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赤い広場ー霞ヶ関 p.082-083 吉野はラストヴォロフの協力者か?

赤い広場ー霞ヶ関 p.082-083 Is Yoshino a co-operator of Lastvorov?
赤い広場ー霞ヶ関 p.082-083 Is Yoshino a co-operator of Lastvorov?

捜査当局の調べによると、ラ氏の詳細な供述の内容は全く事実に一致しており、S、H両氏についても実在しているので、このラ氏供述を真実と認めているが、任意出頭で数回にわたり取調べをうけた吉野氏は全く否認している。

当局側が吉野氏について疑点とするのは、①終戦から引揚までの経過が全く不明で、その間の吉野氏について立証するものが居ないし、同氏も語らない。じつに忽然として大連に現れて引揚船に乗込んだ。②特務機関員として逮捕され、妻や義父は処刑され、当然抑留されるべきなのに抑留されなかった。③ラ氏自供が実に微細な点まで述べ事実と合致するのに、同氏は否認している。④アカハタがその事実がないのに関わらず、同氏を警察のスパイとして攻撃しているなどの諸点である。

 吉野氏を小金井の自宅に訪ねてみた。南斜面の広い敷地に、赤塗りのペーチカ付満州風の小住宅が建っている。同氏はラ氏失踪後、胸部疾患と称してこの自宅に引籠ってしまっている。

『私がラストヴォロフの協力者だったなどというのは、とんでもないいいがかりだ。ラ氏などというのも、新聞に出た写真と記事で初めて知ったほどだ。

 終戦時のことはいいたくない。警視庁に呼ばれてラ事件に関し調べられたことは事実だが、全く知らないことだから知らないといった。ラ氏がどんなに詳しく私のことや、義弟や友人のことをしゃべろうと、私の知らないことで、大変な迷惑だ。第一、私がラ氏の協力者だというのなら、その証拠をみせてほしい。

アカハタの記事はとんでもないデマだ。平井警視正や丸山警視には、或る人に紹介されて一度逢ったことはあるが、私がその手先などということはない。健康が恢復したら、アカハタを名誉毀損で訴えてやるつもりだ。いずれにしろアカハタの記事は、私への挑発で、何者かの陰謀だ』

こう語る吉野氏は、その言葉は文字にしてみればまっとうであるが、つねに神経質にふるえ、何回かの質問に答の喰い違いができ、アカハタに対する怒りの口吻ほどには、警視庁へは激しい言葉を使わない。

『ラ氏のウソ供述のため、何回か警視庁へ呼ばれたことも、不愉快なことだが、取調官の岩佐警部という人の態度が、紳士的で立派だから、それほどにも腹が立たなかったのだ』

と、幾分不安そうに遠慮気味である。

彼に証拠を見せろと大きな口を利かれると当局としても困る。スパイ事件の多くが、任意の自供によって、搜査が進められ、自供そのものが裏付け証拠となってゆく。レポ用紙、指令書

などが、保存されているということはまずあり得ないし、報酬は現金である。

赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 吉野氏の物的証拠が何もない。

赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 There is no physical evidence about Yoshino.
赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 There is no physical evidence about Yoshino.

いわゆる物的証拠というものはまず入手が困難である。関・クリコフ事件などは、現行犯逮

捕であるから物証を得られたが、ラ事件ではすべて自供である。自首した志位正二氏をはじめ日暮氏もそうである。捜査の根拠となったものが、ラ氏自供の「山本調書」である。

鹿地・三橋事件の際は、三橋自供によって、二人のレポが事前に察知されていたので、レポ現場における鹿地氏の逮捕となった。また鹿地氏の三橋氏宛ハガキ(註、のちに紛失して問題になったハガキ)も入手できたし、米国側撮影による二人のレポ現場写真もでき上ったのである。しかし、これは三橋氏が米国スパイだったから可能であった特例なのである。

吉野氏に関しては、ラ氏供述以外は何も物的証拠もない。吉野氏がラ氏などは知らないといえばそれまでである。二人のレポ現場でも撮影してあれば、知らないとはいわせられないのだが……。もちろん一民間人である吉野氏は、たとえラ氏の協力者であっても、何ら法的には拘束されない。

このような場合、当局としてあげ得る傍証には「金」がある。ラ事件で高毛礼氏が外国為替管理法違反で起訴されたように、容疑者の入金と出金とを詳細に検討してみることによって、容疑が強められる。三橋氏が自宅と敷地とを購入したなどはその例である。

吉野氏は陽当りのよい数百坪の土地を買い、こじんまりとした住宅を建てている。この資金は?という質問に対しては、

『連邦通商の取締役時代の収入ですよ』

と、言下に答えた。吉野氏の容疑は充分だが、証拠がないのである。当局では吉野氏に対して、ラ氏の協力者ではあったが、当局にとっては非協力者であると結論している。

吉野氏の言葉――アカハタの記事は、私への挑発で、何者かの陰謀だということこそ、彼が不用意に洩らした真相ではあるまいか。アカハタが平井警視正や丸山警視などの名前をあげており、吉野氏も二人に逢ったことを認めているからには、義弟S氏や友人H氏の如く、警察情報原として両氏の名前を、吉野氏からラ氏へ報告していたのではあるまいか。その情報を〝高く売り込む〟ために……。

いずれにせよ、アカハタがこのような事実を裏返しにして公表しているのは、〝何者かの陰謀〟に違いないのだろう。

吉野氏が〝協力者〟(ラ氏への)であるから〝非協力者〟(当局への)であるというのに対して、自首してきた志位氏は〝協力者〟(当局への)であったために結果的に〝非協力者〟(ラ氏への)になったという、全く対照的な立場にいる。