■□■ガングロたちへの提言■□■第31 回■□■ 平成11年(1999)10月16日
さる10月3日付の「しんぶん赤旗」紙は、女子美短大の池田孝江講師(服飾史)の「歴史はくり返す? 厚底サンダル」という一文を掲載していた。今週封切り予定の米映画「娼婦ベロニカ」の予告編に、木靴カルカニーニが出てきた、という書き出しである。
16世紀ベネチアでは、高級娼婦から一般女性まで、14センチから40センチもの、カルカニーニを履いていた。それは、ベネチアでは、運河が洪水を起こすので、女性の自衛のためのものだった。当時の画家ヴェチェッリオの描いたものがあり、スカートの下に男性用の半ズボンを着け、カルカニーニを履いている姿が見られる。
「私たちは男のうしろからついてゆくのではなく、同等に、時には男の腕をとってリードしてゆくのです」と、女子学生が語っているそうだ。「体位の上でも仕事の上でも、男性と同等の目線でものを見、活躍する時代は、もう手の届くところまで来ています」が「しかし厚底サンダルは、男女機会均等に寄与する積極性より、行動を束縛されかねません」と、男性と同じ高さの目線でものを見るという前段部分を引っ込め、行動の束縛という実相を認めている。
16世紀のベネチアで、厚底木靴が流行していたということは、さすがの私も知らなかったが、水溜りを歩くのに便利という実用性だけだったのだろうか。池田講師の文中、「娼婦ベロニカ」「高級娼婦」という言葉が出てくる。そこで私が思い出したのが、いまでは全く見られなくなった纏足(てんそく)だ。79年に私が戦後初めて中国に旅行した時には、北京の胡同(フートン・うら町の意)で、ヨチヨチ歩きする纏足の老婆がいたものである。辞典によれば「昔中国で子供の時から女の足に布を堅く巻きつけ、大きくしないようにした風習」とある。
もちろん、中国の女の子のすべてが、纏足したのではない。売買婚の形が強く残っており、一夫多妻だったころ、いうなれば娼婦に近い女性たちの(妻も含めて)、逃亡を防ぐ狙いもあったようだ。農婦をはじめ、労働者階級ではやらない。その亜流が、祇園舞妓のポックリ(高下駄)だったのだろう。
今の風俗で、ガングロ・キンパツという画一的な流行にとらわれる女の子たちが、厚底サンダルの常習者である。決して、男と同じ高さの目線を持ちたいという、希求があるのではない、と私は断じたい。
中国の纏足は、女性の足、くるぶしより先の部分の発達を防ぐのが目的である。つまり、身長、体重に比例させないので、О脚風にヨチヨチ歩きを強いられる。その狙いはなんなのだろうか。ベネチアでも、娼婦たちから流行したヨチヨチ歩き。日本のポックリも、水商売の女たちの風俗である。これらに共通する効果は、女性器の訓練である。
日本の俗言に、「ビッコの女はいい」というのがある。足の不自由さのゆえに、日常の歩行の中で、腰の安定のために、下腹部の筋肉が鍛えられて、性器の緊縛度が強くなるといわれる。同じく俗語のキンチャク(巾着袋のこと)になると信じられている。
私が警視庁記者クラブ時代、新任の社会部長歓迎会の行事で、幹事の私は、浅草で“花電車観賞会”と洒落こんだ。バナナ切りのあとのゆで卵飛ばしとなった時、膣内に残っていたバナナのスジが飛び出し、新社会部長のほっぺたにくっついて、大笑いだった。
もう浅草あたりでも、花電車の芸人はいないようだ。府立五中の同窓会で、私は北関東の温泉に、その芸人がいると聞き、余興に呼んだ。クリスチャンの学校長が真剣に見つめていたのが印象的だった。年増の芸者の演技は、まさに芸術的で、ワイセツ感はなし。
ガングロ・キンパツたちも、こういう“芸術家”を目指すべきだ。 平成11年(1999)10月16日