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雑誌『キング』p.105上段 幻兵団の全貌 関係記事一覧

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.105 上段 幻兵団関係記事
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.105 上段 幻兵団関係記事

     脚本、事件の立役者小針とはこんな男
 2・7 前進欄
 2・7 〝幻〟は読売のデマ
     自殺の真相
 2・10 投書欄

ニッポン・タイムズ
 1・28 参院で〝幻兵団〟を究明

時事新報
 2・1 引揚者の自殺、参院で重視

新聞協会報
 2・6 〝幻兵団〟の恐怖
 2・27 〝幻兵団〟について

世界経済
△3・1 日本人スパイ謎の行方

     不明、〝幻兵団〟顛末記(夕刊)

註、日付上部の△印はトップ記事

雑誌『キング』p.105 幻兵団の全貌 一、幻のヴェール(発端)

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.105 一、幻のヴェール(発端) 写真・第105回対日理事会
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.105 一、幻のヴェール(発端) 写真・第105回対日理事会

最後の事件記者 p.228-229 ラジオ東京報道部員の真島夫人

最後の事件記者 p.228-229 記者のカンから探り出した大スクープが、この三橋事件でのサヨナラ・ホーマーとなった。鹿地証拠の古ハガキ紛失事件がそれである。
最後の事件記者 p.228-229 記者のカンから探り出した大スクープが、この三橋事件でのサヨナラ・ホーマーとなった。鹿地証拠の古ハガキ紛失事件がそれである。

この三橋事件当時の、記事審査日報、つまり社内の批評家の意見をひろってみると、「三橋の取調べの状況については、各紙マチマチで、毎日は(鹿地氏との関係はまだ取調べが進まず)とし、朝日は(当面鹿地との関連性について確証をつかむことに躍起になっている)と一段の小記事を扱っているにすぎないが、これに反し本紙は、三橋スパイを自供す、と彼が行ってきたスパイ行為の大部分の自供内容を抜き、特に問題の中心人物鹿地が藤沢で米軍に逮捕された時も、三橋とレポの鹿地が会うところを捕えられたのだと、重要な自供も入っているのは大特報だ。」

と、圧倒的なホメ方である。

これが十三日付夕刊の批評で、十四日朝刊は、「朝毎とも三橋の自供内容は、本紙の昨夕刊特報のものを、断片的に追い出してはいる」とのべ、さらに夕刊では、「昨夕刊やこの日の朝刊で、朝毎が本紙十三日夕刊の記事をほとんどそのまま追い、本紙もまたこの夕刊で、現在までに取調べで明らかになった点、として改めて本紙既報のスクープを確認している。こうして三橋がアメリカに利用されている逆スパイであることが、確認されてみると、十三日夕刊の特ダネは、大スクープであったことが裏付けされたわけで、特賞ものである」と、手放しである。

十五日には「朝毎は相変らず、本紙十三日夕刊の記事を裏付ける材料ばかりだ」、十六日になると、「本紙は今日もまた三橋関係で、第二の三橋正雄登場と、二度目の大ヒットを放ち、第一の三橋が紙面ではまだハッキリと固まらず、何かモヤモヤを感じさせている際であるから、この特報はまたまた非常に注目された。本紙のこの特報で、いよいよナゾが深まり、問題はますますスリルと興味のあるものとなった」十八日には「三橋の第一の家は本紙の独自もので、大小にかかわらず三橋問題は、本紙がほとんど独走の形であるのは称賛に値する」と、私の独走ぶりを、完全に認めてくれている。

古ハガキ紛失事件

年があけて、三橋は電波法違反で起訴になり、その第一回公判が六日後に迫った。二十八年二月一日、記者のカンから探り出した大スクープが、この三橋事件でのサヨナラ・ホーマーとなった。鹿地証拠の古ハガキ紛失事件がそれである。

その日のひるころ、今のそごうのところにあった診療所へ寄って、外へ出てきたところを、バッタリとラジオ東京報道部員の、真島夫人に出会った。彼女は時事新報の政治部記者だったが、読売の社会部真島記者と、国会で顔を合せているうちに〝白亜の恋〟に結ばれて結婚、KRに入社した人だった。

ヤァというわけで、喫茶店に入ってダべっているうちに、フト、彼女が国警から放送依頼があったということを話した。都本部の仙洞田刑事部長が、何かの紛失モノを探すための放送依頼を、直々に頼みにきたという。

なんということのない座談の一つであったけれども、私には刑事部長が自身できたという点がピンときた。放送依頼などというのは、やはり捜査主任の仕事である。警察官としての判断によ れば、主任クラスが行ったのでは、放送局が軽くみるのではないか、やはり部長が頼みに行くべきだ、とみたのであろうが、それは、ゼヒ放送してほしいという客観情勢、つまり大事件だということである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.072-073 村井氏の真の外遊目的とは?

赤い広場ー霞ヶ関 p.072-073 What is the true purpose of Murai's travel abroad?
赤い広場ー霞ヶ関 p.072-073 What is the true purpose of Murai’s travel abroad?

調査室の公費は全然用いていない」というこ

とである。このことは事実のようだ。しかし九月十五日の渡航審議会で問題になったのは、村井氏が私費旅行として、審議会の民間ドル割当六百二ドル五十セントを受けながら、公用の「外交旅券」を何故携行しなければならないかということである。これには外務当局にも強く反対するものもあったが、結局村井氏の政治工作によって止むなく発行したという経緯もあるという。

と述べているが、この外遊は、麻生和子夫人―福永官房長官の線が徹底的に反対したのを、緒方副総理の了解でやっと出発できたといわれている。

問題の発端は、当時のボン大使館二等書記官上川洋氏の、曾野氏に宛てた私信である。同氏は二十九年春帰朝して、現在は欧米四課勤務であるが、曾野氏の直系といわれている。その私信については、誰もみた者がいないので分らないが、受取人の曾野氏がニュース・ソースだから、或る程度まで本当だろうと、省内では取沙汰されていた。

この私信の内容について、前記時事新報は次の通り報じている。

この私信は村井氏の行動について記述されたものであり、三千ドル事件については一切触れていない。すなわちその内容を要約すると、

一、ストックホルムからの電話連絡で、村井氏は英語がよく話せないからよろしく頼むといってきたので、右の某氏(著者註、上川洋氏)が八月二十六日ボン郊外ワーン飛行場に出迎えたところ、英国諜報関係官(CICのデヴィット・ランカスヒレ、フローイン・ジャンカーの両氏)に付添われて到着した。

一、ボンにおける村井氏の行動には、この二人の英国人が世話役及び通訳(著者註、肝付氏と同じ手である)と称し終始付添っていた。

一、大使館主催で村井氏を招待したが、英人二人も出席した。

一、入独後、米国諜報部の最高責任者(著者註、アレン・ダレス氏?)と面会することを妨害され、却って共産党転向者某氏との面会を示唆された。

一、村井氏は二名の英国人を述惑視し、かつ警戒しつつも終始行動をともにした。

一、村井氏は広範な調査要求を置手紙としてボンを発った。

一、村井氏持参のトランクがホテル宿泊中に捜索を受け、上衣の内側は刃物で裂いて調査された。

ところが問題はこれからにある。すなわち村井氏の真の外遊目的であるが、私は〝信ずべき筋〟の情報で次のように承知した。しかし村井氏にただしてみたところ、同氏は真向から否定したので、あくまで〝情報〟の範疇を出ないのである、とお断りしておく。

つまり日本の情報機関(これはウラを返せば秘密機関である)については、当時四通りの案があった。警備警察制度の生みの親の村井案、緒方案、吉田(首相)案、それに元同盟通信社長古野伊之助氏の古野案の四つである。

これについて、村井氏はこの四案を携行して、米CIA長官アレン・ダレス氏か、もしくは その最高スタッフに会って、その意見をきくための外遊だったという。