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最後の事件記者 p.268-269 外部からみつめる機会を得た
新聞記者というピエロ
我が名は悪徳記者
ここまで、すでに三百二十枚もの原稿を書きつづりながら、私は自分の新聞記者の足跡をふり返ってみてきた。私は自分の書いた記事のスクラップを丹念につくり、関係した事件の他社の記事から、参考資料まで、細大もらさず、記録を作ってきたので、私の財産の一番大きなものは、この〝資料部〟である。
スクラップの一頁ごとに、どれもこれも書きたい思い出にみちた仕事ばかりである。それを読み返し、関連していろいろな思いにかられるうちに、心の中でハッキリしてきたことは、「新聞」に対する、内部の人間、取材記者としての反省であった。私の立場からいえば、とてもおこがましくて、「新聞批判」などといいえないのだ。あくまで「自己反省」である。
この本をまとめるにいたったのも、もとはといえば、文芸春秋に発表した、「事件記者と犯罪の間」という手記がキッカケである。その手記の冒頭の部分にふれたのだが、新聞を去ってみて、外部から新聞をはじめとするジャーナリズムを、みつめる機会を得たのであった。つまり、それは、
新聞雄誌にとりあげられた私の報道をみて、私が「グレン隊の一味」に成り果ててしまったことを知って、いささか過去十五年の新聞記者生活に懐疑を抱きはじめたのであった。
失職した一人の男として、今、感ずることは、「オレも果してあのような記事を書いたのだろうか」という反省である。
私は確信をもって、ノーと答え得ない。自信を失ったのである。それゆえにこそ、私は〝悪徳〟記者と自ら称するのである。
と、いうことであった。
そして、この一文に対して、実に多くの批判を受けたのである。私の自宅に寄せられたのもあれば、文芸春秋社や読売にも送られてきた。あるものは激励であり、あるものは戒しめであった。この一文が九月上旬に発売された十月号だったので、まもなく十月一日からの新聞週間がや
ってきた。その中でも、私の事件への批判があった。
最後の事件記者 p.292-293 あとがき
あとがき
私が警視庁の留置場に入っている間に、妻が婦人公論の増刊「人生読本」というのに、「事件記者の妻の嘆き」という手記を書いた。発売になって読んでみると、なかなかうまいことを書いている。
門前の小僧かといって笑ったが、読売の連中にいわせると、妻の方がペンでメシが食えるのじゃないか、と、評判がいい。
「生れかわったら、新聞記者の女房になるのはやめなさいよ、などとおっしゃいますが、まったく因果な商売ではないでしょうか。三十七歳にもなった、記者生活しか知らない人間に残されたのは、やっぱりジャーナリズムでの仕事しかないと思います。家族ぐるみ事件にふりまわされるともいえる、この記者生活が、やっぱり夫の生きてゆく最良の道であるならば、新聞記
者生活に希望のもてない私も、今後、夫のよき理解者、支持者として夫を助けてゆかねばならないでしょう」
私がサッと辞表を出すと、そのやめッぷりがよかったので、安藤組の顧問にでもなるのだろうと、下品にカンぐられたものだ。もっとも、護国青年隊の隊長にも、「ウチの顧問になって下さい。月給は読売以上に出しますから」と頼まれたほどだから、そう思われるのも無理ないかもしれない。
だが、サラリーマンをやめてみて感じたことは、広そうにみえながら、新聞記者の世界の視野のせまいのに、今更のように驚いた。身体のあく時間が、世の常の人と食い違っているから、結局自分たち仲間うちばかりで飲んだり騒いだりで、社の人事問題以外に興味がなくなり、ネタミ、ソネミばかりになるのだろう。
記者でありながら、見出しをサッと眺めるだけで、新聞を読まない日がずいぶんあったことを覚えてるし、新聞を読まない記者のいることも知っている。各
紙をサッとみて、自分の担当部署で抜かれたり、落したりしていなければ、もうその新聞は御用済みだ。
今度、同じマス・コミでも、雑誌や出版の人、ラジオ・テレビの人、映画の人たちに、会ったり、話したりする機会に、多く恵まれたけれど、その中では記者の世界が、一番せまいようだ。
新聞を良くよんだり、本屋をひやかしたり、映画や芝居をみたり、そして、ものを考えたりする時間の少ない記者だから、そうなんだなと感じた。そこで、私は新しい商売を考えついた。
マス・コミのコンサルタントだ。漢字で表現すると、適当な文字がないのだが、あらゆるマス・コミの企画製作業とでもいおうか。作家にはネタを提供したり、映画の原作をみつけたり、テレビ・ドラマを監修したり、新しい法律のPR計画をたてたり……といった商売が、もうそろそろ、日本でも成立つのではないだろうか、と考えている。
新聞記者は失格したけれども、暴力団の顧問になる
よりは、面白いだろうと思っている。資本家はいませんかナ。暴力団といえば、留置場で、安藤親分に〝特別インタヴュー〟したところによると、逗子潜伏中に、三千万くれるという申し出をした資本家がいるそうだ。横井事件の真相も、詳しく調べて、近く書きたいと思う。
この本につづいて、ルポルタージュ「留置場」という本を、新春には出す予定。さらにこの本であちこちに、チョイチョイとふれた〝新聞内面の問題〟——新聞はどのように真実を伝えているだろうか? を、「新聞記者の自己批判」として、まとめてみたい。
もっとも興味をひかれているのは、昭電疑獄以来の、大きな汚職事件の真相を、えぐってみたい、ということだ。政治生命を奪われた政治家や、財界人の立場から、事件をみると、また興味津々だろうと思う。ことに、私が司法記者クラブで、直接タッチした、売春、立松、千葉銀の三大事件で、権力エゴイズムをひきだしてみたいと思う。売春汚職のため落選した元代
議士の一人は、早くも一審で無罪が確定してしまったではないか。立松事件だって、政党、検察、新聞という三つの力が、マンジトモエに入り乱れるところが、何ともいえない面白さだ。