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正力松太郎の死の後にくるもの p.004-005 目次6~7 1章トビラ

正力松太郎の死の後にくるもの p.004-005 目次つづき 1章トビラ 1 正力さんと私(はじめに……)
正力松太郎の死の後にくるもの p.004-005 目次つづき 1章トビラ 1 正力さんと私(はじめに……)

6 朝日・毎日の神話喪失

朝日記者は〝詫び〟ないで〝叱る〟/朝日の紙面は信じられない/司法記者の聖域〝特捜 部〟/新聞代の小刻み値上/宅配は必らず崩れる/朝日はアカくない/振り子はもどる朝 日ジャーナル/銀行借入金、ついに百億突破/東京拮抗の毎日人事閥/〝外報の毎日〟はどこへ/はたまた〝外報〟の朝日か

7 ポスト・ショーリキ

「武を……」という遺言/報知、日本テレ、タワーが駄目……/大正力の中の〝父親〟/〝マスコミとしての新聞〟とは

あとがき

1章トビラ 正力松太郎の死の後にくるもの

1 正力さんと私(はじめに……)

正力松太郎の死の後にくるもの p.288-289 コマーシャリズム第一主義を容認

正力松太郎の死の後にくるもの p.288-289 「売れていることは確かです」この問答の部分では、私は「読者にコビた編集方針をとっているのではないか」と、〝コビ〟るという言葉を使って質問したのだが、渡辺は気がついたのか、つかなかったのか
正力松太郎の死の後にくるもの p.288-289 「売れていることは確かです」この問答の部分では、私は「読者にコビた編集方針をとっているのではないか」と、〝コビ〟るという言葉を使って質問したのだが、渡辺は気がついたのか、つかなかったのか

〝創刊の趣旨はあんなものではなかった〟という趣旨の発言は、渡辺も現在のジャーナルの編集のあり方に、肯定的ではないということである。「もともとは、たとえ儲からなくても、ヒドイ赤字にさえならなければ、新聞社の出す週刊誌らしい、程度の高い理論誌をというネライだっ

たのだが、当事者にしてみれば、返本率だの、採算点だのが示されている以上、〝売れる雑誌〟にしたいと意気込むのは当然でしょう」

小和田は「コマーシャリズム上からも商売にプラスしてきた朝日ジャーナル」と、コマーシャリズムを〝からも〟と二次的な評価をしているのだが、事実は〝売れること〟が、社内的な実情から第一義とされていることが明らかである。

振り子はもどる朝日ジャーナル

「……そのため、読者層をハッキリ学生という若い年齢層に限定してしまって、現在のジャーナルの形ができあがってしまった。そのため、売れていることは確かです」

この問答の部分では、私は「読者にコビた編集方針をとっているのではないか」と、〝コビ〟るという言葉を使って質問したのだが、渡辺は気がついたのか、つかなかったのか、その言葉にはあえてこだわらず、肯定的であった。

「……しかし、四十三年の後半あたりから、ジャーナルの編集のあり方について、社内からの批

判もあって、だんだん変ってきているハズです」

小和田の見通しは我田引水であった。「いままでは、〝進歩的朝日のショーウインドー〟として黙認され」ていたわけではない。赤字でなければよいというのに、読者にコビて売りまくっていたのであって、〝ショーウインドー〟でもなければ〝黙認〟されていたわけでもない。しかも、編集方針は〝六九年中には方向転換〟どころか、昨年中に〝偏向是正〟へと動きだしていたのである。

「週刊朝日もツライ立場ですな。扇谷時代とまでいわれた、百万部もの独走ぶりからくらべると、雑誌社系の週刊誌などのハサミ打ちにあって、昔日のおもかげはないですよ。だから、何とか窮境を打開しようという当事者のあせりが、御指摘のようなことになるのでしょうな」

私は、週刊朝日が松本清張をハノイに〝本誌特派〟という肩書きを銘打って送りこみながら、その原稿を他紙誌と同時掲載するという醜態を演じたことを、芸能誌や女性誌の〝独占スクープ〟という名の共通ダネになぞらえて笑ったのである。つまり〝本誌特派〟という肩書きの〝売り方〟を問題にしたのであるが、渡辺は、「新聞と違って、出版局の雑誌には、過去のデータからくる〝返本率〟という目安がつきまとう。だからどうしても、担当者は〝売る〟〝部数を伸ばす〟ことが、第一になってしまう」と、その、コマーシャリズム第一主義を容認せざるを得ない、といった口吻であった。

正力松太郎の死の後にくるもの p.290-291 社内での〝立身出世〟の道

正力松太郎の死の後にくるもの p.290-291 では、偏向朝日新聞から、一体、誰が辞めていったか? 敗戦の日、戦争協力の紙面を恥 じて〝大朝日〟を辞めた一先輩が、一人いるだけである。新聞界最右翼の朝日の高給を、おのれの信念のために投げうった記者の、誰がいるのだろうか。
正力松太郎の死の後にくるもの p.290-291 では、偏向朝日新聞から、一体、誰が辞めていったか? 敗戦の日、戦争協力の紙面を恥 じて〝大朝日〟を辞めた一先輩が、一人いるだけである。新聞界最右翼の朝日の高給を、おのれの信念のために投げうった記者の、誰がいるのだろうか。

さて、これらの問答を通して考えてみるとき、果して「朝日は左翼偏向」であろうか。

答えは、否である。渡辺は「日本の新聞の発生からの体質として『反政府』的、野党精神の伝統があるのだから、それからいっても朝日が特に〝左翼偏向〟しているとは認められない」という。事実である。部外者がそれぞれに、自分の利害の立場から、片々たる現象を利用して、〝左翼偏向〟ときめつけ、〝進歩的朝日〟と称賛するにすぎないのである。

それらの〝利用される〟現象は、すべて、社内事情から表面化してくるものにすぎないのである。出版局のコマーシャリズム、編集局のハネあがり——すべてこれ、社内での〝立身出世〟の道なのである。

もし、本当に〝朝日がアカい〟のであれば、日共秘密党員が指導しているのであれば、共同通信から多くの人材が他社へ流出したように、朝日をあきたらなく思う人物は退社してゆくハズである。では、偏向朝日新聞から、一体、誰が辞めていったか? 敗戦の日、戦争協力の紙面を恥 じて〝大朝日〟を辞め、小新聞〝たいまつ〟を出した一先輩が、一人いるだけである。新聞界最右翼の朝日の高給を、おのれの信念のために投げうった記者の、誰がいるのだろうか。

卒直に、〝経営者〟としての信念を語る渡辺の実力は、笠信太郎でさえ認めざるを得なくて、笠も渡辺を登用したという。その笠でさえ、小和田には「六〇年安保以後の新聞、放送のたどった反動化の指針を示した」と、きめつけられ(前出「潮」別冊冬季号)、旧部下の佐藤信にも、

「常務の職と給与を前にして岩波進歩派グループからぬけた〝安全な思想家〟」と皮肉られるほど(同著「朝日新聞の内幕」)なのである。

朝日が左翼偏向しており、秘密共産党員が紙面をリードしている——これが〝神話〟でなくてなんであろうか。

大体からして、小和田次郎なる〝匿名〟の現役記者は、組織の中で、編集しかみていないのだから、「デスク日記」は書けるかもしれないが、新聞および新聞社というものを、マクロに眺めるには、ヨシのずいから天井をのぞいているようなものである。

六百万部の朝日を実現せんとする、隆々たる社運だから、「このため、広告界との力関係でも、金融資本や政府権力との力関係でも、相対的ながらもっとも独自性を保持しやすい条件におかれている、ということができる」と、単純な考え方をする。

過去五年間(自三十八年度、至四十二年度)の経営数字の一覧表(S銀行調査部調べ)によると、朝日の銀行借入れ金は、部数の伸びに比例して漸増の傾向を見せていることがわかる。

「大阪本社の新築経費の分で、長期借入れ金が増えているのは事実。短期資金がふえるのは、社業がのびているから、これも当然。一番苦しかったのは、広岡専務時代になった昭和四十年ごろ。二本のケイ光燈を一本消し、トイレット・ペーパーさえ節約した時代があった」と渡辺はいう。

正力松太郎の死の後にくるもの p.292-293 資本主義下の〝マス〟コミュニケーション産業の特質

正力松太郎の死の後にくるもの p.292-293 小和田の見解の皮相さは明らかである。〝隆々たる社運〟になればなるほど、運転資金の需要は増大し、借入金への依存度が強まるのである。「金融資本や政府権力に対する独自性」は、いよいよ崩れてゆく
正力松太郎の死の後にくるもの p.292-293 小和田の見解の皮相さは明らかである。〝隆々たる社運〟になればなるほど、運転資金の需要は増大し、借入金への依存度が強まるのである。「金融資本や政府権力に対する独自性」は、いよいよ崩れてゆく

この五年間の借入金は、三十七億、三十九億、六十五億、六十五億、八十七億と倍増し、これを長期、短期に分類すれば、昭和38年度の各二十二億程度が、五年後には、短期三十六億、長期九十六億とハネ上っている。長期資金は大阪新築のせいで、この三年間、五十八億、七十六億、九十六億という巨額である。そして、部数の伸びを示すものは販売(購読料)収入の百分比が、三十六~七%台だった三年間ののち、42年度で四十三%になり、五十%近い広告収入が四十六・七%という、五年ぶりの低率になっている。

小和田の見解の皮相さは明らかである。五百数十万という部数を維持し、さらに六百万の大台に向って、〝隆々たる社運〟になればなるほど、運転資金の需要は増大し、借入金への依存度が強まるのである。仕事をバリバリやればやるほど、銀行が大切になるのである。「金融資本や政府権力に対する独自性」は、いよいよ崩れてゆくのが、資本主義下の〝マス〟コミュニケーション産業の特質ではないか。

〝広告界との力関係〟もなおさらである。新聞はオリンピックに際しての過剰な設備投資と、それにつづく不況のため、大手広告主の出稿手控えに苦しんだ経験をもっている。

「読売のような、案内広告が充実しているのが、新聞としての大きな強味です。ナショナル・スポンサーという、全国相手の大広告主は、好況の時は金高を問わず出稿して、不況時にはバッタリというのが、新聞にとっては一番困るのです。そんな大手広告主は、当然のように、紙面への

口出しもするのです。

アメリカあたりでは、広告の出稿と掲載という、〝純〟経済行為と、紙面の記事とは無関係という、合理性につらぬかれているので問題はないようですが、日本の感覚的商習慣は、大きな広告を出しているのだから、記事で攻撃するなんて……、オチョウチンをもってもらいたい位だ、などという考え方をする。そこで、大広告主の記事介入といったような問題がでてくる。

ところが、案内広告のような小さな広告主は、それが団結して編集権に干渉するなんて考えられない。だから、小さなスポンサーを沢山もつというのが、編集、経営両面からみても一番得策なのです。

その上、一月八日付朝刊の各紙(読、毎、サンケイ、日経)にのった、『東大卒業生有志の会=代表安川第五郎』の『東大の学生諸君、大学を救うため全員が立ちあがろう』という意見広告の問題がある」

小和田の、部数が多いから広告面は売手市場だ、といったような単純なものではない。渡辺取締役は、この東大OBの会幹事との個人的なつながりから、この問題にタッチした真相を語る。週刊文春(二月三日号)の同記事に登場する〝重役〟とは渡辺のことである。

「朝日としては、あの意見広告を断わったりしたことから、いよいよ〝左翼偏向〟の証左の一つにされたりしてますが、そうではなくて、意見広告掲載の基準について、もう少し時間をかけ

て、統一見解をもとうとしていることなのです」

正力松太郎の死の後にくるもの p.294-295 右翼や商売人と同じ手合い

正力松太郎の死の後にくるもの p.294-295 小和田のいうような、「相対的主体性が、体制的本質の陰に喪失してゆく方向は、必至であろう」という、愚にもつかない、きまりきった判断を、類型的な漢字の羅列文で、もっともらしく表現するなど、笑止にたえない。
正力松太郎の死の後にくるもの p.294-295 小和田のいうような、「相対的主体性が、体制的本質の陰に喪失してゆく方向は、必至であろう」という、愚にもつかない、きまりきった判断を、類型的な漢字の羅列文で、もっともらしく表現するなど、笑止にたえない。

「朝日としては、あの意見広告を断わったりしたことから、いよいよ〝左翼偏向〟の証左の一つにされたりしてますが、そうではなくて、意見広告掲載の基準について、もう少し時間をかけ

て、統一見解をもとうとしていることなのです」

意見広告が出せるとなれば、金のある奴は誰でも申しこんでくる。売名、政治と思想、宗教、何でも彼でも断われなくなってくる。金のある政党といえば、まず、公明党と共産党が全頁の意見広告を申しこんできたらどうしよう。それより、東大OBの会のよびかけに対抗して、全学連がきたら、これまた断わりきれまい——といったような、社内での意見が対立したらしい。文春誌は〝朝日の良識〟と皮肉ったが、事務ベースの問題であったというものである。

このようなことでさえ、〝左翼偏向〟の証左としてもち出されるということは、渡辺のいうように、〝意識的につくられ、意識的に流されている〟ことを、裏付けるものであろう。第一、最近、問題となりはじめている、朝日、読売、毎日三社の共同通信復帰でさえも、「これは、朝日と共同のアカが、合法的に手を握り合うための陰謀で、共同通信の〝偏向記事〟が、朝日の巨大な発行部数の紙面に、共同のクレジット付きで印刷される危険が増大している。共同の偏向記事は、今でこそ、一部地方紙にしか印刷されないのだが、これは大問題である」と、憂えている老新聞人もいる。

この稿の冒頭でのべた、村山社主夫人をして、「朝日のアカを退治してやる」とゴマ化して、〝黒い霧〟スターたちの不動産屋に引きずりこんだ〝他称・右翼の巨頭〟などをはじめとして、「朝日はアカい。だから七〇年安保は大変だ」と、危機感をあおって、自分の〝商売〟にしたり

する連中と、そのシリ馬にのった〝憂える〟部類の、ハヤリならカゼでも引きたいという愚民どもが「朝日はアカいという神話」を信奉しているのだ。

ましてや、小和田のいうような、「TBS、共同の〝転向〟が進展するなかで、朝日の孤立化は深められ、その相対的主体性が、商業マスコミ本来の、体制的本質の陰に喪失してゆく方向は、必至であろう」という、愚にもつかない、きまりきった判断を、類型的な漢字の羅列文で、もっともらしく表現するなど、笑止にたえない。

〝主体性が体制的本質の陰に喪失する〟などと、判りにくいことをいわなくても、新聞や放送が巨大化するということは資本主義体制が進むことであり、資本が安全であるためには、反体制を打ち出せないという、中学生にも納得できる論理であり、それが必至であろうなどと、もったいぶった御託宣など無意味である。これもまた、右翼や商売人と同じ手合いである。

私は問うた。「宅配制度は崩壊すると思うのだが、御意見は?」と。

渡辺は、さり気なくこの質問をかわして、宅配制度の見通しについての、ハッキリした意見はのべなかった。そして、いかに宅配制度を守るために、必死の努力をしているかという答をもって、これにあてた。つまるところ、大阪編集局長秦正流が「崩壊は時の流れでもあろう」と、直截に語ったのにくらべるならば、渡辺の発言はより重大な影響があるので、言葉を濁したのであろう。

正力松太郎の死の後にくるもの p.296-297 宅配制度の見通しに対しての渡辺の発言

正力松太郎の死の後にくるもの p.296-297 渡辺とのインタビュー二時間半をふり返ってみると、将来における見通しについては、極めて慎重。もちろん、「経営、業績ともに好調」と断言する渡辺が、今、〝宅配は崩れる〟とはいえない立場であることは、明らかである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.296-297 渡辺とのインタビュー二時間半をふり返ってみると、将来における見通しについては、極めて慎重。もちろん、「経営、業績ともに好調」と断言する渡辺が、今、〝宅配は崩れる〟とはいえない立場であることは、明らかである。

渡辺とのインタビュー二時間半をふり返ってみると、過去の事実については、彼は極めて歯切れのよい発言をして、是は是、非は非としての、明快な結論を出すのだが、将来における見通しについては、極めて慎重であって、発言の影響やら、将来の、より重要な責任者としての〝食言〟を避ける配慮が、あのさわやかな弁説の流れの中で、よどみなく配られていたようである。

もちろん、広岡社長の下で、総合企画室長として、五カ年計画の立案者であり、「社主問題はもちろん、経営、業績ともに、広岡社長時代に入って、極めて好調である」と断言する渡辺が、今、〝宅配は崩れる〟とはいえない立場であることは、明らかである。

「さきごろの値上げ分八十円は、間違いなく全額を、宅配確保のための経費にまわした。これをどう使うかに、販売店ごとの実情に即して、店主に一任されている」「昔は、記者の待遇が一番よかったのだが、戦後は労働組合に、記者も工員も包含されて、同一賃金ベースになった。それが、今度は、宅配確保のために、販売店とその従業員までも、組合員に近い形で包含させられることを迫られつつある」「事実、退職金もなければ、昇給、栄進のない仕事では、労務管理上、極めてやりにくい。そこに人手確保の条件が、地域や時期(学校の試験、休暇)などで、それぞれ違うことが、さらに困難を加えている」「共販の問題はまだむずかしい。拡張の面からいうと、〝あの子が配達しているから〟といったように、配達員、集金員と読者との、人間的つながりが、部数確保、拡張などの面で、やはり無視できない要素である」

宅配制度の見通しに対しての、渡辺の発言は、大体、要旨このようなものであった。見通しについて、直接は答えていないけれど、これらの言葉の中には、私がいままで提起してきた、多くの問題について、はなはだ示唆的な回答が含まれている。

例えば、新聞経営は、部数の頭打ち(世帯数増加程度の伸びはある)で、読者の争奪戦となっている。これは、放送が二十四時間という、全時間を売り終った時と同じような状態で、利潤をあげるためには、値上げと合理化促進以外の途がなくなることを意味する。

従って、小刻み値上げはひん度を増すであろうし、合理化が徹底しなくてはならない。速報性を失った新聞にとっては、〝号外〟を刷るために整備された自営印刷工場も、今や負担になってきて、カラー印刷などの〝紙面効果〟以外に効用価値がなくなり、できれば、離して、外注にしたいあたりが本音であろう。

それなのに、労働組合があるため、工場部門を切りすてられないでいる。そこに切捨てに逆行して、販売店やその従業員までも、下手をすると、傘下に抱えこまねばならないとも限らない。東京都新聞販売同業組合PR版「読者と新聞」二月号は、今東光大僧正の談話として、「新聞社の準社員として社会的地位の向上はかれ」と早くも謳いだしている。これは新聞企業の自殺を意味することで、とうてい無理な注文であり、だから、「宅配は崩壊する」のである。

八十円の値上げ分が、社に入らなかったことは確かであろう。しかし、それが販売店主に渡さ

れるということは、地域差のため一律化がむずかしい(本社員に加え、組合員とすれば、従業員の待遇の一律化も可能である)とはいっても、タクシー値上げと同様に、会社が肥るだけで、運転手は依然としてカミカゼ、乗車拒否というのと同じである。

正力松太郎の死の後にくるもの p.298-299 あの檄文を「声」欄に安川第五郎名儀で

正力松太郎の死の後にくるもの p.298-299 すると、安川老は一カツしたそうである。「新聞の投書欄に引きずりこもうというのか!」と。ニセ投書やらで〝声〟価をとみに落した〝声〟欄である。投書するのは常連で、それこそ〝車夫馬丁の集り〟ぐらいにしか、安川老には考えられないのだろう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.298-299 すると、安川老は一カツしたそうである。「新聞の投書欄に引きずりこもうというのか!」と。ニセ投書やらで〝声〟価をとみに落した〝声〟欄である。投書するのは常連で、それこそ〝車夫馬丁の集り〟ぐらいにしか、安川老には考えられないのだろう。

八十円の値上げ分が、社に入らなかったことは確かであろう。しかし、それが販売店主に渡さ

れるということは、地域差のため一律化がむずかしい(本社員に加え、組合員とすれば、従業員の待遇の一律化も可能である)とはいっても、タクシー値上げと同様に、会社が肥るだけで、運転手は依然としてカミカゼ、乗車拒否というのと同じである。

そして、「宅配確保のため」という理由で、ともかくも、四十三年の値上げが読者に押しつけられたのであったが、ふたたび、四十四年度の値上げ九十円が、さまざまな理由で押しつけられた。トップを切った毎日が十月十五日、読売十九日、朝日二十二日、サンケイ、日経二十五日といった順である。国鉄の新聞運賃値上げが第一の理由で、菅野経企長官の撤回要求無視の上だ。

「レンタル・システムのファクシミリが各家庭に備えつけられて、家庭では、必要とする種類の通信をとって、その料金を支払うことになろう。そんな時、全面広告が送られてきたりして、その料金を請求されてモメたりするかもしれない。それでも、外国の学者や新聞人たちには、今の形の新聞は滅亡しないという意見が強い。その時代への準備は怠っていない」

簡単にハショッたが、渡辺の〝未来新聞学〟は、さながらSF小説のように面白かった感じが残っている。やはり、なかなかの人物のようである。

私は反問した。「部数が不安定では、経営が不安定だというのは新聞経営者としての一方的な考え方であって、そこでは〝読者不在〟ではないでしょうか」と。

事実、これからの「マスコミとしての新聞」においては、いよいよ読者不在の傾向が強くなっ

てゆくのである。それが、朝日、読売の二巨大紙の〝超巨大化〟を推進して、いわゆる言論機関としての機能が退化し、意見広告などの、広告面を中心とした〝広報伝達紙〟の形をとってくるであろう。

意見広告を朝日に拒否された東大OBの会では、渡辺重役のあっせんで、あの檄文をそのまま、投書欄の「声」欄に安川第五郎名儀で掲載しようと申込まれた。すると、安川老は一カツしたそうである。「新聞の投書欄に引きずりこもうというのか!」と。竹山道雄の「ビルマの竪琴」論争やら、ニセ投書やらで〝声〟価をとみに落した〝声〟欄である。いくら、オピニオンのページと銘打っても、投書するのは常連が多い(太田秘書室長の話)ので、一部の特殊な人物に利用されているのだから、それこそ、〝車夫馬丁の集り〟ぐらいにしか、安川老には考えられないのだろう。

意見広告のすう勢に、同時に、言論機関としての、ミニコミ、小新聞、ガリ版新聞の隆盛を促してくるのだ。ここに、ハッキリと大新聞と小新聞の機能別併存が約束されよう。

「社主問題は、極めてよい状態へと向かっており、解決の曙光が見えてきている。それは、村山社主側が常に側近にまどわされて、朝日新聞にとって、悪い方の途をえらびつづけられたから、社内に支持者を失ったことと、広岡社長の下で、社運が隆盛へと進んでいること。さらに重大なことは、社主の次女富美子さん御夫妻が、解決への努力をつくされていること、などが理由です」