論新聞」の創刊を考えた。紙面の目玉は、児玉キャンペーン。昭和四十一年の〝黒い霧〟解散のころ、児玉の勢力の絶頂時代に、まさに、蟷螂(とうろう)の斧を振るわんとしているのだった。

その第四号。昭和四十二年八月一日付で「九頭竜ダム疑惑」を取り上げた。水没補償問題で、政治家を渡り歩いていた、緒方克行という男(のちに、「権力の陰謀」という著書を出して、真相をブチまけた)に出会って、詳しい話を聞いたからだ。

十二月二十七日、児玉から緒方に電話があって、「話のメドがついたから現金一千万円を持ってこい」という。

児玉邸の二階。中央に児玉、右側に読売政治部記者・渡辺恒雄と、彼が連れてきた中曾根康弘。

緒方に一足遅れて、読売経済部記者・氏家斎一郎と、その同伴者、電源開発副総裁・大堀弘が左側に。児玉がいった。

「ウン、これで役者は全部揃った。金は持ってきたな。(一千万円のうちから、三百万円を取り出し)この分はこの男(渡辺を指した)の関係している、弘文堂という出版社の株式にするからな」

緒方の話を聞いていて、私は考えこんでいた。渡辺も氏家も、交際はなかったものの、顔見知りの仲である。果たして、書いたものか、どうか。私情ではなくとも、いきなり背後からバラリ、ズンと斬れるものではない。

妙案が浮かんだ。かつての社会部長で、七年間もその下で仕事をした原四郎が、二人の上司で編集局長である。

「そうだ。原チンに下駄を預けよう」

読売に原を訪ね、「九頭竜ダムを取材していたら、渡辺と氏家の名前が出てきたんです」

緒方の話を詳しく伝える間、原は黙って聞いていた。聞き終わって、

「お前、その話はホントか?」

「部長、イヤ、局長。あなたは七年間も使っていた私の、取材力を疑うんですか。ホントか、はないでしょう!」

しばらくの沈黙ののち、原は「本人たちの話を聞いてからにしよう」と、その日の結論を出した。

読売梁山泊の記者たち p.018-019 大下の描くナベ恒の謀略

読売梁山泊の記者たち p.018-019 大下は、渡辺の、覇道について書いている。氏家〝謀殺〟、政治部内の派閥戦争から〝社内の敵〟を葬り去ってゆく手口と経過を、具体的な取材で綴っている。
読売梁山泊の記者たち p.018-019 大下は、渡辺の、覇道について書いている。氏家〝謀殺〟、政治部内の派閥戦争から〝社内の敵〟を葬り去ってゆく手口と経過を、具体的な取材で綴っている。

かつて、読売新聞では、ヒラの政治部記者・藤尾正行が、傲岸不遜の代表であった。その頃、小田

急梅ケ丘駅で、時の政治部長・古田徳次郎と藤尾、そして私の三人が、朝一緒になったことがある。

私が、藤尾を見つけてお辞儀をするのは、当然。そこに古田がやってきて、先に「おはよう」と、頭を下げる。と藤尾は、「ウン」といって、胸をそらすのである。藤尾のお辞儀は、頭を下げるのではなく、ソックリ返ることであった。だが、渡辺にはかなわない。渡辺のは、顔の表情から、身体全体の構えまで、傲岸不遜なのである。

閑話休題——満場の拍手の中で、務臺と中曾根が握手して、祝辞のためマイクに向かった。

その時、拍手する人びとの表情を見ようと、私は、振り向いてまわりを見まわした。

と、うしろのほうの人混みのなかに、腕組みをして拍手しない男を見つけた。なんと日テレ副社長の氏家ではないか。

「氏家さん、どうしたの。ナベさんの晴れ姿を祝ってやらないの?」

「フン。ナベのヤローなんか!」

吐いて棄てるような、氏家のその言葉に、私は、次の言葉を失っていた。

――なんということだ! 氏家と渡辺との二人三脚が、すっかり崩れていたとは!

パーティの席で、人が流れており、そのまま私は、氏家に話を聞くことができなかった。

大下英治の描く、ナベ恒の謀略

平成二年七月二十五日初版で、角川書店から、大下英治著「小説・政界陰の仕掛人」という、文庫

本が出た。

大下が「宝石」や「現代」などの月刊誌、「週刊文春」などに書いた、四元義隆、入内島金一、青木伊平、渡辺恒雄などを、取り上げたもので、それに共通のタイトルを付したものだ。

だが、三九八ページの同書のうち、渡辺に関しては、二篇、同書の半分の一九〇ページを費やしている。同書では「最後の派閥記者――渡辺恒雄」というタイトルだが、初出誌では、こうなる。

「月刊宝石五十八年九月号」(渡辺恒雄読売専務・論説委員長の中曾根総理の密着度)

(ボクは黒幕なんかじゃないよ・読売専務渡辺恒雄大いに語る――五十九年六月)

「月刊現代五十九年八月号」(渡辺恒雄読売専務インタビュー)

この、渡辺の中曾根密着度、という五十八年九月号の「月刊宝石」の記事は、九頭竜ダムをはじめ、児玉との密着度を、徹底的に暴いている。つまり渡辺批判の作品である。

大下は、このなかで、渡辺の、覇道について書いている。ロッキード事件での社会部との闘い、氏家〝謀殺〟、先輩、同輩との政治部内の派閥戦争から、〝社内の敵〟を葬り去ってゆく手口と経過を、具体的な取材で綴っている。その内容の濃さに、私も敬意を表したものだった。

その末尾には、「(昭和五十七年)この六月二十七日の読売人事で、渡辺は専務に昇格した。同時に、同じ常務であった、社会部出身の加藤祥二常務は、取締役から降格された」

「社内の噂では、加藤常務は解任の朝まで、それを知らなかった、といわれています。その日の朝、ナベ恒に、もう明日から来なくていいんだよと、引導を渡されたそうです。いかにも、彼らしいひど

いやり方だ、と囁かれています。…」と、渡辺批判が「(社会部ベテラン記者)」として書かれている。

黒幕・政商たち p.210-211 四人が組んでやった大きな仕事

黒幕・政商たち p.210-211 光明池だけでも田中角栄は十億円もうけた。田中—小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげた。この手口を見ていたのが田中彰治
黒幕・政商たち p.210-211 光明池だけでも田中角栄は十億円もうけた。田中—小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげた。この手口を見ていたのが田中彰治

事件の方向転換に、結果的に片棒をかつぐことになった大橋富重氏の「問題の経緯」に関する話を聞いておこう。「今度の発表(地検の)では、森脇さんの金利違反脱税をまるでぼくが

裏付け、そっちへホコ先を向けるのに一役買っているようだ。——といわれてもあれは森脇さんが(地検に)ご自分で持ってった書類から出たんでしょう。政治家との関係もどうこういわれるんでしょうが、そら伴さん(故大野伴睦氏のこと)とは親子のような関係でしたし、政治家でもトップクラスの方なら、池田さんでも佐藤さんでも川島さんでも河野さんでも——中曾根代議士なんか、十何年の親しい仲ですしねえ」(週刊新潮四十年七月二十四日号)

二宮氏によると、田中角栄、小佐野の両氏は古くからのなじみであり、蔵相就任前に田中氏が代表取締役をしていた家の月賦販売会社「日本電建」を経営困難から小佐野氏に「引き取っ

てもらった」という間柄である。〝光明池〟問題は、この田中氏の〝民間業者と大臣との身分の使い分け〟がいっそうロコツに現われているという。

「あの光明池だけでも田中角栄は十億円ちょっともうけたという話を、私は大橋富重の口から聞いています。また田中——小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげたらしい。この手口をずっと見ていたのが田中彰治で、彼は小佐野や大橋をゆさぶったわけです。大橋、田中(彰)が逮捕されてから、もうかなりその辺の事実を自供してしまっているというから、あるいは事件は小佐野——田中(角)へ飛火し、さらに進めばこの二人にさる右翼の大将、それに某銀行家を加えた四人が組んでやった〝大きな仕事〟にも火がつくかも知れない…」と某代議士は語っている。(週刊新潮四十一年十月二十二日号)

終章 検事総長会食事件

昭和四十三年。十月八日付日本経済新聞夕刊=東京地検特捜部は、八日朝から新日本新聞社社長小原英丘(えいきゅう=本名孝二・55)と、同社員ら計六名を、中曾根康弘運輸相らに対する名誉棄損と、日通をきょうかつした容疑で、任意出頭を求めて取り調べを始めた。調べが済みしだい同日中に次々と逮捕していく見込み。