作られない捕虜名簿のナゾ」タグアーカイブ

迎えにきたジープ p.096-097 勝者の敗者への復讐裁判

迎えにきたジープ p.096-097 The Soviet army conducted a war crimes trial in the Khabarovsk military court for the preparation and use of bacterial weapons, with twelve defendants, including General Otozo Yamada. After that, even the Emperor was nominated as a bacterial war criminal.
迎えにきたジープ p.096-097 The Soviet army conducted a war crimes trial in the Khabarovsk military court for the preparation and use of bacterial weapons, with twelve defendants, including General Otozo Yamada. After that, even the Emperor was nominated as a bacterial war criminal.

東京細菌戦始末記

一九五〇年十月、国連保健部長ブロック・チスホルム博士は、英国学識者の研究会の席上で『細菌兵器は攻撃目標になった大陸の人口の過半数を絶滅し得る。それゆえ戦争の道具としての原爆はすでに古くなってしまった』と、語っている。

戦後、ソ連軍はハバロフスクの軍事法廷で、関東軍司令官山田乙三大将以下衛生兵にいたるわずか十二名の者を被告として、細菌兵器の準備および使用の廉による戦犯裁判を行った。そして二十五年二月一日、さらに天皇までを細菌戦犯として指名した。

今、七十四才の老齢である山田大将以下は『自由ヲ剥奪シ二十五年間ヲ期限トシテ矯正労働収容所ニ収容スベシ』という判決を与えられ、それぞれ強制(矯正?)労働に服役してるという。

だが、果して細菌戦を準備していたのは、日本だけであったろうか? 軍事研究誌「大陸問題」(大陸問題研究所発行、二十七年第六号)は『米ソ両国の細菌戦準備について』で、ソ連の細

菌戦準備の状況を正確な資料にもとずいて暴き、ハバロフスク裁判が、勝者の敗者への復讐裁判であることを明らかにしている。

そして、いまや米ソ両国の謀略うずまく魔都と化した最近の東京では、誰も気付かぬうちに不思議な事件が次から次へと起きては消えていっている。

一 作られない捕虜名簿のナゾ

この物語は、極北の地シベリヤで永遠のナゾと消えた数十万同胞の、悲しい運命をたずねて、静かに一昔前にさかのぼる……

ゆるやかな大地のうねりが、果しなく続いて、丘、また丘。コルホーズらしい人家の影すら求められない、いわゆるシベリヤ大波状地帯は、すでに雪と氷の白一色におおわれている。樹氷となった白樺の疎林の低さも、またうそ寒い。昭和二十一年一月から二月にかけてのことだった。

ここ中部シベリヤの炭坑町チェレムホーボの郊外にある第一収容所は、ゼムリャンカ(半土窟建築の家)のバラックが十棟以上も並び、旧日本軍の捕虜を約四千名も収容した、同地方最大のものだった。

この辺一帯は豊富な炭田地帯で、地下五、六尺も掘ればもう泥炭層が現われ、さらにその下には油でギラギラ輝く黒ダイヤが眠っている。

迎えにきたジープ p.098-099 捕虜たちは働いていなかった

迎えにきたジープ p.098-099 At the POW camp...A corpse piled up like mountain. A frozen corpse. Tangling hands and feet, bumping noses and ears. Swipe up the fingers and ears scattered on the ground and put them in the sled.
迎えにきたジープ p.098-099 At the POW camp…A corpse piled up like mountain. A frozen corpse. Tangling hands and feet, bumping noses and ears. Swipe up the fingers and ears scattered on the ground and put them in the sled.

捕虜たちがスターリンの五カ年計画による採炭定量(ノルマ)を遂行するため、この炭坑で働らかされることは当然であったが、収容所は堅く門を閉ぢ、鉄条網の外周には絶えず動哨(コンボイ)が警戒し、望楼には全身を毛皮外套(シューバー)に包んだ歩哨(チサボイ)が佇立していて、何人も近寄れなかった。

捕虜たちは全く働らいていなかった。〝働らかざるものは食うべからず〟という、社会主義の原則は〝人類の平和と幸福のシンボル〟という赤旗をかざす、ソ連当局の寬大さによって、捕虜たちに適用されなかったのであろうか。はたまた、すでに零下五十二度という酷寒を寒暖計に記録し、さらに風速一米で一度下る体感温度が、捕虜たちに苛酷であるという思いやりのためなのだろうか。

ア、兵舍から人影が現れた。一人、二人……かたつむりのような緩慢さで、二十名の一隊が収容所の外へ出て付近の丘に登っていった。長い時間をかけて、のめるような歩みを続けたのち彼らは目的地に着いたらしい。

彼らはそこに崩れ坐った。警戒兵の抱えた自動小銃と、射ち殺さんばかりの怒声とで、彼らは携えてきた鉄棒を力なく堅い堅い氷と凍土に打ち突けはじめた。……墓穴を掘ろうというのである。

数日ののちに、また数名の一隊が現れた。この連中は大きなソリを引いていた。床板もない

掘立小屋の戸が開かれる。地べたに山とつまれた屍体は時々整理しなければならない。命令で肌着も下帯も剥ぎとられて、むきだしのまま、洗濯板のように突張った胸、えぐったように陥没した腹。おがらのような手足が、臨終の苦悩をそのまま虚空に描いて、カンカンに凍った屍体。

銃剣にせかされて下の方の奴を引張ると、ガラガラと音をたてて薪束のように崩れおちてくる。もつれあう手と足、ぶつかりあう鼻と耳。無表情に手当り次第にソリに積みあげる。その後で液体空気で凍らせた金魚を叩きつけたように、地面に散乱している指や耳のかけらをはき集めて、ソリの中にあけてやるのだ。

このように、僅かな人々が時たま出入りするほかは、四千名もいるというのに、収容所全体が死んだように静まり返っている。

だが、一歩兵舍の中に足を踏み入れてみよう。採光も換気も、暖房すら充分でない兵隊屋敷だ。捕虜たちは起ち上る空間すらなく、お蚕棚のように二段になって、身を横たえたままビッシリと詰めこまれていた。

中廊下に置かれた味噌の空樽からは、濁った小便と赤い下痢便があふれて流れ出し、建物中の不潔臭が、発熱患者の体臭にむされて、堪え難い悪臭となって立ちこめている。

迎えにきたジープ p.100-101 虱を絶やすため全身の剃毛

迎えにきたジープ p.100-101 It was quite natural that the POWs did not work. They can't work. The prisoners were groaning to death after being attacked by a plague called "typhus fever".
迎えにきたジープ p.100-101 It was quite natural that the POWs did not work. They can’t work. The prisoners were groaning to death after being attacked by a plague called “typhus fever”.

中廊下に置かれた味噌の空樽からは、濁った小便と赤い下痢便があふれて流れ出し、建物中の不潔臭が、発熱患者の体臭にむされて、堪え難い悪臭となって立ちこめている。

しかも、絶望的な叫びが響き、ボソボソと呟くうわ言と、鈍い動作で這いずり廻る気配とが一緒くたになって、騷然となっているではないか。

捕虜たちが働らかないのも、全く当然であった。働らけないのである。捕虜たちは、〝発疹チフス〟という疫病に襲われて、死の淵に呻吟しているのだった。

勝村良太は自分の順番が来るのを待ちながら、放心したように浴場(バーニャ)の脱衣場に立って、向う側の建物の窓を眺めていた。

収容所の一隅には、厳重に鉄条網で囲まれた二棟の立派な建物があって、司令部(シュタップ)と呼ばれていた。平常はあまり近付く機会もないその建物の窓に、さっきからしきりに白い影が動いている。

——ああ、白衣を着たロスだな。チフスに満足な防疫もしない癖に、何を研究しているのだ。

フト前の方で騒がしい声が起った。

『ナ、何故こんなことをするんじゃ。身体中の毛を剃ってしもうたら、遺族に何の遺品を届けるのじゃ。見い。わしはこのように部下の遺髪を持っとる。これがわしの務めだ』

一年志願上りの老中尉が、立会の日本軍医に懸命に喰ってかかっていた。

『エエ、止めい、止めろ。わしが大隊長殿にかけ合うて来る』

発病している。狂気のように荒れる老中尉に衛生兵が組みついた。顔面はすでに紅潮し、眼は赤く血走っている。高年者の特徴として、発病と同時に脳症を起したに違いない。

虱を絶やすため、一切の体毛を剃ろうというのに、遺髪がとれなくなるから止めろという話は全くナンセンスだった。発疹チフスの特性は、この脳背髄、神経系統の血行障害による悲惨な脳症状だ。

捕虜たちは自分で恥毛や脇毛に石鹸をこすりつけて、衛生兵の前に並ばねばならなかった。慢性飢餓による栄養不良と、厳寒のための不潔からチフスが蔓延しているというのに、全くのところ適切な防疫手段は何も講じられていなかった。予防接種は極く一部にしか行われず、治療薬品も殆ど渡らなかった。

不完全な蒸気消毒車が一台動員されただけである。重症者も軽症者も全裸にされて、衣服を蒸されたが、服がビショビショになったため、次々と肺炎を起して死んで行った。輸血は無検査で行われ、生命は取止めたが、身に覚えのない梅毒やマラリヤを背負わされた。あとはただ全身の剃毛だ。

『ヘン、今更毛なんぞ剃ったって追っつきゃしねえや。なぜロスは薬をくれねえんだ』

『畜生! どうせ死ぬものなら、一度でいいから腹一杯喰ってから死にてえもんだ』

迎えにきたジープ p.102-103 ねずみに高梁喰わせるのか

迎えにきたジープ p.102-103 The headquarters (ШТАБ) keeps a lot of mice! For what? He was given an important hint and suddenly noticed.
迎えにきたジープ p.102-103 The headquarters (ШТАБ) keeps a lot of mice! For what? He was given an important hint and suddenly noticed.

『ヘン、今更毛なんぞ剃ったって追っつきゃしねえや。なぜロスは薬をくれねえんだ』

『畜生! どうせ死ぬものなら、一度でいいから腹一杯喰ってから死にてえもんだ』

『おお、そういや、俺はこの前シュタップに使役に行って、旨いことしたぜ。ねずみに喰わせる高梁(コーリャン)運びよ』

『ナニ、ねずみに高梁喰わせるのか?』

自棄的な二人の駄弁に、旨いことをした男への羨望と、ねずみの高粱への哀惜が入り交った視線が集った。勝村も思わず聞耳を立てていた。

『ウン、何でもシュタップにはねずみが沢山飼ってあると、警戒兵の奴がいってたっけ。俺は高染を飯盒一杯くすねて、そのロスと山分けしたンだ。初年兵時代に馬糧の大豆はよく喰ったが、ねずみのピンハネは初めてだよ』

その男はその時の味の思い出をたのしむように、エへへへと笑った。話を聞いていた誰もがツバをのみこんだ。

——シュタップではねずみを飼っている! 何のために?

彼はある重大な示唆を与えられて、思わずハッとなった。その時卒然とした悪感が背筋を走った。顔が赤くなってゆくのが分る。頭がキンキンと痛み、そこへしゃがみこんでしまった。熱発である。チフスだ!

勝村良太はこの混成の収容所の中では、退院の途中終戦となり原隊から離れた歩兵上等兵と

称していたが、実はソ軍側から、お尋ね者のハルビン特務機関員で、歴とした陸軍少佐であった。ソ連の参戦前、おおよその状況の分っていた特機では、機関員の人事、命令などの書類を一切焼却して、それぞれに変装、変名していたのである。

ハルビン時代の彼は捕えたソ連側諜者の処置を甲、乙に分類する仕事もやった。

〝甲処置〟というのは逆用スパイとしての利用価値なしという決定だ。哀れにも甲処置の判を押された男は、自ら掘った墓穴の傍らに目隠しをして座らされる運命だ。

町中にまで銃声が響くのを避けて、銃殺という武士の情はかけてもらえない。棍棒で殴られて頭をザクロのように割られ、足で蹴りこまれて、その男は地球上から消え去ってしまう。

〝乙処置〟というのは保護院という監獄送りである。体力や能力が詳細に観察され、拷問や脅迫ののちに忠誠を誓わされて、逆用スパイとして再びソ連領に投入される。

ある場合には、その男が最初にソ連側で与えられた任務の情報まで準備し、彼がソ連領帰還後の信用まで考慮してやることもあるのだが、逆用スパイとして投入した者のうち、使命を果して帰ってくる者はごくまれだ。

諜者が帰還した場合には、その行動経過を厳重に調べるのが常識だから、日本側の諜者が逆用スパイになって帰ってきても、ほとんどが殺されてしまうように、乙処置で逆用スパイとな

った者も、たどる道は甲処置と同じ運命であろう。

迎えにきたジープ p.104-105 謀略とは奇異なものではない

迎えにきたジープ p.104-105 For bacterial warfare, typhus fever was not fully understood in terms of infection rate, morbidity rate, mortality rate, prognostic war potential, etc., because large-scale experiments were not possible.
迎えにきたジープ p.104-105 For bacterial warfare, typhus fever was not fully understood in terms of infection rate, morbidity rate, mortality rate, prognostic war potential, etc., because large-scale experiments were not possible.

諜者が帰還した場合には、その行動経過を厳重に調べるのが常識だから、日本側の諜者が逆用スパイになって帰ってきても、ほとんどが殺されてしまうように、乙処置で逆用スパイとな

った者も、たどる道は甲処置と同じ運命であろう。

保護院の観察の結果、体力、能力、精神状態などから、逆用スパイとしての利用はかえって危険であると判定された者には、さらに悲惨な将来が待っている。

ハルビン郊外の防疫給水部石井謀略部隊の実験材料だ。「実験用モルモット何匹」という請求伝票が、保護院に回ってくる。深夜、モルモットのように従順な乙処置の一群が、幌張りのトラックにのせられて、ハルビンの街を突ッ走るのだ。

日本陸軍の諸学校のうち、たった二つだけ地名を冠した学校があった。他はすべて歩兵学校などと、その内容を明らかにしていたが、諜報と謀略をやる東京の中野学校、毒ガスとガス壊疽など、細菌研究の千葉の習志野学校の二校だけがそれである。

勝村は中野出身だった。学生時代の戦史が想い出された。「十七世紀ナポレオンのロシヤ遠征敗退の主要な一因は、全軍に流行した発疹チフスの惨禍によるものである……」また細菌戦教程の一節「発疹チフスは寒帯病の一つにして、別名戦争チフスと呼ばれ、クリミヤ戦役その他の戦役に必らず現れる……」

また、「患血五CCを三百十人に接種したため、七—十五日間の潜伏期をもって、五十六%が発病、二十八%の死亡率を示したというトルコの狂医の実験結果があるも、戦陣の間に於て

は更に高率となり、敵戦力の低下に著効あり……」と。

臨床伝染病学としての発疹チフスは、殆ど完全に研究されていたが、軍陣医学、さらに細菌戦医学としては、大規模な実験が不可能なため、伝染率、発病率、死亡率、予後の戦力など充分には判っていなかったのである。

謀略とは決して奇異なものではないと教官が力説した。即ち最も自然な状態で、意図する結果を生じさせるのが謀略であるという。

『汽車だ! 汽車だ! 内地行きの汽車が出るぞォ!』

夢うつつの間に割れるような叫びが響いて勝村はフト眼を見開いた。周囲を見廻すと自分の身体は相変らず、あの悪臭満ちた二段の棚の間に横たわっている。身動きもできないほど詰めこまれていたのが幾分楽になっていた。

『この野郎、助かりやがったナ』

彼を覗きこんだ衛生下士官が叫んだ。

『見ろ! あらかたイかれて大分空いたろう』

少し前に息を引取った若い兵長の屍体が、全裸にされて解剖室に運ばれるところだった。ソ連軍医の実習材料として、捕虜の屍体は必らず解剖されるのだ。

迎えにきたジープ p.106-107 捕虜名簿すら作ろうとしない

迎えにきたジープ p.106-107 It is said that one soldier became ill during transportation. Infect several people on a prisoner-of-war train and send them to each camp. What a big experiment!
迎えにきたジープ p.106-107 It is said that one soldier became ill during transportation. Infect several people on a prisoner-of-war train and send them to each camp. What a big experiment!

少し前に息を引取った若い兵長の屍体が、全裸にされて解剖室に運ばれるところだった。ソ連軍医の実習材料として、捕虜の屍体は必らず解剖されるのだ。

その解剖は、耳から耳へと頭の頂きを通ってクルリとメスを入れる。頭皮が前後にツルリッと剥がれて首筋と顎の処にたまる。ムキ出された頭蓋骨を真横にノコギリでひいて、ポンと叩くと、ポカッと音がして頭の蓋が脱れる。そこから脳漿を取出す。

瘠せ衰えたうえ、恥毛まで剃られたその男の屍体は、何か焦点のない散慢な感じだった。

『オーイ、皆。早く来いよ。一風呂浴びて汽車に乗るんだ』

さっきから飯盒と水筒を抱えて、廊下中をワメキ散らしていた男が、小便溜の味噌樽に両足を突っ込んで、さも心地よげにピチャピチャと掻き廻しはじめている。

脳症の発作が起きたのだろう。四十才前後の補充兵風の男だったが、濃い眉と大きなカギ鼻が印象的に見えた。

——見たことのあるような男だ。

そんな感じがしたが、想い出せない。

『お前のように静かな患者ばかりだと、大分俺も助かるんだが……』

下士官はそういいながら、しきりに小便の行水をしている男に寄っていった。

勝村は意識を恢復してから、自分が脳症を起して、何か過去の秘密をしゃべりはしなかったかと恐れていたが、今の言葉に一まず安心した。と同時に発病の日の記憶を呼び戻していた。

——シュタップではねずみを飼っている。石井部隊でもそうだった。ペスト蚤の繁殖用にねずみを使っていた。

——シュタップが研究所だ。白衣の男たちが研究員に違いない!

——連隊長の説明によれば、三大隊の兵隊が一人輸送間に発病したという。捕虜輸送列車で何人かに感染させて、各収容所に送りこむ。何という大規模な実験だ!

——まず戦争チフスをえらんだ。このチフスの発生なら極めて自然だ。最大の謀略は最も自然な現象として現われてくる。

——入ソ以来すでに半年近くなるのに、捕虜名簿すら作ろうとしない。今死んだものは永遠に員数外となる訳だ。

——屍体は皆解剖されている! 予防接種や治療は各種実験のため、一部特定の患者にしか行なわれなかったのじゃないか?

——解剖は明らかに系統解剖ではなく病理解剖だ。しかも脳背髄液まで採っている。

——我が関東軍特務機関は、戦前すでに、オムスク市の細菌試験所の、組織と業績とを握っていたではないか!

下りきらない熱に浮かされたような推理が、次々と勝村の疲れ切った頭を駈けめぐっていっ

た。

迎えにきたジープ p.108-109 キリコフ大尉が訊問

迎えにきたジープ p.108-109 At the Khabarovsk Bureau of the Soviet NKVD, Capt. Kirikov was asking the former Educational Director of the 731st Division of the Kanto Army, Surgeon Lieutenant Colonel Mori.
迎えにきたジープ p.108-109 At the Khabarovsk Bureau of the Soviet NKVD, Capt. Kirikov was asking the former Educational Director of the 731st Division of the Kanto Army, Surgeon Lieutenant Colonel Mori.

下りきらない熱に浮かされたような推理が、次々と勝村の疲れ切った頭を駈けめぐっていっ

た。

『ねずみ、ねずみだ!』

全く突然、勝村は大声で叫び出してしまった。あとは息が続かず低く口の中で呟いた。

『発疹チフスの次はペストに違いない……』

そのまま彼は再び昏睡してしまった。

チェレムホーボ収容所が発疹チフスの脅威にさらされていた、ちょうどそのころのこと。シベリヤ本線を東へ東へと、数千キロも離れたハバロフスクの街。内務省(エヌカー)ハバロフスク地方管理局という厳めしい建物の一室では、勤務員のキリコフ大尉が一人の日本人を訊問していた。

モスクワの東洋大学は日本語科出身の通訳官ゲリヤノフが、なめらかな日本語で通訳し、書記が記録する。もちろんキリコフ大尉も日本語は得意だったが、公式の場合だから宣誓署名した通訳官が立会うのだ。

日本人は元関東軍第七三一部隊教育部長、東軍医中佐だった。第七三一部隊というのは例の石井部隊である。

『部隊で行なわれていた実験について述べてもらいたい』

『一九四五年一月、私は安達駅の特設実験場に赴きました。ここで私は第二部長と本多研究員

の指導下に、ガス壞疽による感染実験が如何に行われていたかを見ました……』

そしてまた、それと同じころハルビンの旧陸軍第二病院の一室では、大谷小次郎元軍医少将の執刀のもとに、腺ペスト患者の生体解剖が行なわれていた。

大谷少将の背後には、青肩章の正服の上にペスト予防衣をつけた、秘密警察(エヌカーベーデー)の将校が二人立っている。それから数人のソ連人助手の中に女性が一人。

彼女は三十八度線以北の朝鮮を占領すると同時に、北鮮の首都となった平壌に秘密細菌試験所を開設した人だった。彼女はもとは裏海の中の一小島にあった、エフバトリヤ第二号実験所のメムバーだったが、クリミヤ半島のエフバトリヤ市に出張中、実験所の細菌学者たちが、自分たちの培養した腺ペストにかかって全滅し、一人厄逃れをしたという腺ペストの権威でもあった。

第二病院長だった大谷少将は、病院の研究室が石井部隊と関連を持っていたことから、このチェレグラワー女史の協力者となることを承知せざるを得なかった。実験台に上らされているのは日本人である。

勝村たちを襲った発疹チフスの猛威は、約二カ月余りの間に全員の九割五分を発病させて、文字通りの生地獄を現出したのである。

迎えにきたジープ p.110-111 生き残りだけの捕虜名簿

迎えにきたジープ p.110-111 Of the 4000 POWs, 95% were infected with typhus fever and 30% died. There are 2,800 prisoners left. The treatment and whereabouts of the dead are unknown. The Soviet Union created a wartime POW list of only the surviving prisoners.
迎えにきたジープ p.110-111 Of the 4000 POWs, 95% were infected with typhus fever and 30% died. There are 2,800 prisoners left. The treatment and whereabouts of the dead are unknown. The Soviet Union created a wartime POW list of only the surviving prisoners.

勝村たちを襲った発疹チフスの猛威は、約二カ月余りの間に全員の九割五分を発病させて、文字通りの生地獄を現出したのである。

シベリヤにも遅い春がやってきた。四月ともなれば、丘から丘へと連なる大地のうねりにも青味がかかって、美しい林のはずれから、澄んだ小川のほとりまでも、茎の短いタンポポが、鮮やかな黄色の絨毯をひろげたように咲き乱れる。

だが、春を迎えた収容所の人員は、約三割も減って二千七、八百名しかいなかった。その行方はあの可愛らしいタンポポにでも、たずねるよりは仕方があるまい。そして、生き残った人たちに対してだけ、やっと捕虜名簿のカードが作られはじめていた。

二 マイヨール・キリコフの着任

それから四年が過ぎて、昭和二十五年の春、信濃、高砂、両引揚船が舞鶴に入港して、ソ連地区の引揚は打ち切られた。

都心には新しい高層ビルが、競争のようにどんどん建ち聳えている。そのどれもが自動車でいえばフォードのように明るいが、幾分安っぽい感じのものだ。大通りには欧洲車は影をひそめて、赤、青、黄と派手な米国製高級車が洪水のように流れている。

盛り場にはクラブとかキャバレーとかいう社交場が妍を竸い、ネオンが妖しくまたたいている。ショーウィンドウにはスマートな商品が豊富に飾られている。そしてその商品の殆どが、衣類も化粧品も菓子までが米国製だ。

舗道をぞろぞろ織りなすように行き交う人たちは誰もが美しく装っている。人妻か娘か判ら

ない婦人たちは、最新流行の服だ。そして職業の全く判らないような男たち。

日本の庶民生活とは何の関係もないこのような事柄が、戦後数年間のうち東京にみちあふれてきた。

だが、身近かな喫茶店やパチンコ屋でさえ、その資本主や経営者には、難しい漢字の三字名や、片仮名の外国人たちが並んでいる。外国人の賭博場ができ、月島の埋立地に上海や香港のような華僑の街をつくろうという計画までが樹てられる。

密輸と密入国。植民地気質の出稼ぎ外人たちは大きな悪事を働らいては飛行機で逃げ出す。大陸や外国から引揚げてきた鮮、華、露などの混血児。赤系に変った白系露人、無国籍のエミグラント、もはや東京は八百万都民と何のかかわりもなく、怪しげな国際都市として、その性格までも変貌していた。

高級住宅地である麻布の高台を滑るように走ってゆく外国製車が一台。ナムバープレートには「SPACJ—35」とあるから、ソ連代表部の車だ。見馴れない型だからモロトフに違いない。ZIM式六基筒九十五馬力。モロトフ工場製でソ連が誇る新車ジムだ。

前に二人、後に二人と、いずれも座席の中央をあけて四人のソ連人が乗っている。車はグングンとスピードを出して虎の門から桜田門へと向った。警視庁のクスんだ建物を左にみて右へ

大廻り、祝田橋の信号にかかってギュッと停った。たちまち七、八台の車が後につかえる。

迎えにきたジープ p.114-115 右側が例のキリコフ大尉なの?

迎えにきたジープ p.114-115 There was a spy system in the camp. He was also convinced that the epidemic of typhus fever must be a Soviet plot.
迎えにきたジープ p.114-115 There was a spy system in the camp. He was also convinced that the epidemic of typhus fever must be a Soviet plot.

そしてもう一台の車。これは必らず何処からか現れてモロトフを尾行する。だが車は自家用や三万台だったり、ハイヤー、タクシーのこともある。運転手だけは変らない。

六本木に向って黒い自動車が疾走してくる。白Yシャツにハンチングの運転手で、客席には

誰もいない。歩いて行く二人のソ連人の手前で、自転車でも避けたのか、グッとカーヴを切ってまた元通りに走り過ぎた。

『成功、成功。これで写真はOKヨ!』

ペタリと後の坐席に伏せていた婦人が、起き上りながら運転手に笑いかけた。なんと先程のポンティアックではないか。

『ハハハ、誰だって車がグッと寄ってくれば、ハッとして車の正面を見るからね。ライトと見せかけたレンズがそこをパチリさ。人間は危険を感じたとき、ポーズを失ってその本当の表情を浮べるから、間違いのない写真がとれるというものだ』

『右側の男が例のキリコフ大尉なの?』

『どうもそうらしい。写したから分るサ』

運転手もニヤリとして答える。勝村良太の五年目の姿だった。

勝村は四十二度もの高熱を出し、約二週間も人事不省だったが、よく心臓がもちこたえて、ついに発疹チフスを克服した。

春になって捕虜名簿の作製が始まると同時に、元憲兵、特務機関、特殊部隊などのいわゆる前職者の摘発が盛んになった。

そのため収容所の政治将校は、所内にスパイをつくり、これに調査密告させるという、いわゆる「幻兵団」なるものを組織した。

幸い彼は脳症中も前身を曝露するようなうわ言もいわず、上等兵として通用したが、例の小便樽で行水を使った男は、うわ言からハルビンの石井部隊の有能な技師で、本多福三だということが判り、密告されて収容所から消えていった。

銃殺されたといい、北シベリヤの監獄に送られたなどという者もあったが、誰もが疑い深くなり、あまり人の噂などしなくなってしまったので、その後の本多技師の消息なども、ピタリと絶えてしまった。

勝村はそんな収容所の空気から、本能的にスパイ制度があることをかぎつけ、商売柄興味をもって丹念にそのスパイの実情を調べていた。

また同時に、あの発疹チフスの蔓延は謀略に違いないという確信を抱き、裏付け搜査を行うことも忘れなかった。

表面はあくまで民主主義者を装っていた彼は、引揚が始まると要領よくその一員にもぐりこんで、比較的早い二十二年の暮には舞鶴に上陸していた。

戦死者としてすでに軍籍も失っていた彼は、そこで意外にも嘗つての上官、露人班々長や保

護院長だった青木大佐に解逅した。大佐は飛行機で内地へ帰り、今はその対ソ工作の腕を買われて、CICの秘密メンバーとなっていた。対ソ情報については流石の米国も、元日本軍人の協力を乞わねばならなかったのであった。