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最後の事件記者 p.288-289 しかも全くのデタラメである

最後の事件記者 p.288-289 私が一番ガマンならなかったのは、逮捕された奴は悪党だから、何を書いてもいいんだ、という、ジャーナリズム全般にみられる傾向である。
最後の事件記者 p.288-289 私が一番ガマンならなかったのは、逮捕された奴は悪党だから、何を書いてもいいんだ、という、ジャーナリズム全般にみられる傾向である。

『読んでみると、全く社の悪口はなく、取材意欲と愛社心にもえるものだった。読者には読売にはいい記者がいたものだと感心させ、社の幹部も反省することがあるだろう。私たちも第一線地

方記者として、読売に誇りを感じた。折あれば早くまた帰社して頂き……』

『仕事をしすぎて病気になったのも、大兄同様悔んではいません。離れて思えば新聞なんてつまらない仕事だけど、そう思っても、やり抜かずにはいられないのは、お互に情ない性分でしょうか』

『読売新聞は貴殿の如き人材を多々踏み台として、今日の降盛を築きあげてきたのだと想像されます』

官僚の権力エゴイズムについての反響が、一番多かったようである。ある紳士は私を一夕招侍してくれて、警職法反対の運動を起そうではないか、とまでいわれた。

『ゲゼルシャフトとゲマインシャフトですよ。第一、菅生事件をみてごらんなさい。犯人の戸高巡査部長をかくまったのは、警察の幹部じゃないですか。これは、どうして犯人隠避にならないのです? そして、公判では検事が戸高をかばってますよ。警職法などが通ったら、世はヤミです。現状でさえこれですからね』

もう記者をやめてしまった、司法記者クラブの古い記者に街で会った。

『誰だい? 警視庁のキャップは? 君を逮捕させるなんて、あんなのは新聞記者で当然のこと

じゃないか』

この記者の時代には、新聞と警察はグルになって、おたがいにウマイ汁を吸っていたのだから、その意味での不当をなじっていた。

最後の事件記者

だが、私が一番ガマンならなかったのは、逮捕された奴は悪党だから、何を書いてもいいんだ、という、ジャーナリズム全般にみられる傾向である。それが、しかも全くのデタラメである。

ある旬刊雑誌が、私と安藤親分とが、法政大学での先輩、後輩の仲だと書いている。「新聞記者とギャングの親分という関係ではないんだ、学校の先輩、後輩なんだ」と、三田は自分の良心へいいきかせた。そうして、安藤と一緒にキャバレーに行き、それから三田は、銀座、渋谷のキャバレー、バーを、安藤のツケで飲み歩くようになった。そして、小笠原を逃がすように頼まれる——といった、〝悪と心中した新聞記者〟のオ粗末の一席を平気で書いているのである。

私は弁護士と相談して、私の名誉回復のため、訴訟を起す覚悟をした。まず、筆者を明らかに するよう要求したのだが、笑いとばされて、誠意がみられないからである。

最後の事件記者 p.292-293 あとがき

そこで、私は新しい商売を考えついた。 マス・コミのコンサルタントだ。漢字で表現すると、適当な文字がないのだが、あらゆるマス・コミの企画製作業とでもいおうか。
最後の事件記者 p.292-293 あとがき そこで、私は新しい商売を考えついた。マス・コミのコンサルタントだ。漢字で表現すると、適当な文字がないのだが、あらゆるマス・コミの企画製作業とでもいおうか。

あとがき

私が警視庁の留置場に入っている間に、妻が婦人公論の増刊「人生読本」というのに、「事件記者の妻の嘆き」という手記を書いた。発売になって読んでみると、なかなかうまいことを書いている。

門前の小僧かといって笑ったが、読売の連中にいわせると、妻の方がペンでメシが食えるのじゃないか、と、評判がいい。

「生れかわったら、新聞記者の女房になるのはやめなさいよ、などとおっしゃいますが、まったく因果な商売ではないでしょうか。三十七歳にもなった、記者生活しか知らない人間に残されたのは、やっぱりジャーナリズムでの仕事しかないと思います。家族ぐるみ事件にふりまわされるともいえる、この記者生活が、やっぱり夫の生きてゆく最良の道であるならば、新聞記

者生活に希望のもてない私も、今後、夫のよき理解者、支持者として夫を助けてゆかねばならないでしょう」

私がサッと辞表を出すと、そのやめッぷりがよかったので、安藤組の顧問にでもなるのだろうと、下品にカンぐられたものだ。もっとも、護国青年隊の隊長にも、「ウチの顧問になって下さい。月給は読売以上に出しますから」と頼まれたほどだから、そう思われるのも無理ないかもしれない。

だが、サラリーマンをやめてみて感じたことは、広そうにみえながら、新聞記者の世界の視野のせまいのに、今更のように驚いた。身体のあく時間が、世の常の人と食い違っているから、結局自分たち仲間うちばかりで飲んだり騒いだりで、社の人事問題以外に興味がなくなり、ネタミ、ソネミばかりになるのだろう。

記者でありながら、見出しをサッと眺めるだけで、新聞を読まない日がずいぶんあったことを覚えてるし、新聞を読まない記者のいることも知っている。各

紙をサッとみて、自分の担当部署で抜かれたり、落したりしていなければ、もうその新聞は御用済みだ。

今度、同じマス・コミでも、雑誌や出版の人、ラジオ・テレビの人、映画の人たちに、会ったり、話したりする機会に、多く恵まれたけれど、その中では記者の世界が、一番せまいようだ。

新聞を良くよんだり、本屋をひやかしたり、映画や芝居をみたり、そして、ものを考えたりする時間の少ない記者だから、そうなんだなと感じた。そこで、私は新しい商売を考えついた。

マス・コミのコンサルタントだ。漢字で表現すると、適当な文字がないのだが、あらゆるマス・コミの企画製作業とでもいおうか。作家にはネタを提供したり、映画の原作をみつけたり、テレビ・ドラマを監修したり、新しい法律のPR計画をたてたり……といった商売が、もうそろそろ、日本でも成立つのではないだろうか、と考えている。

新聞記者は失格したけれども、暴力団の顧問になる

よりは、面白いだろうと思っている。資本家はいませんかナ。暴力団といえば、留置場で、安藤親分に〝特別インタヴュー〟したところによると、逗子潜伏中に、三千万くれるという申し出をした資本家がいるそうだ。横井事件の真相も、詳しく調べて、近く書きたいと思う。

この本につづいて、ルポルタージュ「留置場」という本を、新春には出す予定。さらにこの本であちこちに、チョイチョイとふれた〝新聞内面の問題〟——新聞はどのように真実を伝えているだろうか? を、「新聞記者の自己批判」として、まとめてみたい。

もっとも興味をひかれているのは、昭電疑獄以来の、大きな汚職事件の真相を、えぐってみたい、ということだ。政治生命を奪われた政治家や、財界人の立場から、事件をみると、また興味津々だろうと思う。ことに、私が司法記者クラブで、直接タッチした、売春、立松、千葉銀の三大事件で、権力エゴイズムをひきだしてみたいと思う。売春汚職のため落選した元代

議士の一人は、早くも一審で無罪が確定してしまったではないか。立松事件だって、政党、検察、新聞という三つの力が、マンジトモエに入り乱れるところが、何ともいえない面白さだ。