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雑誌『キング』p.104下段 幻兵団の全貌 関係記事一覧

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.104 下段 幻兵団関係記事一覧
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.104 下段 幻兵団関係記事一覧

△1・21 〝幻兵団〟第四報(談話)
 1・22 参院引揚委員長ら言明
 1・22 捕虜のスパイ事実(青森版)
 1・27 〝幻兵団〟参院議題に
△1・28 〝幻兵団〟第五報(舞鶴座談会)
△1・28 参院で法務府は調査中
△1・29 秋田で引揚者自殺
 1・30 編集手帖欄
 2・1 〝幻兵団〟に関係、参院で自殺者の説明
△2・10 阿部検事正遺族の怒り
△2・14 永田判事も犠牲

毎日

△1・31 シベリア幽囚白書(夕刊)
△2・1 かくて帰国は遅れた、闇に光る密告の眼
 2・2 宇野氏の反ばく
 2・3 同胞を食った(夕刊)

アカハタ

△1・14 反ソの幻ふりまく読売
     実在せぬ談話の主
 1・22 娯楽欄
△1・27 〝幻兵団〟のデマをつく
 1・28 〝幻兵団〟参院報告あてはずれ
△2・2 反ソデマをつく内山氏
△2・3 売名と金儲けから〝幻兵団〟の

最後の事件記者 p.148-149 事故を装ったコロシですよ

最後の事件記者 p.148-149 だが、このCICの係官の疑問は、そのまま日本の治安当局に引継がれて、今だに「三田記者はソ連の秘密工作員だ」という、報告書が当局へ提出され、それがファイルされている。
最後の事件記者 p.148-149 だが、このCICの係官の疑問は、そのまま日本の治安当局に引継がれて、今だに「三田記者はソ連の秘密工作員だ」という、報告書が当局へ提出され、それがファイルされている。

『新聞記者の功名心だって? 生命の危険を冒した功名心? 信じられない、納得できない』

この中尉にどんなに説明しても、とうとう判ってもらえなかった。この事実を知っていることは記者自身が幻兵団、すなわちスパイ誓約者であるか、どこからか、資料の提供をうけたということ。秘密組織をバクロすることに伴う危険を、おそれず記事にしたということは、危険がないことを保証されている。ひっくり返すと、安全を保証されて、資料の提供をうけて記事にした。その意図は何かということだ。

すると、その答は、ソ連側と了解の上で、反ソ風に装ってアメリカ側に近づく目的で書いたに違いない、とみられたのであった。

だが、このCICの係官の疑問は、そのまま日本の治安当局に引継がれて、今だに「三田記者はソ連の秘密工作員だ」という、報告書が当局へ提出され、それがファイルされている。

ある当局の親しい係官に、その後ずっとたってから、またたずねてみた。

『最近、当局ではオレのことをどうみているンだネ。依然として、反動を偽装している〝赤の手先〟とみているンかネ』

『それについて、ワシの方には別にデータも出ていないようだが、しかし…』

この〝しかし〟がクセモノである。

『しかし、幻兵団の記事を書いた動機は、いまだにナゾですナ。危害を与えるに値しないと先方が判断したのか、危害を加えられないという保証があったのか、依然としてナゾだとみているンだ』

やはり、この生命の危険を冒した記者の功名心は、どこでも、誰にでも、判ってもらえないらしい。

判ってもらえないばかりではない。危険はツイ眼の前まできていたのだった。当時の法務府特審局(現公安調査庁)の吉橋調査第一部長が私に忠告してくれたのである。

同局がある共産党の細胞か何かを捜索した時に、押収した文書の中に、「読売三田記者を合法的に抹殺せよ」という、極秘指令を発見したというのだ。

『合法的ということは、事故を装ったコロシですよ。第一が交通事故、信号を無視したり、酔って道路を横断したりなさるナ。それから駅のプラットホーム。これは電車が進入してきた時に、突き落されるのです。酔ってたので、足がからんでブツかった、などと事故にされちゃうよ。それと、高い所もダメですよ』

吉橋部長は、一応まじめな顔で、

『ともかく、当分は気をつけた方がいいですよ』と、親切に忠告してくれた。

最後の事件記者 カバーそで 著者略歴

最後の事件記者 白ページー見返し jacket flap カバーそで
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最後の事件記者 jacket flap カバーそで 著者略歴
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著者略歴

大正十年、盛岡市に生る。日大芸術科卒業。昭和十八年、読売新聞入社、直ちに社会部記者となる。昭和二十二年、シベリアより引揚げ、復職。法務府、国会、警視庁、通産省、農林省各記者クラブを経て、昭和三十二年六月、最高裁判所司法記者クラブ詰。昭和三十三年七月、横井事件に関連して、取材が「犯人隠避」罪に問われたため、読売新聞退社。

昭和三十三年九月、文芸春秋十月号に「事件記者と犯罪の間」百五十枚を発表。著書に、「東京秘密情報」「迎えにきたジープ」「赤い広場—霞ヶ関」がある。

住所、東京都世田谷区世田谷二の一九五八